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文化庁「鉄筋コンクリート造天守等の老朽化への対応について」令和2年6月

本日のブログは、ある意味むちゃくちゃ手抜きかもしれない。ほとんど私は書いていない。

名古屋城天守の木造化は、遡ると平成26年の名古屋市会での議論を起点としており、その理由は「老朽化した天守閣建物を改修するとしたなら、文化庁は木造以外認めない」という河村市長や名古屋市当局の主張だった。

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名古屋市 平成26年6月定例会 6月27日
河村市長発言

 天守閣につきましても、よく文化庁に問い合わせされましたけど、これはショッキングな話で、鉄筋コンクリートによるもう一回再建は認めないということを文化庁がはっきり言っております。したがいまして、あと何年もつか知りませんけど、30年なのか、50年なのか、100年なのかわかりませんが、もう朽ちたときにはあれは壊さないけません。


 そうすると、何にもなしになってしまうのか、それとも、木造再建をするかということで。

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平成27年 経済水道委員会 6月17日


西野市民経済局総務課長
名古屋城天守閣の整備に関する調査につきまして・・・・


 前提でございます。平成26年度の調査に当たっては、現天守閣は再建されてから55年が経過し、老朽化が進行していること。天守閣の耐震性能が現行の基準にそぐわないこと。耐震改修を行った場合でもコンクリートの寿命がおおむね40年であること。文化庁の見解として、現在の鉄筋コンクリート造の天守閣を解体した場合、再建する天守は木造に限ることの4点を前提として調査を行いました。


 現天守閣は、石垣の石材の劣化や設備の老朽化などの課題が生じているほか、耐震改修した場合でもコンクリートの寿命がおおむね40年となっております。また、現天守閣を解体し、再建する場合は木造での復元に限られるといった文化庁の見解がございます。」


西山委員 
 「天守閣の再建は木造復元しかないとお話をされましたけれども、その根拠はあるのでしょうか。文化庁の見解を示した通知、文書はありますでしょうか。」


寺本市民経済局名古屋城総合事務所整備室主幹 
 「文化庁より、天守閣の復元につきましては木造復元という回答をいただいておりますが、その文書となるものにつきましては、きちんとその点についての明文化はございませんけれども、史跡等の整備の手引というものがございまして、その中でもうたわれておりますが、史実に忠実な復元をすることというふうに文化庁のほうからは指導を受けております。」

河村市長や名古屋市当局は議会に「文化庁は木造化以外認めない」と伝えてきたわけだが。
その文化庁が今年の6月、次のような文章を出してきている。

www.bunka.go.jp
史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ
-鉄筋コンクリート天守等の老朽化への対応について(取りまとめ)- 文化庁

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/shiseki_working/roukyuka_taiou/pdf/92335501_01.pdf
鉄筋コンクリート天守等の老朽化への対応について(取りまとめ)
令和2年6月
史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ

 RC造天守の建築物については、木造か延命化のどちらが史跡等の本質的価値に資するかを検討したうえで、今後木造による再現の可能性を模索するなど、個別の史跡等の事情により様々な整備方策を執ることが考えられるが、この取りまとめでは、RC造天守の役割等も踏まえつつ、史跡の活用方策とバランスをとりながら、RC造天守のほか、RC造で再現された櫓などの建造物(以下、RC造天守等という。)の老朽化への対応を行う場合について、その在り方を提示するものである。

 RC造建物の耐用年数は約50年とされており(※財務省減価償却資産の耐用年数等に関する省令別表第一による)、史跡等に所在する既存のRC造天守はいずれも建築後50年を超過しているところである。


 耐震診断等により耐震強度が不足していること等も踏まえ、築後50年を超過したこれらのRC造天守のうち、いくつかの天守においては、従来果たしてきたその機能などに鑑みつつ、コンクリート部分の再アルカリ化、構造補強等の長寿命化のための措置が行われた。


その他のRC造天守等においても同様に、財務省令上は耐用年数を超える一方、従来果たしてきたその機能などに鑑みて、今後も、老朽化対策の検討に及ぶことが想定される。

特に、次などにも注目してみたい。

3.既存のRC造天守が果たしてきた役割


-史跡の上に建つ建築物として期待されてきた機能-


○RC造天守は、その多くは往時の外観を模して再現されているように、史跡等の往時の姿を今に伝え、その本質的な価値を正しく理解していくうえで一定の役割を果たしてきた。


○これらについては、史跡等との関係において、本質的価値の理解に資してきた意義が当該史跡等の保存活用計画や整備計画等に示されていない場合がある。(※1)

また、天守自体が「歴史的景観の形成に寄与」する近代の建築物として国の登録有形文化財(建造物)として評価されているものもある。

というのは同じRC造の大阪城天守閣を指すものと思われる。

大阪城天守閣
平成の大改修


 上で(※1)とした指摘、「これらについては」つまり、「RC造天守は(略)史跡等の往時の姿を今に伝え、その本質的な価値を正しく理解していくうえで一定の役割を果たしてきた」「本質的価値の理解に資してきた意義」があったにも関わらず「当該史跡等の保存活用計画や整備計画等に示されていない場合がある」との指摘であるが、名古屋城における「当該史跡等の保存活用計画や整備計画等」には示されているだろうか。


http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000105/105368/keikaku.pdf
特別史跡名古屋城跡保存活用計画

この中で、「RC造天守」について語られている箇所は少ない。

2-2 特別史跡名古屋城跡の概要
2-2-2 歴史的環境
(1)名古屋城の歴史
■現代(市営期:昭和20年(1945)~)
 「昭和34年(1959)には市民の機運の高まりにより市制70周年記念事業として、大天守・小天守と正門(榎多門)を鉄骨鉄筋コンクリート造で再建した」(p.28)


第3章の「3-2-2 特別史跡名古屋城跡の構成要素」の「表3-1 特別史跡名古屋城跡を構成する諸要素」(p.63)では、天守閣は正門(榎多門)とともに「外観復元建造物」という扱いになり、区分としては「(Ⅱ)本質的価値の理解を促進させる諸要素」となっており、「(Ⅰ)本質的価値を構成する諸要素」ではないということになっている。

なぜ、こんな事が起こるのかと言うと、この「保存活用計画」の「本質的価値」に重大な欠陥があるからである。*1

第3章の「3-1 本質的価値」(p.58)に次のように述べられている。

上記の指定説明文を踏まえ、昭和 7 年及び昭和 27 年の指定当時の視点から本質的価値を以下のとおり整理する。 (p.58)

つまり、昭和、平成、令和と歴史を重ねてきている特別史跡名古屋城跡の「本質的価値」を昭和27年までの視点からだけ整理してしまっているのだ。

これは、恣意的な歴史の切り取りであり、重大な欠落、改ざんである。

名古屋城には昭和27年以降、歴史は流れていないとでもいうのだろうか。

まことに失礼千万な文章ではないのか。

以前の平成18年版「全体整備計画」を見てみたい。



特別史跡名古屋城跡全体整備計画 全文.pdf - Google ドライブ
特別史跡名古屋城全体整備計画
平成18年9月 名古屋市

第3章 名古屋城の現状
8.現状の課題
⑦ 建造物の復元


 二之丸、西之丸、御深井丸の主要建物は明治期に陸軍の鎮台が置かれた際に取り壊され、本丸多聞は明治24年の濃尾大震災で崩壊し、天守閣、東北隅櫓、本丸御殿、表一之門は昭和20年の空襲で消失した。


 これらの建造物、特に廃城後市民に長く親しまれてきた戦災消失建造物を復元することは、名古屋の歴史的・文化的シンボルとしての名古屋城の価値を高める上で有意義であると考えられる。


 なかでも本丸御殿の復元については市民の関心も高く、これらの建造物の復元整備が必要である。


 なお、建造物の復元整備にあたっては、遺構の保存を前提に、文化財としての正統性を損なうことのないよう、精密な復元考察が求められている。文献・絵図や実測図・写真などの史料調査の成果を生かした実証的な復元が必要とされている。

第4章 全体整備計画


1.保存・活用の基本理念


 名古屋城は名古屋のシンボルとして400年の歴史を歩んできた、名古屋に住む人々にとって長く「外から眺めるシンボル」であった名古屋城は、昭和5年(1930)の宮内省から名古屋市への下賜を契機に一般に公開されるようになり、名実ともに名古屋市民の歴史的財産・市民の愛着と誇りのシンボルとなった。


 昭和20年(1945)の戦災で、天守閣・本丸御殿をはじめ城内の建造物の多くが消失したが、市民の名古屋城再建にかける願いは大きく、昭和34年(1959)、名古屋の戦後復興を象徴するプロジェクトとして天守閣が再建された。戦前は多くの国宝を有する「文化財」としての性格が色濃かったが、戦後は公共のオープンスペースとして市民の憩いの場となっている。市民の間には戦前の名古屋城を懐かしみ、名古屋のシンボルをより魅力あるものとして再生したいとの思いが根強い。


 一方、名古屋城の歴史的遺産としての価値は、天守閣や御殿などの建造物のみではなく、石垣や堀、大きな特色の一つと指摘される庭園、地下に埋蔵されている遺構など名古屋城の歴史をあらわす全ての文化財によってつくられている。


 こうした歴史的遺産としての価値と、文化的シンボル、文化観光資源、公園緑地など名古屋城が持つ多様な役割を踏まえて適切な保存管理をし、活用を図っていくために、下記の項目を基本理念として掲げる。


文化庁の「取りまとめ」の続きを見ていこう

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/shiseki_working/roukyuka_taiou/pdf/92335501_01.pdf
鉄筋コンクリート天守等の老朽化への対応について(取りまとめ)

4.今後のRC造天守等の老朽化対策とその在り方について


○RC造建物の耐久年数が50年と言われていることもあるが、それは財務省令におけるRC建物の減価償却上の年限であり、RC建物自体の寿命を指すものではない。


老朽化対策が適切に行われれば、相当年数長寿命化を実現することは不可能ではないと考えられるが、効果的に長寿命化していくためには、常時における不断のモニタリングやきめ細かいメンテナンスを行うことが重要である。


これにより、更なる長寿命化(やメンテナンスコストの逓減化)を図っていくことが期待される。なお、耐震診断の際には、RC造建造物が、土台である石垣にどのような影響があるかについても把握することが望ましい。


○RC造天守等それ自体は、史跡等の上に建築されているものである以上、史跡等の価値の理解に関わるものであるが、木造で再現された復元基準上の「復元」とは異なる。
このため、「天守等復元の在り方について」に記載された手順や留意事項などを踏まえながら、史跡等の本質的価値の理解促進に繋げていくことが重要である。


○RC造天守等の老朽化対策を行うに際しては、史跡等の保存活用計画や整備計画等に、RC造天守等が建築された歴史的経緯、史跡におけるこれからの役割、保存・活用の手法等を明確に記載していくことが必要である。



5.おわりに


○史跡等における天守以外のRC造で再現された建造物であっても、いずれ老朽化対策の必要性が生じることに加え、地域において担うべき役割や史跡の価値の理解を促進させる機能を明確に位置づけることが望まれる。


○(国指定、地方指定、未指定を問わず、)史跡等に所在する老朽化するRC造天守等は、今後、木造による再現の可能性の模索や長寿命化措置など、個別の史跡等の事情により様々な整備方策を執ることが考えられるが、老朽化対策を行う場合には、3.の既存のRC造天守等の役割等も踏まえつつ、4.を参酌し、史跡の活用方策とバランスをとりながら、メンテナンスを行っていくことが望ましい。

木造による再現は排除していないが、それには様々な整備手法との比較考量*2が必要なのであり、「史跡の活用方策とバランスをとりながら、メンテナンスを行っていくことが望ましい」のである。現にあるRC造天守を乱暴に扱ってよいものではない。

こうした「取りまとめ」が今年の6月に文化庁から示された背景には、名古屋市の「先行解体」という乱暴な申請が有ったと解釈するのは、私のうがった見方だろうか。


*1:石垣やお堀など、特別史跡としての価値を否定するものではないが、名古屋城跡にはそうした築城時の歴史的遺構という価値だけでなく、江戸時代、明治、大正、昭和、そして平成、令和という積み重なった歴史を語る遺構としての価値もある。特に、昭和における戦災で消失したという事実は、名古屋城跡にとって他に類するものがないほどの重大事であるはずで、そうした歴史を語らないとするならば、そのような歴史認識はあまりにも偏り、狭いものだろう

*2:「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」(平成 27 年 3 月 30 日 史跡等における歴史的建造物の復元の取扱いに関する専門委員会) http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/bunkazai/matsuejyou/sisekimatsuejyohozonkatsuyou.data/siryou5.pdf