市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋城天守木造化事業、もはや名古屋市の「恥」である

1月30日 末尾に追記あり

1月25日(土曜日)に名古屋城木造化天守にエレベータ設置を求める障碍者団体によるシンポジウムがあった。

復元天守閣にEV設置は当然 障害者団体が名古屋市を批判
 名古屋市が木造復元を目指す名古屋城天守閣にエレベーター(EV)を設けるよう求める愛知県の障害者団体は25日、名古屋市でシンポジウムを開き、「設置は当然だ。代替する技術などない」と新技術で対応する方針の市を批判した。

 複数の障害者団体などでつくる「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」が主催。斎藤県三共同代表はパネルディスカッションで、市名古屋城総合事務所の森本章夫主幹に「新技術の開発には時間がかかる。新天守とエレベーターが調和できる方法を考えるべきだ」と訴えた。

(共同)

復元天守閣にEV設置は当然 障害者団体が名古屋市を批判:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)

翌日の26日(日曜日)に中日新聞にこの催しが取り上げられていなかったので、またぞろ市長のご機嫌を伺って、「無かったこと」にする気か。と憤っていたら、翌日27日(月曜日)に市民版でちゃんと取り上げられていたので安心した。


この問題の根本は、名古屋市河村たかしにおける「主観の固着」である。

ジョン・ロールズは「無知のヴェール」を提示して社会正義の確立を訴えた。
つまり、各個人が自分の属性を知らないと前提するなら(各個人が自分の属性を見ることができない「無知のヴェール」に覆われているとするなら)各個人は最も恵まれないものの利益に配慮して社会を設計するだろう。

逆を言うならば、自己の属性に囚われたまま、自己の属性に有利な社会制度設計を企てるものは、利己的であり、社会正義を確立することはできない。

もちろん、全くの個人/私人が、常に社会の公平を配慮して暮らす必要はない。そんな事はできるわけがない。なので、社会が、様々な形で公平性を担保できるような制度を制定している。

公務員が「全体の奉仕者」とされるのは、公的な事業に従事する公務員は、自己の属性を離れて、全ての国民の為に業務を進めるべきであり、ロールズ的な観点からすれば、その中でも特に恵まれない立場に置かれた人々にこそ心を砕く必要がある。それができなければ公務員たる資格はない。(公務員は、広く国民の、それも恵まれない、公助の必要のある国民の為にあるのであって、人事権や予算権を持った者のために居るのではない。人事権や予算権を持ったものが、こうした社会的弱者を蔑ろにする行政事務や、私利私欲のための権力行使を行うのであれば、それを告発し、是正しなければならない。それができなくなった国家は衰退するであろうし、そうした権力は腐敗する)*1

もしも、名古屋市河村たかしが、足腰に障碍を持って、車椅子を使っていたとしたら、果たして現在の名古屋城天守を取り壊して、木造化しようと思っただろうか、また、その木造化天守からエレベーターを取り除こうとするだろうか。

前回の論考で分析したように、名古屋市河村たかしは自らの主観に固着し、自我を離れた地点からの考慮ができなくなっている。先日も給食に「名古屋メシ」である「台湾ラーメン」を出すという施策(?)が発表されたようだが、大阪維新が行った「学習塾バウチャー」でもそうだが、こうした施策は、子どものためのものではない。子どもを「ダシ」に使った予算のバラマキ(レントシーキング/つまり「既得権打破」という掛け声は「既得権を俺たちによこせ」の謂だったわけだ。大阪維新の会における学習塾関係者の比率に注目し、この「学習塾バウチャー」に着目すると、このあからさまなレントシーキングに鼻白む物がある)でしかない。この名古屋における「台湾ラーメン」も子どもよりも、真っ先に事業者が喜んでいることだろう。

そもそも、本当に子どもたちの事を考え、学校給食の改善を考えるのであれば、こうした散発的な施策(?)ではなく「スチームコンベクションオーブン」を導入することなどに前向きになってもいいだろうに、同じ「スチーム」でも「蒸気機関車B6の動態展示」に巨額の予算を投じて恥じないのであるから、笑うしか無い。このような視野狭窄、無定見。恥という言葉を知らないのだろうか。(恥を知るには、視点を主観から離す必要がある。視点が自我に固着しているヒトには「恥」という概念は成立しない)
まあ、あまりこうした事を繰り返していると「人格攻撃だ!」と「勘違い」されかねないのでこれぐらいにしておく。前回の論考にしても、こうした分析にしても「人格攻撃」ではない。公務員に求められる全体の奉仕者としての資質についての疑義の表明であり、明らかに公益性のある論評である。(それとも、「国家機密漏洩罪」でしょっ引かれるのだろうか)


話は戻って、この会に参加して、会としては「木造化される名古屋城にエレベータ設置を求める」という趣旨なのだが、私は違和感を持った。元々木造化、建て替え自体に反対であるので、そこに「エレベータ設置を求める」というのは、主張としてズレを感じずには居られない。

特に、3点気がついたことがある。(その内の1点はここでは書かない)

2.情報公開がされていない

住民訴訟の為にも、様々な文書の情報公開を求めているが、黒塗りされた情報が多すぎる。

名古屋市は基本設計が完成したと公言しているが、実は、名古屋市民はどのような木造天守ができるのか、その正確な姿を知らない。(なにせ、黒塗りなので)

シンポジウムに於いても、行政や専門家だけで事業をすすめるような時代ではなく、広く市民の意見を取り入れて、様々な議論の中から事業は進められるべきという意見が述べられていたが、そうした議論のベースとなる情報が、黒塗りのままでは議論が成立しない。

特に、名古屋市の宝、市民の誇りであると自ら言っている名古屋城の建て替えについて、なぜこれほどまでに市民に情報を秘匿する必要があるのか、理解できない。また、そのように隠蔽された議論の中から建築される建物が、歴史的評価に耐えうる事業とは思えない。

昨年春に持ち上がった「現天守先行解体案」などは、文化的、技術的意図ではなく、市長の政治的思惑からの方針変更*2であり、事業自体が大きく歪められていると考える以外なく、それであれば名古屋市河村たかし名古屋市の宝、名古屋市民の誇りである名古屋城を、自らの政治的意図から利用していることになる。

そして、そんな私利私欲にまみれた事業に、提灯を付ける有識者、マスコミの情けない姿。
10年後、20年後、100年後の名古屋市民、日本国民からの批判に耐えられるのだろうか。本当に「恥」という言葉を知るべきだろう。


3.果たして、市民の合意は得られているのか?

名古屋市は木造化事業は「市民の意向」と主張している。平成28年に行われた「2万人アンケート」がその根拠になっているのだろう。

当ブログや基本設計代金の訴訟に於いて、その問題点を指摘している。


準備書面(2)
drive.google.com

甲第27号証 名古屋城天守閣整備検討「名古屋城天守閣の整備 2万人アンケート」報告書
甲第27号証 - Google ドライブ

「6. 平成28年度実施の2万人アンケートの問題について」で問題点を指摘している。


このアンケートや市議会における市民や議会の合意事項は「名古屋城天守木造化」ではないと考える。

市民や議会が認めた事業というのは「独立採算性のある名古屋城天守木造化」であって、税負担のない事業でなければならない。

しかし、市の収益性シミュレーションによる「年間360万人が50年訪れる」という推計にはあまりに説得力がない。

また、先日天守閣部会に報告されたように、大天守に滞留する来場者の上限を2500人とするとした場合、いよいよ年間360万人の来場者受け入れは現実的ではないように思える。

また更に、事業の遅延による経費の増大、ステップ名古屋の設置費、名古屋城調査センターの開設。現在の名古屋城内に展示されていた品目を展示する新たな博物館の新設(現在の天守を耐震改修+長寿命化すれば、別に博物館を建設する必要はない)これら周辺の費用は果たして505億円に含まれているのか。更に、収益性シミュレーションには、ランニング・コストは考慮されていない。果たして独立採算は守られるのか?

「独立採算性のない、市民に税負担を求める名古屋城天守木造化」については、再度、市民や議会において議論が必要だろう。このまま、あやふやな収支計画や手前勝手な経費算出で事業をすすめるのだろうか。今までも、そして、名古屋だけではないだろうが、国や地方自治体に於いて、こうした収益性のある事業と謳われたものが、膨大な赤字、経費負担を生み出す事例には枚挙にいとまがない。それでも地域の要請や、住民の為であれば事業の価値は有っただろう。

しかし、名古屋市民の中で、本当に名古屋城天守を木造化したいと、願う市民はどの程度居るものだろうか。

・・・名古屋城天守の木造化を願う市民は、しかし、本当はどのような天守ができるのか、知らないままなわけだ。

そして、木造化を願う方々のモチベーションはどこにある?なんの為に、木造化建て替えを願うのだろう?市長の言うように「威張るため」ですか?


このように情報隠蔽と、没論理の嘘や虚飾に塗れた事業を、これ以上すすめるのは、もはや、名古屋の恥であると断言できる。



追記(1月30日):
この文章を書き始めた大切なポイントがあったんだった。
多分、当ブログぐらいしかこの問題は扱っていないだろう。

名古屋市には「市長特別秘書」という役職がある。
他の政令指定都市には無いし、名古屋市においても河村市長以前にはなかったポストだ。

市長の「特別秘書」で、年間の人件費も馬鹿にならない。
河村市長は「日本で一番安い市長」というが、ご本人の価値は確かに日本で一番安いのだろうが、経費としてはこうした余分な周辺経費がかかっているために高く付いている。

さて、その「特別秘書」氏だが

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

ombuds.exblog.jp

田中克和 株式会社クルーズコーポレーション | Eight プロフィール

一宮市議会議員選挙 - 2015年4月26日投票 | 候補者一覧 | 政治山


誰も気づいていないのか、彼は元々「バリアフリー担当」だったはずだ。

r.nikkei.com

http://archive.is/MHyAG

www.asahi.com

http://archive.is/QwzPa

しかし、名古屋城に関する市の会合でも「バリアフリー担当」として対応する姿を見たことはないし、
このシンポジウムにおいても別の新設ポストの主幹が「担当」として対応していた。

つまり、市当局の正式なポストにも「バリアフリー担当」が新設されたことになる。
・・・私は知らないのだけれども、この「バリアフリー担当市長特別秘書」氏は辞職でもされたのか?

それともまったく活動していないのだろうか?
活動していないとしたら、その経費はどこに消えているのだろうか?

これも名古屋城をめぐる505億円の内に入っているのだろうか。
河村市政ではこういった「行方不明の話」が多すぎる。

そして、そうした問題をメディアが取り上げない。市民に問題意識が届かない。


*1:私企業というのは、自己の利益、自社の利益の為にあるのであって、組織は「上」の為にある。企業の責任は、オーナーであったり経営責任を持つ幹部に帰属するのだから、それらの差配に従うべきであり、「下」は「上」に従う必要がある。しかし、公務、行政に於いては、組織の形は取ってはいても、各個人が従うべきは「法」であり「上」ではない。行政におけるオーナーとは市民、国民なのだから

*2:思いつき