3604は謎の数字
今朝の中日新聞では2つ面白い記事が載っていた。
一つは「鳥久の解体が始まる」という話題で、もう一つは減税日本が愛知一区に広沢県議を立候補させるという話題だ。鳥久問題については後に譲るとして、愛知一区の事情から。
愛知一区の前回リザルトは
自民 熊田 裕通 77,215票
未来 佐藤 夕子 60,293票
民主 吉田 統彦 36,578票
共産 大野 宙光 15,512票
となっている。
佐藤元代議士を東区の市議として擁立することは既定の方針であり、その為に現職の近藤市議に立候補を断念させているほどだ。
そこにこの解散、ここに河村市長が国政復帰を目指して立てば、おそらく8万票は固いでしょう。充分熊田候補にも勝てる。しかし、一つ懸念がある。それは第三極の候補がここに立って、反自民票が割れる事なのでしょう。その場合選挙モンスター河村たかしも敗戦の憂き目を見ることになる。
しかし、だからといってここに広沢県議を立てるという選択。
広沢県議の能力をけなすわけではないですが、県議を一期やっただけの人物が、諸派として議席を獲得して何ができるのでしょうか?この擁立は「党利党略」という理由以外、理解ができない。
一時は国政政党を目指した「減税日本」
金城湯池であるべき自身の選挙区においてすら、絶対勝利の確信をもった選挙戦が展開できない。これが「河村たかし」の現在の姿という事なのでしょう。
その他に、解散に伴って自民党にも民主党にも言いたい事は色々あるけれども、それぞれ一つずつ。
「アベノミクス」が失敗した理由をBBCが手際よく指摘している。
Japan's economy makes surprise fall into recession - BBC News
大規模な金融緩和は円安をもたらして輸出企業を助けた。(外需主導だった)
また、金融緩和は国内では株価を押し上げ、株式保有層に恩恵をもたらした。
しかし賃金は上がっていない。その為個人消費が振るわず、経済が活性化しきれていない。(内需が振るわない)
ここで本来行うべきは、内需を刺激する政策。社会保障の拡大、生活保護の拡大、若年層雇用の安定化。賃金の引き上げである。(人事委員会の勧告を無視して職員給与を引き上げないといったような低劣なポピュリズムの事例を含め)引下げデモクラシーから決別し、拡大の経済を行わなければならない。人口動態が劣化している中で「拡大の経済」は異常だと言われるかもしれないが、そうではない、現在が異常に縮小しすぎているのだ。
民主党には2つ言いたいことが有った。
今回の安倍政権の解散に大義がないというのは説得力が無い。
それを言うと民主党には政権打倒の意思が無いのかと思われてしまう。民主党が政権を狙う党であるのなら、常に解散は歓迎すべき機会の筈。事実上それは逃してしまっているものの、それでも解散に戸惑う姿は政権交代を狙う野党第一党の姿ではない。
また、民主党政権においてGDPは5%拡大したという説明があるようだが、ネット内でこんな図表が転がっていた。ドル建てでGDPが5%上がったというのは、単に円高が進展しただけではないのか。
これではマヤカシの説明になってしまうし、有権者の実感とも離れてしまう。
有権者の実感を掴めない者に票は訪れない。
さて、次の鳥久問題に移ろう。
鳥久問題
鳥久さんは私の言う「コロンブスの卵」を「潰し始めた」ようだ。
名古屋市中村区の納屋橋に近い堀川沿いにある老舗料理店「鳥久(とりきゅう)」の旧店舗の解体計画に対し、河村たかし市長が待ったをかけている問題で、工事着手を表明していた鳥久側は20日、手作業による解体を始めた。
http://www.asahi.com/articles/ASGCN3H4HGCNOIPE009.html
(略)
市長という公権力者が、恣意的に一個人の経済行為を邪魔しようとするなど放置していてはいけない。
一個人の犠牲の下に文化事業を成立させようとするなど、あまりにグロテスクだ。
なんでもこの鳥久の建物を保存しようとしたり、移築しようとする集団まで出てきたようだ。
その集団が配っていたチラシを入手したがそこに大正13年の事として小酒井不木が連句会を開いたという事例が紹介されている。これは結構な事だが、この後にこうある。
「小酒井不木は瑞陵高校出身の江戸川乱歩をデビューさせた人物でもあった。ふたりは得月楼を文化サロンとして活用したようだ」
これはオーバートークだ(というか、アンダートークというか)当該サロン(「耽綺社」)は鶴舞の寸楽園を舞台に行われていたようで、得月楼は当時、もう少々敷居が高い格式だったそうだ。
http://cat-ch.tv/nagoya-now/2011/0314/
まあ、このグループの会合が11月24日(月)午前10時から短歌会館を舞台に行われるようだ。
このグループは決定的に間違っている。
このグループが本当に納屋橋の再興や堀川沿いの賑わいを願うのであれば、一個人に犠牲を強いて、鳥久を保存しても益は無い。効果も薄い。
それよりも名古屋市長としての河村たかしに強く要望すべき事柄がある。
それは「堀川導水実験の再開」だろう。
堀川導水実験
名古屋市は3年間の社会実験として木曽川の流水を毎秒0.4t分けてもらい、堀川に導水を行った。その結果は非常に良好なものだった。
名古屋市:堀川浄化の社会実験計画(暮らしの情報)
この成功を受け、川沿いのレストランやカフェ、屋形船やゴンドラが展開された。
ところがこの「社会実験」は終了してしまう。
水利権とは関係のない水を、木曽川からお借りしていただけで、周辺市町には切実な水需要が有り、名古屋市にそう易々とは水を融通する事はできない。
ましてや名古屋市の河村市長は「名古屋には水が余っている」と木曽川の導水路事業の撤退を宣言した。周辺市町とすれば「水の余った名古屋に、命の糧の水を分ける事はできない」と思われるのも無理はない。
結局、何も動かない河村市長が「何かやっていますよ」と市民に目くらましをしようとしたのがこの鳥久問題ではないかと思っているが、その目くらましが「もう一つ」放置されたままの問題を白日の下に晒したことになる。
この「得月楼」の名前の由来が堀川に浮かぶ月の様であると言われているが、いまやその堀川こそ見る影もない。堀川周辺に展開した飲食店にとって(特に夏は)堀川導水路実験の再開は死活問題だろう。そして堀川導水実験の再開は木曽川導水路問題と密接に関係している。
この木曽川導水路事業は相生山の問題に似ている。更には平針の里山問題、西部医療センター、本丸御殿などの問題とも構図は同じだ。*1
これらの問題では、河村市長にはグランドデザインや政治哲学が有って、事業に介入したわけではない。河村市長には「問題の落としどころ」も目途も立っていない。ただ単に騒ぎまわっているだけに過ぎない。
結果として、平針の里山は訴訟リスクにおびえて河村市長は矛を収めた。しかし事業者は顧客に逃げられ、名古屋市も訴えられてしまった。里山は開発された。結果として何ら生産的な利益を得たものはいない。西部医療センターの問題にしても、過大なコスト負担(河村市長が「ストップ・アンド・シンキング」と称して工事を止めさせた間にかかった費用、およそ5億円と言われている)は名古屋市が被らないといけないものだろう。
本丸御殿の事業についてはもっと戯画的だ。いつのまにか河村氏は反対派から推進派に回ってしまい、今では異様な要求までしはじめている。*2
すべて表面的、すべて行き当たりばったり、すべてが恣意的。すべてがいい加減ではないだろうか。
まったく、ガタガタだ。
・・・ここまで落魄し、虚像が剥がれて、河村たかしというパーソナリティの単なる5歳児のような実像が現れてくると、もはや怒りなど生じもしない。ただただ哀れだ。
こんなに社会を、世界を歪んだまま眺め、さぞやその歪に眠れない日もあった事だろう。
その焦燥感、孤独感から酒に手を出してしまう気持ちも分からないでもない。
しかし、その根源は自らの不勉強。過てる自意識のなせる業だ。
結局、彼のエゴは母親と彼が作り出した、スーパーエゴに食い荒らされたのだろうと思われる。そうして還暦も過ぎ、自身の人生が終わろうというその時でも、その歪んだ視野は補正されない。歪んだまま社会を見、世界を歪んだまま認識して死んでいくのだろう。
この辺りは自業自得として哀れを誘うが、それにしてもその虚像「河村たかし」または、その「河村たかしが持っているという名古屋市内の66万票」に目がくらんでいる「腹に一物、手に荷物」の一群のさもしい事。
この期に及んでも欲にまかせてのたうつその姿は醜悪そのものだ。
「木曽川水系連絡導水路事業公開討論会」を開催しました | 名古屋市上下水道局
追記:
私は名古屋市民である以外は個人情報を出していない。
属性を表に出していない。
こういったブログを書くといった行動が、実社会でどのようなリアクションを生むかぐらいは心得ている。
しかし、それでもそれを穿り出して誹謗中傷をしようとするバカが居る。
ご苦労様な事だ。
そもそも私は家族とは没交渉になっている。
特に弟とは故あって十年以上行き来が無い。
何でも名古屋市北区に住む●●(その馬鹿者が当ブログの主催者だと思っている人物)が選挙後にでも警察に捕まる。
という噂話を流しているらしい。
いったいどのような要件で「私」は警察に捕まるのだろうか?
(まさか、現役市長を公然と「無能」と言った侮辱罪?
それとも、その事実「秘密」を漏えいした罪か?)
その他にもここに書くのもバカバカしいような事(嫌がらせのつもりらしい)を延々と続けている者も居るようだ。(精神的な問題を疑ってしまう)
まあ、好きにやったらいいのではないだろうか。
お蔭で家族と久しぶりに話す機会が得られたし、過去の因縁が解ける機会ができたかもしれない。
法的に問題があるような行為については対応を取らせていただく。
言いたいことがあるのであれば、(その能力があれば)ここのコメント欄に幾らでも書けばいい。反論はいつでも歓迎する。
または「私自身」は この所 金曜日の夜には金山駅前の
「反貧困ミーティング」に参加して居る。
そこで議論を吹っ掛けるのもありだろう。
しかし、そんな勇気も、能力も、無いのであれば。
まあ、無理はしないことだ。
多分、君の(悲しい事に元公職者も含む)、または君たちの行っている行動が
いつどこで違法行為を形成するか君たちは判っていないだろう?
「私」が警察に捕まるというような話を振りまいて、
いつ君たち自身が警察に捕まるか、または民事的な請求の対象にされるか
多分、君は判らずにやっている事と思う。
(なんなら、どこかのタイミングで自分のやっている行為が合法かどうか、
弁護士などに相談するのも良いかもしれないね)
なので、無理はしない方が良いとだけはお伝えしておきましょう。
追記:
つまらない話題のお口直しに楽しい投稿をご紹介する。
乱歩と不木については「子不語の夢」という往復書簡をまとめた大著がありまして、そちらで会合の記録をほぼ網羅してあります。元々乱歩も不木も筆まめであっただけではなく、乱歩は日記代わりに書簡をまとめておく癖があったようで、行方不明になった間の動きなども結構わかるようになっています。
会合の打ち合わせなども頻繁にしているのですが、得月楼については一言も出てきていません。久しぶりに読んでみましたが、乱歩と会うのは大体決まっていて
・初期→プラトン社の川口松太郎(!)が仲介して名古屋ホテル。今の名古屋観光ホテルらしいです。納屋橋と言えばこちらだったみたいですね。
・中期→乱歩が根城にしていた大須ホテル(押し絵と旅する〜の原稿を捨てたトイレのあったところ)。ここは場所も大分わかっていて、写真もあります。
・後期→不木の体を気遣って、鶴舞の寸楽園(今の総合レジャー施設のような感じだったそうです)だったみたいです。結核持ちがホイホイと納屋橋行けないですよ。小酒井不木 名古屋スケツチ
参考:小酒井不木が書いた名古屋スケッチについて
これはハイヤー乗り回して書いたみたいですね。
その不木の記した昭和初期の名古屋の様子が分かる写真がこちらにある。
名古屋栄140年の変遷 : Network2010.org
私は北区の下町の生まれなので
「そこにはかの『なも』『えも』のなまりを売り物にする紅裙たちが、縦横にうごめき始めるからである。盛栄連、浪越連、廓連、睦連、昨今、税金の値上げときいて悲鳴をあげて居るのはいさゝか艶消しだが、さすがに玉は悪くない。」
という描写には心動き、白粉の臭いまで漂ってきそうで良いですね。