追記(10月16日):このチラシについて、名古屋市内で再度配布され始めたようです。事実誤認であることを認めたり、電話番号等掲載された名古屋市当局が「問い合わせ先」であると誤認されかねないのですが、一切構わず、再配布し始めたのですね。
先の日曜日には 河村事務所に全市会議員が招集され、このチラシの問題について協議した(というか、河村代表の一方的な独演会だったようですが)結果、そのまま再配布するという事は、河村市長が承知で、このチラシの配布を再開したという事ですね。フムフム。
もう、好き勝手すれば良いんじゃないかって気がしますね。
これで有権者が騙されるのであれば、そりゃ、そこまでの話ですね。(呆
昨日(10月8日)の名古屋市会、総務環境委員会において「減税日本」が名古屋市内に配布したとされる「チラシ」について問題として取り上げられ、議会が紛糾した。
そのチラシについて自民党の横井市議がブログで触れている。
横井利明オフィシャルブログ:決算審査の真っただ中に新たな火種が...
その内容を見たいと本日議会を訪れて手に入れることに成功したのでご紹介したい。
(残念ながら白黒しか手に入れる事が出来なかったが、近々カラー版を手に入れる算段がついたので、カラー版が手に入ったら掲載しているイメージを差し替えるようにします。また、
カラー版が手に入りましたので差し替えます。クリックすると拡大画面に移ります。そこから更に「オリジナルサイズを表示」を選択すると拡大します。ブラウザの機能によっては拡大率が操作できるかもしれません。私の環境ではキーボードの Ctrl キーを押しながらマウスの上にあるホイールを回すと拡大率が変わります。 / 一部、赤線、赤い囲みでコメントが加えられています。一部電話番号が入っている部分に関しては画像処理を施しました。それぞれの画像はクリックすると拡大表示されます)
もう何をかいわんや。私がアレコレ言うよりも、このチラシを読んで頂いた方が良いでしょう。
まず、冒頭の文章。後に詳しく述べますが、決定的に間違っている。非常に幼稚で歪んだ考え方です。こんな歪んだ考えに賛同できるから未だに「減税日本」を名乗り、市民の苦汁もそ知らぬ顔で「名古屋城の木造化」だの「1000メートルタワー」だのとバカな事を繰り返す河村市長を支持し続けられるのでしょう。
本当に醜悪で唾棄すべき貧困な精神性が現れています。
そしてその発言者が「名古屋市在住S氏」と来るのだから何をかいわんや。
減税日本ナゴヤの彼らは、市会議員という公職者でありながら、自ら配布するチラシの冒頭の辞すら書けないのだろうか。
それを匿名の一市民に任せて、それでよしとしているのだ。
こんな者が議員ですと歳費を受け取る姿自体が信じられない。
その「名古屋市在住S氏」なる文章にこうある。
他所者(よそもの)は得体が知れないから怖い。新参者(しんざんもの)は何を言い、何をするか予測が付かないから恐ろしい。だから古い者が徒党を組んで攻撃する。
このS氏はこのような「排除の論理」が「いつの時代も、何処でもあることだ」と見做している。しかし、そうだろうか。「排除の論理」は確かに有っただろう。しかし日本には(というか、日本を含む太平洋沿岸の古代文明には)「まれびと(稀人・客人)」の概念があり、それは折口信夫の研究により「名」を指されるより以前に日本の精神性、民俗、そして地方、地域の在り方として成立している。(疑問があるのであれば「まれびと」とは何かを引いてみれば判る)
「他所者」や「新参者」を排除するという事例や考え方がS氏の周辺や「減税日本」のまわりにいくらあろうと、それを関わりのない他者に押し付けて、根拠もない排除の論理を言い募っても説得力など無い。
どんな社会であってもそこに暮らしている人々が居れば「そこのやり方」というものができてくる。
雪深い地方であれば建物の屋根は急な角度を付けて造られる。ここで建物の内容量を稼げるからと単純な四角のビルを建てて屋根を平にしてみれば、降雪を受けて角度を付けた屋根を造った先人の知恵を知ることになる。平らな屋根は雪を溜め、その除雪に思いもよらない労力を割かなければならないだろう。或は建物そのものが豪雪に押しつぶされるかもしれない。
または高温多湿な地域では床と地面の間には必ず空間を設けるように建物が造られる。こういった地域で面倒だからと地面に直接床を造れば、床材は腐り、その上に置いた食料なども腐ってしまう。床下の空間や高床式の建造物は、こういった風土に合わせた生活の知恵なのだ。
そう、生活の知恵というものは様々な形をとる。
日本の風俗において、女性は着物を胸骨で決め、男性は腰骨で締める。
これも生活の知恵が導き出した結論なのだろう。やがてこういった必要から導き出された結論が調和や美を帯び始める。
人間の集団が生み出した「生活の知恵」には長い時間の経過が磨き上げた「調和」とか「美」といったものが潜んでおり、その輝きが(それを見ようと思う者には)見える。
日本の社会の形。
国政においては議会制民主主義をとり、議院内閣制とすること。
地方政治においては二元代表制をとり、議会と首長を選ぶこと。
ここにも先人たちの様々な試行や知恵が反映されている事を読み取ることができる。
もちろんこれが絶対と言っているのではない。
常に改革には開かれているべきだ。
確かにそれはその通りだ。
人間の作り上げる制度に「絶対」なものがあった試しはない。
人間の歴史を見ていると、確かに判る事が二つだけある。
一つは死なない人間は居ないという事と、もう一つは永遠に続いた国や政治体制は無いという事だ。
人間の社会は常に変化に晒されている。変化に晒されているが故に、人間の社会を運営するルール、仕組みである制度は常に変化できなくてはならない。
しかし、当たり前の事だが。何でもかんでも改革すれば良いというものではない。
いわゆる「マーケティングの罠」とでもいうものがある。人間は、特に現代人は「新製品」に弱い。新しければどんなものでも良いものではないかと考えてしまうようだ。
シャンプーやアイスクリームならこういった「新製品」に飛びつくのも結構な事だ。
しかし、政治体制や経済理論にそう易々と「新製品」など現れない。
政治体制や経済理論の「新製品」には気を付けなければならない。
20世紀の人類の歴史は、こういった「新製品」と喧伝された政治体制や経済理論に振り回され、騙され、とんでもない不幸を到来した歴史だったのではないのか。
革命家や改革者と呼ばれる者にこそ警戒すべきだ。
革命家や改革者と呼ばれる者は「なら代案を示せ」という。
そういう人物には言ってやろう「代案は現行制度だ」と。
革命家や改革者は、自分達が提示する革命案、改革案が、明るい未来を約束するという根拠をしっかりと示すべきではないのだろうか。
現行制度に問題点が無いとは思わない。もう一度言うが、それは
人間の作り上げる制度に「絶対」なものがあった試しはない。
からであって、革命家や改革者が作り上げ、売りつけようとしている制度にもやはり「絶対」が有ろうとは思えないのである。
そもそも名古屋市会は「他所者」や「新参者」を排除しようとしただろうか。
このチラシの3ページ目には「『非公開の理事会』を知っていますか?」として次のように述べている。
減税日本ナゴヤと他会派との意見対立があった場合、同意を求められ理事会が深夜にまで及ぶことがありました。そこには議会リコールで誕生した減税日本ナゴヤによって、議員報酬が800万円になった事への思いがあるのでしょうか。現在の「非公開の理事会」では、「調整の場」としての本来の目的を果たしているとは思えません。
まったく幼稚でさもしい。
議会という場は仲良しゴッコをしに集まってくる場所ではない。そもそも利害が異なる、立場や意見の異なる人々が集まってくる場所だ。そんな政治的な対立を、その都度関係者を集めて話し合いをさせてみても、議論が混乱し、あるいは争いに発展するだけなので、それぞれの代表者が集まって、文化的に「争おう/話し合おう」というのが議会だ。
減税日本ナゴヤが「他所者」や「新参者」だから排除しようとしたのではない。
自民党議員から見れば共産党議員の主張も、共産党議員から見れば公明党議員の主張も、公明党議員から見れば民主党議員の主張も容れられないかもしれない(逆もまた真)
それぞれの主張が衝突すのは、それが議会だから当然なのであって、それはそれぞれが排除したいからでも「議員報酬が800万円になった事への思い」などといったあさましい了見などでもない。(というか、この文章を書いている者の「程度」が知れる下衆の勘繰りというものだ)
その具体的な反証もある。
減税日本ナゴヤは平成24年9月21日にいわゆる「議運離脱宣言」を提出している。
減税日本ナゴヤ終了のお知らせ - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
会派として名古屋市会の議会運営に今後関与しないと宣言したのだ。
宣言の理由は何も「名古屋市民のみなさんのため(同チラシ3ページ)」などではない。例の河合議員に対する辞職勧告決議に当たって、無責任にもその対応を放棄する目的で提出したものだ。
会派としての責任を放棄する為に「議運離脱宣言」を出して、市民からの付託を投げ出そうとしたのがこのチラシの発行者として名前を連ねている浅井議員と余語議員ではないか。
その「議運離脱宣言」を受けて他会派は減税日本ナゴヤを「排除」したのか?
していない。
「議運離脱宣言」以降も、「自民・公明・民主+α」の他会派は減税日本ナゴヤを議運に受け入れて、彼等の要望を聞き入れている(勿論、全部ではない)。
更に、この「非公開の理事会」に対する彼等の批判が正当なものか疑問となる事実が三つある。
まず第一に。先に引用した自民党 横井議員のブログにも指摘があるように、この理事会を公開にすべきであるという申し入れを減税日本ナゴヤは一度も行っていないのである。
つまりチラシにおいて「今後も私たちは、『非公開の理事会』の『公開』を目指したいと思います」と言っているにも関わらず、今までそれを目指して何のアクションも起こしてなどいないのだ。
自分たちが要望しても容れられないのであれば、このように批判をするのは判る。しかし、要望も何もしていない事柄について、それが実現されないからと批判されても批判された方は戸惑うばかりだろう。
次、こういった議会改革については名古屋市会において「名古屋市議会基本条例に基づく議会改革を推進することを目的に、議会改革推進会議が設置され」ている。
http://www.city.nagoya.jp/shikai/category/352-0-0-0-0-0-0-0-0-0.html
名古屋市:議会改革推進会議について(市会情報)(web.archive.org)
座長は誰有ろう、これもこのチラシに名を連ねている浅井康正議員である。
浅井議員は「座長」として、この「議会改革推進会議」で議会の改革を推進しようとしたのだろうか。同会議は平成24年7月4日以来開かれていない。
浅井議員は「議会改革推進会議」における「座長」という自らの職責を果たさないまま、こうやって市民に向けては、あたかも他会派が「議員報酬が800万円になった事への思い」から「他所者」や「新参者」の自分たちを排除していると宣伝しているのではないか。
これは明白な責任転嫁であり、無責任な「嘘」ではないのか。
最後に、名古屋市会では有名な「黄色のおじさん」がいらっしゃる。政治的考え方は「独特」だが市民として毎日のように議会に現れて色々な意見を言われている。その方がこの「非公開の理事会」を「公開せよ」という請願を提出されているそうだ。
その請願の紹介議員は誰あろう「河合市議」
ある議員が河合市議に「理事会の公開を求める請願なんて出して、ちゃんと公開を求める論拠は答えられるのか?」と確認したところ「減税日本ナゴヤの山田議員から頼まれただけで、自分は公開など求めていない」と提出をひっこめたそうだ。なぜ山田さんは河合議員に依頼などせず自分でこの方の請願に紹介議員とならなかったのだろうか?
党や会派が異なれば、利害や意見が衝突するのは当然だ。その衝突を「排除」と見做すのは誤りだ。政治的主張や目的があるのであれば、その実現の為に言論を振るう、主張を行い説得や対話を重ねる。その努力をするのが政治家であり、それは地方政治だろうと国政だろうと変わらない。
自らの希望が叶えられないからと、何も行動しないまま、意見も表明しないまま、こうやってその責任を他者に押し付ける行為は、余りにも幼稚で知恵が無い。
まったく現実から遊離している児戯に等しい。
このチラシにはその他にもツッコミどころが満載だ。
というか、ツッコミどころしかない。
当ブログの本論でもある「地域委員会」についても触れている箇所があるが、本日の所は紙幅が限界を超えている。明日分に続く。