国家的には民主党の財政均衡策から、自民党の「アベノミクス」にシフトして、あちこちで政治主導型の経済活性策が打ち出されている。防災や減災。更にリニア乗り入れに東京オリンピックと、都市の活性化を図るにはまたとないチャンスだろう。
名古屋の発展にとっても絶好の機会に開催した名古屋市会、9月定例会。市長提案の目玉はなんと「議員報酬半減の制度値化」*1
自民党の横井市議はこの市長提案に付いて。
横井利明オフィシャルブログ:市長が提案する議員報酬800万円制度値には「反対」
1.議会は行政のチェック機関であり、その行政の長としての「市長が議会を予算提案権や執行権を利用して抑圧すべきではない」という理由。*2
2.名古屋市会の議員報酬は「名古屋市特別職報酬等審議会」において諮問しなければならないと規定されている。
名古屋市特別職報酬等審議会条例
その諮問機関まで回答を拒否しているのにも関わらず、市長が勝手な判断をするということは「誰の意見も聞かない」ということだろう。これなら諮問機関もこの条例も要らない。
などから反対を表明している。
私は更に、当ブログでは繰り返し訴えているが「議員の報酬が市民並みになれば、市民がこぞって市議会に参入しようとする」と訴えていた河村市長の詭弁を指摘しておく。
つまり、報酬半減をすれば市民が市議会に参画してくると河村氏は言っていたが、そんな馬鹿な話はない。報酬を下げて参入者が増えるなどというのは、経済原理が判っていないというよりも、社会が判っていない、世間を知らなすぎる。
実際にこの春、市長選挙と同時に南区と守山区で市議補選が行われたわけだが、ここに立候補者が殺到したという事実はない。南区など減税日本からすら参入者は出なかった。
減税はマクロ経済学的検証から、否定されている。
減税政策についての再整理 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
「日本唯一の選挙による地域委員会」も、地域住民によって否定されている。
現在行われている、第二次試行7地区において、地域委員を選挙で選出した地域はない。
そして、議員報酬を半減、市民並みに下げれば、市民が議会にこぞって参画すると言う「妄言」も、根拠もなければ実証的にも否定されている。
河村市長の施策で「腑に落ちる」「納得できる」「論理的に正しい」と言えるものは何もない。全て「現実から乖離している」
イメージはこの議員報酬について議論した、9月20日の総務環境委員会について中日新聞が伝えたものである。
読売新聞も同様の記事を掲載している。
市長給与・市議報酬「年800万円」 減税市議異論
名古屋市議会総務環境委員会が20日開かれ、議員間の質疑で、河村たかし市長が制度化を目指す年800万円の市長給与と市議報酬を巡り、市長が代表を務める地域政党・減税日本の所属議員から、市長の持論と異なる意見が相次いだ。
委員会の議員間質疑で、近藤徳久議員は、議員報酬800万円について「個人の意見だが、適切かどうか判断しかねる」と発言。委員会後、「国民の平均年収と比べて800万は高く、もっと下げてもいいとの思いだったが、誤解を招く発言だった」と釈明したが、他会派の議員からは「800万円を制度化する根拠が不十分だということを、減税日本の議員自らが認めたようなものだ」と驚きの声が上がった。
また、市長が「報酬を市民並みにしないと議員は家業化する」と主張していることに関しては、黒川慶一議員が「河村代表の言うことが全てではない。戒めだと思って、半分は聞き流している」などと述べた。
(2013年9月21日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20130921-OYT8T00031.htm
残念ながらまだ当日の録画は見ることができないが、このダッチロールはなかなか見ものだった。
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この発言の前には、提案者である市長を委員会に招致するという提案が減税日本ナゴヤから出されたが否定されている。
減税日本ナゴヤ所属の議員も、聞かされていた報酬事情と実態の乖離に戸惑っている。
家庭や子どももいれば、現在のような報酬ではとても生活を維持できないというのが本音だろう。
そんな会派内議員たちの苦境に見向きもせず、河村代表は自らの政治資金パーティーに市議たちを動員する。参議院選挙においても動員を課せられる。そして、課せられた動員が有効に選挙に繋がればまだしも、参議院選挙候補やその取り巻きにその努力は無碍にされる。
減税日本ナゴヤの市会議員などやっていられないのが本音だろう。
こういった参議院選挙における苦労や不満も、河村代表は一切知らぬ顔だ。
今後も、そうなる事は目に見えている。
減税日本などという政党に民主主義などない。同族経営のブラック企業、コンプライアンスとは程遠い、河村商店政治部、ナゴヤ市課程度がその実態だ。
報道には描かれていないが、この9月20日の総務環境委員会。報酬半減に異論を呈した近藤、黒川両市議の発言を見咎めてか、かの山田まな氏が委員会室に入ってきて、金城委員に「休憩」の申し出をするように指示したようだ。
市長を委員会に参加させて発言機会を得ようとしたり(かといって、委員会の意思表明に変化があるとは思えない)自会派の委員の発言を封じようとして休憩を申し入れたり。
委員会終了後、哀れ近藤、黒川、金城の3名は市長室に呼びつけられて、お灸をすえられたようだ。
もはや、この事自体、議会軽視もはなはだしい。二元代表制を否定した行為だ。
議員は議員で、自己の信ずる意見表明をしてはいけないのだろうか?
会派による党議拘束をかけないのが減税日本ではなかったのか?
しかし、実態はこうだ。
そして9月24日。突然、河村市長が市政記者クラブに記者会見を呼びかけたそうだ。
その際、配布されたレジメ。
市民皆様、議員皆様に
平成25年9月24日
名古屋市長 河村たかし○市民皆様、議会議員、行政、市長協力し、日本、世界をひきつけるおもしろいナゴヤ作りに力を尽くす時である。
○800万円(議員、市長)年収制度化。心より議会で可決をお願いしたい。800万円制度化は、市長選で過去2度、明確な民意を頂いた。しかし、本会議でも私(市長、提案者)に対する質疑は少なく、委員会での私の発言のチャンスも認められなかった。なにとぞ議会におかれましては、市長選での一丁目一番地の名古屋市民皆様の民意を実現させて頂きたい。
市長としては、精一杯、議会議員皆様のご意見、ご提案を党派をこえ尊重させて頂いている。
何事かと、身構えて記者会見に臨んだ報道各社も力が抜けたそうだ。
質問を投げた者も一名だけ。メディアに乗せたところはあったのだろうか?私は知らない。
そもそも、議員報酬をどうひっくり返せば「ナゴヤ作り」に反映できるのだろうか。
党派を超えた提案を尊重していると言いながら、報酬議論に付いて条例で規定された諮問委員会の回答を無視しているのは上で書いたとおりだ。
それに「減税日本」の「一丁目一番地」の政策は「減税」ではなかったのか?いくつも一丁目一番地があるものだ。
言っている事もやっている事も無茶苦茶だ。
それでいて必要な事は芥子粒ほども実行していない。
完全に妄想世界に入り込んでいる。 異常だ。 この行動はすでに政治的言説のレベルを離れている。精神医療の分野なのではないだろうか。
なんでも某市議は「議員報酬は800万にすべきではないのか」という意見を市民から受けたそうだ。「すでに、報酬は800万円になっていますよ」と回答すると。「じゃあ、なぜいま、河村市長が議員の報酬を800万円にしようという提案を出すのだ」
回答に窮したそうだ。
市民の中には、市議の報酬が半減化された事に「気が付いていない」人もいるらしい。
ここで議会が報酬半減を否決すれば、河村市長としては願ったりかなったり、議会との対立軸が生まれると思っているのかもしれない。
しかし、この対立軸はナンだ?政策的対立なのか?
政局の対立軸ではないか。
結局、中身の無い政局議論で、自身の支持を浮揚させようという卑しい考えでしかない。
あなたが見ている事実に真摯に向き合って欲しい。
本当に、この市長提案、議員報酬半減制度化は、市民の為になるのか。
名古屋の為になるのか。
名古屋の為にならないと思うのであれば、否決すれば良い。
党議拘束をかけないのが減税日本だった筈だ。
追記:
東京電力の原発問題で作業員の質が問題になっているようだ。
「スパナって何ですか?」 いわき市議が告発! ド素人集団化している原発作業員の実態
「(略)人件費も低い。最も安い場合、日給は1日6000円です。放射線量が高く危険な現場なのに、これでは人は集まりません」
その結果、原発はもちろん、建設・建築現場の経験すらない作業員が福島原発で増えているという。
「福島原発では、建設・建築の現場経験者は2割ほどと聞きました。驚くことに『ネジを右に回すのか、左に回すのか』と聞いたり、『スパナって何ですか』と真顔で質問したりする作業員もいるそうです」
http://gendai.net/articles/view/syakai/144716
(略)
さしずめ、名古屋では「条例ってなんですか?」「報酬と給料の違いってなんですか?」というような市長の下、地方自治法も読んだ事がないようなど素人議員ばかりが生まれたということなんだろうか。
彼ら減税日本の穴だらけの規約や組織規則を見てみると、条例の制定どころか、出入り企業との契約すらまともに扱えそうに無い。
…そういえば、実際に河村市長は業者から数億の損害賠償を求められているな。
安かろう、悪かろう。という言葉は、古くからある言葉だが、真実を突いているのだろう。この言葉が陳腐化していると言わんばかりに、「コスト削減」などと「安さ追及」をすることで、社会の様々な部分が破綻しているのだろう。