「証明とは民主主義が生んだ技術だ」という言葉がある。
君主制や封建制の中では「肩書き」のあるものの言葉は絶対であり、証明は必要ない。
その者がそうと思えば証明が有ろうと無かろうとそれが社会で受け入れられる。
しかし、民主主義の中ではどのような肩書を持った者が語ろうとも、証明を行わない事には社会で受け入れられることは無い。
その為に発言や発案の「証明」を行う技術が生まれ、発達してきた。
前回の文章で半田県議への批判は、政務調査費の使い方やその執行の方法ではない(法律違反であることは間違いないが)。そういった状態にある場合の「自らの正当性の証明の方法」を知らないという知的怠惰に対して批判したものである。
―― そういう意味で今まさに、ある人から電話がかかってきて、今回の半田県議の問題を批判している言葉を目にしたのだが、その人物は半田県議の報告書は目にしているのだろうか? その内容について自分で確かめもせずに、報告書の内容について「コピペか」というような批判は根拠の薄弱な批判だろう。マスコミの言葉を鵜呑みにして、受け売りをしているに過ぎない。知的怠惰として半田県議と比べるところがない。――
政治に対する不信感は根強い。
「どうせ私利私欲でやっているんだろう」そのような不信感があるようだ。
しかしこれは逆だ。「政治は私利私欲から行うもの」というのが当然の認識であるべきだ。
政治とは何か、このブログで繰り返し述べているが「社会的リソースの奪い合い」でしかない。(これを受けて「僕は奪い合いではなく分かち合いが良いな」と意味不明の発言を受けた。それでは伺おう。あなたが「分かち合」えるその社会的リソースはどこから持ってきたのか。あなたが「分かち合いが良い」と言うのであれば、そんな言葉より先に貯金通帳でも持ってくるべきではないのか。というか、これも単なる知的怠惰の故の妄言でしかない。と、本人の前では特に述べなかったが)
政治とは私利私欲を満足させるために行うもので良い。
というよりも、すべての人間の行動は(キリストやブッダも含めて)起点は私利私欲だろう。
政治とは何かと問うて「社会正義の実現」と答える者がいる。
では「社会正義」とは何か。
「社会正義」とは社会全体が最も利益が得られる方法の事を言う。(持続可能性も、その持続自体に利益を見込んでいるからだろう)
サンデルなどの「コミュニタリアン/共同体主義者」が訴えるのがこれだ。
ある企業の経営者と話した際に、その人は「会社運営の秘訣なんて難しいものではない。『正直者がバカを見ない』ようにするだけだ」と語っていた。
今思うと、彼は自分の企業という小社会における「社会正義=企業が全体として利益を得る方法」として「条理性」「結果の予測可能性」を上げたのだろう。(こういった見識を「中小企業経営者(自称)」の人物に知っていただいて「2万人を超す企業」のトップとして自覚して頂ければ色々と変わるのだろうが、まあ無理な話だろう)
政治にコミットするとは利益を追求するという事だ。
それが「長期的な利益」(100年やそれ以上であることもある)であるか
「短期的な利益」であるかが異なるだけだ。
他人の為、第三者の為などというオタメゴカシに騙されてはいけない。
逆に、「俺は騙されないぞ」などと政治に不信感だけを向け、そこから目を離す事も危険な行為だ。
怪しいからこそ監視が必要なのだ。
怪しいからこそ、放置していては毀損されてしまうのだ。
特に若い人たちに言いたい。
この社会はどうせ君たちのものになる。私を含め老人は順繰りに消えてなくなる。
それだけにもっとよく見る必要がある。
私の行動原理も私利私欲だ。
面白いからだ。
五期十六年に亘って国会議員を務め、経済で有名な一橋大学を卒業した人物が、マクロ経済学の標準理論を理解していないとは思わないではないか。
人間の社会は理屈では割り切れないとは思っていたが、
このような人物を中心に、名の通った、信頼感もあるマスコミが、新聞が、テレビが。こぞってここまで無茶苦茶な「経済理論」を喧伝していたとは驚きだ。
嘘が真実と思われ、
真実が嘘と扱われる。
面白い。
面白いとともに恐ろしくもある。
私も自分の正気を疑った。
すべては自分の思い違いで、実は彼の「経済理論」こそ正しくて、私の理解が間違いであればどんなに楽だろう。
そうやって自分の見た事を否定するための事実を調べれば調べるほど、逆に思いもしなかった事実が現れ、驚かされてばかりだ。(例えば、その人物が信頼を寄せる経済評論家の近著を読んでみると、キッチリと経済の標準理論に準じた記述があり、この「経済理論」が明確に否定されていたりと。
リチャード・クーさんの本を読んでみた(前編) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 )
ヒューマンインタレストとして、エンタテインメントとしてこれ以上面白いことは無いのではないか。
かぶりつきで演劇を見ている気分だ。
なんといっても演者自信が「お芝居」と自覚していない劇だ、これ以上の迫真性をもったコメディーは無い。
私はこんなブログで「社会正義」が成立するとは思っていない。
名古屋の市政が前に進むとも思わない。
ここに書かれたアイデア(思い付き)を誰かが拾って、何らかの行動につなげてくれたのであれば或は何かが変わるかもしれない。
けれどもそれが良い結果を生むかどうかは判らない。
思いは行動に移され、その評価、判定を行い。再度プランが練られねばならない。
人間や社会といった充分に複雑なシステムはリニアな予測を阻む。
演繹的には予測し結果を得る事はできない。
(「ひもは押せない」/社会学的設計思想の否定)
であるならば、常にコミットし続け、働きかけを行わなければならない。
地方も国政も、人々が政治から目を離せば暴走を始める。
きれいごとの「社会正義」や漠然とした「教条主義」ではなく、具体的な「自分自身の利害」はどこにあるのか、探り続ける行為は無駄ではない。
前回、半田県議の記事を書く際に、入れ忘れた資料がある。
半田県議が運営していた会社「有限会社リニューアル」の登記簿だ。
登記簿を読んで笑えることは少ないが、これは植田まさしのマンガ程度には笑える。
【最年少・藤井美濃加茂市長収賄事件】事件のキーパーソン・タカミネ氏生出演 - 2014/07/09 22:00開始 - ニコニコ生放送
なかなか参考になります。
まさに上で言う「演者自信が無自覚な演劇」
ところで、こんなコンテンツがありました。
アーカイブ
【魚拓】
そして、もう一段深い話題については時期を見て。
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