市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

木造化がセメントになっちゃった話

河村市長の経歴を見ると

旭ヶ丘から一橋大学という学歴は良いのだが、大学を出るとすぐに河村商事に入っている。いわゆる「よそ飯」を食っていないのだ。(それ以来親のスネと税金で食べ続けることになる)

河村商事の仕事も碌に続かず、「トーゲー家を目指す」と言って瀬戸窯業に通ってみたり、河村商事の一部を改造して画廊をしつらえて「画商」を始めたり、「画商は絵を買わなきゃならんけど、書道はええなぁ、さらさらっと書いて数十万円はいける」と書道家を自称してみたりしていた。

その挙句が司法試験の受験で、9回受験して合格しなかったのは有名な話だ。
全てモノにならないまま。

堪りかねた親が春日一幸を頼って預けてみたが、結局春日からも破門を食らっている。

つまり、河村たかし(本名、河村隆男)の人生とは、「お遊び」の人生でしかない。

何かの<責任>を背負って、<綿密>に計画を立て、<コツコツ>と実践し、目標を<達成>したという経験がないのだ。

こうして並べてみると、<責任>、<綿密>、<コツコツ>、<達成>。これほど、河村隆男から遠い言葉もあるまい。還暦を過ぎ、68歳になった彼には、さかさに振っても出てきそうにない言葉だ。

こうしてウロウロしているままに「人生一発逆転」衆議院選挙に受かってしまった。
(この一期目、二期目ぐらいまでは、私にも責任の一端があるのかもしれない)

そして名古屋市長だ。

私は河村市政を意識し始めたのは地域委員会以降だが、いわゆる「4大事業のストップ&シンキング」やら、地域委員会、減税政策、相生山問題等々を見ると、大きな共通点に気が付かされる。それは何かというと、こうした河村隆男の政策には「持続可能性」がないのだ。(地域委員会については、後氏が抜けたあとの河村流地域委員会)

今風の表現を使えば「サスティナブルではない」のだ。

彼の掲げた公約、2009年のマニフェストを見返してみると、どの公約も影も形もない。見事なまでに「消えて」いる。


2009年河村たかしのナゴヤ政策「庶民革命・脱官僚」

彼はこれらの公約を実現したいと思っていたのか?本当に疑わしい。ある方にこの疑問をぶつけてみた所、そりゃそうだと解説を受けた。

河村隆男にとって、選挙(市長選挙)に当選することが最優先課題で、市長になって名古屋をどうこうしたいなんて思っていない。そもそも福祉や地方自治なんて興味もない。

車椅子の方が困っている、バリアフリーの街づくりをといえば「担いであげてあげたほうが暖かいでしょ」と応える程度の人間だ。こんな事まともに考えたこともない。

2009年において、秋にも噂されていた解散総選挙。その時に名古屋市長としての人気を背景に、(前回集まらなかった)民主党の代表選挙の推薦人を20人以上集めて、代表選挙に出馬して、代表になり、総理になる。これが河村隆男の構想である。当然、総理になって真っ先にやりたいことは「消費税1%削減」程度で、それ以外は何も興味がない。(東名高速道路にトラでも走らせたり、東海道新幹線にSLでも走らせるのかも知れないが)

この民主党党内へのアピールのために、名古屋市長選挙に立ったに過ぎず、名古屋市の行政をどうこうしたいという気持ちなんて無かった。そもそも名古屋市にどのような仕事(所管事務)があるのかも判っていなかった。

それまでも、タレント議員が首長になった例は多いけれども、そうした事例は主に比較的小さな自治体か、中間自治体の県知事などである。基礎自治体、それも政令指定都市というただでさえ権限の集中が懸念されている首長にタレント議員が就いて、うまく回っていくのか。あの大阪の橋下徹も、大阪府知事であれば誤魔化しも効いたが、大阪市長となって誤魔化しきれなくなった事も、同じような理由からだろう。

河村隆男にとって、公約とかマニフェストなどと呼ばれているものは、「有権者を釣るための毛バリ (©渡辺美智雄)」であって、実体など必要なかったのだ。だから、2009年の公約はほとんど実現されていない。

主要政策にしてみても、地域委員会も頓挫したままだし、減税も10%の公約が5%のままだ。見事なまでに何もしていない。

河村隆男としては、自分が国政に転進した後に、余計な批判を受けないよう、波風を立てないようにしたのだろう。

ここで私は一人の人物に注目する。河村隆男の背後に立った人物だ。この人物が有能で、河村隆男が名古屋市をグチャグチャにしないようにコントロールしたのではないかと観測している。減税は実現させてやるから、その他のことについては口を出すなと釘を刺したのではないのだろうか。

この人物こそ「平成河村騒動」とも言うべき尾張藩の危機を救った、名古屋の恩人であるのだと私は推測している。しかし、市政史にそれが書かれることはなく、人知れず歴史の中に埋もれていくのだろう。(そしてその人物は名古屋市政の表舞台から去っている)
それはともかく。

河村隆男はこの市民に見せる「毛バリ」を一所懸命探した。
久屋公園にトラを走らせる。大津通歩行者天国、同じ大津通中央分離帯撤去、浅田真央の凱旋パレード、あおなみ線でのSL走行に1000メートルタワー、そして名古屋城天守閣木造化だ。

河村隆男は半可通の権化のような人物だ。
持ち前の記憶力で、確かに様々な事は記憶している。(それだから、司法試験の学科は2回通っているそうだ。しかし、最近ではこうした記憶力も相当錆びついているようだ。安酒の飲み過ぎだろう)

しかし、そういった知識が見識として繋がっていない。思考力や論理的推論にかけているようだ(だから、司法試験に落ち続けている)

SLが好き、歴史が好きと言っても、本当にそれらが好きというわけではないようだ。

SL好きといえば、SL好きの人々の、ドラゴンズが好きといえば、ドラゴンズファンからの支持が得られると思うから、こうしたものが 「好きなふり」 をしているに過ぎない。
(本当のファンからみると、人気目当てのこうしたニワカファンが一番嫌いなのだろう。ドラゴンズファンはそろそろ感づいているようだ)

さて、河村隆男にとって、名古屋城天守閣木造化は、こうした「毛バリ」のひとつでしか無かった。

天守閣の木造化を口に出せば、一部のマニアに「受けた」から、トークのネタにそれを言っていたに過ぎない。(なんと、このマニアも、本当に河村隆男に名古屋城天守閣木造化ができるとは思っていない。このマニアは河村隆男に近いだけ、そこは現実的に観測しているようだ。しかし、私はこういう人物が大嫌いだ。名古屋市の市政を、余裕ある自分たちの「お遊び」にしないでくれ)

平成24年2月19日「名古屋城の将来を語る市民大討論会」というイベントが開かれている。ここでも名古屋城天守閣の木造化は話題にはのぼっているが、本当に天守閣を木造化するつもりは感じられなかった。

当時の市当局内の非公式な発言は次のようなものだ。「市当局としては名古屋城の木造化なんて全然考えていない。ただ、河村市長が言い出したことなので、市民ヒアリングと言う形を作っただけ。木造化事業に関して言えば、今日のこのイベント自体が最終目標ということでしょうね」

重層的な歴史の価値 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

当時の職員も本気で名古屋城を木造化するとは思っていなかったようだ。

河村隆男も「夢を語って」と言っていたように、現実政治や行政の話をするつもりはなかったようだ。(今に至るも、こういった「夢」や「妄想」のたぐい以外、何か語っているのか疑問ではあるが)


河村隆男という男は、大言壮語を吐くくせに気は小さい。
また、相手が女性や気の弱い市の職員なら嵩にかかって威圧するが、声の大きな私などの前では何も言わない何も言えない。地下鉄の車内で逢っても、まわりを取り巻きにガードさせて挨拶ひとつできない。

ここでこれだけ書いているんだ、ひとつぐらい言い返せばいいだろうに、それもできない。

名古屋市を自分の力でどうこうするなどということは本来できない人物なのだ。
市長給与も減税政策も制度自体は変えていない。あの相生山も決定的な構造物の破壊はしていない。全て、自分が市長で居る間、形だけ何かやっている振りを、させてもらっているだけなのだ。その姿はプロレスでしかない。

・・・・・私は、河村隆男が現在の名古屋城天守閣を取り壊し、木造化できるなどとは思っていない。今まで何をやっても形にならなかった人物だ。文化庁との10年戦争を戦い抜けるとは思えない。

では、なぜ名古屋城についてここまで固執するのか?

他に「ネタ」がないからだろう。
他に「毛バリ」が見つからないからだろう。
そしてなにより、後ろに大手ゼネコンが商売のためにくっついてしまったからだろう。

このままでいけば、調査設計のために今年の11月には天守閣は閉鎖される。
そして長い長い年月、木造化のためと言いながら、調査、再調査、設計、再設計。そして追加予算の議論が続くだろう。その間、石垣も天守閣本体も、耐震性能は劣化するに任される。

どこかで天災が訪れれば、全て瓦解するかもしれない。
(現在の名古屋城天守閣の石垣は、濃尾地震でも耐えきったと言われていますが、戦災による加熱で劣化しています。現在の石垣の耐震性能は判っていないのです)

河村隆男にとっては、「毛バリ」であった話が、大手ゼネコンの提案を聞いた段階で、「セメント*1」になってしまった。という話なのだろう。



追記:
もしあなたが「歴史」が好きで
日本のお城が好きなら。

復興城主 | 【公式】熊本城

http://www.fukkatu-nagoya.com/

どちらに寄付されるだろうか。

河村隆男は「名古屋城は入場料収入だけで建つ、市民の負担は求めない」
と言っているはずだ。なぜ、そうやって「儲かる」はずの木造化復元に「寄付金」が必要なのだろうか。

また、熊本城がこのように被害を受けている中。
老朽化は激しいが(しかし、耐震工事をするぐらいの積立金は名古屋にはある)
無傷な名古屋城天守閣を取り壊して、
わざわざ木造化する事業に寄付を募る行為は、
熊本城への寄付を妨害する行為になるのではないのか?

やはり、最低限でも熊本城の復興を見届けてから、
名古屋城の木造化をするのならすれば良いのではないのか?


*1:大相撲やプロレスにおける「真剣勝負」を意味する隠語