本日のエントリを前に、前回の文章で書き洩らしていたことを。
減税日本ナゴヤの個人質問の中で2つ奇異に感じたものがあった。(というか、奇異に感じる事は幾つもあるが、文章にして取り上げようという気になるものが2つぐらいしかないという事だ)
一つは非常に珍しい事に個人質問が一人分丸々抜けることになった。
最終日に用意されていたらしい浅井康正元団長の質問が、本人がインフルエンザで登庁不能という事で飛ばされた。質問項目は「1.入札制度について、2.救急カプセルの普及促進について」という事だった。どのような質問がなされる予定だったのか、それぐらいは聞きたいものだが公表されていない。
http://y-asai.net/
もう一つは山田さんの質問だ。
そもそも山田さんの質問については2つ予定されていたようだが「時間の都合で割愛」されたようだ。しかし、予定表には25分を取ってあったようだが15分程度しか使わなかったのではないのだろうか?さらにいうと、この浅井さんの質問時間というのも「余らせていた」わけで。充分時間はあっただろうと思うのだがなぜ割愛されたのだろうか?
追記:
録画が公開されている。
確認したところ23分程度かかっていたようだ。
名古屋市会本会議中継
追加質問部分の手持無沙汰感が半端ないのだが。
割愛された質問項目は事前通告では「十分な競争性を確保した行政評価のあり方について」という事だったらしい。ぜひ内容を知りたいものだ。
山田まな 活動日記
やはり公表されていない。
もう一つは「戦略的な広報・広聴の推進について」ということで、山田さんの主張は広報と広聴を一本化して市長直属の下に置くべきだ。というようなものだった。
名古屋市では現在、広聴については市民経済局市民生活部広聴課が担当をしているようだ。
例えば → http://koe.city.nagoya.jp/koe_top.html
広報においては各部局がその都度広報材料を提出し、「広報幹事会」で各部局の確認、調整をしているようだ。
"平成24年度行政評価外部評価資料" の16ページを参照。
山田さんはこれではご不満らしい。
例えば一般企業で考えてみよう。家庭用品を作っている、歯磨きなどでおなじみの「ライオン」であるとかスパイス&ハーブでおなじみの「エスビー食品株式会社」などだ。
地方自治体の「広聴」というのはこういったメーカーでいえば「商品開発部門」に当たるだろう。商品やサービスを世に送る前に、その商品やサービスを実際に使う人たちがどのように受け取るのか、モニタリングする必要がある。(勿論、既存の商品に対するクレームや要望といった「消費者の声」を受け、製造部門にフィードバックする事も「広聴」機能の一つかもしれない)
消費者、受益者の受け止め方に耳を貸さず、手前勝手な商品やサービスばかりを提供していては仕事は成立しない。それは地方自治体でも民間企業でも同様だ。これらの組織に広聴機能が必要な事は間違いがない。
さて、ではこれらの企業にとって「広報」に当たるものはどこだろうか。大手の企業であれば「広報」は2つの顔を持つ。企業としてのステートメントを公表する「広報」と、商品やサービスを現業として広報する「宣伝」だ。
さて、民間企業の「商品開発部門」のモニタリング業務と、広報と宣伝は確かに企業が消費者、受益者と接する機会であることは間違いがない。しかしだからといって一元化すべきだろうか?
私は商品開発と宣伝は共同で商品開発をするべきではない。という話を聞いた事がある。*1
商品開発者というものはどうしても視点が硬直しやすい。そもそもその為に商品開発レベルでモニタリングなどを行うのだろうが、それでもモニタリングは商品開発部門の想定で行われるために、意外な市場や欠点を見落としがちだ。*2
こうして出来上がった商品やサービスについて、商品開発部門の想定だけで宣伝をしても一般消費者に届くかはなはだ怪しくなる。ここで宣伝という「他者の介在」が重要となる。
その商品開発のプロセスを知らない宣伝が、出来上がった商品やサービスを見る時には、前提となる知識を持たない一般消費者と同じ目線でその商品やサービスを見る事ができる。開発プロセスを知っている者が思いもしない意味をくみ取ってみたり、開発プロセスの中で妥協していた部分などを厳しく追及してくることもある。
こうした「他者の介在」によって、その商品やサービスは一般消費者にもなじめる物となる。
どうも山田さんは広報と広聴について決定的な勘違いをしているように思える。
こういった市民との接点を市長の下に一元化すれば、より市民と市長が触れ合えるとでも思っているのかもしれない。
しかしそれは「他者の介在」を排除し、同じような価値観や感受性を持っている者にとっては違和感のない事なのかもしれない。けれどもそれは価値観や感じ方を異とする者にとっては違和感に溢れたものであると同時に受け入れがたい不快感をもたらすものでもある。
極端な想像をすると。広聴部門で市政についての不満や問題点の指摘があった場合、その不満や問題点の指摘について、市長が「政治的判断」で受け入れがたいと判断すれば、そういった不満や問題点について不満が出ないような広報がなされるのだろうか?*3
その内、電話で不満点を市に告げると、屈強な「広報担当官」なる者が現れて「事情説明」でもしてくれるのだろうか。
私のように数々の指摘をする者に対しては2泊3日程度合宿状態で(食事も用意してくれて)取り調べ広報活動が行われるのかもしれない。
本当に、ポル・ポトの頃のカンボジアや文革の時の中国に生まれていたらフィットしたでしょうね。
ちなみにこの質問のなかで、山田さんが減税日本ナゴヤの意義として訴えるとしてきた「既得権の打破」は含まれていないように見える。質問の中に「既得権」という言葉すらなかったようだからね。
おっと、ちょこっと書き漏らした事を書くつもりがたいそうな量になってしまった。
ある会合で出会った事例について書きたいがこれではとても尺が足りそうにない。
また明日に送りましょう。
明日は3・11です。
東北ではまだ仮設住宅で暮らす方々が居ます。
3・11は終わっていません。振り返るのではなく、まだ継続中の問題として、もう一度「3・11」を考える機会にしたいですね。
「一燈照隅・萬燈遍照」
追記:
北朝鮮の最高人民会議の代議員選挙の結果が発表されたらしい。
Kim Jong Un Wins 100% of Votes in North Korea Election
異論がない事が、異論を認めないことが、如何に民主主義的に異様で醜悪な事か。
それが判らない者にはこの北朝鮮の異様な「選挙」も異様ではないのだろう。