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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「地域委」担当部廃止へ

 本日の中日新聞、一面に「『地域委』担当部署廃止へ」という記事が載った。
 地域委員会への疑問から始まった当ブログとしては、ささやかながら「勝利宣言」をさせていただきたいと思う。

 「地域委」担当部廃止へ 名古屋市、看板政策浸透せず

 名古屋市は二〇一五年度、河村たかし市長肝いりの「地域委員会」を担当する地域委制度準備担当部を廃止する。(略)

 河村市長は取材に「地域委については、引き続き議論してもらう」と話したが、総務局幹部は「地域委の検証結果を踏まえ、自治制度のあり方を広く議論する。地域委の名前にはこだわらない」と話している。
 (略)

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015021302000068.html


 この問題と、減税政策、つまりは河村市長の3大公約に関しては、私は様々な機会に疑問を提示して、罵倒を受けたり、場合によっては「帰れコール」を浴びせられたりしてきましたが、事実として地域委員会は無効、意味の無い政策であり、減税についても同様に経済効果が見込めない政策である事が明らかとなった。


 記事によると学区連絡協議会が地域委員会に対して反発し、議会も慎重であったというように書かれているが、反発や慎重であった事について、理由がないわけではない。学区連協や議会が感情的に反発したり、政争の具にしたというわけではない。

 地域委員会の初期設計では地域予算を受けて、地域行事を実行するNPOが想定されていた。この制度の設計者である後教授の主眼もここに注がれた居たのだろうと思われる。つまり、問題意識は「地域行事における担い手の不足、高齢化」であったのだろう。それを地域予算によってNPOに担わせるという考え方は理解できる。

 しかし、他ならぬ河村名古屋市長はここを理解していなかった。河村市長は議事機関としての地域委員会だけに執着し、そこを通して地域予算をばら撒けばそれでよしと思っていたような節がある。

 河村市長における自治会、町内会における問題意識は非常に平面的で偏っていた印象がある。

 名古屋市会における最新の地域委員会への言及は、昨年の3月4日における減税日本ゴヤ余語市議の質問だろう。そこで河村市長は次のように述べている。

 それから、地域委員会についてですが、これも僕が言いたいことは、何遍も私、結構いろんなところ、視察というか行っておるんですけど、やった人はほぼ全員賛成ですね、やった人は。
 意外と、やっぱり学区連の偉い様がやっておられます。その中でも、外におる人は、何で選挙をやるんだとか言いますけど、やった人は、いや、やってよかったと。やっぱり選挙は、信任投票であったとしても、みんなに、自分のまちづくりをみんなのところで、公開のところで示して、一旦選ばれたというのはええことだなというふうに言っておられるんです。

 それと、もう一つ、地域活動に参加する人の割合というのが、何遍も言っていますけど、これは下がっています。名古屋、いろんな指標はほとんど上がっておるんですけど、これは下がっているので、僕は、いろんな課題があります、確かに。課題があるんです。課題がありますけど、住民自治の、民主主義の主権在民の一番大事なところ。自民党の皆さんにお願いしたいのは、やっぱり日本の自立というか、そういうのを目指すんだったら、市民の自立がまずないといかぬ、市民の自立が。そういうところで自分で手を挙げて、私はこういうまちをつくりたいんだということを地域社会の中で言って、そこをスタートとして民主主義が機能していくと、こういうことから日本の自立が僕は始まっていくというふうに思っておりますので、やっぱり強制ではありませんけど、課題を解決しながら、やれるところ、手を挙げれるところからはやっていってもらおうというふうに思っております。

(平成26年3月4日 名古屋市会定例会 河村市長答弁)


 内容の無さは驚くほどだ。防災における老々介助の課題など目に留まらないのだろう。

 これに対する余語市議(減税日本ゴヤ)の再質問も酷い。

 地域委員会につきまして、モデルを行っている地域からは、申請時に必要な発起人30名を集めるのは大変であるですとか、地域委員会の運営事務の負担が大きく、煩雑であるなどの意見も聞いております。

 一方で、地域の方々からは、地域委員会に取り組みたいので、次の募集をしてほしいとか、現在実施中の地域からも、大学生の若い皆さんに傍聴していただき、若い世代と地域とのかかわりも持てることから、こうした若い世代も参加しやすくなる環境づくりも大切だと感じたとか、また、地域委員会の事業に参加したボランティアさんからも、仲間同士の輪もできて、生き生きして地元高齢者のお世話ができるといった好意的な声もいただいております。
 新たなモデル実施の検証においては、市民の皆様からのいろいろな意見を踏まえつつ、よりよい制度に向けて引き続きしっかりと検証していただきたいと思います。

 (同 余語市議の発言から)

 結局この4年間、減税日本からは地域委員会に対して提案らしき提案は提出されなかった。ここにもある「 よりよい制度に向けて引き続きしっかりと検証していただきたいと思います」というセリフはまるで他人事のように響く。結局、彼らは最後まで傍聴席から降りてくることはなかった。

 河村市長の発言や、この余語市議の発言を見ると、地域委員会に対する肯定的な発言をそのまま受け入れて、地域委員会制度に対する否定的な発言は目に留まらなかったようだ、耳に入らなかったようだ。

 ちょっと前に取り上げた「認知バイアス」でいう「確証バイアス」そのものだろう。


 自分たちが良い物と思っている「地域委員会制度」については誰もが称賛を与えてくれるし、自治の為に、そして市民が自ら手を挙げる意味からも良い物であって、それに対して否定的な意見を言うものは、地域委員会制度についてその実態を知らないか、政治的思惑があって否定しているだけだ。とでも思っているのかもしれない。

 名古屋市には自治組織として区政協力委員制度や、学区連絡協議会という制度がある。

 この制度も優れてはいても、完璧ではない。

 また、この制度も長い年月が経ち、制度疲労を起こしても居る。
 その最大の課題が「担い手不足」であり「担い手の老齢化」だ。

 河村市長は答弁で「担い手不足」について言及しても、その解決には言及できていない。論点をすり替えてしまっている。

 また、ある機会では「地域委員会」が担い手不足を解消するとも語っていた。
 しかし、そのような事例はない。(地域委員会が実務を行うことについて、制度的な裏付けは最後まで整理できなかった。河村市長は市長としてこの制度設計を行おうとした形跡もない)

 結果として、河村市長の地域委員会制度に対する発言は多分に理念的で漠然とした概念論に終始し、具体的な制度論、運用論に着地しない。

 これでは当局が「音を上げ」担当部を廃止せざるを得ないのも理解できる。

 いつまでも「宗教論争」をしている場合ではないのだ。


 三大公約について、議員報酬については曲がりなりにも半減できた。(しかし、これについても河村市長の手柄とするには疑問が残る。逆に、河村市長は議員報酬半減について、その実現を邪魔しようとしていたという観測もある)

 減税政策については「10%恒久化」がいつの間にか「5%」になってしまった。

 名古屋中を走り回っている減税日本街宣車を見ると、いつの間にやら「看板」が書き換えられ、「10%」の部分に「5%」という文字が張り替えられている。10%は諦めて、5%で良しとしたのだろうか?


 そして、地域委員会の全市展開は叶わず、担当部署まで廃止となった。

 減税日本ゴヤ議席が28から11に減ったように、公約も3大公約について、1.5公約の実現という事だろうか?

 不思議なのは2013年マニフェストの記述だ。

 http://genzeinippon.com/manifesto201304explain.pdf


 ここには「名古屋市政4年の成果 マニフェストの9割以上を着手」と書かれている。

 つまり「着手」はしても、実現するかどうかは不明であるということなんだろう。