市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

仏教的に見た場合、今の状況をどう捉えるべきか

1.レストランでガーデンパーティ
2.医療の重要性/効率の良い行政という陥穽
3.雇用など要らない

本論に入る前に。
名古屋市河村たかしは、口先ばかりで市民のことなど考えては居ない。
その一つの証拠がある。

今般の COVID-19 感染拡大の状況を捉えて、生活困窮者に迅速に、生活資金の都合をつけるために「生活福祉資金貸付制度」が実施されている。各地方自治体の社会福祉協議会で受け付けている。(名古屋市においても、すでに窓口は5時間待ちにもなっているそうだ)

しかし、名古屋市のHPにその案内はない。

名古屋市公式ウェブサイト:トップページ - City of Nagoya

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こちらは、同制度についての さいたま市 のご案内ページ
さいたま市/生活福祉資金貸付制度における特例貸付のご案内

今回、残念なことに千種区役所において名古屋市職員に感染者が出てしまった。
感染されることには罪はない。仕方がないことだ。

しかし、そのせいで、区役所窓口が閉鎖されて、少なくない区民の迷惑をかけたわけだ。
市の最高責任者として、こうした事に市長は一言、市民、区民に対して謝罪が有ってもしかるべきではないのだろうか。
そして、最高責任者の謝罪は、全職員に対しても、新たな緊張感を呼び、今後の感染にも良い影響を与えられるかもしれない。

果たして、あの人物にそうした行動は取れるのだろうか。今のところは見られていない。

1.レストランでガーデンパーティ

まあ、アノ人の話だ。アノ夫婦の話と言っても良いかもしれない。
やっと寒い冬を抜け、桜が咲く季節。誰しもが桜を愛で、なんなら気の合う仲間同士、満開の桜の下で宴会を楽しむ。
なんとも素晴らしいことだろう。この世の楽園だ。

しかし、それが叶えられない。
現下の感染症に打ち勝つためには、密接・密集・密閉を避けねばならない。
桜の花見には、この内の「密閉」は含まれていないが、密集した中で飲食物をシェアする行為は、やはり感染を広げる可能性がある。その為に、公園における花見を規制し、国民はそれに従っている。(なんと物分りの良い国民だろう)

そこに、言ってみればこの規制の最高責任者である方のご婦人が、「花見をしていた」と言われれば、皆怪訝に思う。
確かに、最高責任者とその配偶者は全く別の人格であって、旦那の職業で奥さんの行動まで制限されることもない。とも言える。しかし、翻って、最高責任者から見れば、「国を守るために、国民に忍従を求めている」のだから、自身の家族にもその忍従に従って欲しいであろう。最高責任者の家族がこの忍従に従っていないのであれば、国民も従わなくなるのではないのだろうか。これは誤っているかもしれないが、人間の情というものだ。

これを指摘された際に、最高責任者が「妻は妻で、別の人格なので、その行動を私がすべて制限できるものではありませんが、こうした行動は全く誤ったものであり、夫婦でよく話し合って、理解してもらえるように努めます。国民の皆様には、誠に申し訳ありませんでした。どうか、これで誤解なさらないよう、今しばらくの自粛要請を聞き入れて頂けますよう、お願い申し上げます」とか言われれば、大抵の国民は理解したのではないかと思う。

しかし「公園ではなく、レストランだった」とか言われても納得できるだろうか?
レストランであれば、公園で行う場合と異なり、「密閉」という条件も加わってしまうわけで、密接・密集・密閉された空間で、飲食をともにするという危険を行っていることになる。そして、そうした行為は良いことであるかのように思われてしまう。(家族だけで行われるのであれば良いのだろうけど)

フランス革命当時、騒然となる国民を見てマリー・アントワネットが「国民は何を騒いでるの」と問い「国民はパンが食べられないと騒いでおります」との答えに「まあ、パンが食べられないのであれば、お菓子を食べればいいのに」と応えたという。(どうも、実話ではないらしい)

21世紀になって「花見ができないのであれば、レストランでガーデンパーティをすればいいじゃない」なんて言葉を聞くとは思わなかった。

2.医療の重要性/効率の良い行政という陥穽

こちらに、都内の感染症指定医療機関の実情報告がある。

news.yahoo.co.jp


以前私はこのブログで「防疫と医療を分けるべきだ」と書いた。
しかし、どうも法律でこの仕訳ができないようになっているらしい。感染者は軽症だろうと、無症状だろうと、医療施設で隔離しなければならないとなっており、一旦陽性判定されれば、軽症だろうと無症状だろうと、隔離施設に入院させ、ベットを占拠することになる。陰性判定を2回続けて出すまで出られない。

つまり、抗体が体内のウイルスを駆逐するまで出られないらしい。

馬鹿げたことじゃないだろうか?

それでこの記事などでは軽症者、無症状者には自宅待機を求めているが、それも危険だろう。病院で隔離と自宅待機の二択というのは、あまりにも極端にすぎる。この間を繋ぐ感染隔離施設が必要だ。更に、そこの運営は抗体保有者(つまり、緩下した者)や無症状者自身が当たれれば、医療従事者の負担は軽減できる。(幸いな事に、愛知県においてはこうした中間施設を設置する方向であるようだ)

医療リソースは重篤なもの、急性期の者にだけさき、こうした特に対応が必要ないような者への対応にさくべきではない。

さて、社会全体でこれほど「医療リソースの重要性」または「医療崩壊の恐怖」が意識されている中で、厚労省は全国の病院を「効率化する」法案を提出していたとか。

名古屋においても「名古屋市立病院改革プラン2017」がすでに実施されている。

http://www.byoin.city.nagoya.jp/file/5267.pdf


「効率化」「黒字化」「持続可能な」と、おなじみの言葉が並んでいる。

「市立病院の計画・プラン策定と再編の経過」をみると「平成22年3月 城西病院を廃止」「平成24年4月 緑市民病院に指定管理者制度を導入」「平成24年3月 守山市民病院を廃止」と着実に「効率化」が遂げられているのがわかる。

ちょっと詳しく見ると「感染症対策」が謳われているのは東部医療センターだけで、全体計画にも「感染症対策」は視野にないように見える。

前回の SARS-CoV の感染拡大は2002年から2003年、中東呼吸器症候群 (MERS)は2012年から2013年、鳥インフルエンザについては、2000年代は毎年のように感染が報告され、時にヒト感染や、強毒性が報告されている。(2016年以降報告がないことが却って恐ろしい)

なんとなく私は、今回の COVID-19 の「パンデミック」は警告のように思える。
この事象を「警告」や「予行演習」と捉えられるか、それとも一過性の惨事で、乗り越えてしまえば他人事と捉えるか、重大な岐路に立っているように思えてならない。

3.雇用など要らない

この論考については、前回の続きだが
あまりに長くなりすぎたので、別稿に移します。

代わりと言ってはなんですが、上座仏教、日本テーラワーダ仏教協会スマナサーラ長老からみた今の状況をどう捉えるべきかという説法をご紹介します。

こちらは、約2分(初級編)です。

www.youtube.com


こちらはその全体、約1時間。文明論や現代の政治にまで言及されています。

www.youtube.com

ご参考までに。

~生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように~


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http://bit.do/Ncastle

名古屋市北区黒川の「北生涯学習センター」で行っております。
月例会ですが。

当該施設の使用制限が 4月12日まで延びたという事で、
4月11日開催予定の 月例会は行なえません

なお、次回開催予定は

5月11日(月) 18:30~

第一集会室 となります。


また、次回、

第七回公判は

5月13日(水)15:00~

名古屋地方裁判所 

第1102法廷です。



山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信

COVID-19情報共有 — COVID19-Information sharing – By Prof. Dr. Aki-Hiro Sato