市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

事実を語らないものは、政治の場に口を挟んではならない

さて、本日は名古屋市長選挙の投票日です。

いったい名古屋の市民はどのような判断を下すのか。
投票率(棄権率)も含めて見守ってみたいと思います。

小ネタを2つばかり。

 新人候補が 小学校給食の無償化を訴えているのを受けて 現職市長は「お金持ちの子どもの給食費も無償化するのか」と批判している。これを敷衍すると、今の減税政策がいかにイビツな政策であるかが判る。
 給食無償化で補助されるのはだいたい年間4万円だ。この金額は定額である。可処分所得2千万円の家庭にも4万円。2百万円の家庭にも4万円が補助される。とするとこの政策はどちらに恩恵があるだろうか、明白だろう。
 こうした政策は定額でよい。
 しかしこれが定率であったならどういうことになるか。2千万円の家庭に40万円の補助を行い、2百万円の家庭には4万円の補助を行う。
 これが定率の補助だ。

 定率の減税政策がいかにイビツか、お金持ち優遇か、お分かりいただけるだろう。
(西川市議の整理された資料によると、会社勤めの夫婦、子ども2人の場合、年間給与収入255万円の場合、実際の減税金額は年間0円、400万円の場合約5000円になるらしい)


 もう一つ。
  行きつけの飲み屋。私は酒の席では政治と宗教と野球の話はしないようにしているが、カウンターの隣に座った客が、店員に「城は作ってもらわないかん」とか言っている。だから、市長選挙には誰々に入れるというような事を話している。
 いい年をしたおじさん。名古屋の住人なら、今の天守閣には愛着はないのだろうかと訝しみつつも、そんな事言って喧嘩するのも馬鹿馬鹿しい。なので、暫くして、私も店の店員に話すようなふりをして次のような事をしゃべってやった。

  「しかし、名古屋城を作り変えるって話あるけど、あんなの真に受けている人いるのかね?先日○○建設の人と話し合ったけど、文化庁が許可を出すわけない。
 そもそも木造5層の建物は建築基準法違反、消防法違反の違法建築で、単なる木造レプリカ、置いておくのなら良いけれど、そこにヒトを入れたら法律違反じゃん。
 それに、建てたら360万人ものヒトが50年間も来るって?一日1万人、こんな違法建築に出入りさせるの?
 そんな話を信じられるヒトって バ カ じ ゃ な い の ?」

 その他にも、1000年どころか、100年ももたないという話(基礎はそのままなので、これが劣化すると再建て替えが必要ではと言われている。釘について説明がない)や、石垣工事より先に上モノを作り直す異常なプランの話。石垣自体も早急に耐震対策が必要な話。工事期間中にでも地震が来れば全て無駄になるかもしれない話などを、店員に向かって話してやった。
 途中で、こちらに身を乗り出して何か言いたがっていたようだが、無視してカラオケの順番が回ってきたので、氷室京介の「ダイヤモンド・ダスト」を歌ってやった。


 さて、冗談はさておいて、この選挙期間中には様々なヒトとの出会いもあった。

 ○○建設の人と会話したのは事実で、文化庁国土交通省、消防は所管が名古屋なのだけど、それでも違法な建築物にヒトを入れることはできないだろう。等々を考えると、結論としては10年は建たない。文化庁が再設計を求めるままに、再調査、再設計を繰り返し、その度に追加予算が発生し、設計費用も引き上がっていくだろう。雪だるま式に膨らむ建設費に、徐々に建設を推進する市長への批判が高まるかもしれない。

 結果として天守閣木造化は頓挫するだろう、地域委員会や他の様々な施策と同様に、現職市長はその原因を「国の役人のせい」にするだろう。減税が定率でなければならないことは最初からの前提だった。その前提の上で、逆進性のない生活補助制度、市域に可処分所得を増やす制度を模索すべきだっただろう。それは定率減税では実現できない。名古屋城天守閣を木造化する際に、国の様々な審査や法的規制を経なければならない。こうした審査や法的規制は、それぞれに成立理由や立法趣旨というものがある。現職市長を困らせようとしているわけではない。こうした枠の中でプランを立て、説明しなければならないのだが、そうした手続きに頭が回らない。または、軽視する。これが問題の本質だ。

 さて、こうやって停滞の市政運営が続き、批判も高まる中、2019年、再来年の4月には統一地方選挙が訪れる。ここまでに減税日本の市議は一人あたり約2,620万円を用意しなければならない。いわゆる「市議報酬800万円以上の余剰分655万円」の4年間分だ。これをお約束どおりに寄付するか積み立てておかない場合、更に批判は高まる。

 事実上ここで減税日本は消滅するだろう。

 日立の訴訟も控えている。それに続く市長に対する住民代表訴訟も。

 古紙回収のルールも見直すべきかもしれない。ぜひ、現職市長のお友達でもある、名古屋市の政策アドバイザーの武田邦彦氏の古紙回収に対するご意見をお伺いし、制度の見直しを進めるべきだろう。武田氏が昔書いたように、古紙なんぞ回収せずに燃やしてしまったほうが、環境負荷も、二酸化炭素消費量も少ないのだ。(回収と再生に係る環境負荷二酸化炭素消費量を算出してみればいい)


 しかし、この選挙期間中。私は軽く感動を覚えた。

 思い起こせば地域委員会問題で、現職市長の暴走を止めると、匿名投稿を諦めて実名を出して行動を起こしたのが2011年6月だ。

 2011-06-10

 それまでは「誰かがやってくれる」名古屋市には200万人からの人々がいるのだから、これだけ明確で異常な政策推進には、政治家かどこかの党、または学者やジャーナリストが声を上げて制度設計の見直しが行われるものだろうと思っていた。私はそれを匿名のまま見つめていけばいいのだろうと。

 しかし「無関心」は続いた。

 6.20のアートピアホール、声を上げた者は私だけで、逆に私に対してヤジが飛んだ。

 まるで「電波」扱いをされたようにも思った。

 そして6年の歳月が流れ、今では名古屋市の各地で大勢の人々が集まり、私が言いたいことそのままを言ってくれている。聴衆も当然のこととして受け入れている。

 事実と異なる事を語っていたのはどちらだったのか、すでに明白だ。

 現市長の発言に根拠など無い。

 地域委員会も、減税政策も、議員報酬議論(下に詳述しておく)や1000mタワーやSL走行も(にしても、小粒な話すぎる)

 そして、名古屋城天守閣木造化も。

 政治は事実を元に語られなければならない。
 個々の価値観、考え方の相違は当然ある。
 だからこそ、議論を行わなければならない。
 しかし、その語り合いは、それぞれが事実を提示して、その事実の元に語られなければならない。

 事実を語らないものは、政治の場に口を挟んではならない。

 最後に、当ブログを読んでいただいた方々に感謝申し上げる。
 曲がりくどく、長ったらしい私の文章を読まれるのは大変だったでしょう。
 お詫びの言葉とととも、感謝申し上げる。

 自分でも、「いや、現職市長や市民の皆がああ言っているのだ、
 おかしいのは、実は自分なのではないのか?」
 と不安に思うこともあった。多々あった。

 政治、特に名古屋市政から目をそむけ、何も見ず、何も気にしなければ、
 もっと自分の時間を有効に使えると思ったことも有った。

 そんな時、支えになったのはアクセスいただいている方々。
 時にメールなどを頂く方々の存在だった。

 特に、辛辣なご意見やメールは支えになった。
 重ねて感謝したい。


「地方行政研究会(仮)」第一回勉強会

日時:5月13日(土)
お昼の部:13時より(第2和室、2時間程度)
夕方の部:17時より(第1集会室、2時間程度)

場所:北区、北生涯学習センター

参加費用:無料
参加資格:無し減税日本関係者、河村政治塾塾生、ナゴヤ庶民連、河村サポーターズ、ネットワーク河村市長関係者等々優遇(って、別に何も遇するものは無いけど))

ルール
1.事実を元に語ること。
2.主観の押しつけはしない。

※録音、録画は禁止。当方も録音、録画は致しません。


議員報酬について:
そもそも議員報酬を半減化しなければならない根拠は示されていない。
「議員は市民と同質性を持つべきだ」と説明しているようだが、
では、報酬を半減化すれば同質性は担保できるのか?
更に聞くが、こうした政治論理、政治哲学は歴史的な議論が為されているはずだ、一体誰のどういった論理から導き出された主張なのか?
さらに、先行事例はあるのか?
歴史的に、地方議員の報酬を住民の所得と同等にして、その地方自治、議会が「良くなった」という事例は示せるのか?

制度とは、改革するものが現在ある制度を改革するメリットとデメリットを示せなければならない。ただ変えてしまう、ぶっ壊せばいい。というのは破壊に過ぎない。

名古屋市の議員報酬議論において、それまでの議員不信から一方的に市会議員の報酬を半減せよと乱暴な議論が行われた。まるで魔女狩りだ。

名古屋市議会に対する市民の反感と懐疑は今も続いている。

その名古屋市議会における問題を起こした議員が誰で、今どうなっているか知る市民は少ない。(減税のポルシェ議員の事を言っているのではない。彼はある意味冤罪の可能性もある。それ以前の話だ)

確かに市会議員にもどうしようもない者もいる。
しかし、それはどんな組織にも居ることで、常に一定比率のこうした利己的な存在は排除しきれない。先のリコールなど典型的な「ガラガラポン」で、こうした問題議員を排除するつもりが、結局として排除されたのは良心的な議員が多く、生み出されたのが(ポルシェ議員も含めた)減税日本である。

減税日本の市議、県議の存在そのものが、代表の主張する議員報酬半減化の正当性を否定する証明とはいえないか。

更に2つだけ、申し添える。

こうした議員報酬の議論を議会においてするべき会合が「議会改革推進会議」であった。その座長は減税日本の当時の団長だ。
にも関わらず、この会議体はろくな議論も行われないまま停止してしまった。
議論を避けたのは減税日本である。

また、こうした議会の動きを市民に報告し、市民からの意見を聞く場が「議会報告会」である、減税日本代表でもある現職市長は、この「議会報告会」の開催を拒み、市民に議論を説明しようとしなかった。

名古屋市会が市民に説明もなく突然報酬を「上げた」と言われるが、説明する場は無かったのである。

こうした市政に市民が声を上げる場を、現職市長は作っていない。

それなのに、天守閣木造化のためのタウンミーティングは開かれている。

これが異常でないと言えるのか。