市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「在特会」という存在(前篇)

 故あってこの土日は関西にうかがって奈良(5月10日)と大阪(11日)の「在特会」の活動に対する「アンチ活動」を行ってきました。

 そもそも善男善女の皆さんには「在特会」とは何者?と思われる事でしょう。最近では地上波のテレビなどでも取り上げられているようですが*1在日特権を許さない市民の会」とかいう会らしいです。
 これがこの会の正式名称らしいのですが、では「在日特権」とは何か?と思われますよね。彼らが言うには「在日韓国・朝鮮人」には様々な法的、経済的「特権」があり、それを「許さない」と訴えたいとしているのだそうです。
 そして土日などに、あちらこちらに出現して「デモ」や「街宣」を行っているようですが、その「在日特権」なるものを暴いてみせたり、その不正を訴えたりという事はないようです。やっている事と言えば早い話が「僕は韓国人が嫌いだ」だとか「私は朝鮮人が嫌いよ」とか「俺は中国人が嫌いだ」と言っているだけの排外主義者、早い話が「ネトウヨ」です。こうやって「嫌いだ」というぐらいなら「ハイそうですか」と聞き流せばいいのでしょうが、「●●人を殺せ」だとか「叩き出せ」だとか、その街宣内容が聞くに堪えないような酷い内容で、まさに「言葉の暴力」を振りまいている。

 また、そんな「言葉の暴力」を東京や大阪の「コリアンタウン」と呼ばれるような在日韓国・朝鮮人の人々が多い街で行うようになった。

 デモ活動は当然各地の警察に対する届け出が必要となり、「在特会」も届け出をしているようだ。警察はそのデモの届け出を受け取って諾々とデモやら街宣を承認している。しかしその行為は平成7年に日本も加入した「人種差別撤廃条約」に違反している。

あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(a.k.a. 人種差別撤廃条約)

第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

(c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

人種差別撤廃条約 | 外務省

 この「在特会」に対し様々な人々が行動を起こし始めた。
 デモに対して抗議の声を上げる人やプラカードを掲げてデモ行為をたしなめる人々。さらに「しばく」と称して実力行使も辞さないというような表明を行う人々も出るに至って、警察は「在特会」デモや街宣と、それに対する「アンチ」活動を分断し、暴力沙汰が起きる事を未然に防ごうとしているようだ。

 4月28日4月27日にこの「在特会」デモが名古屋にやってきた。(来なくていいのに)

 写真がその時の模様。

 愛知県警は将にマンツーマン。デモとアンチ両陣営の参加者よりも多い人員を動員して、完全に両者を分断していた。小競り合いどころか、両者は声も届かないような距離に分断されていた。
 この際にアンチ活動として参加していた人々が関西から来ていたと聞き、「名古屋のお礼」のような意味も込めて奈良と大阪への参加を約束(という程でもないですが)したので、参加してみました。


 「在特会」の主張(?)がどのようなものかというと、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれるようなインターネット上に転がっているような「(偏頗な)愛国者」や「排外主義者」のサイトの焼写しで、目新しいものもありません。奈良では実際にそういったサイトの文章を「読み上げて」いた人もいた。

 あまりクレバーとも思えない。言論として「バカ右翼」が陥る陥穽にキッチリ嵌っているところなどは微笑ましくもあった。3点ほどその傾向を上げることができる。1つ目は何かというと「不在の証明ができる」と思っているところだ。

 当ブログでも「河村市長の南京発言問題」で幾度か触れたが、「南京事件」「南京大虐殺」その表現はさておき、いわゆる日中戦争時、南京に日本軍が入城した際、日本軍による「逸脱行為」があり、中国人の捕虜、非戦闘員などに被害が発生した事実は日中歴史共同研究においても認められている。
 外務省: 日中歴史共同研究(概要)

 また私自身は偕行社の見解を推す。
 河村市長の南京発言についてのご報告と、今日的意味 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0


 これに対して歴史修正主義者は「南京事件は無かった!」と訴えるのだが。その根拠は、「南京事件の根拠と言われた様々な証拠*2に矛盾があり、信憑性に欠けるから」というわけだ。バッカじゃなかろうか。

 存在の証明は一つでも例を提示できれば完了する。
 不在の証明は幾ら例示を行おうとできはしないのだ。

 従軍慰安婦問題もそうだ。「(強制された)従軍慰安婦は無かった」「軍の関与が無かった」
 どうすればそれら「不在の証明」ができるというのだろうか。

 2つ目は部分によって全体を語れると思っている事だ。

 奈良の街宣で生活保護の不正受給者が韓国・朝鮮人名だったことを挙げて、あたかもすべての在日韓国・朝鮮人の人が不正受給を受けているかのように話す。そりゃあ生活保護の不正受給者の中に在日韓国・朝鮮人の人が居る事もあるだろう。それを否定はしない。普通の人々であればその一定割合が違法行為を起こすことは敢えて言えば当然だろう。だからといってすべての在日韓国・朝鮮人の人々に問題があると推定するのは論理的に誤りだ。(それよりも、本当に在日特権があるのであれば、なぜ不正受給で検挙されたり報道されたりするのかね?そういった検挙を免れたり、一般の人々の目に触れないようにマスコミを「操作」してこそ「特権」なんじゃないの?)

 それとなにやら、やはり韓国・朝鮮人名の弁護士が違法行為をして弁護士資格をはく奪されたとかいう話もしていたようだったが、だから何なんだろうね。

 部分をもって全体に予断を持つというのは、人間によくある過ちとは言いながら、もう少し頭を使おうよと言いたい。

 3つ目。考え方が子どもじみている。私は度々写真を撮っていたのだが、その様子を見咎めたデモ参加者が「盗撮は止めろ」と言ってきた。私はもうすでにその場所では十分に撮影が済んだと思っていたので大人しく撮影を止めた。すると、別のデモ参加者が私の写真を撮り始めた。私が「無許可で撮影するのは盗撮なんじゃないのか?」と私を制した者に問いただすと彼は黙っていたが撮影を行った者が「お前も撮っていたからこっちも撮ったまで」と言ってきた。

 その他にも事あるごとに子どもっぽい、つまり私には非常に懐かしい、屁理屈が飛んできた。(そもそも彼らのデモは合目的的とは言えない。すでにその存在は目的を離れて別の要求を満たすに至っている。この目的の喪失も子どもっぽい)

 いかんいかん。
 だらだらと書き過ぎた。

 最後に5月10日の奈良における「街宣」の様子を紹介して、後半に続く事にする。


 奈良における彼らの行動は「街宣」であって、近鉄奈良駅の街頭で固定的に街宣を行っていた。上に天井があるような構造の場所で、高出力のトラメガを二つ並べて行う街宣は鼓膜や耳というよりも直接頭蓋骨が響きそうな勢いだったが、それでも警察に取り囲まれ、その周りをアンチが囲んだ状態では、一般の通行人は在特会の様子を見る事も出来なかったし、アンチが延々野次り倒していたので街宣の内容も届かなかったようだ。

 さて、このイメージが当時の状況だ。実は現場である近鉄奈良駅前には「行基上人」の像が立っている。行基上人は東大寺建立の責任者として有名だが、朝廷に止められながらも民衆に仏教を広め、困窮者の為の布施屋や溜池、用水、橋などの建設も行い、奈良の住民にとっては街を作った恩人であり、敬愛する存在だ。「行基菩薩」と崇められてもいる。当日も像の前には生花が立てられていた。

 さて、この日本で最初に「大僧正」となられ、菩薩とまで言われる行基上人、百済系の渡来氏族である。今風に言うと「在日二世、三世」という事になる。

 その行基上人の像の前で「在日韓国人は出て行け」だの「在日朝鮮人を日本から叩き出せ」だのと街宣していたのだ。これが戯画でなくてなんだろう。ひょっとして奈良県警の仕掛けたギャグなのか?

 というわけで、明日に続く。



追記:

ちなみに、これが私が奈良で掲げていたプラカード。


好評らしくわざわざ声を掛けていただいたり、写真に撮っていく人もいた。


*1:あまり取り上げる必要もありませんが

*2:主に写真や文書