本日の文章は二部構成になる。後半の話題は徐々に非常に理屈っぽくなってくる。
まず、比較的簡単で、私としては楽しい話題から。
暫く前にデトロイト市の財政的破綻が報じられた。その直後に、総工費440億円以上のホッケー場建設計画が報じられた。
デトロイト市、総工費440億円以上のホッケー場建設へ - CNN.co.jp
そして当ブログ上で、この計画は「正しい」のか「正しくない」のかと問いかけを行った。
映画「ガリレオ」の話プラス1 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
市自体が財政破綻する中で、さらに多額の予算を使ってホッケー場を建設するとは何事だ!という感覚が起こるのだろうか。(この「感覚の問題」は後述)
またCNNの記事にあるように「スタジアムの建設はデトロイトに人や民間投資を呼び込むために必要な経済開発計画」であるという主張も理解できる。そしてさらにそれに反論する「試合観戦のための訪問ではなく、定住してもらいたかったら、学校を建設し、警官を増員すべきだ」という主張ももっともなものだろう。
ここで私はまた一つの映画を連想してしまう。
その映画は「ザ・タウン」という映画だ。【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|ザ・タウン
舞台はデトロイトではなくこれはボストン、それも年間に300件の強盗が起こるというチャールズ・タウンを舞台にしている。強盗団のダグ・マクレイ(ベン・アフレック)は元アイスホッケー選手。プロとしての道が絶たれ、生まれ故郷のチャールズ・タウンに舞い戻り、幼馴染のコフリン(ジェレミー・レナー)*1らと強盗団を組んでいる。
襲撃先にされた銀行の女性支店長であるクレア(レベッカ・ホール)とダグは出会い、やがて彼の中に変化が生じる。
主人公の家庭環境、街の経済的苦境。そしてそこから這い上がる夢であったアイスホッケーでの挫折。
この映画のオープニングシーン*2は、そのチャールズ・タウンにある閉鎖されたアイススケート場から始まる。ダグの子どもの頃は、ここで夢を追いかける子ども達がいた。彼もその一人だった。しかし今は誰もいない。寂れた廃墟であり、自分たちのような強盗団が、よからぬ計画を話し合うような場所になりさがってしまっている。
私にはデトロイト市のスタジアム建設が「正しい」か「正しくない」か判らない。
先のブログを踏まえると、その判断を為すべき「すべてを知った上で自分の進む道を決めること」が肝要であり、そういった情報が無い状態で「正しい」とか「正しくない」とかといった判断をすること自体が予見であり、誤りとなるだろう。
河村流減税政策の誤り
当ブログは元々名古屋における地域委員会の問題を整理するために開設したのだが、河村氏の三大公約とやらについてはガッチリコミットさせられる結果となってしまった。
その中でも「特異」な減税政策については、これだけのエントリーが既にある。
記事一覧 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
昨日(7月31日)、その河村氏自身が次のような発言をツイッター上で行った。
河村 たかし(本人) on Twitter: "今、東京から名古屋JR最終,掛川あたり。しかし、なんで減税、広まらん。やっぱし、財政危機という名の大誤解か、一般政府(国、地方)に借金は、国、地方そのものの借金ではにゃあ。国、地方は国、地方のいわば総務部。会社を区分会計したら、総務部は赤字に決まっとる。稼ぐのは、営業だがね。" / Twitter
「なんで減税、広まらん」という愚痴でしょうが、簡単な事です。河村流減税論は間違っているために広まらないのです。
そもそも経済政策には、大きく分けて二方向の政策があります。
通貨流通を拡大させ経済を過熱させる政策と、逆に通貨を抑制して過熱した経済を冷ます政策です。河村流減税はこの内、後者の「過熱した経済を冷ます政策」に当たります。「通貨流通量を抑制する政策」です。ですから、インフレが更新したような場合には選択肢の一つとして実施される可能性もあるでしょうが、現在のようなデフレ期に行うのは誤りです。
また、そもそも河村氏の経済政策には、こういった経済政策の方向性という議論がありません。常に、どんな時でも「減税政策を進めることが正しい」とするのは明白な誤りです。
実はこういった批判について、それなりに気にされていたようで。減税日本のHPに減税政策についての追加記述があります。
Q.名古屋市の5%減税について「実感が無い」という意見があります
。 Q.行革で生み出した額を減税すると、乗数効果の観点から経済にマイナス効果では
政策Q&A | 減税日本。
これらへの回答について、逐次的に「つっこみ」を入れていきましょう。
Q.名古屋市の5%減税について「実感が無い」という意見があります
。
A.減税や公共事業といった経済対策は、その額に応じて経済効果は必ず生じます。ただし「経済効果」を直ちに多くの人が「実感」することは、アベノミクスでもそうですが、難しいものです。
まあ、この回答は主観的な「実感」を感じているかどうかという話なので議論にもなりません。しかし「 その額に応じて経済効果は必ず生じます」というのはいかにもな言い方ではないでしょうかね?
名古屋の市民税減税5%、年間約100億円という額は、一回あたり、市民一人あたりでは確かに実感としては驚く程の実感を与えることは無いかも知れませんが、積み重ねることによって確実に効果が生じます。
この文章センテンスを読んだ時に、私は一番怒りを感じましたね。
ごまかし、言い訳をするにしても、筆者の誠意が感じられない。
読み直し、推敲もしていないんでしょう。
「実感としては驚く程の実感を与えることは無い」っていったいどういう言葉なんでしょうかね?
追記:
「いったいどういう言葉遣い」ということですね。
文章力、表現力がないとするならば、それは「口下手の政治家」と言っているに等しいのでしょうかね?「口下手の政治家」なんて、「味音痴の料理人」に等しいのではないのですか?
また現在は三割自治と言われるほど地方自治体の自主財源は限定されていますが、これが地方分権により改善されれば、より大幅な減税が可能となり、実感も増すことが期待できます。
つまり、税の所得再分配機能を否定して、豊かな名古屋に税を戻し、それを「より大幅な減税」としてばら撒くと言っているのですよね。
所得の再分配先には東北などの被災地もあるのでしょうし、今年も各地方の山村などでは豪雨の被害を受けているわけです。
しかし、こういった地方を支えるのは限定された自主財源なわけですよ。
しかし、こういった地方が限定された自主財源だけで支えられるわけなどない。
豊かな名古屋が自分たちの税を自分たちだけで使い、自立できない地域は切り捨てる。自分たちだけ豊かになれば、地方の事は顧みない。
こんな政策が広まるわけがない。
広まったなら、日本はそれで終了です。
追記:
ご意見をいただいたので記載しておく。
ここで「三割自治」と言う言葉が使われているが、名古屋市も愛知県も「三割自治」という言葉には程遠い。
http://www.city.nagoya.jp/zaisei/page/0000041965.html
4番目の図表「歳入構成比の推移」を見ると、自主財源である「市税」が常に4割以上。好調なときには5割に近くなっていることが見てとれる。
http://www.pref.aichi.jp/cmsfiles/contents/0000058/58634/25-03.pdf
また、すでにこの値が地方の自立性を表すというには乱暴すぎるという意見が一般的となっている。減税日本、河村氏の主張する発言が古めかしいのは何故なんだろうか?
Q.行革で生み出した額を減税すると、乗数効果の観点から経済にマイナス効果では
。
A.経済は生き物であり、景気は将来への期待や消費マインドに大きく依存しています。減税には消費マインドを向上させる効果があり、それが経済的にプラス効果をもたらすことが期待できます。
つまり、当ブログでいうと、この議論ですね。
「正しい経済学」が導く減税の意味(前編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
「正しい経済学」が導く減税の意味(後編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
特に、後ほどの議論で参考にしますので、その文章でもご紹介した麻生良文先生の「減税の効果 公共経済論Ⅱ No.4」は是非ダウンロードしてご覧いただきたいと思います。
(クリックするとダウンロードが始まるので注意)ここ
(インターネット・アーカイブ:5月19日にアーカイブが作成されています。)
(インターネット・アーカイブ:ppt ファイルのダウンロードが始まります。)
また、ファイルは Microsoft PowerPoint を使って作られています。
同ソフトをお持ちでない場合は、OpenOffice Impress でも閲覧可能です。 OpenOffice
ここでちょっと脇道にそれますが。この減税の理論を理解するためには公共経済学の知識が必要となります。公共経済学は市場経済だけでは、資源配分の効率性と所得配分の公平性が保たれないとの問題意識から、公共的な経済活動の分析を行うべく形成された経済学となっています。
どうも、新自由主義的な主張をされる方々は、こういった市場経済の問題点を理解せずに、公共セクタに市場原理主義を(乱暴に)導入されているように思われます。
先ほどのデトロイトにおけるスタジアム建設の話題の際に「市が財政破綻する中で、多額の予算を使ってホッケー場を建設するとは何事だ!」という「感覚」は重要といいました。
個人や私企業が収益も出さないうちに高価な買い物をすることは異常でしょうが、公的セクタにとってはそうとは限らないのです。つまり、この感覚は公共経済学の問題と市場原理の問題が未分化のまま把握されているということになります。
さて、元の話題に戻りましょう。減税日本の説明は次のように続きます。
乗数効果の元となる消費性向はあくまで結果の数値であり、所与のものとしてとらえるのは間違いです。消費性向は100%にはなり得ないので、どんどん増税して行政が支出に回す方が一見景気にプラス効果をもたらすように見えます。実際、そのような論を菅直人政権時にブレーンである小野善康阪大教授が提唱して、それが民主党増税路線のきっかけとなりましたが、現実には97年の消費増税時に顕著に見られるように、デフレ下での増税は消費および消費マインドを大きく冷やし、税率があがったのに税収は減ってしまうという惨憺たる結果を招きました。
議論が摩り替わっている事は明白ですよね。
確かに乗数の元となる消費性向は定まった値ではありません。その時々の経済状態や社会状態によって変化する値です。
しかし、その消費性向(c)は国民所得の増分を求める際、政府支出の増分の場合は、
という式になり。
税の削減分(減税分)の場合は
という式になるのです。
つまり、係数の分母に 消費性向(c)が乗ってしまう分、政府支出のほうが減税よりも乗数効果は高くなるということです。これは消費性向(c)が 1 よりも小さい限り(100%にならない限り)どのような値をとっても同じです。*3
こんなのもありました: マクロ経済についての質問です!政府支出乗数と租税乗数はなぜ値... - Yahoo!知恵袋
追記:
これでも良く判らないという指摘を受けました。
補足すると、減税日本の主張は「消費性向(c)はマインドによって変化するので消費を喚起するようにすれば良い」という主張のようです。しかし、そうやって消費性向(c)の値を変化させ、消費を喚起しても、政府支出による乗数効果の方が優位であることには変わらないということです。常に「1(つまり、政策的支出分)」だけ減税による経済の押し上げ効果よりも、政府支出による押し上げ効果の方が高くなるのです。
97年の消費増税時の問題はもっと広範な検討を要すると思うのですが、「行革で生み出した額を減税すると、乗数効果の観点から経済にマイナス」かどうかという設問とは関係ありません。シンプルに数理的に、そして明確にマイナスであることが証明できます。
経済政策で大事なことは人々の期待やマインドに働きかけることです。これから名古屋では減税が継続、拡大する、と宣言することが大事です。
ここで先ほどダウンロードをお願いした麻生先生の資料をご覧いただきたい。
前回(2011年12月)の際には途中で議論を打ち切っていたのですが、実はその資料にこの「マインド」の話題も出ています。
同資料の27ページに「リカードの等価定理(2)」という題名があります。
リカードの中立命題(同世代モデル)からバローの中立命題(世代間モデル)の議論をしている部分です。
ここでは次のように述べられています。
・現在の減税は,将来,割引価値でみて同額の増税が必要
・公債発行は課税のタイミングの変更に過ぎない
・家計がこのことを認識していれば消費を増加させない
(略)
・減税の景気刺激効果を否定
つまり簡単な事です。
十分に知恵のある経済単位(個人・家庭・企業)は、減税政策が為された際に、その課税負担が将来に先送りされただけであることを理解する。ゆえに、その将来の負担増に備えて消費を増大させない。
名古屋においても市債発行残高は積みあがっています。減税をする余裕があればこの市債を償還しても良かったのですが、減税を選択しました。つまり、市債の償還は将来に先送りしただけなのです。
河村氏や減税日本支持者の方々は、「 これから名古屋では減税が継続、拡大する」と宣言されれば消費性向が上がるとお考えのようですが、一般的な経済学の知見では上がりません。逆に下がります。それは一般的な経済学においては、皆が論理的に正しい選好をすると前提しているからです。
こういった考え方を “rational expectations hypothesis” 「合理的期待形成仮説」と言っています。
これが「正しい経済学」の答えです。
また名古屋市民税減税の財源のひとつに市役所職員給与減がありますが、市役所職員は約4割が市外在住のため、市民税減税は名古屋市外から名古屋市内への所得移転という側面もあり、名古屋市域の経済への好影響が期待できます。
まあ、最後のこのセンテンスについては敢えて批判もせずにおきましょう。紙幅もありませんし、あまりに馬鹿げていますから。