大阪市の住民投票
5月17日に大阪都構想に対する住民投票*1の結果が出た。驚くほどの僅差で「反対」が上回り、いわゆる「大阪都構想」は断念される事となった。
しかし、この結果はある意味では残念でもあった。
維新の党など、いわゆる「改革派」は今後も何かにつけて「あの時、大阪都さえ実現していれば」というような言葉を投げかけてくる事だろう。いっそ賛成が上回って、現実に大阪市が特別区に分割されて、それでいて維新の党が説明するようなメリットが生まれるかどうか、具体化させた方が良かったのかもしれない。
この選挙は見事なまでに住民を3つに分けた。賛成と反対と棄権である。
この内、賛成に投票した人の理由は「二重行政が解消される」であるとか「思い切った改革が必要であるから」とか「大阪の経済発展につながるから」というようなものであったらしい。実はこの理由こそ信憑性に問題があり、同時に反対派の理由ともなり得るものだったのではないだろうか。つまり、「維新の党の説明のように二重行政が解消される効果がどの程度であるのか不明である*2」とか「思い切った改革をしても必ずしも成功する保証はない*3」「本当に経済が発展するのか*4」といった「懐疑」である。つまり「賛成派」と呼ばれる人々は、維新の党、または橋下市長を信じることができる人であり、「反対派」と呼ばれる人々はそれらの発言を信じることができない人たちだったという事ではないのだろうか。
こうして見てみると、結局この選挙というものは、日本社会における都市機能といった大きなグランドデザインについての有権者の意思を量ったものでも、「改革」なるモノに対する国民の渇望/信憑を量ったものでもない。議論はそのようなレベルには達していなかった。
あるアンケートによると、賛成反対を問わず、「都構想についての橋下氏の説明」について、充分ではないと思っていた人が約75%に上っている。
維新の党の大きな失敗は、こんな生煮えの議論をこの時期に住民投票として提示したという判断の甘さにあったのだろう。勝てると思っていたのであれば、傲慢だったのだろう。結果を見るように僅差であったこと自体、遺恨を生み出すだけだ、この辺りは後述する。
結果として、大阪の住民投票は橋下氏や維新の党を信じられるかどうかといった「人気投票」の性質を帯びてしまった。
いや、この言葉は本質をついていない。選挙などというものは、本来「人気投票」なのであって、投票行動に高邁な政治理念やら高度な社会理論や行政論は反映されない。
今回の大阪維新の党、橋下氏の蹉跌は、不十分な説明で特別区設置を強行しようとした不誠実な態度に対する大阪市民の反発を甘く見たということではないだろうか。
松阪市の住民投票
三重県の松阪市でも議会リコールを掲げて、住民投票が行われるようだ。
松阪市では改革派の中山市長が市立図書館をPFI事業として改革しようとして議会から否決され、市長辞職まで言いだしていた。
http://www.asahi.com/articles/ASGDJ44S7GDJONFB008.html
例の「武雄モデル図書館」とは異なるようだが。
武雄市の樋渡市長を講師に松阪市図書館改革
山中市長の支援者が図書館改革に抵抗する議会に対してリコールを掛けようとしているが、果たしでどういった結論になるだろうか?
私は厳しいと見ている。
議会解散の住民投票を求める署名は集まるかもしれない。(第一のハードル)
しかし、それによって住民投票を行い、それで解散多数を得なければならない。(第二のハードル)
更に、解散が成立しても、選挙によって再構成される議会で市長与党が多数を占めなければならない。(第三のハードル)
名古屋における議会リコールでは第三のハードルが越えられなかった。
それでも、改選選挙の際に「議員報酬半減」というスローガンが(ろくに議論されないまま)力を残して、議員報酬の半減は実現化されてしまった。名古屋市会における議員報酬の半減が、リコール請求者側、市長側の主張のように、理のある物であったのか。それは今後、検証、議論されなければならないが、それはさておき。
議会のリコールを求めようとするのであれば、議会自体に問題が無ければ成立しない。
名古屋において、議会リコールが成立した理由は、それを主導した市長に対する信任ということではなかった(ましてや、市長の政策(減税、地域委員会、議員報酬等)に対する政策的信任などではない)名古屋において議会リコールが成立した理由は、それ以前に名古屋市会において起こった様々な破廉恥な金銭問題に対して、市民が不信を抱いたからであり、その議会に対する不信感と、制裁の感情の発露であってそれ以上の意味は無かったように思える。(もちろん、マスコミの悪疾である「住民の意思の無謬性」という「構え」の問題はある。マスコミはスポンサーと住民(=視聴者)を批判できない)
もっと、有体に言うと、この選挙の成否は「名古屋市民が名古屋市議会が好きだったか、嫌いだったか」という事に尽きる。そして当時、名古屋市会はマスコミに煽られた名古屋市民に嫌われてしまった。
松阪市ではちょうど名古屋市でやろうとした地域委員会に似た「住民協議会」が成功を納め、その影響で議会に提出される請願や陳情が激減しているという。
https://www.city.matsusaka.mie.jp/www/genre/0000000000000/1000000000165/index.html
つまり「松阪市民は議会を好きとも思っていない」のかもしれないが、かといってリコールを実現させるほど「嫌って」いるようにも思えない。松坂市議会にそれほどの問題があるとも聞いていない。
このリコールは走らせてしまうだけで、山中市長を追い込む「詰めろ」になっているように見えるが、果たしてどのような結果になるでしょうか。
小牧市の住民投票
さて、小牧市でも住民投票が行われるようだ。
大阪都構想をめぐる住民投票で反対派が勝利 : 瑞穂図書館を考えるblog
こちらは、小牧市の山下市長が進める「武雄モデル図書館(ツタヤ方式図書館)」に対し、その建設について賛否を問う住民投票になりそうだ。
小牧市の新図書館建設については、私が見るところ山下市長には理が無い。
小牧市にはすでに「新小牧市図書館基本計画」という文書がある。これは長い時間をかけて小牧市民に対してパブリックコメント、意見交換会、関係各団体に対するヒアリングなどを求めて策定されたものだ。
この基本計画には「図書館は小牧市の直営による運営を行っていきます」(p.45)と明記されており、「武雄モデル図書館」とは整合していない。その他にも色々な齟齬があり、詳細については別稿で述べている。
そもそも何が問題なのか:小牧市立図書館問題
この問題に関しては、小牧市民の注目度も高く、賛否いずれにしても住民投票が行われる事にはなるのではないかと感じている。そもそも話をこじらせたのは山下市長の側で、そんなに強硬に「ツタヤモデル」を進めなくても、タウンミーティングぐらいは実施すれば良かったのではないかと思えてしまう。
山下市長の強引な姿勢は、母体である自民党からも批判を生んだようだ。
そしてこの場合、住民投票を求める運動体にとって、最終的な賛否はあまり関係ないのかもしれない。山下市長の強引な姿勢に対する批判を掬い上げて、住民投票を実施すれば、建設中止に持ち込んでも、建設中止は実現できなくても、運動体にとっては大きな「利」を得ることができるのだ。
住民投票とは
こうした三つの住民投票の内、二つはまだ走り出しても居ないので、どういった形になり、どのような結論が得られるかは判らないが。
住民投票というのは、<その対象>に対する「人気投票」でしかない。
と断じてよいように思われる。
住民に対して如何に対していたか、または対していたように思われているか。
それを量るのが住民投票なのではないだろうか。
また逆に、住民投票という運動(その前にそれを請求する署名収集)が、その対象に対する「好悪」の感情を埋め込む働きもする。
と、いうよりも、ある意味では、その為の運動であるのかもしれない。
そして、住民にしっかりとした説明責任を果たし、誠実に対応しようとすれば、政策を提案するものは、その政策をしっかりとした政治哲学の上に打ち立てなければならないし、それを説得力のある理論、実証で説明できなければならない。こうした基盤や造りが怪しい政策では、生煮えの議論を振り回すことになる。(単に「正しい経済学」と言い続けてみたりね)
ここで先ほど「後述する」とした論点に戻る。
大阪維新の党の一番明白な誤りは、こうした生煮えの議論を、賛否相半ばする議論を、乱暴に地方自治の上に持ち出したという点にある。橋下氏は選挙結果を受けた記者会見で「叩き潰すつもりが叩き潰された」と語っているが、「反対派」は叩き潰すつもりなど無かったのかもしれない。十分な説明を求めていただけの人々も居ただろう。それが得られなければ、性急な「賛成」はできない。なぜならば、「賛成」を表明して大阪市を分割してしまえば、後戻りはできないのだから。(そして、ここでも維新の党は信頼を失う。土壇場になって反対派に反論する形で「後戻りは可能」と言いだしたのだ。総務省は可逆性を否定している、初期の維新の党の説明とも食い違っていた)
選挙結果を受けて、年代別の投票行動を捉え「シルバーデモクラシーに改革が阻まれた」というなんとも根拠があやふやな主張も持ち出されている。
これについてはこういった論考がある。
【謎】大阪都構想の住民投票の世代別の賛成・反対投票率がどうも妙な件。 – LH MAGAZINE
大阪での投票傾向には地域差が発生していた。つまり、賛否を問う出口調査を行うのであれば、こうした地域差に配慮したサンプル分布を諮らなければならない。更に出口調査という性質上、どこまでも厳密な調査が保障されている訳ではない。
なので、この論考でも述べられているように、この「シルバーデモクラシー」なるものの論拠となっている調査グラフについては少々慎重に対応した方が良い。(慎重に対応するという事は、このグラフから演繹して何かを言わないということだ。このグラフは軟弱な地盤なのであって、この上に複雑な論理を構築すれば、その結論はどこまで歪むか判ったものではない)この場合、開票で操作が行われた、とか組織的な陰謀があったなどという「複雑な説明」よりも、単に「調査グラフ」が「賛成優位」の地域から得られた、歪んだものだったと推測した方が「簡単」でコストが少ない(オッカムの剃刀)というものだろう。
追記:上記出口調査は投票日当日の物で、期日前投票においては反対派が優位であった。つまり、出口調査の比率には偏りがあるという論考があった。
また、評論家の江川紹子は女性票が男性票を10万票上回っているが、出口調査では男女をほぼ同数としている。この偏りが食い違いを生んだのではないかという見立てをしている。
辛坊治郎氏に贈る大阪市の住民投票結果の分析(渡辺輝人) - 個人 - Yahoo!ニュース
住民投票は地域に亀裂を生じさせる。それは行われない方が良い。しかし、小牧の場合のように、為政者側(首長)がその説明責任を果たさず、住民意向を一方的に破棄するような場合は仕方がないだろう。それは為政者側が亀裂を持ち込んでいるといえる。(小牧の住民は、山下市長に繰り返し説明会の開催を求めている)
住民投票というのは、住民が抱く一方への「イメージ」を強化する。
特に「リコール」というようなネガティブな「イメージ」は強力な破壊力を持つ。
それは「破壊」でしかなく、再構築の力にはなりにくい。
なぜならば「破壊」によってもたらされた地域の亀裂は修復し難いからだ。
それゆえ、狭い地域で選挙を強いる「(名古屋方式の)地域委員会」には断固反対する。また、名古屋市において行われた先の議会リコールは真っ当なものとは思われない。今後も、いたずらに対立を地方自治に持ち込む政治的態度には疑問を投げかける。
特に、首長は自らが統治しなければならない地域に亀裂を生み出す愚を理解すべきだ。
首長自らが住民投票を持ち込んで住民を分断し、おもちゃにするような事はあってはならない。
首長は本来、こういった利益相反する両者の間に入って、熟議を尽くすように促す立場であるべきだ。それが判らない者は首長になるべきではない。(そんなに批判ばかりをしたいのであれば、責任の無い野党議員でもしている事だ。そうすれば税金で食って極楽を味わえる)
追記として。
大阪は住民の意見が真っ二つ(考え方によれば3つ)に分かれてしまった。
ここで重要なのは、賛成派の論者であろう。
敗北した賛成派の論者は、何が理解されず、どのような理由で、賛成派が敗北してしまったのか。今こそ語る義務がある。(上山信一氏やら高橋洋一氏、それと竹中平蔵氏もその一端を担っていましたかね)
そして、賛成派が目指した大阪市の改革なるモノを、今後どのように実現させ、住民に説明していくか、その義務があるだろう。
改革すべきと思っていたのであれば、問題点が有ったのであろうし、それはまだ解決していないのだろうから。ここで口を噤む賛成派の論者が居たとすれば、そういった人々は、単に無責任に騒ぎ立てただけで、こういった問題点に対する解決を模索していたのではないという事になるのではないだろうか。
元滋賀県立図書館長であり、「図書館からの贈り物」の著者でもある梅澤幸平さんが名古屋において講演会を開く。
この前日(6月13日)には小牧市において、図書館問題を考える市民と懇談会を開かれるようだ。
6月13日(土曜日)14時
小牧市中部公民館大会議室
ご興味のある方はどうぞ、ご参加ください。
それとこちらは、・・・説明が難しいのでご覧の通りです。