市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「議席」とは誰の為のものなのだろうか?

 お久しぶりの更新となります。
 私も自らの食い扶持を得なければなりませんので、そちらに時間を取られていました。
 また、8月という事もありささやかなバケーションも楽しませてもらったりもしました。

 さて、ブログの更新は致しませんでしたがこの間、政治から目を離していたわけではありません。色々と「仕掛け」も進めておりますし、幾つかは「良い軌道」に乗っております。

 少なからぬ事柄で許しがたい事例も発生しておりますが、もう論評するにも値しない程度の事なのかもしれません。*1


 さて、そんな中で本当に許しがたい話題が入ってきました。

 私は前回(7月13日)のブログで、企業という小社会における「社会正義」の実現は非常に簡単で常識的な事を守るだけで可能であろうという意見を述べました。
 つまり「社会正義(社会における正義)」とは、「その社会全体の利益を最大にする方法」のことを言うのであって、企業や組織という集団(=小社会)においては「正直者がバカを見ない」ことが集団における利益を最大にするだろうという意見です。

 なぜならば「正直者がバカを見ない」という約束が守られる小社会においては、全体の為に働く者がそれなりの称賛と利益を得るように定めておけば、皆がこぞって全体の為に働こうとするだろうと容易に予測ができる。そしてサボった者は、結果としてそのしっぺ返しを自ら受けることになる。この「条理性」つまり「結果の予測可能性」を保つことが、個々のモチベーションを保ち、企業や組織という小社会の利益をもたらし、その参加者にも満足をもたらすことができる。

 ところがこの原則が緩み、「正直者がバカを見る」ような企業、組織においては、誰もが私利私欲に走り、他人の得た成果や利益を剽窃し、こぞってその企業や組織に「ぶら下がり」楽をすること、さぼる事ばかりを考え、そうしたズルを次々に編み出すようになる。

 こうなると、その企業、組織は真っ当な成果、生産性を上げることができなくなる。*2


 私は名古屋市の市当局という2万人以上を抱えた組織が「正直者がバカを見ない」組織であって欲しい。真面目に市民のために取り組んでいる職員が、周囲の職員からバカにされたり、その成果が満足に評価されないような組織では居て欲しくないし、名古屋市当局の職員が働き甲斐を持って働ける、動きやすい組織であれば、その成果は行政の実績となって現れ、市民生活の向上にも帰すると考える。

 逆に、「正直者がバカを見る」ような組織であれば、行政事務は停滞し、誰も彼もが前例主義に逃げ込むなど「問題解決の為の行動計画」より先に「行動しない為の理由づくり」に血道を上げ、結果として行政が助けるべき人々も見殺しにしてしまうだろう。
 そして、そのような残念な結果を来しても「誰かの所為」として責任を回避し、問題発生の原因もハッキリしないまま放置されてしまうだろう。そうなるとまた同じ問題が発生する。またはもっと大きな問題が発生するかもしれない。

 皆の税金で賄う事業が行政事業だ。それを有効に機能させるには、その行政の担い手である当局の中に「正直者がバカを見ない」という真っ当なルールが必要だろう。

 しかし言うは易し行うは難し。

 「三歳ノ童子モ コレヲ識ルトイエドモ、八十ノ老翁 ナオ行ジ難シ」(杭州鳥窠道林禅師)

 常に組織の中で、「正直者がバカを見るような矛盾は無いだろうか。石が浮かんで木の葉が沈むような、ヒトのやる気を挫くような不条理が組織の中に無いだろうか」と監視しチェックし、是正する努力が必要となってくる。

 誰がやるのか。

 組織のトップが率先してこの「当たり前の事」を認識しなければ、組織は不条理と矛盾に支配される。

 さて、名古屋市のトップ、河村市長はこの当たり前の原則を理解しているだろうか?


 残念ながらしていない。

 以前に「減税日本という政党は制度設計がなっていない。真面目に行動してきた者の方が損をする組織になっている」と指摘したが、それは何も改善されていない。

 改善されていないどころか、今回、トンデモナイ事例を耳にする事となった。

 減税日本という組織の中で、一所懸命、組織の為に働いてきた人間を、排除しようという動きがあるというのである。

 減税日本という組織では、組織の為に一所懸命尽くすと排除され、この組織にぶら下がり、ある<ワンポイント>さえ満足させれば利益が得られるようにできているようだ。*3


 さて、非常に長ったらしい前置きはこれくらいにしよう。

 今を去る事2か月ほど前、6月定例会の最終日。減税日本ゴヤ市議団の東区選出議員、近藤徳久市議の自宅に河村市長の奥さんが訪ねてきたそうだ。

 応接した近藤市議に「私が来たという事は、理由は判っているでしょ」と切り出したらしい。つまり、来年に迫った統一地方選挙(市会議員選挙)において、近藤市議が東区から立候補するなと言いに来たのである。2選を目指すことをせず、議員を引退せよ。と勧告に来たのである。

 この近藤市議。当ブログの過去ログをひっくり返しても「何も出てこない」
 良い意味でも悪い意味でも「目立たない」人物だ。

 ただ、一年生議員であれば、目立たなくて当たり前。目立つことばかり引き起こす減税日本の議員の中では、それだけで優秀な部類に数えても良いだろう。

 その上生真面目な性格らしく、様々な会合やイベントにも皆勤を守っているらしい。
 また、やはり東区。河村事務所の所在地という事で、河村事務所に持ち込まれる陳情なども、この近藤市議は黙々とこなしていたそうなのである。

 私から見れば毒にも薬にもならない存在であるが、減税日本という組織の中で見た場合、このような人物はどう評価するべきなのだろうか? どう処遇するのが正しいのだろう?

 当たり前の常識であれば「優遇」だろう。仕事をねぎらい、本人の希望があれば最優先で再選の候補にすべき人物なのではないだろうか?
 無事こそ名馬。他の減税日本の市議や県議も、この近藤市議のように目立たないけれどもコツコツ活動を続け、不祥事で迷惑をかけないように身を律する。見習うべき人物と称賛すべきなのではないだろうか?

 ところが、河村代表夫人から突き付けられた言葉は「身を引け」である。

 木の葉を沈めようというのだ。

 この日は定例会の最終日という事もあり、午後から本会議もあるのでと夫人に引き取ってもらい、夜になって近藤市議は奥さんと今後について話し合ったようだ。

 夫婦の会話でもこの理不尽な仕打ちには納得がいかなかったようで、近藤夫妻は二人で河村事務所に出かけ、河村代表に直接掛け合う事となる。

 ここで河村代表が応えた言葉が「お前では勝てん」だったそうだ。

 東区の市議には、ここを元々の地盤とする元国会議員のS副代表を立てると通告された。


 そもそもこの S 副代表。東区選出の県会議員を務め、その後河村代表が市長に転身した後を受けて衆議院議員となり。先の衆議院議員選挙で落選して今に至っている。地域政党減税日本の副代表という公的立場に居るとも言えるので実名を書いても問題ないだろうが、とりあえず実名は伏せておこう。

 県会、国会と渡り歩いて、結果として河村代表のダミー以外の何をしたのだろうか?

 思い出すのは3年前の出来事だ。
7.30 A.A.K. 行動報告 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 ここで指摘したように震災直後の6月20日に提出されたS副代表の質問主意書については、その直前である6月3日に「安全確保について」既に決定されており、同16日には「当面の取扱いに関する考え方」についても決定、公表されている。国民看視の中、流動的な問題についてご本人の勉強不足を、わざわざ衆議院議員質問主意書に載せたような物だ。そしてそれに気が付かないまま国民の不安を徒に煽っただけ。
 こうした私の事実の指摘を、聞く耳も持たずに発言を封じる態度は一体どう理解すれば良いのだろうか?

 まあ、つまり「政治の話や事実なんぞどうでも良い、今日は河村さんやSさんの話を聞きたいだけ」って事なのだろうか?

 そんな人物に国会議員歳費や、議員歳費を払えるだろうか?*4

 そもそも、近藤市議を候補者に推したのも、元はと言えばこのS副代表だったそうだ。わざわざご自分で推薦した人物を、今度は自分の都合で切って、ご自分は平気で国会議員から市会議員に転身をしようというのだろうか?こんなヒトを踏みつけにした二枚舌があるのだろうか?


 これは余計な事かも知れないが、少しふれておこう。

 減税日本は8月4日に名古屋市会議員選挙の一次公認候補を発表した。
 次期名古屋市会議員選挙 一次公認発表(新人) | 減税日本

 この内、中区、千種区熱田区については理解できる。
 それぞれ減税日本ゴヤと袂を別って飛び出した議員が居る選挙区だ。中には河村代表が「どうしても許せん」と常日頃言っている市議も居る。つまり、それらの人物に「当てて」きた「刺客」と理解できる。

 しかし「緑区」については理解できなかった。
 当初、緑区選出の現職、余語市議(元幹事長)が内部的には立候補辞退を表明しているのかと思ったほどだ。ところがそうではなかった。余語市議は充分2選に向けて意欲は有るようなのだ。
 理解できない。

 再選の意欲のある現職議員が居るにも関わらず、その本人に公認候補の立場を与える前に、先に新人の公認を発表する?

 まったく理解できない。

 人間というものをどう理解しているのだろうか?

 河村という人物が差配する減税日本という組織はこのようなものだ。

 この4人の新人候補にも言いたい。「あなたは今、現職の市議よりも優遇されて、先に公認が認められ、候補者として尊重された。しかし、それによって軽視された現職がいる。この現職の姿が、4年後のあなたの姿だよ。減税日本に、河村代表の下に居る限り、人間らしい扱いは期待できない」

 かまいはしない。
 減税日本という組織がガタガタになろうと、ボロボロになろうと、ズタズタになろうと、グチャグチャになろうと、シッチャカメッチャカになろうと、ポンポコピーになろうと。
 そんな事はご自由にすればいい。


 しかし、このようにせいぜい数十名の小さな組織である減税日本の中ですら、「正直者がバカを見る」とてもではないが、まともな神経では付き合いきれない不条理を振り回すのが河村代表という人物である。こんな人物が、2万人以上の職員を擁する名古屋市の行政のトップに立って、その舵取りを執れるのだろうか?名古屋市の組織自体にも不条理と矛盾が巻き起こっているのではないのだろうか?

 果たして名古屋市民はこんな人物をいつまでも市長として戴いていて良いものだろうか。

 近藤市議を立候補辞退させ、S副代表を東区の市会議員候補に立てるとすれば、それは市民の為になるのだろうか? S副代表の就職活動? 河村代表の為? 河村夫人の為? 

 果たして「議席」とは誰の為のものなのだろうか?


*1:半田県議が会派を離脱したというのに、公言した政務調査費の返却は行われていない。そして毎度のことながら「減税日本」も「河村代表」も他人事のようにノーリアクション

*2:実は、現在の派遣業法が行き渡った日本社会にはこの「毒素」が広がっているように思えてならない。各企業ではプロパー(正社員)に「楽をしろ」「実務から手を引け」と教える。そういった「大変な作業はアウトソーシング(派遣業者にやらせるように)すればいい」というのが合言葉のようになった。(今の名古屋市当局にもこういった流れは無いだろうか?)そうしてプロパーはもっと生産的な仕事をするべきだ、とまことしやかに語られる。しかし、こうしてプロパーが現場から離れ、現場の実情を知らなくなると、そこで培われるノウハウは企業本体から下請け、派遣の人材に流出していく。そして人が変わるとともに、ノウハウも流失し、企業は、己の存立基盤自体を喪失していく。今年になって5回も大事故を起こしている新日鉄などでも、このような問題が起きているのではないのかと危惧する。

*3:そのワンポイントは何かって? それは敢えて言わない。しかし、それは減税日本の組織に対して利益になる事でも、生産的な事柄でもない

*4:寄席の木戸銭が相応しい