市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

片山氏に対する糾弾とその反論について

インターネット(双方向メディア)が替える政治の現場

 「最近の政治家は小粒になった、昔の政治家にはカリスマ性があった」

 などという意見を聞くことがあります。
 私は実は逆なのではないかと思っています。

 今も昔も、等身大の政治家は人間的に立派な人もいたが、失敗やミスもした。
 昔はメディアが発達していなかったので、こういった失敗やミスは一般に伝わらず、結果として過大な虚像が流布することとなった。
 しかし、現在はメディアの発達のために、政治家の実像がリアルタイムで一般の人々の目に触れることとなり、その「小粒さ」(ある意味では人間的な側面)が伝わってしまう。

 佐藤栄作元首相が辞職会見の際に、新聞記者を排除してテレビだけを残した姿は、今思えば佐藤氏の人間的な側面(弱さ)だったのかもしれませんが、前後関係がよくわからなかったので、佐藤氏のカリスマ性を毀損するまでには至りませんでした。

 時代が下って、田中首相の自宅前で門前払いを受けた竹下元首相を写し続けたテレビ映像は、その隠然たる力をさておき、竹下登という「弱さ」をもった人物を国民の前に提示してみせました。

 そして、現在に至って、ひとつの政治的ムーブメントを築きかけた橋下大阪市長は、ツイッターという双方向リアルタイムメディアにおいて、矛盾や言い逃ればかりを繰り返す「とても信用できない人物」の姿を曝け出してしまいました。

 このように等身大の情報、または本人発信の生の言葉がそのまま国民に広く行き渡るインフラが整った社会であれば、有権者は政治家に対し、従来のようにカリスマ性や隠然たる力を期待する事はないだろうと思われます。そういった「神秘性」の仮面は容易に剥がされてしまうでしょう。

 そうではなく、一個の人間として政治家を現実的に捉え、その人物の熱意や能力、ビジョンや信頼性を、有権者自身が同じ高さに立って評価することができるようになったのだと思われるし、そうならざるを得ないとも思う。政治家に無謬なスーパーマンを期待する事は誤りだろうし、また逆に、「よい政治家は政治家になどならない」等と、頭から諦めてしまうのも残念な事だ。

 というような前提に立って、ちょっと面白い事例が発生しているのでご報告したい。

さいたまの現場で

 さいたま市において、市長選挙と市議補選が行われたようで、その際の片山さつき参議院議員の言動に、田中たくみ埼玉県議会議員自民党・2期)( 注意:アクセスすると音が出ます http://www.takumi-tamura.jp/02_profile.html )が怒り、「『片山さつき』を糾弾する!」と題したブログを掲載した。
 http://takumi-tamura.jp/blog/?p=2995


 これに対して片山さつき氏も反論を自身のブログに掲載した。
 片山さつき Official Blog : 厳粛な祝賀会で「うっせー、うせやがれ」は県会議員として以前に社会人として×でしょう!田村埼玉県議の一方的なブログについて


 これを読んで、文章に書かれている事がすべて本当であるとしたら、片山さつき氏は自ら公職選挙法に抵触する行為を行ったと述べている事になってしまいます。

 まず、それから指摘しましょう。

 その部分は片山氏のブログの次の記述です。

 地元のうぐいすの女性が「片山さんを見たい、と楽しみにしている人もいるから」と仰ったので、じゃあ買い物客のいそうなところだけでもまわりますか、と今考えればよせばよかったのですが、請われるままに、市議選の選車で街頭演説に20分ほどまわりました。
 ただし、当初言われていたような市議選だけの応援はお断りし、必ず長沼市長候補の名前も連呼させていただきました。それも田村氏もその場にいた運転のかたやK秘書も異論は言いませんでした。

片山さつき Official Blog : 厳粛な祝賀会で「うっせー、うせやがれ」は県会議員として以前に社会人として×でしょう!田村埼玉県議の一方的なブログについて

 ここで片山氏は「 市議選の選車で街頭演説に20分ほどまわりました」と述べています。
そして、その際に「長沼市長候補の名前も連呼させていただきました」としています。

 公職選挙法では選挙期間中の政治活動、選挙運動を厳しく規制しています。
 確かに、もともと、国民の政治活動については規制すべきではありません。国民は広く、政治活動の自由を持っているはずですし、表現の自由も許されています。
 しかし、選挙期間中に無制限な政治活動を許してしまうと、選挙活動そのものの自由を奪う事になるかもしれません。その為に選挙期間中だけは、例えば街頭で演説をする行為も制限を受けますし、街頭宣伝をする街宣車も候補者と特定の「確認団体」の物だけが活動を許され、その他の街宣車による活動は公職選挙法違反となります。

 例えば、右翼・国粋主義的な政治団体が、共産党の選挙活動を妨害しようと、共産党の選挙運動を行う街宣車に付き従って、大音量で街宣活動をしたり、古い軍歌などをかけるという行為は公職選挙法違反となります。

 さまざまな選挙において、候補者というのは「確認団体」をひとつだけ登録する事が許されています。そして、この「確認団体」だけが当該候補の選挙支援活動を行う事ができます。

 政党であっても、「確認団体」でなければ、当該候補者の選挙活動を行う事はできません。

 例えば、市長選挙と市議補選が同時に行われているような場合、市議補選に自民党公明党の候補が立候補しているとします。
 市長選挙には自民党公明党の推薦を受けた候補が立候補しているとします。

 この時に、自民党公明党の市議補選候補の選挙運動車両が、推薦をしているからといって市長候補の選挙活動を行う事はできません。「確認団体」は一つでなければならないからです。
 これは同時に行われる他の選挙の「確認団体」であれば、「選挙の自由」として活動を無制限に認めてしまえば、被推薦候補は「予算さえあれば無制限に選挙活動車両を増やす事ができてしまう」という法の尻抜けを抑制するための措置です。

 今回、片山さつき氏が乗り込んだ「市議選の選車」とは、自民党公認さいたま市議会議員補欠選挙候補である「たかこ景」候補の街宣車である事は前後の文脈から明白です。

 ところが、市長候補の「長沼たけし」氏の「確認団体」は「さいたま市の元気を取り戻し地域を輝かせる市民の会」であって、自民党公明党は推薦を出しているだけです。公職選挙法的には「無関係」という事になります。自民党公明党街宣車は「さいたま市の(中略)市民の会」を「確認団体」とする「長沼たけし」氏の選挙活動は行えません。


 つまり、先の引用部分は片山さつき氏自身が、自ら行った公職選挙法抵触行為を述べている事になります。

 確かに市長候補の「長沼たけし」氏は三十年にわたって自民党の市議、県議を勤めてきた方らしく、( 参照 )自民党が推薦を出すだけではなく、その自民党が党を挙げて応援し、街宣車から名前の連呼をしようという気持ちは判らないではありません。(公職選挙法的には「名前の連呼」も禁止か・・・・)
 しかし、そういった心情とは別に「法律」はあります。

 なので、よしんば、片山氏が自民党の党員として止むに止まれぬ心情から、自民党の選挙運動車両から、長沼候補の応援をしてしまったという事は理解できますが、その違法性は自覚すべきでしょうし、このように記述する事が「総務大臣政務官」として適当であるか疑問です。(ましてや、東大法学部から財務省とわたった「才女」の誉れ高い方にしてこの程度の法解釈であるとは驚きです)

 魚拓 【魚拓】片山さつき Official Blog : 厳粛な祝賀会で「うっせー、うせやがれ」は県会議員として以前に社会人として×でしょう!田村埼玉県議の一方的なブログについて

インターネット選挙解禁に向けて

 この片山さつき氏の失敗を受けて、過剰にインターネット上のコンテンツに敏感になる、恐れる必要はないと思います。

 また、今回の騒動における田村たくみ県議のブログのあり方も、さまざまな示唆を与えてくれそうです。(あまり、賛同はできませんけどね)

 ただ、先に述べたように、インターネットというインフラがなく、従来までの編集が介在するようなメディアばかりであるなら、こういったコンテンツは一般国民の目に触れる機会はなかった事でしょう。

 東大法学部から財務省に入り、その後自民党に移った才女としての片山氏の「イメージ」だけが一人歩きをして行ったのでしょうが、今回の片山氏自身の文章のように、そんなスーパーウーマンの虚像の向こう、この文章の向こうに片山氏の実像が透けて見える気がします。

 文章全体が判り辛く、あまり理知的とは言えませんし、例えば次のような文章。

 一昨日は、埼玉の県議会議長副議長の就任祝賀会というおめでたい席で、埼玉県連は、こういう祝い事をきちんどやるしきたりで、私もこの3年で何度も出さしていただいています。

 には、何か微笑ましいものすら感じてしまいます。

 インターネット選挙解禁に向けて、必要なものは。

1.コンプライアンスの視点を持った原稿校正者

そして、
2.そういった細かな指摘、批判に開かれている公職者の度量

 であると思えます。

 もう一度、先の引用部分の後半を引用します。

必ず長沼市長候補の名前も連呼させていただきました。それも田村氏もその場にいた運転のかたやK秘書も異論は言いませんでした。

 党の実力者としての片山氏が違法行為を行ってしまい、その自覚がない時に、田村氏や運転手、K秘書はそれを指摘、批判できたのでしょうか?

 この3名も違法性に無自覚であるとすれば、さいたま県自民党の組織としての問題もあるのかもしれません。

 しかし、組織に風通しがよく、健全な相互チェック、内部批判が行われているのであれば、こういった文章も(そして、そもそも田村県議の文章も)表には出てこないのだろうと思うんですけどね。