市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

もはや無茶苦茶である


 もはや無茶苦茶である。
 名古屋市に市政はない。

 今、私の手元に一枚の書類がある。
 この書類をみると2つの事に気づかされる。

 この文書を作った人物は名古屋市の市政、いや、そもそも地方自治体とその議会の仕組みを理解していない。
 そして、この文書を作った人物は自分以外の他者を尊重しようという気持ちに欠けている。つまり、非常にわがまま勝手な人物であることがわかる。

政を司るという事

 この週末、高速道路を運転した。梅雨の晴れ間の行楽日和で、名古屋に帰る際には事故も発生して渋滞に出くわした。高速道路での渋滞では、ノロノロとアイドリング状態のまま、ブレーキもアクセルも踏まないスピードで前の車の後を追うような形になる。
 すでに一部メーカーの自動車には先行する車両との距離を適切に保って、異常な接近を感知すると車自身が追突を防止するために自動でブレーキをかけるシステムが入っているらしい。
 技術的には先行する車両を決めて、その後を適切な車間距離を保ちながらついていくということも可能のようだ。
 ボルボが開発した運転は先頭車両に任せる半自動運転システム「ロードトレイン」がスゴイ!! | コモンポスト

 つまり、高速道路などで先行車を決めれば、先頭車両の運転手だけが運転して、追従する車両の運転手は寝ていても良いという事になる。
 ノロノロの高速道路での渋滞に一時間弱も巻き込まれていると、早くこういった技術が実用化されて、せめてノロノロ運転の区間だけでも自動運転してくれないものかと思えてしまう。

 実はこういう技術の実用化を阻んでいる一番の問題は「責任」という問題のようだ。

 自動運転のシステムを搭載した自動車が実用化されて、それが事故に巻き込まれた場合、その事故の責任を負うのはシステムを提供したメーカーか、ドライバーか。

 また、こういったシステムが発展してゆけば、貨物運輸を行うトラックの運行もシステム任せにしてしまい、無人化できる可能性もある。果たしてそれは可能か?

 どれほどシステムに信頼性があろうと、最終的には人間が「責任」を取る事になりそうだ。

 運転手は運転手の責任において自動追尾システムによって自動運転ドライブを楽しむことになるのだろうし、無人の貨物システムが可能でも運行責任者となる「オペレーター」は必要とされるのだろう。(その「オペレーター」が一人で何台の車両を見るのかは判らないが)

 小さな車一台を運行するにも、そこには「責任者」としての運転手がいる。ひとつ間違えればヒトの命にも関わる事なのだから当然だ。

 ところが、この260226万都市の名古屋市における政治については、その責任を取る人間がいない。

 名古屋の市政に対して責任を取ろうという人物ならば、名古屋の政治がどのような仕組みで、どのような約束事で成立しているか熟知していなければならない筈だ。
 つまり、地方自治体とその地方自治体の議会ついての仕組みを理解していない人物は、地方自治体の行政運営に責任を負えるはずはなく、そのような人物が名古屋の市政に責任を負うことはできない。

 「政を司る」ということは、その「政」について責任を取るということである。
 そして、皆が、「責任を取って司る」と宣言した人物に政を任せるのは、その人物がその「政」について、誰よりもよく知っていると思うからであり。誰よりもうまく運営することができると信じるからである。


 ところが、その人物はこの4年間、その地位に就いていながら、結果として基本的な仕組みも理解していなかったのである。

現代において他者を尊重するということ

 前節では前振りが余りに長かったので、この節では結論から申し上げよう。

 現代において、他者を尊重するヒトは時間を守る。

 逆に、時間にルーズな者は他者に対する敬意や、尊重という念が欠けている。


 人間が時間の概念に厳密になったのは産業革命以降だそうだ。産業革命以前であれば、仕事いうのはおおよそそれぞれ個人の力に合わせて行われていた。産業革命における分業、分割生産方式は前工程と後工程という概念を生み出し、ヒトは一定の時期までに一定の成果を成し遂げることが必要とされた。

 ヒトが一人で居るのであれば、時間の概念はおおよそのままで良い。しかし、他者と約束をするようになると、正確な時間が必要となる。また正確な時間を守るヒトというのは、この他者との約束を守ろうとするヒトという事となる。

 社会において時間、期日を守るということは非常に重要な意味を持つ。

 さて、そろそろ、私がどんな書類を見てこの長口舌を並べているか、種明かしをしましょう。書類のタイトルは「嘱託員不正採用事案に係る事実究明についての申し入れ」である。発行日付は「平成25年6月18日」あて先は「名古屋市会議長 藤田和秀様」発行者は「名古屋市長 河村たかし」となっている。

嘱託員不正採用事案に係る事実究明についての申し入れ

名古屋市会議長
 藤田 和秀様

平成25年6月18日
嘱託員不正採用事案に係る事実究明についての申し入れ
 日頃より市政運営にご理解、ご協力をいただき感謝申し上げます。

 さて、標記の件に関しまして、本日、関係職員の処分を行うとともに、私を始めとした職員・関係者の管理監督責任について決定いたしました。

 当事案に関しましては、去る4月3日に取りまとめられた専門調査委員による中間報告書において、関係職員が行った不正行為の背景に特定の議員からの要請があったことが報告されております。

 こうした中で、この度、関係職員の処分等を行いましたが、一方で、当該職員に要請を行ったとされる議員については、専門調査委員による事情聴取の要請にも応じられていないままであり、誠に残念ながら、このままでは市政に対する市民の信頼を構築することは極めて難しい状況にあると言わざるを得ません。

 したがいまして、貴議会における自主的な取り組みとして、地方自治法第百条に基づく調査委員会を設置し、法によって付与された権限に基づき必要な調査等を行うなど、当事案の事実の究明に向けて適切な措置を執っていただくよう申し入れます。

 市長が、地方自治体の議長に「百条委員会」の設置を申し入れるということは聞いたことがない。多分、前例は無いのではないか? (なんでも「日本初」が好きだから、良いのかもしれませんが)

 そもそもこの文書はおかしい。
 議長には百条委員会の設置権限も、発議権限もない。

 これを受け取った藤田議長も河村市長にはその旨を伝えたようだ。

 それよりも、本来百条委員会を設置するのであれば、その発議に相応しいのが理事会、または議会運営委員会といわれるものであって、それはこの書類が発行された同じ6月18日に開かれている。その席上、河村市長与党である減税日本ゴヤの中村孝道幹事長は、幾度かの発言の機会があったにも関わらず、結局百条委員会の発議は行わなかった。

 話題にすら上らなかったのである。

 それでいてその直後に、まったく筋違いにも市長自身が、議会の議長に「百条委員会」の設置を申し入れているのである。

 完全に頭からハテナマークが飛び出します。

 そもそも「百条委員会」が調査する対象は地方自治体の事務であって、その執行主体は市長だ。河村市長は自身の執行する事務について、議会に調査をしてくれと言っているということ?

 自分の行動を自分では判らないから、他人に調査してくれって?

 しかし、その場合でも議会は議会であって、議長ではない。この場合の議会と議長の意味も判ってないという事?

 この文章は幾重にも矛盾だらけだ。*1

 結局、この文書を発行した河村市長は、この事案の真相が究明されていないと看做しているのだろうか?
 真相が究明されていないとするならば、いまの段階で「関係職員の処分等を行いました」というのはどういった事なんだろうか?

 こちらにオンブズマンが手に入れた市政記者クラブ向けの資料がある。

 http://nagoya.ombudsman.jp/data/130618.pdf

 処分を下すのであれば、厳正な根拠が必要となるだろう。事実、この処分では二人の人物が「懲戒免職」という重い処分を受けている。検察における判断は「不起訴(起訴猶予)」であるのにだ。

 いったい、名古屋市は、河村市長はどのような根拠から、この二名に対して処分を言い渡すことができたのだろうか?

 きわどく「根拠」と呼べそうなものは4月3日(ちなみに名古屋市長選挙の告示日は4月7日である)に提出された「中間報告」しかない。

 しかし、この「中間報告」には根幹部分に事実誤認があり、とても信憑性のあるものとは思われない*2。逆に、一定の意図をもった恣意性の高い文章であると断じざるを得ない。

 そして、これも摩訶不思議な話だが、この調査グループの会合が明けて本日(6月21日)に行われるというのだ。

 で、あるのなら、6月21日に最終報告を提出させて、それを受けて処分を発表しても遅くは無いのではないか。なぜ、18日に処分を発表したのか。

 実は、市長への処分「減給10分の5・3月分」を、来る参議院選挙までに下しておくには、この6月定例会に上程しなければならない。なので、「中間報告」(それも信憑性を疑われている)を根拠として処分の結論を急いだ。これ以外に18日の処分、6月定例会に間に合わせるという理由が見当たらない。

 確かに、退潮著しい第三極、減税日本としてみれば、既存政党や既存議会に対する批判ぐらいしか既に選挙の争点が見当たらない。その為に検察は不起訴とし、事実関係は曖昧なままであっても、当該職員を「懲戒免職」という厳しい処分に付し、必要以上に出来事を大げさに見せようとしているとしか思えない。

 ここで、検察の判断に準じて、軽い処分で済ませてしまっては、「市政への信頼の根幹を揺るがす」などと大言をした手前、格好が付かないのだろう。

 こういった人事案件、事件の処理を政局の具にするという事も破廉恥だが、そのような政局的策謀を、これほどまでに泥縄式に展開して恥じないという時間感覚も恐ろしい。
 「自分以外の他者を尊重しようという気持ちに欠けている。つまり、非常にわがまま勝手な人物である」と断じる所以である。

 また、このように筋違い、矛盾だらけの文章を行政のシステムに投げ込んで恥じないという感覚自体、すでに「裸の王様」と言ってもいいだろう。

 「この書類を作った人物は名古屋市の市政、いや、そもそも地方自治体とその議会の仕組みを理解していない」と断じる所以である。

 もはや無茶苦茶である。


追記:

 http://nagoya.ombudsman.jp/data/130618.pdf

 このオンブズマンの公表している市政記者クラブ向けの資料には幾つか気になる点がある。「概要」以降の事実関係に時系列が無いこともその一つだが、「本件事案に係る不適切な情報管理について」という項目も気にかかる。

 「本件に係る情報が外部に流出したと判断せざるを得ない事案が発生いたしました。
 情報流出の原因は判明しておりませんが、事案の重要性に鑑み、管理監督責任を問うことといたしました」としている。つまり、一部のマスコミに、この三人の処分が正式発表前に漏れていたのだが、では誰が漏らしたのか?

 文書では副市長などが「市長口頭厳重注意」を受けているが、果たして管理監督責任者とは誰なのだろうか?


*1:もう一重の矛盾として、市長は真相究明のための弁護士調査チームを雇っている。この経費は4ヶ月で約200万円だそうだ

*2:実行者の主査(当時)が犯行の動機として、イントラネットによる委員会審議を見て当該議員に対する畏怖の念を抱き、それが圧力となって違法行為に及んだとされているが、この動機の根拠とされたイントラネットによる委員会中継は当時まだ行われていなかった