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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

矢野康治財務省事務次官論文について

 文藝春秋11月号に「財務次官、モノ申す-このままでは国家財政は破綻する」と、現役財務省事務次官である矢野康治氏の論文が載っており、話題になっている。選挙に向けて各党が給付金や助成金、さらに消費税減税等を訴える中で、こうした「バラマキを続けていては、国家財政が破綻する」とする、いかにも財務省の論理を展開したものだ。

 現役事務次官が一般誌に所論を掲載するというのは異例のことだと思う、一説には前財務相で現岸田政権にも影響力を持つ麻生前財務相が、記事掲載の了承をしているとのことで、野党各党の展開する「バラマキ政策」に対する政権与党としての批判という政治的思惑が透けて見える。

 そもそも国家財政なんて代物は、右のポケットにお金を入れるか、左のポケットにお金を入れるかという話であって、「国家の赤字」なんて議論することそのものがナンセンスだ。(民間セクタの収支、それに公的セクタの収支を足し合わせ、そこに貿易収支を引けば、どうしたってゼロにしかならない)戦後の日本の社会ではこの右のポケットと左のポケットというのが、霞が関と永田町であって、霞が関の官僚に力があれば(政権に力がなければ)国家財政は収支バランス側に振れ、永田町に力があれば(有力政治家が政権を握れば)赤字傾向が広がる。

 この矢野論文でも、97ページに掲載されている「一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移」と言うグラフでも「平時は黒字にして有事に備える」と矢野氏がいくら力んでも、1988年、バブル景気真っ盛りの際にも黒字にできなかった事実を見ても、上の両ポケット論の正しさがわかる。つまり、国家財政が黒字傾向になろうとしても、時の権力者が強力で、官僚が押し負ければ黒字化などできないのだ。1988年何が起きたか、竹下登様が「ふるさと創生一億円事業」として、黒字分をバラ撒いてしまったわけだ。

 有能な政治家、力のある政治家なら、何らかの政策や、プランを持っており、それを実現化するために金を出させる。つまり、財政は赤字に振れる。無力な政治家、無能な政治家はそんな苦労は買ってでない、官僚の言うがまま「おとなしく」「良い子」でいて、軋轢も産まないし、歳出負担も求めない。

 この矢野論文でもその事実は語られている。菅前政権は約30兆円の予備費を積み上げておいて国会を閉じてしまった。その間、医療の逼迫や検査の拡充。困窮する事業者、国民の支援など、この予算を執行するタイミングはいくらでもあったはずだ。それが積み残されている事を批判するが、なぜ執行されなかったのか。厚生行政の敗北であり、政治の敗北だったことは明白ではないのか。

 以前、企業とはヒト、モノ、カネを次の利益につなげるものであって、その企業にどんどん内部留保を溜め込む経営者は無能であると指摘した。政治家も同じだ、無能なものほど、国家財政を健全にする。(名古屋の現市長さんの、財政の健全性は目を瞠る。ご自身の目玉政策と言われ、500億円かかると言われたお城の木造化すら、留め置いて財政再建に務められる姿はまことにご立派、金メダルをあげたいぐらいだ)

 経営者にしても、政治家にしても、なぜ今の社会はカネの使い方が下手な者が多いのだろうか。サラリーマンだからなんだろうか。カネを生むカネの使い方。ヒトを活かすためのカネの活かし方ができない者ばかりではないのか。それは、人生の最後に、畳の裏に札束を並べる類の、カネにスポイルされた生き方にしか見えない。(そんなに使い方が下手なら、俺に貸してみろと言いたくなる)

 この矢野論文について、二つ、テクニカルなところで反論してみたい。

 1つ目は「国債残高/GDP」の式についてで、「成長率-金利」の議論を否定し、「分母であるGDPが一定程度は膨らむにしても、分子の国債残高も金利分ではなく、単年度収支の赤字分も膨張してしまう」としているが、そもそも財政出動をかけてもGDPが上がらない、お金が回っていかないところに問題があることを無視している。その事情を矢野氏はその前のページで描いている。(つまり、自覚している)

 「どんなに追加の歳出を計上しても、実際に最終消費や投資に回さなければ、需要創出につながらずGDPギャップは一向に埋まらない」つまり、日銀がいくら財政出動しても、その狙う先が金融市場などでは、乗数効果は見込まれず、財政出動のカネがほとんど直接ストックに積み上がっていく。キャピタルゲインや、元々黒字の企業(でないと、政権政党に寄付金は出せないので)に対する財政支援は、需要創出につながらず、GDPが埋まらない、埋まらないから「国債残高/GDP」の式において、分母が膨らまず、分子が膨らんでいく。話が逆なんじゃないのか。

 続く「過剰な給付金や補助金は、かえって企業の競争力をそぐこととなり」と言うセンテンスでは私は「電通」を思い浮かべてしまった。自社ビルを売却するほどの苦境に立ちながら、一気に黒字化を遂げた、そりゃあ巨大スポーツイベントのご利益はあらたかだ。

 2つ目。消費税引き下げは問題だらけで甚だ疑問。というセンテンスについては、これは消費税引き下げの議論ではないだろう。軽減税率の制度的問題であって、ただでさえ政治的に税制が歪められている問題について、矢野氏が数字を弄り回して見せるものだから、複雑骨折しているように見える。税制などシンプルなほど良いわけだから、軽減税率の廃止も含めて議論して、制度そのものの整合性を謀ればいいだけではないのか。

 このブログでは何度も言っているが、経済とは経世済民の謂であって、金勘定の事を言うのではない。財政収支などカネがどこにあるかという議論であって、それが右のポケットだろうと左のポケットだろうとどうでもいい。問題は、国民に過不足なく社会的リソース(衣食住をはじめとした、生活の必需)が配分されているかが問題であり、若年層、シングルマザー、学生(特に大学生)などに、不足が見られるなら、そこに厚く給付すべきだ。こうした需給ギャップのある層(需要はあるのに、供給が満たされていない層=カネがない層)にカネを渡せば、即座に需要(消費)に回る。カネをストックに回さず、フローで回せばGDPなど幾らでも上がってくる。GDPとは回転量であって、そこで回っている通貨総量ではないのだ。ストックに滞留するからGDPが上がらないだけだ。

 矢野さんはこんなことも言ってる。「公平無私に客観的に事実関係を政治家に説明し(略)単に事実関係を説明するだけでなく、知識と経験に基づき国家国民のため、社会正義のためにどうすべきか、政治家が最善の判斷を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければなりません」

 そのためには広範な知識が必要であって、例えば東大というところは、そうした教養をこそ教えるエリート教育の場であったはずだ。(財務事務次官と聞いて、矢野さんは東大とばかり思っていたが、一橋だったそうだ)国家を語り、人間を語る上では、歴史と哲学は外せない。人類の歴史を知らず、国家運営が語れるわけがない。

 ところがこの文章では1ページ目に次のような記述がある。

 「これでは古代ローマ時代のパンとサーカスです。誰がいちばん景気のいいことを言えるか、他の人が思いつかない大盤振る舞いができるかを競っているかのようでもあり、かの強大な帝国もバラマキで滅亡(自滅)したのです」

 ・・・知らなかった、古代ローマ帝国が滅亡した理由は、バラマキであり、財政破綻によって滅亡したのか?
 教えてほしい、では誰が古代ローマ帝国国債を買っていたというのだろう?

 古代ローマは西と東に分けられた。今でも覚えている、高校生の時の世界史の授業で「これを田分けという」と、世界史の教師が分割相続の危険性を話していた。確かに、古代ローマ滅亡の遠因はこの「田分け」にあったかもしれないが、西ローマはゲルマンの、東ローマはイスラムの侵攻を受け、衰退していったにすぎない。西ローマにおいて滅亡の原因は「バラマキ」ではなく、逆に歳出を抑制し、国防を傭兵に依存することとなり、その反乱などを誘発し、最終的に防衛が叶わなくなったわけだ。

 更に言うと、こんな事(バラマキ/放漫財政)で滅亡したのは、王朝や為政者であって、国ではない。

 世界史を閲し、そこから汲み取れることは、その地が養える人口は養えるのであって、土地に力がなくなれば、国は滅亡する(ヒトは逃散するだけだ)そこで必要なことは、如何に適正に社会的リソースを配分すべきかということであり、「牛耳る」ことの重要さではないのだろうか。

 呆れ返るのは、この矢野さんやその周辺の財務相官僚は、何かの議論や、酒でも呑みながらの政治談義の中で、「ローマの滅亡は放漫財政にあった」というような認識に立っているのか?と言う危惧だ。そんな程度の認識で「客観的に事実関係を政治家に説明し(略)単に事実関係を説明するだけでなく、知識と経験に基づき国家国民のため、社会正義のためにどうすべきか、政治家が最善の判斷を下せるよう、自らの意見を述べて」いるのだとすれば、この国が30年以上に渡り、デフレ不況から一向に浮上できない理由もわかるというものだろうし、そのデフレが構造的に改善されないまま、アジアのコロナ拡大を受けて、メモリ等の電子製品の不足や、石油、LNGの不足、高騰を受け、とんでもないスタグフレーションを迎えようとしている現状に、恐怖すら感じる。

 ギボンが指摘するまでもなく、国の衰退とは、その国の文化の衰退であり、現代日本において、エリートたるべき霞が関官僚の劣化は、まさしく亡国の験だろう。その原因は大学教育の貧困にあり、その基は、すなわち緊縮財政にある。矢野財務事務次官の教養の問題こそが、緊縮財政の誤りを教えている。それにしても、この論文は話題になって、様々な議論が起こっているが、この部分にツッコミを入れている人が居ないというのはどうしたわけだろう。まさか、日本人皆が、ローマ衰亡の原因を放漫財政だと思っているのか??

 矢野論文で相当書いてしまったので、別立てにする。

 次回は、「伊勢湾台風で街が綺麗になった」発言の減税日本、前田恵美子の内幕について記載する。

 さらに、本日の河村、市長会見についても記述させていただく。
news.yahoo.co.jp

 なぜ、河村たかしは嘘をつかなければ居られないのだろうか?