市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

この次のいやな話

 「医療は祈りである」とは、山崎豊子の小説「白い巨塔」に登場する里見助教授の言葉だ。老いた親の痛みや、小さな子どもの発熱。こうした突然襲ってくる病の苦しみを逃れ、または軽減してあげたい。そうした祈りにも似た想いの集大成が医学として結実している。

 自然は人間の都合など関係なく人に病をもたらす。その在り方には確とした法則性など無く、まったく不条理に訪れる。人はこうした自然の不条理に抗ってきた。自然を克服し、不条理を条理の網に収めようとしてきた。そうした文明の営為の中で21世紀を迎え、やがて人間は生命さえ生み出せるような知見を得、文明は自然を克服したかにみえた。

 その人間の傲慢をあざ笑うかのように襲ってきたのが今般の新型コロナ肺炎だ。

 しかし人間は、文明を打ち捨て、不条理の下では生きてはいけない。 ー エコ贔屓の方々の日頃仰る「自然」とは人間に牙を向かない程度の飼いならされた自然であって、言ってみれば猫程度のものだ。真の自然とは今般のウイルスのようにヒトの都合など忖度してくれない。そこではヒトは単なる培地でしかなく、餌でしかない。自然には猫だけでなく、トラもライオンも存在する。ヒトはそれらとは共存できない。 ー

 人間はやがてこれを克服するだろう。感染症に対しては常に人類は勝ち残ってきた(常に勝ち抜いてきたから現在もまだ人類は存続しているのであって、最後の「それ」が来るまでは克服できることだろう。克服できなかったらどうする?そんな事を気に病んでも仕方がない。克服できなかったら種として消え去るだけだ)

 ヒトは自然のままには生きてはいけない。文明を守らなければならない。

 それがヒトを獣と隔てる壁であり、これを破棄するのであればヒトは営々として築いてきた文明を捨て獣に戻ることになる。

 この文明の最前線で戦っている人がいる。

 医療関係者、防疫の関係者、そしてそれらの人々を支える技術者、物流、流通。そしてゴミを回収する清掃担当者、電力、上下水道のインフラを守る人々。更には警察や消防、特に消防は救急搬送というリスクを伴う業務に就いてくれている。そうした中から実際に感染者が出てしまった事は不孝なことだ。

 これらの人々はいつ感染しても不思議ではない。少々前に、「この姿(クルーズ船の姿)が、将来の日本を占っているようにも思える」*1と述べたが、危惧が当たってしまった。

 感染源はすでにあまねく存在しうる。罹患者を責めることはできない。

 罹患者を責める者は、自分自身が感染していないとなぜ思えるのだろう。そうした思い上がりが、無症状者による感染の拡大を招いているのである。罹患者が出た店舗や施設を汚物のように忌避するヒトがいるとすればそれはトンだ視野狭窄である。そうした店舗や施設よりも、あなたの家のドアノブの方がウイルスが残存している可能性は無いのだろうか?


 今日は今回の新型コロナ肺炎による惨禍について、不思議なことにある事柄についてまだ誰も言っていないようなのでそれについて述べる。


 まず、このコロナ禍が始まる以前、2020年の年が開ける頃の世界情勢を再確認しておきたい。現在世界の趨勢を握るのは米国と中国の2大パワーだろう。その両国は2019年には米中貿易戦争の様相を見せ、最悪の緊張関係にあった。2020年1月に米中貿易協議の合意文書が交わされたが果たしてこれが米中関係の改善につながるのか。単なるトランプ大統領の揺さぶりに終わるのではないかとも見られていた。

 日本は韓国との緊張関係を続けていた。2019年1月の文韓国大統領の年頭会見において「元徴用工問題」への対応を尋ねられたが、司法の問題と文大統領は取り合わなかった。こうした日韓のチキンゲームは落とし所がないまま8月のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄通告にまで至り、米国政府の圧力により11月に破棄は免れたものの火種は残ったままだ。

 こうした日韓の緊張関係が、名古屋において行われた「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」にも影を落としていたことは明白である。

 私には不健全な韓国内の「反日勢力」が韓国文政権の支持基盤に含まれており、それが韓国政権内において不合理的で非建設的な「対日強硬論」を形成しているように見える。そして同様に、日本国内の同様に非合理的で不健全な「嫌韓勢力」というものが安倍政権の支持基盤に含まれており、ここがいたずらに「対韓強硬論」を唱えているように見える。韓国内の反日勢力と日本国内の嫌韓勢力は、ベストマッチと言えそうなほど息を合わせてお互いを批難しあい、相補的に両国内で支持を得ている*2。この両派の主張には「落とし所」といったものが見つからない。というよりも、そもそも戦略的政治目標があるわけではなく、お互い日本に対する反発心と、韓国に対する嫌悪感から、短絡的な主張をしているだけであり、両国間が困難になればなるほど、そうした人々の本が読まれ、ウェブサイトのアクセスが上がり、影響力が影響力を生み出している。


 こうした中で発生したのが今回のコロナ禍である。

「世界最強」CDC、コロナ封じ失敗 背景に米国第一(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース


 米国にはCDCと呼ばれる世界最強の感染症対策組織が有る。医師や研究者を1万4千人擁し、一朝感染症が発生したとなれば、世界中のどこにでも要員を派遣し、その封じ込め、米国本土への感染拡大を抑止し、その感染症の原因についての知見を積み上げていく。(と、きれいな表現を使ったが、事実上は米国が得られる感染症の原因ウイルス等について、そのすべてをポケットに入れようとしているのであり、それが軍事的知見として蓄積されているだろうことは公然の秘密だろう)

 ところが新自由主義者であるトランプ大統領CDCの予算について冷遇し、NSC(国家安全保障会議)に設けられたパンデミック担当チームは解体されてしまった。(つまり、CDCからの警告がNSCに上がらなくなった)CDCは今年のはじめには武漢における感染症の発生を把握し、専門家を派遣しようとしたが認められなかった。また、大学経由で原因ウイルスを得ようともしたがこれは中国の介入で頓挫した。初期の段階で米中の2大国は協調してこのパンデミックを抑え込むことに失敗した。

 更にCDCが当初使用した検査キットは不備があり、米国本土への感染拡大を抑止することができなかった。

 さて、日本だ。

 日本では小泉・竹中構造改革以来、「財政規律」「財政再建」「子どもたちにツケをまわさない」「小さな政府」「行政への民間活力の導入」などなど、郵便をはじめ、行政組織を解体破壊することが正義であるかのように捉えられてしまった。

 「官僚や役人は税金で食っている人たち」というなんとも、小学校の公民ですら合格できそうもない偏見を騙り、行政組織における冗長性、防災や異常事態における即応体制を削減してしまった。

 また、「効率的な医療」の美名のもと地域の病院を削減し続けた。

 呆れたことに、今回の政府予算(2020年度予算)でも公立・公的病院の再編・統合に補助金が計上されており、昨年9月には具体的な424の病院名を挙げてもいる。

www.change.org



 気違い沙汰という以外無いが、この名古屋市においてはすでに一歩先に進んでいおり、すでに2つの市立病院が民間譲渡され、1つの市立病院は民間委託されている。


名古屋市立病院改革プラン2017」

http://www.byoin.city.nagoya.jp/file/5267.pdf


こうした行政の削減が正しいのか、行政には冗長性が必要なのか、再度議論すべきだろう。


こうした背景の中で新型コロナ肺炎の感染が発生した。

感染症対策には2つの方法以外無い。

  1.発見
  2.隔離

罹患者を発見するためには、検査を行う必要があるが、日本にはコロナウイルスを検査できる機関が限られていた。

つまり、PCR検査はやりたくてもできなかったのだ。

どこいらの保健所長が「検査できる量だけしか受け付けなかった」という発言をしたそうだが、世間で出回った「PCR検査の信頼性の欠如」や「PCR検査を行うと医療崩壊が起きる」という言説は、今見返してみると嘘だった。

すでにPCR検査の能力において、日本は医療崩壊していたのだ。


また今後、罹患者を受け入れる医療体制も貧弱だ。

日本におけるICUのベット数は人口10万人あたり5床にすぎない。
ドイツの場合では30床であり、医療崩壊を起こしたと非難されたイタリアですら12床程度の比率を維持していた。日本は「小さな政府」であり「効率のよい行政、医療体制」になってしまっている。*3


この週末、2つの動きに私は注目した。

一つは東京都医師会が独自にPCR検査所を設置するという動きだ。
現在、市中にどの程度の感染者がいるのかも推定できない。このままでは 新型コロナ 対応治療だけではなく、すべての医療に崩壊が起きかねない。そうした危機感から広範なPCR検査を模索したものだろう。

緊急記者会見(令和2年4月17日開催)


もう一つは感染症学会、環境感染学会共同の提言だ。

http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/covid19_rinsho_200402.pdf


こちらではPCR検査は症状のスクリーニング後に行い、軽症者には推奨しないとしている。


YouTUBE に掲載されているどこかのワイドショー*4のひとつの一コーナーでは、一般的な医療機関でPCR検査の為の検体を採取するために、防護服を着用して、検体採取し、採取室を消毒殺菌し、防護服を脱ぐ。まで検体一件につき約1時間かかると説明していた。また、防護服は使い捨てなので一人検査するとすべて破棄されるとも説明していた。

そんな負担を思えば、感染症学会の提言は理解できる。

やはりここでも医療と防疫の混同が行われているように思う。

韓国式のドライブスルー検査や、医療施設の外で行うテント検査のような場合、防護服の着替えは無いようだ。二重にした手袋の外側を替えるだけや、洗浄で済ます場合も有るようだ。検体を採取する場合、この着替えがストレスになり、感染リクスも産むらしい。で、あるならば日本においてもドライブスルー方式の検体採取を広範に行えばよいし、検体採取要員は一旦防護服に着替えたら、一定程度着替えないことにすればいい。


誰がどう考えても「検査をしない」という選択肢は「事実から目を背けている」だけにしか見えない。なんとか事実(推定罹患者の選別)を掴むためには、検査が必要な事は疑う余地がない、しかし、そうした行動が現実にそぐわないとすれば、その現実の側を「工夫」するべきではないのか?

ここで軽く指摘しておきたいのは、日本国内においてドライブスルー検査は非常に人気がないようだ。名古屋市内においてクラスター対策の為に「ドライブスルー検査」を行おうとしたところ、抗議*5の電話が殺到して、即座に打ち切りになったようだ。


ここに私は、米国においてCDCが中国由来の検査を無視して米国独自の検査キットを使おうとしたような、矮小な偏見の匂いを感じる。PCR検査の是非や、医療現場の要請よりも、政治的な指向、それも「対韓国」という特別の色合いをまとった外交問題(?)が、この問題に影を落としているように感じられてならない。


この平和ボケの太鼓頭。


どこまでもめでたい。

コロナウイルス*6は日本人と韓国人を区別するのか?というよりも、日本人と韓国人の本質的な相違って一体何だ?

そんなものは有りはしない。人類が総出で人類を襲うウイルスに対峙している時に、まだ韓国がどうとか、日本がどうとか。もう、頭がおかしいとしか思えない。

さて、この辺りから、「まだ誰も言っていなさそうなこと」について述べる。

上でも少し触れたが、米国がCDCという組織を持って、感染症対策に躍起になっているのは、国土防衛という意味も持っているが、同時に感染症を引き起こすウイルスなどを確保して軍事研究したいからだろう。

国際的にはUNSCR1540(国際連合安全保障理事会決議1540)によって大量破壊兵器を制限しており、この大量破壊兵器とは、いわゆるABC兵器であって、この中のBは「生物兵器」を指す。

今次の COVID-19 を引き起こした SARS-CoV-2 は致死率こそ兵器的ではないが、社会を破壊する威力はこの通りだ。そしてこのウイルスは変異を起こしやすく、免疫が有効にならない可能性もある。(つまり、繰り返し使える)

さて、この COVID-19 において、台湾と韓国が見事な防疫実績を挙げている。両国において、鳥インフルエンザや MARS の感染事例があり、防疫体制をしっかりと備えていたからと言われているが、それだけではないだろう。両国には明確な「仮想敵国」がある。*7そうした国家的な要件から、防疫に対する重要性が認識され、今次の事態に有効に作用したと思える。

さて、このB兵器。「貧者の核爆弾」とも呼ばれる。たった試験管一本、たった宿主一個体で国家体制を根底から覆すことができる。対象国の経済をガタガタに襲うことができる。


「飛翔体だ」「Jアラートだ」と騒いでいる子どもたちがトンマに見える。


こういう事を書くと、すぐに閉鎖的、排除的に構える者が出てくる。「●●人を疑え」「●●人を排除しろ」と、「●●人が井戸に毒を入れたぞ」と言い出しかねない。

すでに現代では井戸に毒など入れない。米国における「炭素菌事件」を見れば判るように、犯行は巧妙に行われ、防御は難しい。

こうした攻撃に対するには、米国におけるCDC並みの組織力と、即応体制。国際協調と情報共有が必要だろう。そして何より、そこまで追い詰められた集団が生まれないように、国際社会を包摂的に維持する以外にない。

今般、東京都内を支援金を求めてデモをした若者たちが居たらしい。

私には韓国や中国に対する偏見を声高に主張し、その余波で大村知事にまで筋違いの妄言を吐く老人の方がダダっ子で馬鹿に見える。

彼の頭にはこの SARS-CoV-2 がこの次の兵器となる可能性など欠落していることだろう。*8

失うものが無い者たちには、感染の拡大は何も怖くないだろう。感染症というものは全体が対峙しなければ対処できない、であるならば全体で対処できるようなモチベーションが必要なのである。市場原理のような、新自由主義的な、ヒトを選別、排除するような政策は取れない。

デモ行った若者の政治的戦略は目標が明白で方向も合目的的だ。ただ、戦略は戦略であって、その周辺に不必要な悪影響*9を与えるという事実はある。
人類規模で包摂する社会を模索する以外に、これ*10に対処する方法は無いのだ。


camp-fire.jp


http://bit.do/Ncastlebit.do

http://bit.do/Ncastle

名古屋市北区黒川の「北生涯学習センター」で行っております。
月例会ですが。

当該施設の使用制限が 4月12日まで延びたという事で、
4月11日開催予定の 月例会は行なえません

なお、次回開催予定は

5月11日(月) 18:30~

第一集会室 となります。


また、次回、

第七回公判は

5月13日(水)15:00~

名古屋地方裁判所 

第1102法廷です。



山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信

COVID-19情報共有 — COVID19-Information sharing – By Prof. Dr. Aki-Hiro Sato


*1:2月16日「文明の価値」

*2:まったく見事な「プロレス」だ

*3:もしも、日本国内でオーバーシュートが起きた場合、機器や医療従事者を台湾、中国、韓国に仰がなければならないだろう

*4:多分、違法アップロード動画だろうからリンクはしません

*5:なぜ?

*6:SARS-CoV-2

*7:とはいえ、両国とも、その「仮想敵国」との共存を模索しているのは間違いがない。私が台湾を訪れたのはもう30年以上前になるが、その当時でも台湾と大陸間のヒトやモノ、商売のつながりの強固さには感嘆したものだ。台湾と大陸は表面上対立もしているが、その対立は単純なものではない

*8:視野狭窄がバカウヨの成立条件

*9:コラテラル・ダメージと見なして良いのか、どうか

*10:ウイルスとそれを利用するテロリスト