市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

鳥久の建物を褒める運動

 高倉健という俳優は「寒い環境に置くと似合う」と言われていたようです。「鉄道員(ぽっぽや)」や「八甲田山」など確かに雪を背景にした姿が印象的ですし、挙句の果てに、フジテレビが初めて高倉健の出演承諾を得た際に「高倉健は寒いところに置くと映画がヒットする」という分析(ジンクス?)から「では南極で」と「南極物語」の企画が生まれたとか、都市伝説のように語られています。

 コラムニストの小田嶋隆さんがこのようなツイートをしていました。

 確かに、高倉健の「美しさ」は「背負っている姿」の美しさですね。



「鳥久問題」


 公権力の横暴打倒

 でも触れたように鳥久の建物を保存しようとしたり、移築しようとする集団が本日、短歌会館で会合を開くという事で乗り込んでみました。

 「旧得月楼・鳥久の建物を褒める運動」から「旧得月楼・鳥久の建物を惜しみ褒める運動」に変わったそうで、チラシにある通り名古屋大学の西澤教授がはじめられたそうだ。

 西澤教授は建築、建築史が専門との事で、鳥久の建物の増改築の歴史など興味深い話だった。



 と、そこへ河村市長登場となった。


 まぁ、相も変わらず下らない事しか話せないヒトですね。
 保護が後手になったのは市の職員が悪いとかね。






追記(11月26日):
 25日に行われた市長定例記者会見の模様を朝日新聞がレポートしてくれている。

 http://www.asahi.com/articles/CMTW1411252400003.html
 河村市長 25日 街の決定的な記憶失った:朝日新聞デジタル

 前半、鳥久問題に関する発言はこの会合における発言と同じような趣旨。

 鳥久の建物が「街づくりの中で決定的な意味を持つ」という考え方は誤りであるとしか言いようがないだろう。納屋橋、堀川沿いの街づくりの中で、より決定力のある要素は、鳥久という一つの建物ではなく、堀川そのものであり、一つの建物は市長の介入できるところではないが、河川の環境は市長の責任事項だと思うのだがどうなのだろうか。

 そして、これらの発言で「残念」「悲劇だ」という主観に固着した発言。

 また、職員に対する責任転嫁。

 反省の中で「酒飲まにゃやってられんで」などという人物に市長が務まるものなのだろうか。

 また職員給与についての発言では低劣なポピュリズムが「引下げデモクラシー」を呼び、縮小均衡のデフレ経済を形成した機序が見て取れる。
 小泉・竹中改革に目がくらみ民主党が陥ったデフレ政策の誤りにまだ気が付いていない。「身を切って、税金を一円でも減らして改革するというのが基本ではないのか」という発言は、愛知一区で走っている「事前運動選挙カー」のアナウンスと同じ主張なのだろう。そして、これぐらいしか主張することがないのだろう。

 「減税日本」・・・「減税」という究極の飴玉政策、ポピュリズム政治が、なぜ日本中に広まらなかったのか。その理由に気が付かないとはお粗末も甚だしい。

 ・・・まあ、それで良い。そうして自ら終了してくれればありがたい。
 


 6月以降、市長が放置していた様子を中日新聞に書かれていますよね。

 そして、前回述べた「主観に固着した表現」である「残念」のオンパレード。

 結局、前向きな話は一つも出ずで、会合の出席者も納得はしていなかったのではありませんかね。市長の話が終わって拍手する人もまばらでした。







 その中で一つ聞き捨てならない発言があった。河村市長は
「経営者の方は確かに同意されたんですよ」と発言した。

 これも中日新聞に経緯を含めて否定されている。

 しかし、それにも関わらず市長が、一般市民を前に「経営者は同意していた」というような発言をすれば、今回の騒動が「鳥久経営者側」の責任でトラブルに発展したかのように受け取られてしまう可能性はないだろうか。

 百歩譲って中日新聞の記事が間違いで、確かに鳥久の経営者と合意があったとしましょう(千歩譲って、口約束でも良いです)しかし、それでも鳥久経営者側が反論できないような環境で、こうして一般市民(それもご近所の人々)を前に「鳥久側が合意を覆した」というような発言をするのは如何なものか。

 鳥久経営者側にとっては重大な信用棄損ではないだろうか。


 名古屋市当局はこの市長に、「書面などの具体的証拠もなく、『合意があった』という発言を繰り返す事は訴訟リスクがあります」と伝えてやった方が良い。

 というか、表に出すな。
 
 まあ、その他にも2ヶ所ぐらい「爆発」しそうになりましたがジッと我慢しましたよ。

 で、その河村市長も帰り、西澤教授の話が続き、最後に質問となったところで、堀川導水実験の話をしました。

 建築史という観点から、西澤教授が鳥久という建物に拘る理由は判らなくもない。しかし、納屋橋や堀川沿いの再興を考えるのであれば、堀川の導水を続け、堀川を再生しなければならない。

 西澤教授も理解してくれて「今では堀川沿いの建物は堀川を背にして立っている。堀川を汚いもののように、見えないようにしている。見ないようにしているからまた汚れる」という話もされていました。


 前回、西澤教授がまだ焼け落ちる前の鳥久を見る会を行っている最中に、私が「街宣」していた理由をご理解いただいたようです。帰りには会場のヒトから握手まで求められてしまった。


 西澤教授自身は「名古屋市歴まちアドバイザー」として河村市長とも親しいようで、個人的にも話をするようだ。そうした中で名古屋市内の歴史的な建築物の話もするのだろう。

 西澤教授は「なるべく早目に情報が欲しい。市の職員の方にも街を歩いて欲しいと言っているんですよ」と言っていた。

 多分、市の職員は担当地域の歴史的な建物についてよく知っていますよ。
 けれどもその情報は、西澤教授には伝わりませんよ。

 何故って?
 西澤教授が悪いのではありません。

 だって、西澤教授に情報を上げて、興味を持たれ、そして河村市長に話をする。すると河村市長はまた無茶苦茶な横紙破りをしかねないでしょう。

 実際に今回、まだ事の経緯ははっきりしませんが「出火」というとんでもない事態まで引き起こしてしまった訳です。

 そんな情報をうかつに上げられますか?

 街が歴史を積み上げていく。
 街にオーソドキシーを根付かせていく。
 
 そのような活動に、思い付きで無責任な行動を続ける人物はもっとも邪魔な筈です。
 つまり、西澤教授の考えている活動に対して最も重大な障害物は河村市長なのだろうと思います。


 さてさて、河村市長が食い散らかして後片付けが済んでいない話は、この堀川導水実験、つまり木曽川導水路事業だけではない。

 すでに2年8ケ月になるんですね。

 「南京事件否定発言」から。


 河村市長は「自由な討論をしたい、自由な討論もいかんのかね」と言っていたが、自由な討論どころか、黙りこくって2年8ケ月ですからね。

 言っている事とやっている事がこれほど違う事例もない。


 出て来いよ。

 出て来て「自由に討論」すれば良いじゃないか。

 いったいどんな根拠があって、あんな無責任で無茶苦茶で非礼な発言ができたのでしょうね。

 そして、その結果招いた現在のこの問題、名古屋市と南京市の友好関係の修復を、どう実現させるのですかね。

 どんなビジョンがあるのか。是非それだけでもお聞かせいただきたいものです。


[鳥久問題]
 問題の本当の問題+スクープ?付き
 公権力の横暴打倒


[南京発言問題]
 南京問題発言の検証(前編)
 南京問題発言の検証(後編)
 自由な議論で南京を語る会?

 河村市長の南京発言についてのご報告と、今日的意味
 南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実