市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋城に見る河村市政の姿

 久しぶりに名古屋城に行ってきました。

 ひょっとすると、今年のうちに天守閣が閉鎖されてしまうかもしれないとのことでしたので、その最後の姿を見ておきたいと、いつもは天守閣の中には入らないのですが、天守閣にも登ってみました。

 正門から入り、私はいつも御深井丸(北側)に向かいます。
 写真は西の丸広場から見た西南隅櫓と天守閣です。

 見慣れた風景であり、堂々とした風情です。

 今の大多数の名古屋市民にとって「名古屋城」と言えば、この姿であり、その中身が鉄筋であるとか木造であるとか気にする人など聞いたことがありませんでした。

 そもそも天守閣など、こうやって外から見るものであって、中身はどうでもよかったのではないのですかね?歴代の尾張藩藩主でも、毎日天守閣に入るなどという事は無かったのではないでしょうか。

 周囲に威容を誇る。これこそ天守閣の機能であり、存在意義。名古屋城にとって、この威容こそ後世に伝えるべきものだろうと感じます。

 さて、鵜の首を越え、御深井丸を回ると、内堀の北側にご覧のように石が並べられています。本丸搦手馬出周辺の石垣の積み直しを行っており、その石垣が大切に並べられています。




 これらの工事を見て、違和感と不満を抱くのですが、それは後に述べましょう。












 さて、天守閣です。
 今年の内にも撤去されるかもしれない外付けエレベーターと東側の石垣です。

 この問題にかかわって、この石垣もよく見ると戦災による熱の為に影響を受けているのが判ると言われました。正直、私には良く判りませんでしたが、それでもなんとなく湾曲の具合にアンバランスなものは感じました。北側の石垣では植物が生えてしまっており、ああした植物を放置しておくのは危険なのではないかとも思いました。


 さて、次の写真が今回カメラを持って名古屋城を訪れた大きな理由なのですが、小天守天守閣を結ぶ廊下です。

 ご覧いただいてお分かりのように漆喰が浮き上がり、欠落しています。

 このまま放置すれば、雨水によって老朽化が進んでしまうでしょうに、放置されているような状態です。


 この後、天守閣を各階見て回ったのですが、その感想や写真は別の機会に譲ります。



 次は、本丸広場を回り込んで、本丸御殿越しに見た天守閣です。

 すでに、一部木塀は雨や風に晒されて良い風情を出しています。







 本丸御殿の中から覗く天守閣です。
 やはり、普通の感覚で言うならば。この本丸御殿が順次出来上がり、その都度集客も期待できるのですから、その来場者が落ち着いてから天守閣の立て替えをするのであれば理解できますが、本丸御殿はできても天守閣が無いとか、工事中というのは残念な話です。




 次の写真は本丸御殿の工事見学用キャットウォークの模様です。

 こうした姿を子どもたちに見せることは価値のある事でしょう。



 さて、本丸広場を進み、表二之門に至り、残念な風景を目にすることになります。

 重要文化財でもある本丸表二之門は、周辺を保護部材で囲われ、様子を伺うことすらできません。その保護部材も鉄骨にスレートをはめ込んだ粗末なもので、あちこちに錆も浮き上がっています。









 表に回ってみると庇のあちこちで漆喰が欠落し、中の構造物が出てしまっています。



 名古屋城内で少ない創建時からの建造物である表二之門が雨風に晒されて、崩れ落ちるがままに放置されているのです。

















 この表二之門をはじめとする今の名古屋城の姿こそ、この7年にわたる河村名古屋市政の姿であると感じた。

 河村市政の特徴、それは何かといえば「口だけ、言うだけ」で「実体が伴わない」ことだ。


 「民主主義発祥の地」とまで言い切った地域委員会。そもそも何が「発祥の地」なのかさっぱり訳が分からないが、その地域委員会ですら形にできていない。

 減税政策は「歳出削減」をその原資とするとした。

 下らない縮小均衡の「小泉・竹中構造改革」のサル真似に過ぎない。

 そもそも経常収支比率を見れば財政の硬直化は如何ともしがたい。それでも営々と改善を加えてきた名古屋の財政は、河村市政になって徐々に悪化している( 参考: 名古屋市の財政 平成27年版 )。

 結果として河村市政における「歳出削減」なるものは単なる「先送り」と必要な事にも金をかけない「ケチ」な政策に他ならない。

 例えば、先ほど本丸馬出搦手の石垣積み直し現場において、違和感と不満を抱いたと述べたが、その理由はここに市民(納税者や来場者)に一切の説明がない事だ。

 先日ある会合で「石垣が崩れている」と思っていた市民が居たが、これは崩れているのではなく、崩しているのであり、後世に伝えるための貴重な修復作業なのだ。

 しかしそれを知る市民は少ない。

 一般的にはこうした工事の際には、大きな看板を掲げ、修復作業を行っている事を告げ、その修復作業の内容についても説明がなされているものだろう。

 この石垣の修復現場で眼についた説明はこれだけだ。





 本丸御殿の新築を誇り。

 名古屋城天守閣を木造化することが名古屋の誇りだと安っぽい事を言う。

 ・・・「モノ」に誇りを頼るなど、なんとさみしく貧しい感性だろうか。






 その裏で、建造当時の面影を伝える本丸表二之門は崩れ落ちるままに放置され、その管理保護にも予算を割かない。

 石垣の修復作業を告知する予算も割かない。

 このアンバランス。

 こうして行うべきことも行わず、その一方で歳出を削減することは、市の業務を縮小させることを意味する。

 すべき事もしないというのが縮小均衡を目指す河村市政の姿なのだ。


 なんでもこの6月議会で名古屋城整備予算を議会が否決したら、天守閣を閉鎖するとぶち上げたらしい。子どもじみた、卑劣な脅しだ。

 天守閣における耐震性能を示すIs値が0.14であり、危険で、これ以上名古屋市長として来場者を天守閣に入れることはできないという。

 まやかしだ。

 この値が知れたのは2011年*1であり、すでに5年*2来場者を「危険な」状態に放置してきたのは自分自身ではないか。


 それも結局耐震対策を先送りしてきていたからだ。


 なぜ、先送りしてきたのか。それは減税政策の為であり、つまり、納税可能階級(及び、名古屋市内の黒字企業、大企業)にお金を還流させるために、市民を危険なまま放置させていたのだ。


 河村市長は「これを放置したら『ダメ市長』と呼ばれる」と言ったそうだが、はじめて意見が一致したのだろうか。すでに5年放置してきたのだから、十分『ダメ市長』だ。


 河村市長が名古屋市民の為になど働いていない事は明白だ。

 自分がやりたい事をやりたいようにやって、やりたくない事は何もしないし、予算すらつけない。話も聞かない。



 結果として切り捨てられるのは、彼の目に留まらない弱者なのだ。

 こんな人物をいつまで名古屋市民は市長としているのだろうか。


 追記:メールをいただいた。
現在の天守閣が耐震性能を満たしていないとした場合、それを閉鎖するというのであれば、石垣の耐震性能が信頼できない状態であったなら、木造天守閣には来場者は入れるのだろうか?

木造天守閣は石垣整備より先に完成させるとしている。

石垣の耐震性能が満たされなければ、その上物である天守閣は勿論立ち入り禁止にしなければ「ダメ市長」だろう。
との事だった。


















追記:所用があって、大阪に行ってきました。


ついでに大阪城を訪れたのですが。

やはりすごい人気スポットですね。
たいへんな賑わいでした。



そして、やはり場内には行政の施策をアピールする巨大な広告が。

普通は、こういった形で、施策を説明、アピールするものですけどね。

それと、ここや名古屋城本丸御殿でもそうですが。

こういった施策には広く寄付を募るものですよね。

それでなくても「寄付文化」とか言っていたはずではなかったのですかね?

名古屋市民の6割が木造化に賛成している」という割には、
今回の木造化案には寄付が集まらないのは何故なのでしょうか?

・・・というか、募集もしていないのでは?




*1:2010年かもしれない、調査が甘くて申し訳ない

*2:6年