市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「市民オンブズマンによる名古屋市議の議会質問格付け」について

 本日は1月17日の朝日新聞に載った「市民オンブズマンによる名古屋市議の議会質問格付け」について触れてみたいと思います。

 名古屋市会 議会・議員本会議質問ランキング 結果発表 : 市民オンブズマン 事務局日誌
 名古屋市議会・議員本会議質問ランキング(本文)、全データ(個別表)、及び各会派議員の意見等

 この評価基準は偏っている上に、ある重大な「陥穽」に陥っています。
 そして決定的に間違っています。

 偏っているという理由は、評価の対象が本会議における個人質問(議案外質問)に限られているということです。
 勿論、議員の仕事というのは本会議における発言だけではありません。こういった言論行為にしても、本会議の場よりも、委員会などの方がはるかに比重が高い。
 本会議の質疑応答というのは、その内容についてある程度のやり取りが事前にあるのが実情で、一面では「セレモニー」ともいわれている。本会議場という公然たる場面での発言というのは重く、その発言の重みをつけるがための儀式であると考えると、単にその質問の文字面だけを追うことに意味があるのか甚だ疑問があります。

 また、事柄によっては党や会派、または地域の意志を一人の議員が代表して発表するという場でもあるわけで、その代表者だけが評価の対象であり、裏方は評価されないというこの「ランキング」という取り扱いは議会を歪めかねないと思います。

 次に「陥穽」ですが。

 昨今の財政健全化への指向から、様々な政策に ” pay as you go原則” を求める風潮が蔓延しています。つまり「政策を進めるためには、その財政的裏付けを示せ」という一見もっともらしい風潮です。

 反貧困ネットワーク湯浅誠氏が内閣参与を辞任するに当たっての「ご報告」においてもこの問題がフレームアップされました。
 湯浅誠からのお知らせ(ホームページを開設しましたので、今後はこちらを御覧ください→ http://yuasamakoto.org ): 【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)

 また、この考え方が正しいのか再考をすべき時期に来ていると考えられます。
 結局、「政治主導」を標榜した民主党政権が、この原則による壁を打ち破ることができずに霞ヶ関(国家行政機構)に完敗したと見る事もできるのです。

 施策を進めようとする政治家が、その予算措置についてまで調整をするというのは、結局、財政健全化という美名の下、施策の進展を抑制するばかりで必要な政策の足かせになるだけです。

 また、そもそも単年度の予算規模で政策自体を勘案する事は誤りだ。

 そういった全体像を見失った財政健全化絶対視、歳出削減指向が、国家予算を収縮させ、国家経済を収縮させている。

 日本は国際的に見ても、充分「小さな政府」になっている。小さな政府という事は、日本国民は国から充分な公共サービスを受けられていないということを表す。それなのに一部の政治家、経済学者はこれ以上の歳出削減、公務員削減を求めている。

 いったいこういう人に目はあるのか、耳はあるのか。または見えていること、聴こえている事が理解できていないのか?

 非常に怪しい。

 この市民オンブスマンの質問に対する評価は3つに大分されている。
 1.事前、現場調査
 2.他都市との比較
 3.改善策

 そして、この1も3も最高得点は「予算措置にまで踏み込んでいるか」というポイントを上げている。

 この基準に倣うならば、湯浅氏が「ご報告」で述べた ” pay as you go原則”への疑問と、それ以降の議論を巻き戻して、名古屋市会を前向きの政策の進展に向かない、縮小均衡の財政運営だけを行う収縮行政に拘束する事になる。

 また、この市民オンブズマンの公表した資料でもこうある。

 自由民主党名古屋市議団の渡辺団長の指摘。
 「議員には予算提案権が認められておらず、予算編成は執行機関の専権とされているから、予算措置に踏み込むことを議員に求め、また、それを評価基準とすること自体無理がある」

 誠にご尤も。新政会の舟橋議員は次のように指摘している。
 「予算措置によらない政策の実現を求める質問は(略)どう評価されるか不明確である」

 また、舟橋議員は次のようにも指摘している。
 「質疑・質問における当局答弁の内容が、予算措置等の政策面においてどの程度反映されているか否かの観点が全く考慮されていない」
 この指摘は後ほどの問題点とも関連してくる。

 また、共産党のわしの議員は
 「財源の確保の提案が抽象的という評価ですが、減税財源確保の事業仕分けは、福祉切り捨てのお墨付きになるのでやめるべきという質問です。(略)そういうやり方をやめなさいという質問なので抽象的とは思えないのですが」と指摘している。


 つまり、予算措置に踏み込むか否かは質問の論点に拠るのであって、常に取り扱う問題ではない。逆に、わしの議員の指摘の様に、そのフレーム全体を取上げた質問について評価されないというのであれば、いったい何を評価しているのか理解に苦しむ。

 つまり、この評価基準は、すでに指摘され、反省、見直しが進んでいる ” pay as you go原則” への陥穽に落ち込む、一周遅れの基準である。

 次に決定的に間違っている点。

 今回、この市民オンブズマンの発表を取上げた新聞は朝日新聞だけだったようだ。朝日新聞も同様の陥穽に落ち込んだままなので、この評価結果を批判的に見ることができなかったのだろうか?

 なぜ、それほど他のメディアが相手にしなかったのか。

 それはこの評価で一位をとったのが減税日本ゴヤの山田さんだったということが象徴的に表している。つまり「この評価基準は”ヘン”だ」

 と、減税日本ゴヤの山田さんや、彼女を評価する減税日本関係者。またはオンブズマンの関係者の方々は、この私の見解こそが偏った誤りであると思っていただいて結構です。
 特に、山田さんについては、良かったではないですか。市民オンブズマンはあなたの質問を高く評価して、あなた方の行う本会議質問こそが、名古屋市会の見本となり、今後も拡大すべきであると思っていらっしゃるわけですから、是非その方向で進んでいただきたい。
 残りの任期も、是非こういった市民オンブズマンの評価基準を指標として、質問を構成されれば良いと思います。それが市当局の担当者の望みでもありましょう。(ここから小さい声で読んでください)そして、本会議は実りの少ない、退屈な場となる事なんでしょうゴニョゴニョ。


 ここからは私の偏った、誤った意見。

 本会議の質問など、先にも言ったように半分はセレモニーです。質問事項も回答も予め用意されています。それでもわざわざ仰々しく本会議を開く意味は何か。
 日本において、様々な書類に仰々しく印鑑を捺す理由は何か?

 印影など、その気になれば偽造など幾らでもできる。欧米におけるサインも同様。

 しかし、それらが尊重される理由は、人間にはそういったセレモニーを仕立てて、改めて言挙げすることが必要な事柄がある。という理由に他ならない。そういった「ケジメ」を認めるからこそ、法的にも「有印」であるか否かという価値の相違が認められている。

 では、そういったセレモニーにおける質問の意味とは何か。

 たった一つ。

 市当局からどのような回答を引き出すか。

 でしょう。

 調査など、やったかやらないかなんて関係ない。他都市との比較も関係ない。予算措置など、渡辺市議が言うように、市当局が考えれば良いのであって、議会の与り知らぬ事柄です。

 問題は、市当局に本会議場で「●●を行います」と言わせるか言わせないかです。

 こういった言葉によって、政策が具体化し、「意味のある質問」となるのです。単なる言葉に血肉が通うのです。

 その点、減税日本ゴヤの質問は、山田さんの質問をはじめ、こういった「意味のある質問」がほとんど無い。(ざっと見ると田山現副議長が最初に行った本会議質問はすぐに、本当にすぐに具体的な政策になりましたね。まるで質問の前から決まっていたように見えましたが)

 山田さんの質問で行政の何が変わったのでしょうか?

 毎議会で新聞各紙が議会質問を要約して取上げます。特に中日新聞はやはり地元というだけあって熱心です。そういった紙面で減税日本ゴヤの質問が取上げられることはほとんど無い。なぜか。具体的に政策を動かさない、単なる「研究発表」なので質問の意味が無いからですよ。

 上で舟橋議員も指摘しているように、質問の評価をするのであれば、その質問に対する市当局からの回答も対象としなければならない。単に質問を形式的に評価しても何も意味は無い。それは単なる「学習発表会」「研究発表会」の評価でしかないのです。

 これがこの評価の「決定的に間違」っている点です。

 ただ、これは私の個人的な見解ですから、減税日本ゴヤの皆さん、特に山田さんは、今後もご自分の思われるように突き進んでいただきたいと思います。