読まなきゃ良いのに、今朝も中日新聞を読んで今、怒り心頭に達してこれを書いている。その他にやりたい事、やらなきゃならない事はたくさんあるのに、これを書いている。本当に、我慢がならない。
中日新聞の地方政治担当記者はカスか!
「ばらまき」は悪か?
半田市の市長選挙において候補者が「現金」やら「商品券」をばらまくことを「コロナ下またもばらまき合戦?」「市民『お金で釣られているよう』」と批判的に記事にしている。
こうした公約が示されるのは、コロナに対する感染症対策で地域経済が停滞し、人々が困窮していることに端を発している事は明白だ。感染症に対するには人と人の接触を減らすしかなく、そのために人々の活動が減退し、経済が停滞するのは仕方がない、そのために国が定額給付金を配った判断は正しい。国際的にもこうした給付金の配布は常識であって、菅政権に変わってから、日本においてその政策が実現されない現状の方にこそ問題が有る。
地域社会において、そうした住民、有権者の声に敏感に反応し、地方自治体の選挙において「現金」やら「商品券」を配布しようという政策が持ち出される事は理解できる。
しかしこの記事が、根拠もなく財政均衡論に乗っている事には違和感を抱かざるを得ない。
基本的に、中日新聞の論調は常に「財政均衡論」に乗っているが、本当にそれが正しいのか、この三十年にわたる、日本国内の財政均衡論がもたらした結果を見て、その確信に揺るぎはないのか?
説明責任が求められるは誰か
「候補者自身が財源の裏付けと、給付の目的をセットで示すべきだ」との有識者の言葉が載っているが、候補者に「財源の裏付け」を求めるのであれば、それを求める前に中日新聞自身がその裏付け取材をしたのか!
四月の名古屋市長選では新人が二万円の商品券配布を公約に盛り込み、現職の河村たかし市長も最大同額のポイント還元で対抗した。
新人である横井候補が名古屋市の財政当局の基金から試算し、「二万円」という給付額を算出したのは、根拠のある数字であり、可能性があった。横井候補が市長になっていれば、この6月市議会に給付金条例が提出され、夏頃には名古屋市民一人に二万円の現金給付がなされていただろう。それは「ばらまき」ではあっても、間違いなく市中の経済を維持する施策であると同時に、定額であるからこそ、経済的に恵まれない人に対して手厚い施策となる。
中日新聞の記者は、果たしてこの「財源の裏付け」について、裏を取ったのだろうか。
さて、それに対して河村たかしは「最大同額のポイント還元で対抗した」??
中日新聞は、江口某という大学教授の「中日新聞を読んで 『市長選 勝負の分かれ目』」という寄稿文を掲載していた。そこで江口某はこのポイント還元制度を理解していない事を露呈した。
しかし江口某に責任はない、中日新聞を読んでいるだけでは大学教授といえども、この河村たかしのマニフェストがどのようなものであるか理解できなかったのだ。この江口某の寄稿文は、中日新聞の報道自体の不正確さ、曖昧さを物語っているにすぎない。
「最大同額」とはなんだったのだろうか。河村たかしの公約では4年間で2万円相当のポイント還元となっていたはずで、本来解決対象となる問題は、感染症対策で困窮する市民の生活と、冷え込んだ市中経済への対策だったはずで、果たして4年間もの施策期間が必要だったのか。そうした議論はどこかに有ったのだろうか。こうした不正確さ、曖昧さはどこかで修正されたのだろうか。
きっと記者は言うだろう。「だって、河村たかしの施策案自体が曖昧だったから、記事における記述も曖昧になるのは仕方がない」と。河村たかしは現職の名古屋市長である、間違いなく名古屋市政における権力者である、その権力者の施策が曖昧である時、そこに欺瞞が有る時、それを追求し、市民に伝えるのが報道の責任であり、存在意義なのではないのか。そうした責任を自覚せず空疎な言葉を並べるから「カス」と言うのである。
嘘は嘘と暴いてこそ
名古屋市当局内に、選挙期間中、選挙の後にこのポイント還元制度実現の為の実行的な動きがあったのだろうか。中日新聞記者は取材したのだろうか。していないのだとすれば、それは市政を伝えるものとして、怠業だろう。
まさに今、新たな「プレミアム商品券」制度が行われようとしている。施策規模は約80億円。
私の知り合いが苦労してこの商品券を手に入れたが、禄に使える店がなかったと嘆いていた。そして、この商品券と、河村の「ポイント還元」政策とは整合性が取れているのか?
嘘は嘘と暴いてこそ、事実に立脚した強固な政治が行われる。政治が力を持てば、困窮する住民を助けることがでる。住民、有権者が政治の力を知れば、有権者は政治により期待し、有権者として政治に真剣に向き合うようになるだろう。
報道における曖昧で不正確、そして無責任な態度こそが、有権者と政治の間の溝を作り、政治を空疎なものにしていると知るべきだ。
この記事がカスである最大のポイント
つまりこの記事において、現在のような異常時において、まだ無反省に財政均衡論に立脚し、対策費を「ばらまき」と断ずる本質的な誤りが根底にある。
その上に、間違いなく横井候補が提案したような現金給付が必要であった市民が居たであろうにも関わらず、それを名古屋市長選挙における「争点をつぶした」つまり政争の具としてしか認識できない視野の狭さ。政争の具にされてしまったために、それが必要であった市民に現金が届かなかったとすれば無残なことではないか。
さらに、「争点をつぶした」だけで河村たかしは公約など実現させようともしていない。中日新聞としてはこうして市民を騙し、公約を無視し、現金給付を「ばらまき」をやめさせた河村たかしを財政均衡論として正しいと褒めてでもやるのだろうか。
重要な事実、情報について正確さを欠き、誤った認識を広めた責任に対する反省。そうした反省の下にすこしでも立つのであれば、今も続けられる河村たかしの欺瞞性に対しては報じずには居られないだろうに、そうした報道が見られない怠業。
ここまででも、十分恥ずかしい記事である事は明白だが、私がこの記事を読んで、この文章を書こうと決めた一文が、これだ。
その他の問題で対立軸をきっちり示すのが候補者の使命。
本当に、許しがたい。
横井候補は、この12年間、河村たかしが破壊し、名古屋市政に足りなかった問題。この12年間、河村たかしが逆立ちしても実現できず、名古屋市民がそれによって巨大な損失を被っており、それでいて中日新聞というメディアがそれを伝えなかったがために、市民に認識もされていなかった問題、対立軸を「きっちり」示していた。気がついていないのだとすれば、中日新聞の記者が如何に鈍く、カスであるかの証拠だろう。
それは何かといえば「国や県、周辺地域との連携」である。
リニアしかり、コロナ対策における広域医療体制しかり、ワクチン接種のシステム構築でもそうだろう。
河村たかしは何もできない。
なぜなら、彼は交渉事ができないから。
交渉ができない政治家なんてものは、包丁の使えない料理人、ハサミが扱えない理髪師のようなものだ、無能の極地だ。
こうした国や県、周辺地域との連携における問題を、漠然とした政治談義で指摘していたのではなく、横井候補は堀川への導水事業という具体的な政策を例示して示していた。
候補者は、具体性が有り、明確な対立軸を打ち出していた。それにも関わらず、あたかもそれができていなかったのように「有識者」が捉えているとするならば、それは誰の責任だろうか。名古屋市長選挙において、対立軸は明確に示されていなかったのだろうか。
もうすぐ夏が来る、「風の道」を作ると言いながら、12年間河村たかしは名古屋市内のヒートアイランド対策に何もしてこなかった、そればかりか、中心地である久屋大通の樹木を減少させた、中日新聞が忖度し続ける、この無能市長のおかげで名古屋の街は今年も、厳しい暑さの夏を迎えることになるのかもしれない。この暑い名古屋の街に、導水事業が停止し、水質の悪化した堀川がまた、悪臭を振りまくだろう。この悪臭は導水事業を止めた無能な市長と、その事実を報じてこなかった地元紙である中日新聞の責任である。