市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税日本卒業試験(後篇)

 2月20日の名古屋市会、総務環境委員会において委員間討論が行われた。

 4年前リコールを受けた名古屋市会が改選時期を正常化するために、選挙管理委員会は今年の改選において、市議会を一か月空白*1とする判断を行った。総務環境委員会はこれに伴う予算の繰り越しを審議する上で、そもそものリコールの意味を問う委員間討議が行われた。

 議会をリコールする事にリスクが伴う事は認識されていたのか、また、そのリスクを冒してまでリコールするほどの価値が有ったのか。


 委員間討論の中でもリコールの価値が語られる事はなく、リコールによって生まれた会派、減税日本ゴヤの自己弁護の発言が目立つ次第となった。


 4年前のリコール署名運動、その後の議会解散を求めるトリプル選挙(同時に大村知事誕生の知事選挙と、意味不明の辞職を受けた名古屋市長選挙*2が行われた)において、議会解散の是非は議論されてこなかった。「年収2400万円で80日しか働いていない」という事実に基づかない(敢えて「虚偽」と言っても良い)発言に扇動され、あたかも「既存議会は既得権の巣窟。既存議員は悪の存在」とでもいうような「ムード」に押し流されて、議会解散こそが「民主主義の勝利だ」という論調がまかり通った。

 市議会解散の投票結果は、解散賛成 696,146票、反対 252,921票。比率は73.35:26.65 圧倒的に解散賛成が多いのだ。

 つい先日、ある人と会話をしている時に「あの時、なぜ名古屋の市民は議会リコールが『正しい行動』と思ってしまったのだろう」という会話をしていた。

 政治というものは時として熱病のように全く間違った選択を行う。

 日本の社会では「空気」と呼ばれるもの、最近では「風」と呼ばれる理屈にならない力が、政治を捻じ曲げていく。

 こうした傾向には、主に次のような登場人物が居る事に気が付く。

 1)視野狭窄 ー まったく、事実を確認しないまま、ただその時々の「ムード」に付和雷同して同調する人々。

 2)エライ人の言う事を信じる人 ー これも事実確認が甘い人々。なにやら権威がある人、偉い人、肩書のある人の言う事を無批判に受け入れる人々。*3

 3)判っていて利用する人 ー いわゆるデマゴギー。場の空気に流される事がどのような結果を招くか考慮しない。ただ場の空気を利用しようとする人。

 当時、リコール運動においても、それを利用して市議会に議席を獲得してみようという人々がいた。その人々にとっては、名古屋市民の生活や市議会の意味などどうでも良かったのだろう、自分の「自己実現(?)」の為に議員に成れれば良かったのだ。

 中心に(3)のような人々が居て、それを(2)のような人々が拡大する。*4そして、最後に圧倒的多数の(1)が巻き込まれて73.35%になる。

 あの時、議会解散に「賛成」票を投じた人々にお伺いしたい。

 「本当に、なに考えていたんですか?」と。


 やっと4年経って、こうした出来事を俯瞰的に検証してみると、あのリコール騒動とは議会の空白を発生させるという文字通りの「民主主義の破壊」でしかなかった。*5

 当時、ムードに押されて叶わなかった議論がやっと実現できたといえるのかもしれない。


 改革を言うものは、改革によって生まれるメリットを説明する責任がある。
 リコールを進めたものは、リコールによって得られたメリットを明示する責任がある。

 今、減税日本ゴヤに対して問われているのはこれだ。

 リコール自体による改選時期のずれという具体的な問題も発生する。このリコールによって改選された名古屋市会が混乱を続け、不祥事を起こし続けたという事実もある。

 そのようなデメリットを生みながら、リコールを進めた人々は、そのデメリットを超えるメリットを提示する義務があるだろう。または、そのメリットを得られなかったのであれば、得られなかった理由を説明する責任がある。そして、政治という舞台では結果責任が問われるのであって、リコールによるメリットを市民に提供できなかったのであれば、リコール署名を行い、議会解散に賛成した市民に謝罪する義務があるだろう。

 一時間にわたり続けられた委員間討論は減税日本ゴヤに対して「謝罪をされたらいかがか」という問いかけに至った。ここで減税日本ゴヤの団長でもある鹿島委員から次のような発言がされた。

 我々が議員としてこの4年間やってきた事を詫びる気持ちは全くありません。
 それは市民の方が判断される事だと思います。

 ここに至って委員間討論は打ち切られた。 



 さて、ここから図らずも、この議論自体が減税日本ゴヤの問題点を改めて浮き出させる事となった。舞台は2月27日の本会議に移る。


 この2月定例議会は予算議会であるので、予算以外の案件を前半で審議し、予算関連案件は後半で審議される。20日に行われた委員会審議は予算以外の案件であって、それについては27日の本会議で委員長報告が行われ、議決がなされる。

 総務環境委員会の委員長報告に、この委員間討論と付帯決議が盛り込まれていたが、その中の鹿島委員の先の発言が問題となった。

 委員間討論の最終の発言でもあり、委員長報告には会派や個々の委員名を挙げておらず、このような意見もあったという報告ではあったが、総務環境委員会の副委員長である減税日本ゴヤ大村市議がこの委員長報告を受けると、減税日本ゴヤはこの記述を問題視し、団会議まで開いて対応を協議したらしい。

 大村副委員長は岩本委員長に、なぜこの発言を記載するのかと詰め寄ったそうだ。

 岩本委員長としては発言を歪曲したわけでもなく特定の会派や個人を特定したものでもない事などを説明したが納得を得られず、本会議中にも関わらず、議場の周辺で減税日本ゴヤの数名の議員が集まっては協議していたそうだ。(余語、山田、冨口、それと大村*6

 最後には、岩本委員長に「もしこの発言部分を報告するのであれば、議事進行をかけて疑義を述べる」とまで告げられたようだ。

 ここで、また一つ4年前の議会リコールの影響が影を差す。

 この2月27日には夕方から名港議会が開催される予定となっていた。

 名港議会というのは、名古屋港管理組合の議決を行う機関であり、愛知県議15名、名古屋市議15名で構成される。当然、通常は昼に開催されるものだが、名古屋市会の日程がタイトなことから27日の夕方開催となった。*7

 本会議で動議が出されるなど、議事が混乱すると名港議会、県議会にまで迷惑が及ぶ事態となる。そこで岩本委員長は委員長判断として発言部分を削除して報告を行った。


 さて3月2日、後半の審議を行う委員会が開催され、その中で27日の岩本委員長の本会議報告について委員から何が有ったのか説明を求められた。そこで大村副委員長から申し入れがあり、委員長報告の内、鹿島委員の発言について削除した事が告げられると各委員から疑義が発せられた。

 私もこの大村市議の行為は次の2つの理由から誤りだと思う。

 一つは、委員会の正副委員長というのは会派を離れた存在であるべきで、公平、公正でなければならない。大村市議は副委員長という立場にありながら、自会派の委員である鹿島委員の発言を委員長報告から削除しようとするなど会派の代理、代表というような行動をとっている。

 これは本来党派にこだわらず、全体の奉仕者であるべき公務員、市長という立場を理解せず、自分の支援者の声にだけ耳を傾け、自分を批判する者の意見を聞こうとしない者が代表を務めているのだから、その下に付いている減税日本ゴヤの市議が間違って心得てしまう事は仕方のない事だろう。湯川市議の委員長解任の教訓も理解されないままなのだろう。


 二つ目は、そもそもなぜ鹿島委員の発言を委員長報告から削除しようとしたのか。鹿島委員の発言自体は委員会の議事録には残るものであって、それを委員長報告から削除したところで隠しおおせるものではない。

 なぜ、自派の委員が発言した事を隠さなければならないのか?

 これが「隠ぺい体質」でなくて何なのか?

 もう一度鹿島委員の発言を見てみよう。

 我々が議員としてこの4年間やってきた事を詫びる気持ちは全くありません。
 それは市民の方が判断される事だと思います。


 市民の判断にゆだねるという見解はこれはこれで良いのではないのだろうか?
 本当に、なぜこんな発言を隠そうとしたのだろうか。


 残念ながら減税日本ゴヤの市議の皆さんは4年間不毛な時間を費やしただけだ。
 (それは同時に、名古屋市民にとっては無駄な議員歳費の支出になったと言える)


 河村代表の歪んだ議会制民主主義の理解を疑問も持たずに受け止めてしまったために、議会というものに対する理解が歪んでしまっている。

 さらに、自分を肯定する者に対しては対話が可能でも、自分を否定する者との間では対話ができない。つまり「他者」との対話ができないままでは「議論」はできない。

 減税日本ゴヤの市議の皆さんは、「仲間内でのおしゃべり」はできても「他者との対話・議論」はできない。減税日本の中で議論が成立していないがために、このような場面でも議論ができない。そして会派内でも健全な議論ができないためにちょっとした利害や意見の相違で会派が割れる結果となってしまう。

 こうした意見や利害の相違を調整する技術が議論であり、その議論のプロが議員である筈なのだが、「他者との対話・議論」ができないのでは議員など出来る筈がない。


 これはひとえに指導教官であるべき河村代表の無力、無能の結果ではあるけれども、減税日本ゴヤの市議の皆さんは卒業試験不合格という事になりそうだ。(それで「留年」されてもたまらない、「単位未達、放校」という事でお願いしたい)



http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/62239.html


住民投票制度のプレビシット的運用⑴ 小林武

#866276


*1:3月12日任期満了、4月12日改選

*2:プレビシットである

*3:発言者の属性を確認して、権威があると受け入れ、権威が無ければ受け入れない。主張の中身について自分の頭で考えようとしない。この外部的な属性だけで判断する。その為装丁さえ整っていればコロリと騙される人々でもある

*4:この場合権威とは、個人の属性だけではなくテレビや新聞といったマスコミもそうなるだろう。人々は散々騙されていながら、未だに新聞やテレビの発言を「事実」と受け止める

*5:住民の意見を行政に強制できる機関が不存在となるのは「民主主義の破壊」以外の何物でもない

*6:敬称略

*7:この議会は非常にスケジュールがタイトになっている。/ 一部では今定例会を「SL議会」と呼び、河村市長肝いりのあおなみ線SL運行の調査費、約2000万円を議会が否決するのではと期待する声もある。そうなると河村市長は「再議」を掛ける可能性もあるのだろうけれども、再議する議会はもうない。/ 河村市長周辺では「SLを選挙の争点に」という声も上がっているようだが、自業自得というべきか、再議にかけようにも議会が存在しなくなってしまうのだ