市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

モノへのこだわりとは

 名古屋城天守閣木造復元に関わるタウンミーティングが続いているようだ。
6日の熱田区を皮切りに、12日(土)港区、13日(日)千種区と実施されたようだ。

参加された方からレポートを受け取ったり、会場での発言を聞いたりすると、どうもポジティブな話は聞こえてこない気がするのだけどどうなんだろうか?

市民の間にも話題とはなっていない。

あまりに特殊で個別な事例にとどまっているように思えてならない。

さらに、唐突だ。

 今、天守閣を木造化するという理由が見当たらないし、そもそも河村市長のマニフェストにも無かった話だ。それどころか、最初のマニフェストではいわゆる「ストップ アンド シンキング」の掛け声とともに「4大事業」と言われたものをすべて止めたのが河村市政だ。

 さらに、減税政策を進めて「行政支出の削減」を進めているはずなのではないだろうか?
 そういった主張と、名古屋城天守閣木造化復元という、非常に奇異な、そして巨額な予算がかかる公共事業の推進とは、全く整合性が取れていないように見える。

 一般の市民から見ると、「河村さんも最初の内は公共事業を止めようとしたけど、結局、巨大ハコモノを作りたがる他の首長と一緒だね」と映るだろう。確かに、少しも変ったところはない。

 この1期河村市長が止めた4大事業というのは、(1)名古屋城本丸御殿、(2)東山動植物園の再生、(3)クオリティ21城北(名古屋市立西部医療センター+陽子線治療センター)(4)モノづくり文化交流拠点の4つである。

 この内、本丸御殿は完成して、河村市長もご満悦の様子で、お気に入りになられたようだ。その勢いで天守閣も木造化を言われているのではないかと思うのですけど。だとすれば、「ストップ アンド シンキング」を「ストップ」させたご進講の薬が効きすぎた感もありますね。

 ま、それはさておき。
 西部医療センター+陽子線治療センターも完成しました。工事停止期間の損害賠償についてはまだ裁判が控えているようです。東山動植物園の再生事業も進んでいるようです。また、(4)のモノづくり文化交流拠点については河村市長が港区、稲永地区に国際展示場を移転建設する方針を打ち出されて、当該地域の企業と話し合いが行われているはずなのですが、どうにも遅々として進んでいないようです。河村市長になって、名古屋市の行政は非常にスローダウンしておりまして ― まあ、仕方がありませんね。「ストップ アンド シンキング」 と言われるように、じっくり慎重に、そして市民意向を伺って進めるのが河村市政、民主主義発祥の地、名古屋の手法ですから − こうしたスローペースの影響で、西部医療センターにおける業者の損害に繋がっていたりするのでしょう。

 また、このモノづくり文化交流拠点については、結果として一体どういった形になるのか、その一端であるレゴランドのオープンを控え、今に至るも名古屋市から明確な青写真が出てこないというのは凄い事だと思います。あるいは、現在同じ金城ふ頭にある「JR東海 リニア・鉄道館」の向こうを張って、そのあおなみ線の沿線であるささしま周辺に「鉄道館」を作るという案もあるようなので、いったい金城ふ頭はどのような姿になるのか、非常に楽しみであります。(ここでご注意申し上げておきますが、この辺の記述、私は<心にもない事>を書いておりますことを吐露しておきます。いわゆる「棒読み」でお読みいただけると幸いです)


 ・・・まあ、ありていに言えば、今の名古屋で名古屋城の、それも緊急性も必要性も感じられない木造化復元など、話し合っている場合であろうとはとても思えない。

 こうして全区でタウンミーティングを開催するのであれば、「都心回帰」が見られる老齢人口、つまり名古屋市内に流入してくる老齢人口に対して、防災や医療、交通というインフラを支えるという意味において、研究し、議論すべき課題は幾らでもある。(NHKが取り上げた、無届介護施設の問題もあるね)

 また、誰が考えたってリニア開通に向けて名駅地区と名駅東口、更には西区やら栄地区といった都市間のアンバランスについて、名古屋市はどのように青写真を描いているんだろうか?

 奇しくも大村知事が愛知県知事再選を目指して拠点とした元明治屋ビル。名古屋市の中心地。その隣に広大な空き地(いわゆるコインパーキング)が現れている。

 恐ろしい事に、この名古屋市という都市は「街づくり」について、補助金などで民間誘導するような施策が今一つもないのではないのだろうか?

 無いよね、すごいよね。

 なんでも現在、横浜の臨海部に本社を移す法人が増えているそうだ。
 減税でもやっているのかって?

 全然。減税をやれば人や企業が流れ込むという話がどこかであったような記憶がありますが、そういった現象は今、横浜市で起きているようで、不思議ですね。(ここもおおいに棒読みで)

 その他にも議題なんぞいくらでもあるのではないでしょうかね。
(と、ここで別件で電話が入り1時間ほど中断。なので本論まで到達せず)

やはり、小人物は己が名を残したがり、
それも人格に自身が無い者は、モノにこだわる。

商業主義、コマーシャリズムは「こだわり」に対して肯定的な価値観を付与していますが、人間を縛り、在らぬところに連れていくのもこの「こだわり」というものですからね。この「こだわり」が自分の自我を形成するというような思い込みは非常に恐ろしいものがあります。本来、仏教というのはこういった「こだわり」(執着)から人間を解放する教えだったと思うのですが、なんだか現代の社会では逆に作用していますからね。

 といったところで、時間切れになりました。

 こういった「モノへのこだわり」に対して含蓄ある一文があります。

 伊藤肇さんの「現代の帝王学」その207ページより。少々長くなりますが引用させていただきます。

「老醜」がわからなくなった時が「老醜」

 ある財界人が周囲に煽てられて銅像を建てる気になった。
 文明評論家の中野好夫*1ではないが、「自然のままに繁り、自然のままにうつろう。そして後はひっそりと消える。自然こそは美しく老い、そして美しく死ぬことを最もよく訓(おし)えてくれている。それだけに死後にまで、ものものしい銅像だの、記念碑だのを乱立させるのは、要するに金クソ、瓦礫の山を築いているだけの業にしかすぎまい。それも故人になってからならまだしも、生きながらの金クソにいたっては、むしろ、あわれである」
 しかし、この財界人の銅像への執着は強かった。いてもたってもおられなくなった側近が、「何とか、やめさせる方法はないか」と泣き込んできたので、「じゃ、俺が一文を書くから、それを会長にみせてやれ」といってアランの箴言を解説した。

「青年ハ愛ヲ欲シガリ。壮年ハ地位ヲ欲シガリ、老年ハ貪欲ニナッテ、地位モ金モ名誉モスベテヲ欲シガル」のである。たしかに、疾風怒涛の青春時代は恋こそがすべてである。そこには打算の一かけらもない。人は「盲目の恋」と笑っても、恋は盲目なればこそロマンがあり、命がある。それが青春の午後ーー壮年にさしかかると、人間もだんだん現実的になってきて、さまざまな野望が頭をもちあげてくる。

 もちろん、野望が悪いわけではない。『葉隠』にも「名利を思うは武士にあらず、名利を思わざるも武士にあらず」とあるように、名利、つまり自分の名声や地位だけを求めるのは武士の本分に反することで嘆かわしいことだけど、といって、全く立身出世を求めないのも武士として嘆かわしいことである。というのは、地位が上がれば、それだけ大きな仕事ができるからで、少しでも立派な仕事を実現したいと思ったら、それにふさわしい地位を求めるのが当然である。

 だが、その地位は、人間が人間を支配する力のシンボルであり、別名を権力という。しかも、その権力は Poison of Power <権力の毒>という言葉があるぐらい、人間を麻痺させ、堕落させる。さらに皮肉なことには、この権力は塩水のように飲めば飲むほど渇いてくる。得れば得るほど、やすらぎが去り、不安と憔悴が後から後から押しかけてくるのだ。

 銅像といわず、墓などを見ても、位階勲等や生前の栄職などをでかでかと刻み込んであるのを見るとげんなりする。あれは死んだ人間よりも、むしろ後に残っている家族の世間的虚栄心の凝結したものだろうが、死者のためには心なき仕打ちである。死ぬということは、人間の利害得失や是非善悪の一切から脱出して、天地の巨室に永眠することではないのか。そこへわざわざ、正何位勲何等前何々などと刻み込まれてはやりきれない。それよりもせいぜい、「アルツール・ショーペンハウエルの墓」とするだけのほうが好もしい。

 会長に是非読んでもらいたい一節がある。それは松浦静山の『甲子夜話』に出てくる「跡なき工夫」である。*2

 雲ー大事を做(な)し出すもの、必ず、跡あるべからず。跡ある時は、禍(わざわい)必ず生ず。跡なき工夫如何。功名を喜ぶの心なくして做し得べし。

<跡とは、何かを行った後に残るしるし。大事をやった後に、そういう形跡があってはならない。跡があると、必ず禍が生ずる。では、どうしたらいいか。それは功名を喜ぶ心を捨てて、無心にやったら、できることでしょうか>

 水ー是も亦是なり。功名を喜ぶの心なきは、学問の工夫を積まざれば出まじ。周公の事業さえ、男児分涯のこととする程の量にて、はじめて跡なきようにやるべし。然らざれば跡なき工夫、黄老清浄の道の如くなって、真の道とはなるまじ。細思商量。

<お説の通りです。そのためには、よほど学問をしなければなりません。千年王国を築いた周公の事跡も男一匹の仕事とするぐらいの度量があって、はじめて跡のないようにやれましょう。そうでなければ、いわゆる老子流のニヒリズムになってしまって、真の道とはなりません。特に綿密に思索し、徹底的に検討されたい>

 自民党参議院議員の夏目忠雄は「父不記。子不伝」<父記セズ。子、伝エズ>の禅語を座右として、日夜、精進しているというが、それほどまでに徹底しなくても、せめて在原業平の歌うらく、「白玉か 何ぞと人の 問いしなば 露と答えて 消なましものを」という心境くらいはもっていたいものである。とにかく、生きているうちに銅像を建てるなどという愚行は、一刻も早く思いとどまってもらいたい。事業家、財界人として赫々たる仕事をしてきた会長のために惜しむのである。

 一週間ほどしたら、当人から電話がかかってきて、「銅像など、建てるつもりはない」といってきた。

 あたかも、その日、イタリア・ネオリアリズム映画の監督、ロベルト・ロッセリーニの訃報とともに箴言が紹介されていた。
「私は銅像になりたくない。世間はたぶん、私が台座の上でポーズをとることをお望みかもしれないが、私はそんなところに上がりたくない。記念碑にはなりたくないのである」

*1:引用者注:英文学者、戦後リベラルの発言者。息子である中野好之と二代でギボン「ローマ帝国衰亡史」を翻訳する。息子の好之は保守論客。「もはや戦後ではない」という言葉は彼の評論の題名から来ている

*2:引用者注:巻の三十九「水雲問答」雲とは白雲山人の事であり、上州安中の板倉伊予守勝尚侯(卓山)を現し、水とは墨水漁翁、幕府大学頭林述斎である。両者の往復書簡を編纂したもの