市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

市民の為にあるのか

 いまではNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の脚本を担当し、大人気を博している宮藤官九郎さんが、名古屋市長を表敬訪問したそうだ。

宮藤官九郎さん、河村市長に「まず人の話を…」

 28日から東宝系で公開される映画「謝罪の王様」で主演した阿部サダヲさんや脚本を担当した宮藤官九郎さんらが19日、撮影に使った名古屋市役所河村たかし市長を表敬訪問した。


 身内の不祥事で謝罪続きの河村市長に、宮藤さんは「まず人の話を聞いた方がいい」とアドバイスしていた。

 「謝罪の王様」は阿部さんふんする「謝罪師」が、降りかかる難題を謝ることで解決していく姿を描く娯楽作品。作中では市役所貴賓室が総理官邸、同市東区の市政資料館の中央階段が架空の「マンタン王国」の迎賓館の設定になっている。

 河村市長は代表を務める地域政党減税日本の市議らが政務調査費の不正受給を指摘されるなど謝罪を重ねている。この日は阿部さんらに「人生謝ってばっかり」と嘆き、「給与800万円でやっとる。やけくそですわ」とぼやきが止まらなかった。

 その後の記者会見で宮藤さんは「あんなに人の話を聞かない人だとは思わなかった。まず人の話を聞くことからじゃないですか。お大事にという感じです」と苦笑い。阿部さんも「あの調子だと映画を見ないのでは。ぜひ見てもらいたい」と念を押していた。

(2013年9月19日19時51分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130919-OYT1T01103.htm?from=tw

 普通であればこんな「ほのぼのネタ」なら、たんに顔の皮が緩む形の笑顔が生まれてもよさそうなものなのに、なんとなく引きつったような、そう、嘲笑のような笑顔になるのは何故なんだろうか?

 というか、さすがにクドカン、国民的人気を博したドラマを描くだけあって、人間観察には優れている。


 最近、河村氏は「戦っている」という言葉をよく使う。

 彼は誰と何を戦っているのだろうか?

 ここの所、立て続けに発生した党内での公金の扱いに付いて「戦う」ような要素があるとは思えない。一つ一つを対応すればよいのだろうし、党内の制度などに問題があれば改善すればよい。それは「戦い」ではなく共同作業になるだろう。

 昨年の衆議院選挙から続く連続の選挙戦敗北と「戦って」いるのだろうか?
 市長選挙も得票数で言えば三分の二に支持を減らした事になってしまったわけだし、同時に行われた市議補選も散々な結果に終わった。
 昨年の衆議院選挙の壊滅的な敗北は言うに及ばず、この参議院選挙においても名古屋市内における得票数は6万9千票に留まった。

 しかし、次に控える県議、市議改選に備えて「戦っている」ようにも見えない。


 私には、こういった「厳しい現実」と「戦っている」ように思える。

 河村氏の心に進入する、自分を批判する声、現実と「戦い」そういった声や事実を見ないようにしていると思えてならない。

 天白区の説明会でも、会場から厳しい声がかけられた際に、河村氏はじっと目を瞑り、腕を胸で組んで頭を下げ、その厳しい指摘から逃れるかのように体を硬くしていた。

 こういった批判や現実の問題が、実は党を改善し、自身の政治的基盤の再構築になるのだろうに、それを無視して。

 結局、河村氏は裸の王様となり、誰の声も耳に入らない。
 その為にいよいよ現実と遊離していくのだろう。


 その一つの傍証が今定例会における最重要課題だ。
 今更「議員報酬半減、年間800万円の制度化」なんぞ、本当に一部の市民しか受け入れない。そもそも三大公約の内で、唯一形になっているのがこの議員報酬半減だが、その議員立法を成し遂げたのはすでに減税から袂を分かったメインバーであるし、この制度が現実のものになった今、河村氏のいうような効果が上がったようには見えない。

 (河村氏は、議員報酬が市民並みになれば、市民がこぞって議会に参加するといっていたが、市長選挙と同時に行われた市議補選に、候補者が殺到したという話はなかった)



 本当は今日はブログを更新するつもりはなかった。
 実は、私のもっとも心酔する「演説」の新しいバージョン(?)に出会って、思わずブログを書き始めた。

 排除では政治は成り立たない。ましてや地方政治では排除からは何も生まれない。

私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。
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常識のある世界のために闘おう。

そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。

 河村氏の癖で一つ気になることがある。批判に対して「鼻で笑う」癖がある。
 減税に論理的根拠がないと言うと「ふん、馬鹿なこと言っちゃいけませんよ、これが正しい経済理論ですよ」などと返す。

 私のブログもたいがい「上から目線」と言われているが、それでも根拠を示すだろう。

 根拠もなく決め付ける態度こそが「人を見下す態度」ではないだろうか。


 河村氏は「判ってくれない」と思っているのかもしれないが、彼の発言こそが、判るような説得力を持っていない。

 なぜ、ここで今、議員報酬を800万円に固定しなければならないのか?
 物価やら社会状況の変化に対応できなくて良いのだろうか?


 そして、安い報酬しか提示できない名古屋市会の議員という仕事に、参入する人々は増えるのだろうか?減るのではないか?減れば参入障壁が下がる。そしてどんどん質も落ちるだろう。

 それで市民の幸せは保てるのだろうか?

 そもそも、今の名古屋は議員報酬なんぞ議論している時なのだろうか?

 この9月定例議会は異常だ。

 結局、共産党減税日本ゴヤだけが市長提出案件への個人質疑を行い、他党は全て「議案外質問」になっている。
 市長提出案件自体が少ないという事情もある。これも問題だが、その提出案件が市民生活などとはおよそ関係ないこと、議論すら無駄な事だという事だろう。

 河村氏は何と戦っているのだろうか?
 この市長提案は、市民の為にあるのだろうか?

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