今週に入って北海道近辺に滞留していた低気圧は大陸からの冷気の流れ込みを受けて勢力を拡大しいわゆる「爆弾低気圧」となった。
図は17日9時の気象図で、低気圧の勢力は948hPa にまでなっている。
冬型の気圧配置、冷え込みを表す等高線は南北にくっきりと並び、その本数も10本以上となった。
衛星写真をみると等高線に沿うように大陸から冷気が流れ込み、日本全土が厳しい寒さにおおわれている様子が判る。
(いずれの図表もハザードラボよりの引用)
北海道はダブルの低気圧襲来 数年に一度の猛吹雪のおそれ | ハザードラボ
この寒気の流れ込みで名古屋においても降雪を見たわけだが、それよりも厳しい条件の地域では生活を脅かすほどの降雪となっていたようだ。
追記:日本各地で積雪の影響などで死者が出ている。名古屋においても停車していたトラックが凍結路面で滑り出した影響で一人が亡くなったようだ。
岐阜県の飛騨地方では幹線道路の41号線が不通となり、生活物資の運搬が滞った。
また、広域にわたって停電が見られ、ただでさえ厳しい寒さの中電気が届かない事になる。
電気や水などは生命にかかわるインフラであって、こうしたインフラを提供するにあたっては一般の私企業とは異なる責任を負わされていることになる。
つまり、この「爆弾低気圧」の訪れているなか、送電線のメンテナンスの為に中部電力か、またはその下請け(何次かは知らない)の作業員が豪雪の山に分け入って入らなければならないのかも知れない。
公務員や公共性の高い企業というものには高い義務が求められている。
例えば、消防署員は当たり前のように火の中に飛び込んで要救助者を助けようとする、警察官は時には市民の楯となって凶悪犯に対峙する。
最近では噴火した御嶽の頂上に登って、再噴火の危険性が想定される中、自衛隊や消防、警察の要員が行方不明者の捜索を行っていた。
公務員や公共性の高い企業と一般の私企業、それも様々な条件にある企業の間で、就労条件に差があるのはこのようなリスクも加味しての話なのではないのだろうか。
こうした公共の為の危険という意味では、公務員や公共性の高い企業に従事する社員、職員と言うものはリスクを伴っている訳で、その分報酬が高い事は理解できるのではないだろうか?
そんな事をある人と話していて思いついたのだが。
新自由主義、市場経済、自由競争を信奉する者ほど給与の官民格差にうるさい。彼らに言わせると公務員は民間に比べて「不当に」給料が高いそうだ。
しかし、それは「市場原理」に任されているのではないだろうか?
どういう事かというと、もし公務員が「不当に」給料が高いのであれば、「公務員になれば良い」(こんな言い草も「自己責任」を信奉する新自由主義者に親和的だろう)
機会が均等に与えられており、職業選択の自由も保障されているのだからその「不当性」をあげつらう行為は「自由競争」を否定することになるのではないだろうか。
公務員だけではなく私企業間、職業間においても、その給与に格差があるとすれば、それは自然な「市場原理」「自由競争」によって徐々に定められたものなのであって、就職の際には各個人が職業を自由選択するば良く、実際にそうなっているのだろう。
ここでちょっと話が脇道に逸れるが。
私は日本において健全な労働組合や労働運動が死滅しかけているのではと懸念している。
日本における内需のふるわなさ、つまり、経済の再建が遅いのも、少子高齢化の進展が早く、出生率が上がらない事も、若者の間に希望が失われつつあることも、結局は労働条件を勝ち取るべき労働組合や労働運動が正常にその機能を果たしていないからなのではないかと感じる。
日本においては労働組合は産別組織にはなっていない。
各企業別に企業内組合となっているようだ。組合員は企業の社員である必要がある。
つまり、非正規雇用者はその企業で正社員と同等の労働に従事していたとしても、企業内組合には入れてもらえない。(一部、非正規社員を受け入れている組合もあるようだ)
今、連合やら民主党が「同一労働・同一賃金」という当たり前の要求をテーマにし始めた。(6年遅い!)
しかし、それなら「同一労働・同一賃金・同一条件」であるべきで、同一労働をしているのであれば非正規や一時雇に対しても労働団結権を認めるべきだろう。
非正規社員を組合から排除するのであれば連合は労働者の組合とはいえない。
話を戻す。
公共性の高い仕事には高い義務が求められる。
時には命の危険さえ冒す事を求められる。
こんな爆弾低気圧の中、停電している地域に電力を届けるため、豪雪の雪山に分け入ろうとする者や、噴火の危険がある山に、遭難者を捜索するために登って行こうとする者に。
「税金で食っている者は極楽だ」
と言えるのだろうか。
税金で食って、極楽を謳歌していたのは日本新党や新進党や民主党といった風任せの政党に所属し、口から出まかせ、仕事もせずにテレビに適当に出てチヤホヤされていただけの国会議員であって、行政職員として「税金」から給与をもらう者は、全体の奉仕者として或は国に身をささげる覚悟で職務に励んでいたのではないのだろうか。
・・・「行政職員には殉職はあるが、国会議員には無い」と書こうとして、国会議員として殉職したのかもしれない石井紘基氏の事に思い至った。
2003年2月11日に「民主党 真相究明の会」が結成され、マスコミで大々的に取り上げられた。そこに河村市長も加わっていたはずだが、いったいその後どうなってしまったのだろうか。
http://homepage1.nifty.com/kito/ishii/
単なる死者の政治利用、売名行為ではなかったのか。
売名行為、売名行為。
昔も今も変わらない行動原理。そういう意味でブレませんなぁ。
だんだんと怒れてきた。
本日報道された「民間登用」への「口利き紛い行為」も許しがたいが。
そもそもこんな声も聴く。
私が河村市長に対する批判を行っていると言うと、こういった反論をする人もいる。
「確かに、河村市長になってから、名古屋市は何か変わったとは思えない。けれど河村市長は市長給与を800万でやっている。それだけは評価できる」
は!
河村市長は市長としての給与をもらっていないから、それで何もしなくても良いとでも言いたいのだろうか?
ならば、キッチリと給料をとっても、しっかり仕事をする人物の方が良いのではないだろうか。
そもそも市長給与など名古屋市の支出にとっても小さな話だ。
トップとは言ってもたった一人の人件費なのだから。
そんな小さな話をいつまでもフレームアップしても仕方がない。
また、市長給与など河村氏本人にとっても小さな話なのだろうと思う。
何故かって?
河村氏の会社である河村商事はいったい名古屋市から年間幾ら収益を上げているのだろうか。
春日井、小牧、大府に巨大な古紙回収センターを設置して、河村商事のあずき色の古紙回収車は名古屋中を走り回っているではないですか。どれだけ儲けているのだろう。
http://www.kawamurashoji.jp/profile/yard.html
儲けて悪いと言っているのではない。
あたかも自分だけは清貧であるかのようにふるまう姿勢が事実とは異なると言いたいだけだ。
「河村さんは市長として稼ごうとは思っていない」という方には、あの河村商事のあずき色の古紙回収車が見えないのだろう。