市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

引き下げポピュリズムとの決別


 名古屋市河村たかし市長は(自ら任命した)人事委員会の勧告を無視して、名古屋市職員の賃金引き上げを行わない方針だ。なんでもこれで浮いた費用で学校カウンセラーの拡充をするのだそうだ。
 学校におけるいじめ対策などには、学校カウンセラーを拡充するのではなく、正規教員の増員の方が効果があるのではという主張もある。一般に「既得権の破壊」をいうものは、単に「得権の付け替え」をするだけに見えるが、これもその一端なのかもしれない。

 まあ、それはさておき。この議論は卑怯だ。

 公務員給与の話と、小中学校におけるカウンセリングの重要性を天秤にかけて議論するのは、本来は全く関連しない政策を比較させる行為である。学校カウンセラーが重要であるのか必要ないのか、これはこれで堂々とした議論をすべきだ。

 そして、職員給与については地域経済も含めた広範な議論が必要となるはずだ。

 とにかく、人事委員会の勧告無視という事態を受けて、本日(1月9日)の中日新聞市内版によれば、愛労連の榑松議長が市長に対して、勧告を受け入れ、職員給与の引き上げを行うよう要望書を提出したとの報道があった。

 榑松議長は「中小企業で賃金交渉をすると『公務員も上がっていない』と言われる。公務員賃金は民間賃金の一定基準」であると述べたとされている。
 それに対して河村市長は「いろいろ検討しているが、公務員の給与が上がると民間も上がるというのはどうか」と述べたらしい。

 本論に入る前に、河村市長の(いつもの)口から出まかせを指摘しておきたいが。
 名古屋市において職員給与を策定するうえで人事委員会以上の情報を持ち、議論を行っている部署がどこかにあるのだろうか?
 この人事委員会の勧告否定以来、市長が特に有識者に意見を求めたとか、諮問機関を設置したとかというような話は聞かない。つまりは「検討した」というような事実はないはずだ。

 河村市長が酔虎伝八剣伝でお仲間と適当な「政談」でもされて、その酒の肴に職員給与の問題を語ることを「検討」とは言わない。

 名古屋城の木造化などでタウンミーティングを開く暇があるのであれば、こちらの方が本当はよほど市中経済に対するインパクトがあるのであって、討論会でも開いてみればいいではないか。


 さて、それはさておき。

 榑松議長の指摘は真っ当なものだ。
 地方公務員の給与水準は、その地方の賃金水準を決める重要な要因となる。

 いったい河村商事ではどのような給与裁定をしていたのだろうか?

 多分、河村市長は自社社員の給与など裁定したことはないだろう。
 なぜなら、先代が亡くなって以降、家業は母親が握っていたのであり、このご母堂が亡くなった以降も、息子が跡を継いでおり、河村市長はほとんど経営にはタッチしていない。(そのおかげで潰れもせずにいられたのだろう)

 榑松議長の指摘するように、その地方の公務員給与が引き上げられないと、ちょうど「プライスキャップ」となって、他の業種の給与も上がっていかない。現在、日本は安倍政権の「アベノミクス」で過剰流動性だけは高まってきている。つまり、通貨流通量は高まりつつある。しかし、この過剰流動性が経済の循環と繋がらない。つまり、消費が活発にならない事が、国内GDPが上がっていかない理由となっている。

 残念ながら、安倍政権の中途半端な経済政策は、通貨流通を増やして、デフレを解消はしたが、その通貨が「ストック」に向かってしまい、「フロー」が高まらないためにGDPを、つまりは経済を活性化させていない。

 昨年1月1日の朝日新聞にトマ・ピケティ氏のインタビューが掲載された。そこでピケティ氏は日本経済に対する処方箋として「公務員給与の引き上げ」を提言していた。(それから、ちょうど一年経っている)

 つまり、公務員給与を引き上げることによって、民間の給与水準も高まり、こうした賃金の高まりが国内消費を喚起し、国内経済が活発に循環するだろうという提言だった。

 公務員給与と民間給与はトレードオフの関係になっていない。

 公務員給与を上げたからといって、民間給与が下がるわけではない。また逆も真だ。
 単純な話だが、公務員給与というのは同時にその地域における消費の原資でもある。公務員の給与が上がれば、当然、公務員家庭の消費は高まる。消費が高まるという事は、その消費を引き受ける民間企業の売り上げが高まるという事で、民間企業の売り上げが高まれば、その企業の賃金も高まりうるだろう。こうして民間企業の賃金も高まって来れば、それがまた消費に繋がり、経済は活性化する。何度も言うが、経済は循環なのである。

 逆に、公務員給与が高いから引きすり落とせとか、生活保護支給を削減せよだとか、社会保障を削れというような縮小均衡論を振り回すと、経済はどんどん縮小していく。

 他人の取り分を引き下げようとする考えは、さもしく卑しい。こうしたさもしく卑しい「引き下げポピュリズム」が小泉・竹中改革以降、民主党政権にまで受け継がれ、日本は深刻なデフレ経済を現出させた。

 もう一度言う。

 経済とは奪い合いやトレードオフではない(市場経済トレードオフである場面があるが、マクロ経済は事情が異なる)経済とは循環であって、その循環の輪のどこかを縮小させれば、すべての循環が縮小する。(税も、いたずらに縮小すれば、再分配を縮小させ、経済を不活性にする。減税政策は循環を縮小する政策である)

 この正月。岐阜羽島に出かける用事があり、面白い話を聞いた。
 岐阜羽島には「コストコ」が出店した。「コストコ」は雇い入れるパートの賃金を厚遇することで有名らしい。実際、岐阜羽島でも好待遇でパートを募集したそうだ。これに対して地域の企業は反発したそうだ。「コストコ」がパートの賃金を引き上げれば追従せざるを得ない。「コストコ」に賃金の見直しを求めたそうだが聞き入れなかったそうだ。

 コストコバイト、地方で「時給1200円」 地域の最低賃金はるかに上回り、近隣店に衝撃 : J-CASTニュース

 そのため、現在岐阜羽島の周辺ではパート賃金が上昇しているそうだ。

 「コストコ」としてみれば、してやったりだろう。こうして地域のパート賃金が上昇すれば、それはまた地域における消費経済の原資となる。つまり、自社の売り上げがまた上がる可能性に繋がる。

 現在、最低賃金の引き上げ議論も盛んだ。

 最低賃金:「1500円に」引き上げ求め若者がデモ 東京 - 毎日新聞

 日本は生産性が低いとの指摘もある。

 日本の生産性の動向 | 日本生産性本部

 私は日本において、賃金が低く抑え込まれている事が、この生産性の劣化と不可分なのではないかと推測している。生産性とは労働者が単位時間にどれほどの付加価値を生み出せるかという指標だ。時給1000円の労働者が関わった商品には、1000円の付加価値が加えられるだろう(または、それ以上の)ここで極端な話、時給1万円の労働者が居たとしよう。彼を使役したのであれば商品に1万円以上の価値を付加しなければ引き合わない。
 つまり、最低賃金が低ければ、商品に高い付加価値を付ける必要はなくなる(かもしれない)が、賃金自体が高ければ、商品に高い付加価値を付けざるを得なくなる。高い付加価値を付ければ生産性はおのずと高まる。


 日本において、生産性が低いと指摘されるのは、労働者の質が悪かったり、日本人がルーズだからではない。賃金が低く、付加価値も低く抑え込まれているからであって、労働者の持つ価値を引き出していないのだ。つまりは経営者が無能なのか、組合がまともに機能していない結果だ。



 確かに、一般論として財政は均衡されるべきかもしれない。

 しかし、財政の為に国民が居るのではない。国民の為に財政があるのだ。
 経済とは、経世済民の謂いのはずだ。

 これからおよそ20数年。日本社会は厳しい時代を乗り越えなければならない。
 それだけに、大胆で冷静な経済の議論が必要なはずだ。

 いい加減に名古屋市民も「ブードゥー経済学」にも満たない、バカな減税政策を厳正に再考すべきだ。(いったい、河村減税になんの効果があったのか?)

 そして誰かの取り分を削減することに拍手するような、さもしく卑しい「引き下げポピュリズム」と決別し、公務員給与をまず引き上げ、地域経済を活発にすることによって、自身の経済も拡大させる、本当の経済政策に舵を切り直していただきたい。