6月議会がはじまった。
名古屋市政における政治的課題はたくさんある筈であろうし、東京都議選挙などをにらめば、河村市長から何らかの耳目を引くような政策的提案でもあれば面白いのだろうけれども、結局無しのつぶてだ。
明白なマニフェスト違反だと思うのだが、地域委員会についても止まったままで何も進展していない。また、減税政策についても、5%にとどまったままだ。東京都議選をにらめば減税幅を10%に広げて「地域経済に対する決定的な起爆剤」とすることができるのであれば、小池都知事も減税日本に注目するのではないのだろうかね?(そうなっても単に景気減速効果が広がるだけなので、今のように中途半端なままが河村市長にとっても都合が良いのだろう)
名古屋城天守閣木造化にかける力と予算を全て「市民税減税10%実現」に注力すれば、この看板政策の実現ができるのではないのだろうか。なぜ、減税10%実現に向けた行動を起こさないのだろうか?・・・簡単だ、飽きてしまったんだろう。
地域委員会や市民税減税は、当ブログでは批判し続けており、それらがまったく誤った政策であると理解しているので、河村市長自身が、理由は何であれ(飽きたにせよ)それらの政策を進めようとしない事は歓迎するところだ。
本来であれば、その他にもいくらでも名古屋市を見違えさせるような政策というのはあるだろう。(内緒だ)しかし、見事な事にそうしたものには目も向けず、相も変わらず「名古屋城天守閣木造化一本やり」というのでは芸がなさすぎる。(無くて良いのだけれども)
この6月議会には名古屋城天守閣木造化に対する寄付募集のための条例が提出されているそうだ。なんでも「ふるさと納税」の対象にもするという事だが。それは名古屋市外の納税者を対象にしたものだろうか?もし、名古屋市内の納税者を対象にしたものであるのなら、歳入段階で市の予算を名古屋城木造化に振り分けているだけで、「名古屋城天守閣木造化に税金は一切使わない」といった発言を反故にするものではないのだろうか。(ふるさと納税は納税であって、寄付ではない。当たり前だが)
また、すでに指摘しているが、河村市長は常々「木造化された名古屋城天守閣は儲かる施設」「観光の決定的な起爆剤」などと主張していたはずだ。そのように単独で収益性が見込めるものに、寄付は必要ないだろう。逆に、出資金でも仰いで出資額に準じて配当でも出せばよいのではないのか?(本音では、配当などとても出せないと理解しているのだろう)
この募金について、ある条件に照らせば違法なのではないかという疑義が生じている。
それについては某所に問い合わせをかけているところであり、回答が得られればまた公表してみたい。
さて、ともかくグリグリと進む名古屋城天守閣木造化だが、議論は生煮えのままだ。そういう意味では、地域委員会でも、減税政策でも議論は生煮えのままだ。
河村市長の提案について、議論は常に生煮えのまま話が進む。
民主的な議論や熟議など成立しない。全て反対者が「呆れて」しまった結果に過ぎない。
この問題においては、名古屋城天守閣を木造化するという課題に対して、2つの側面で議論を展開してきた結果、論点がぼやけてしまったのだ。
つまりは「観光的側面(収益性)」と「文化的側面」だ。
最初、この問題が持ち上がったのは、名古屋市議会においてだった。減税日本ナゴヤの市議が、名古屋城の改修について、文化庁は天守閣を建て替えるのであれば木造化以外認めないと言っているという発言を行った。しかし、その後の市当局からの問い合わせで、文化庁からはそのような意向がない事が明確化している。*1
その後その論点は工費と収益性にかかっていった。
つまり、幾らかかるのか。名古屋市の負担はどの程度なのか。
けれども、このコストに対して、観光面でプラスがあるのではないのかという論点だ。
これを「観光的側面(収益性)」の論点と呼んでおく。
現在、この建築コストはおよそ504億円という事になっていて、
収益性は360万人の来訪者が50年ほど続くだろうという予測が主張されている。
しかし、こんな来訪者数は常識的に疑問がある。このようないい加減な事業は実施できないだろう。
すると、別の論点が提示される。いわく「名古屋市民の誇りを作る」「国宝の本物再現」であるというわけだ。
つまり、文化的に価値が高いものであるのなら、直接的な収益性は二の次にしてでも復元する価値があるだろうという主張だ。この論点を「文化的側面」と呼ぶことができる。そして、この文化的価値は個々人によって異なり、極めて主観的で議論に乗りにくい。(その一つの客観的基準は、すでに提示した「ヴェニス憲章」に求められるべきだろう)
それではと、文化的側面の議論をすすめるために、木造復元、木造レプリカが国宝に認定されたり、世界遺産と認められるだろうか。そのような先例があっただろうか。このように疑問を提示すると、「名古屋は来たくない街と言われている」というような「観光的側面(収益性)」の論点に議論がずれる。(典型的な論点そらしの「詭弁」。それも小学生の口げんかレベルのそれだ)
河村市長との対論が困難で、この問題について議論が生煮えのままなのは、この2つの論点の間を、その場その場で往きつ戻りつしていたおかげだ。その為、疑問点は解決されないまま、どんどんと増えている。
そして、いよいよ事業者が決定されて設計が緒に就くに及んで、もう一つの側面が眼前に現れている。
それは建築物としての「安全性」の側面だ。
河村市長という人物は、この「安全性」など考えてこなかったのだろう。
考えたというのであれば、現天守閣の耐震性に対して、懸念が示された2008年以降、今に至るも何も手を打たなかった理由が不明だ。などと追求すると、河村市長は「いや、その危険性を伝えるために看板を設置した」とかいうだろう。小学生程度の言い訳だ。その反論は虚しい。この看板を設置した直後に、河村市長は名古屋城天守閣で大みそかイベントを開催し、徹夜で入場者を迎え入れている。初日の出の時間には入場制限が行われるほどの盛況だったそうだ。
自ら、耐震性能が不足しているという告知をした建物に、多数の来場者を呼び込むイベントを開催する。このアンビバレントな行動は(以下自粛)
名古屋城天守閣木造化について、「観光/収益性」「文化的側面」「安全性」という3つのカテゴリーでいくつもの疑問点が放置されている。
私が整理したところ、それはおよそ29ある。
論点(ナンバリングされているものだけ抽出)
1)現天守を守る民意はないのか
2)現天守閣こそ残すべき文化財ではないのか
3)博物館機能の喪失
4)文化的価値のある遺構としての名古屋城跡とは石垣とお堀である
4−1)竹中案では仮設施設の設置のための発掘調査が盛り込まれている
4−2)石垣を5mほど取り崩して構造を変える建設案である
5)行政の整合性(名古屋城跡全体整備計画との整合性)
6)そもそも実現可能なのか?
7)違法建築ではないのか
8)消防法との整合性(木造でありかつ二方面脱出可能な構造とは)
9)バリアフリーにできるのか
10)出入りできる範囲は?
11)木造復元と石垣の補修改修の順番(及び費用)
12)採光はどうするのか?
13)通電するのか?
14)年間360万人の来訪に耐えられるのか?
15)設計条件の実現性
16)内部構造を示す資料は現存していない
17)現存する実測図面の中でも矛盾する記述がある
18)伝統工法(可能か工費の問題:本丸御殿などの柱、梁では鐇は使われていない)
19)釘は復元されるのか(竹中提案では一部しか使われない、寿命が短い)
20)国内材は手に入るのか
21)新国立競技場の建設とかぶる(木材が高騰するのでは?)
22)熊本城の再興の邪魔にはならないか
23)なぜ今なのかという問題
24)追加工費は発生しないのか
25)収支計画の現実性
26)ランニングコストは考慮されているのか
27)復元木造レプリカに文化的価値はあるのか
28)有権者に対する説明責任は果たされているのか。
29)木造化は名古屋市民の民意なのか
この29の論点全てをここに書きとめることはできないが、比較的決定的な「(8)消防法との整合性」について、最後に指摘しておく。
先日、ロンドンで高層マンション火災が起きた。火災の恐ろしさを改めて認識させられる出来事だった。
日本において建築物には「二方面脱出経路」が要求される。
どのような建物でも、2系統の階段が準備されていたり、マンションなどではベランダに階下への脱出口が設置されている。ある意味では防犯上のリスクを伴っても、こうした住民間の協力は欠かせない。
現在の名古屋城天守閣において、来訪者が不満におぼえるのは東側に設置されたエレベーターだ。だれしもが折角の景観が台無しだと残念がる。しかし、名古屋城天守閣は3方向が石垣と内堀に囲まれており、小天守に繋がる出入り口以外に脱出経路を設けようと思えば、あのような設備を付ける以外に方法がない。
さて今回、この天守閣を木造化するという竹中工務店の技術提案書が公開されている。
http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/17_topics/290511/index.html
PDFダウンロード(株式会社 竹中工務店 名古屋支店 技術提案書)
この提案書の33ページに火災発生時の避難経路について描かれている。「4〜5層にも木造階段を追加し、各層すべて2ケ所ずつの階段を設置」などと書かれているが、肝心の避難経路、出口に関しては小天守を経由するようなルートしか描かれていない。
これで小天守から出火し、天守閣に延焼するような火災が発生した場合、どう脱出させるのだろうか。
「地上から5層の窓まで約40m(50m級はしご車での消防活動可能)」であるとか。
「各層の格子窓を破壊してのはしご車による救助活動が可能」などとも書かれている。
私は素人だが、それでも判る。
年間360万人の来訪者を受け入れるという事は、1日で1万人だ。10時間にならしても一時に千人からの入場者が居るだろうと推測される。その千人をはしご車で避難させるつもりだろうか。更に言うと、天守閣は上部に向かって円錐構造になっている。下層階で出火すれば、上層階にかけたはしご車の梯子は、バーベキューの金網のように火にあおられる事になる。そんな救援が可能なものだろうか。
そしてこれは決定的だが。名古屋城天守閣の内園、天守閣の横に、その「50m級はしご車」とやらをどうやって持っていくつもりなんだ?
「観光的側面(収益性)」
「文化的側面」
「安全性」
その全てを満足させることはできない。そうした場合、切り捨てられる事柄に価値観を持つ人々に対して、説明責任を果たし、納得してもらうのがリーダー、政治家の役目だ。
「安全性」と「文化的側面」は(まだ)両立可能だ。
「1分の1スケール、木製模型」として、本当の本物復元をしてしまい、入場者を受け入れなければいい。それは「建築物」ではないので現代の「安全基準」は考慮する必要がない。
しかし、立ち入り不可能な木造天守閣であるのなら、外見だけ満足させるのであれば。現在の天守閣と何がどう異なるのだろうか。*2
矛盾と不合理の塊。まさにルートヴィヒ2世の城。狂気の産物だ。