市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかし、減税日本から民主主義を取り戻せ

 追記:
 現在、衆議院総選挙愛知2区(守山区千種区名東区)に、東区選出の自民党市議が立候補している。東区(愛知1区)からのお国替え出馬となっており、住民票がまだ東区にあるらしく、ご自分には投票できないという珍事となっているらしい。
 それはさておき、東区の名古屋市議が国政転出したという事で、東区では市議補選が行われる。

 ここに、減税日本は河村事務所の職員を市議候補として立てるとの方針だったようだ。
 現職の佐藤夕子(敬称については、以下参照)がいる上に、もう1議席を取るということだろう。東区の有権者は私有物とでも思っているようだ。東区から市議を2議席獲得し、2年後の市議改選時には一人を県会に転出させるという方針だったようだ。当初はこの補選に出馬する職員を県会に転出させる予定だったようだが、市議会における混乱等を受けて、佐藤夕子に県会転出させるという方針に変わったようで、それを受けて佐藤夕子が補選に職員を出馬させる件については反対を始め、結果、減税日本からの補選出馬は微妙な情勢のようだ。
 職員を補選出馬させる事情は、そもそも河村事務所の資金不足によるものだったようだ。職員給与を県議報酬に切り替えるというつもりだったのか。まったく、私利私欲の議席私物化、家業化と言っても過言ではないが。そこに佐藤夕子が反対するというのも保身でしかない。
 なんとも醜悪な姿が垣間見える。

 今年の名古屋市会、9月定例会は異例の幕開けを迎えた。

 9月10日に始まった本会議冒頭、服部将也議長が異例の「談話」を読み上げ、市民に対して謝罪を行ったのである。理由は、名古屋市会の委員会討論において「伊勢湾台風で街がきれいになった」との問題発言を行った減税日本の前田恵美子市議が一時的に離れていた減税日本ゴヤ市議団へ、市民に対する説明や謝罪もろくにしないまま、復帰するとの発表が行われた。それを受けて被災地住民から厳しい抗議が市会に寄せられ、そうした声に応えるための謝罪と談話であった。

 問題発言のあと、前田市議は市民に対して謝罪も説明もしていない。減税日本は都合の悪いときにはマスコミに対するコメントの発表などで「市民への説明」が果たされたと主張するがこれが同一でないことは明白であり、マスコミへの対応よりも市民に対する説明が優先されるべきは当然の事のはずだ。

 減税日本佐藤夕子(市民に虚偽を述べる議員に対して敬称はつけない)は「前田議員は社会的な制裁を受け、深く反省している」などとして復団を決定している。公職者がその言動に対して批判を受けることは当然のことであって、それを「制裁」とは言わない。前田市議はなんら制裁など受けていない、批判を受けただけだ。それも、至極もっともな批判だ。そして本人は反省しているのだろうか。本当に反省しているのであれば、今般抗議文を出した市民に対して、直接謝罪に赴くなどするだろう。伊勢湾台風の慰霊祭に参列を許されていないようだが、許されるように繰り返し、繰り返し、誠意をもって謝罪すべきではないのか。自らの発言の非人道性を認識するならば、遺族、地域住民に対して心よりの謝罪を繰り返し、許しを乞う以外に行うべきことなどない筈だ。しかし、上にも見たとおり、報道などが行った至極まっとうな「批判」を「社会的制裁」であると受け止めているようでは、反省など伝わるわけがない。

 代表である河村たかしの「反省」も至極自分勝手で幼稚なものだが、さすが減税日本の人間は、同程度の幼稚な「反省」しか行えないようだ。
 
 10日の本会議では、この後「佐藤ゆうこ理事に対する問責決議案」が行われている。

https://nagoya.gijiroku.com/g07_Video_Search.asp?Sflg=1&kaigi=18&NitteiID=740

 読売新聞は「問責決議案は自民、名古屋民主、公明、共産の4市議団が提出。『佐藤氏が復団で主導的役割を担っていたことがうかがいしれる』などと指摘し、『被災者の心情を再び大きく傷つけた』」と報じている。

www.yomiuri.co.jp

 日本共産党市議団 9月市政ニュースでは、事の経緯が詳細に伝えられている。

http://www.n-jcp.jp/wp-content/uploads/2021/09/ac863ed591206284ec51ba7b29d430b8.pdf

 端的に言って減税日本佐藤夕子はバカである。理性的に事実を把握することができず、論理的に考証することもできない。そして手前勝手で視野狭窄な、わがままな判断しかできない。こうした知的傾向の一つでも当てはまれば「バカ」と呼ぶに十分だが、3つの段階をそれぞれ踏んでいる。正真正銘の「バカ」と言う以外ない。佐藤夕子がなぜバカになってしまったかといえば、たぶん、河村たかし衆議院議員よ代議士よと持ち上げられて、霞が関官僚などに「先生、先生」とおだて上げられた結果だろう。自身の発言が無謬であるかのように勘違いしてしまい、自分を批判する者は「こととして批判する」「攻撃者」であって、そのような者の発言に耳を傾ける必要はないとでも思ってしまったということだろう。人間、まっとうな反省と自己点検ができなくなると途端にバカになる。

 ちょっと興味深いのは、2011年(平成23年)のこのブログ、佐藤夕子がまだ衆議院議員だった頃の出来事だが、そこで私はズバリ今日の状況を言い当てている。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 この事例は、衆議院議員であった佐藤夕子が2011年当時、大問題となっていた東電原発事故の後処理について、衆議院に「質問主意書」を投げていた。しかし6月20日に提出されている「質問主意書」の回答は、すでにその前の6月3日、6月16日の文書で示されており、それらを参照もせずに「根拠がない」と主張する事は誤りであるという指摘だ。

 こうした事を受けて、私は「政治は事実を元に議論されなければならない」と主張している。(今も変わっていない)そして、それを乗り越えた「政治の奥義」についても触れている。確かにこの「政治の奥義」は正しい。現在においても揺るがない。現在行われている衆議院総選挙においても、その奥義たる力をいかんなく発揮するだろう。

 2011年のブログで、私は「政治の奥義」は「人気を得ること」と書いたつもりだ。河村たかしの支援者は田山市議の市政報告会でこう言った「うるさい、私たちは河村さんの話を聞きたいのであって、そういった政治の話はどうでもいい!」佐藤夕子の支援者も、佐藤の国政報告会でこう言った「私たちは佐藤さんのお話を聞きにきたので、そういう政治の難しい話は聞きたくない」・・・感動しますね。そうした名古屋の人気者、河村たかし佐藤夕子のおかげで、名古屋の政治は大きく歪められてしまった。事実を無視し、人間の行うべき義を貶め、礼を失する。権威と「得票≒民意」にあぐらをかき、批判を受け付けない。その「得票≒民意」は、権威、権力に屈したメディアが作り上げたもので、その力の前で国民は虐げられる。・・・私には、名古屋城天守が閉鎖される時に、涙を流して「これでお城は本当に壊されてしまうの」と聞いてきた女性の顔が忘れられない。

 河村たかしの高笑いの影で、泣いている市民が居る。

 しかし、この奥義によって選良として選ばれても、それに相応しくないものはやがて露呈する。


 河村たかしがこんなツイートをしている。

 「旧5大都市で比較すると、名古屋市は市税収入の伸びが最も高く、これは名古屋市における河村流減税政策による経済効果の成果だ」ということのようだ。


この主張に市民の方々が一斉に検証をかけている。


(それぞれの画像はクリックしていただくと拡大表示されます)

https://pbs.twimg.com/media/FCEV3QBXIAkN6Ga?format=png&name=large

https://pbs.twimg.com/media/FCEV494XoAACB1I?format=jpg&name=large

https://pbs.twimg.com/media/FCEV5_uWUAEp2rx?format=jpg&name=large

https://pbs.twimg.com/media/FCEV7SbX0AUQw0g?format=png&name=large

 まことに素晴らしい。

 市長の発言に対するファクトチェックを、市民が自主的に行う。

 これぞ民主主義。河村たかし名古屋市に民主主義を育てるために、敢えて市民に嘘を言っているのかと思えるほどだ。

 河村たかしは、上記のグラフを市長会見でも示したようだが、さすがの地元メディアも、河村の見え透いた嘘には乗らなかったようで、全社無視を決め込んだようだ。

 しかし、本来であれば、市長が公式な市長会見で提示した資料について、虚偽または、虚偽とまでは言えなくても、明らかに事実を歪めて告知する事実があるのであれば、そうした様態も含めて報じるべきではないのか。

 そして、市民、有権者に対して、市長の発言には事実を歪めて知らせる傾向があること、政治的な偏りが含まれることを知らせるべきだ。そこまでやって料金を取れる報道と言えるのではないのか? 報道発表の横書きの文書を、新聞の縦書きに書き写すだけではプロの仕事とはいえない。

 最近、コレクティブと言う映画を見た。

transformer.co.jp

 ルーマニアで起きた政治的スキャンダルだ。

 この中で「メディアが権力に屈したら国家は国民を虐げるのです」という台詞がある。メディアが権力に対する健全な批判精神を失えば、社会が歪んでいく。


 話は戻るが、前田市議の復団について、その詳しい経緯が増田市議の口から語られている。

都市消防委員会 令和3年10月7日
※1時間20分後ぐらいからの委員間討論

nagoya.gijiroku.com

 増田市議の告発や、こうした減税日本の一部議員による専横に、港区選出の減税日本ゴヤの新人市議、沢田仁実市議が嗚咽を漏らすほど追い詰められていた様子がわかる。

 佐藤夕子は、当初から離団などする必要はないと思っていたようだ。前田市議に対する「批判」は「自分たち(減税日本)に対する攻撃」であって、攻撃のための攻撃であると捉えていたようだ。

 減税日本ゴヤは、結成当初、全ての事柄を公開された団総会で民主的に議論し、党議拘束はしないとしていたはずだ。団総会は一般の市民まで傍聴が可能だった。それがいつの間にか公開されなくなり、秘密会になった。

 やがて無かったはずの「党議拘束」が、減税条例に対する本会議採決の態度を期に「党議拘束以上の拘束」として拘束されるようになった。

 この辺りから「陰謀論」が団を支配し始める。減税日本を分断する分派派が居るというのだ。その者たちが当時の団長である則竹市議を陥れ、費用弁償引き出しを報道に知らせたと囁かれた。事実関係や時期を勘案すれば、この則竹問題をリークしたのは誰だかわかろうと言うものだ。市長周辺者が則竹団長辞職に伴う繰り上げ当選対象者に、言動に注意するように告げていたのはいったいどういう意味だったのだろうか。それは例のバス旅行での出来事で、則竹問題が明らかになる以前の出来事だ。則竹を切り、その情報漏えいを行ったと批判を口にするものを排除する。残ったのはイエスマンばかりとなった。

 この傾向は佐藤夕子が市議団に参加し始めた頃から一段と強化された。団の民主制は一段と毀損され、佐藤夕子河村たかしの発言が絶対となる。

 現在の減税日本に民主制など無いし、そんな政党が民主主義を実現できるわけがない。

 今回、前田市議の復団を了承したのは減税日本の中でも一部の市議、たった5人の話し合いだったそうだ。その他の市議には説明も、相談もなかったという。
 
 その5人とは、佐藤夕子、余語さやか、大村光子、浅井康正、鈴木孝之であるという。
 
 もはや、佐藤夕子や浅井康正などに語る言葉はない。死ぬまで判らないままでいればいい。
 
 余語についても、親に精神的に圧殺されているように見える。彼女も犠牲者なのだろう。親が河村支援者で、その親の信仰心の供物が「わが娘、余語さやか」なのかもしれない。とんだアブラハムがいたものだ。

 大村光子と鈴木孝之には考えてもらいたい。確かに減税日本は批判にさらされている。それを君たちは攻撃と受け止めるかもしれない。しかし、ではこの「攻撃」を受けて、君たちは何を守っているのだろうか。

 前田市議の発言は、その非を認め、被災者住民の方々の理解を得る以外に解決の道があるのか?(まさか、「人の噂も75日」と単に時間がすぎるのを待つつもりか?)
 
 河村たかしの語る、上記のような減税の効果は信じるに値するものか?よしんばそれを信じたとして、今の段階で河村たかしが、このような情報を公開する意味は、単に自分の誤った減税政策を糊塗したいがためではないのか? ごまかしのために、このあやふやな主張を繰り返しているだけではないのか?
 
 30%キャッシュバック政策はどこに行った?4年間続けると言っているが、すでに1年執行されないことは決定した。つまり、公約はすでに反故にされたのであり、河村たかしが真っ先に言うことは、その謝罪なのではないのか?

 市長選挙の際には実施について財政局に確認していると言っていた。大村光子市議。これでもあなたは河村たかしを信じるのか?鈴木市議、あなたが支えているものは市民のためのものか?それとも、河村たかし佐藤夕子の個人的な利己心、保身のための行動なのではないのか?
 
 河村たかしが口にする様々な事柄、それは一体誰のためのものだろう。市民のためと言えるのか?浅ましい自己保身ではないのか。今、名古屋市民に必要な問題意識も、それに向き合う誠実さも、河村たかしにはない。

 余語さやか、大村光子、鈴木孝之の各市議に訴える。減税を割って出よと。
 
 河村たかし佐藤夕子の、単なる私党、私物に過ぎない政党など、名古屋市民にとっては迷惑以外の何物でもない。

 その他の減税日本ゴヤの市議たちよ。名古屋市民の為に仕事がしたいのであれば、今、この時に河村たかしと、佐藤夕子の下から立ち去り、その実態を名古屋市民に明かすべきだ。

 それがすなわち、民主主義を取り戻す事となる。