市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ロサンゼルス市視察報告会

 ここのところなかなか落ち着いてブログを更新することが出来ずにいます。

 とりあえず、バックログとして書きたい、または書かなければならない話として、3つほど課題があります。
 自分にプレッシャーを与える為にも公表しておきます。(何時になったら書けるのかは判りません)

1)三宅県議と半田県議の140万円、150万円それぞれかけた「政務調査報告書」について。

 これについては両県議だけでなく、県議会会派である「減税日本一愛知」の協力を得たり関係者の方々にも時間を割いて取材を受けていただいておりますので、そういった意味からも報告書をまとめる義務が自分にあると思っています。

2)2011年3月から市議報酬半減に至る経緯について。名古屋市会でいったい何が起こっていたのか。

 これについても様々なご協力を戴いているのでカタチにしたいですね。
 そして、これを形にすることが、今の名古屋市政の問題を一番明確に定義付ける事に繋がると思えます。

3)2012年衆議院選挙、自民党圧勝の意味するものは。

 昨年末の衆議院選挙は自民党の圧勝で終わったわけです。名古屋市内においても予想以上の自民党の勝利、第三極の崩壊が見られたのですが、この背景に何があるのか。今回、たまたまその舞台裏に(雑巾掛けの為に)居ましたので、そこから見えた風景というのを残しておきたいと思います。
 これについては昨年12月27日に斉藤環さんが朝日新聞に「ヤンキー社会の拡大映す」という一文を掲載してみえます。
 http://www.asahi.com/news/intro/TKY201212260942.html
 ヤンキー社会の拡大映す - ノボノボ自由帳
 斎藤環「自民党は右傾化しているというよりヤンキー化した」 - Togetter

 この論考が一つの補助線になると思えます。

 と、いったところが積み残したバックログです。


 本日はこれらとは別に本日(1月15日)の午後一時から女性会館で行われた「名古屋市のロサンゼルス市視察におけるいじめ・虐待・自殺対策に関する報告会」について述べたいと思います。

ロサンゼルス市視察報告会

 イメージは報告会の模様で、ご覧のとおり参加者はまばらで、当事者である市職員や関係者、マスコミ以外はほとんど一般市民の参加者は居なかったのではないでしょうか?

 名古屋市のHPにも告知は無いようです。

 この視察旅行が実施された際にニュース報道はあったようですが、それらもすでにネット上からは消えているようですね。わずかに残っているのが これ ぐらいです。

 そもそもこの視察は去年の8月に河村市長がロサンゼルスを訪れて、現地の児童保護局(DCFS)を視察した事からはじまっていますね。 こちらはPDFの報告書です。

 このPDF版の報告書、25ページに河村市長のロスにおけるいじめ対策等の施策に対するコメントが掲載されています。

 報告の内容についてはとても書ききれません。会場で200ページ程度の冊子が配られていましたので、PDF化して市のHPに掲載すべきでしょう。

 その中で述べられていますが、例えば自殺の発生率は日本が22.9%に対して米国が12.5%です。米国よりも日本の方が深刻な状況にあります。この背景には米国内における教会の果たす役割といったような文化的な背景の相違があり、とてもこのまま米国でのやり方を参考にできるとは思えません。

 わざわざロスアンゼルスでの事例視察をするのであれば、日本国内での成功事例や先進事例を視察したほうが意味があったのではないかと思います。・・・・(1)

 また、その河村市長のコメントにもありますし、視察報告にも触れられて居ましたがロスアンゼルスの児童保護局、DCFSソーシャルワーカーは4000人の陣容を誇るそうです。それに対して名古屋市ソーシャルワーカーは49人だそうです。(対象となる人口も、ロスの方が約倍のようですが、それでも文字通り「桁違い」の人員です)

 これほど行政としての規模も違うのであれば、やれる事もやり方も違うのですからいったい何が参考になるのでしょうか?・・・・(2)

 正直言って、河村市長がメキシコでテキーラを飲みすぎた勢いで、適当に聞き齧った事を真に受けて視察に行ったけれども「意味がなかったね」と言ったところが本当のところなのではないのでしょうかね?

 そして、最後は「地域委員会」です。

 河村市長は子どもたちのいじめ、児童虐待。こういった「子どもの悲鳴」のために、地域の力が必要で、そのためには「地域委員会」が力になると本会議、記者会見等で幾度も述べています。

 そうであれば、この視察において地域委員会の進展に資するアイディアが盛り込まれているのかと見てみると、報告書に「地域委員会」の文言が一言もありません。これは異な事とこれについても質してみました。・・・・(3)

 つまり、(1)と(2)を踏まえるとこの視察は意味がなかったのではないかと指摘したわけですが、これに対して視察に参加された岩城弁護士より概要「今までも日本における様々な施策は米国の社会から導入されたものが多い、これらの事例から参考になる事はある。また、米国と日本においては人権意識の相違があり、名古屋における地域委員会の失敗も、日本国内における人権意識の低さに原因があるのではないか」との発言がありました。
 また「出発前、河村市長からは地域委員会の為に視察をしてくれとは言われていない」との発言もありました。

 あれほど河村市長は「子どもたちのいじめ対策、児童虐待に地域委員会」と言っていた筈ですが。そういった指示はなかったという事です。


 私はこの岩城弁護士の発言、見解は大きな誤りであると思います。以下にその理由を述べましょう。

 まず、「人権意識」とは個人の持つ自己決定権を尊重するという社会の態度だろうと思います。個人が自己責任で行うことであればどのような行いも許す、例えば、喫煙は当事者の体を害する事は明白な「愚行」であっても、それが周囲の人々に迷惑にならない、本人の自己責任に収まる限りは「愚行を許す」(「愚行権」を認める)というようなことが「人権意識」であろうと思います。

 これに対するのが個人は個人としてあるのではなく、共同体や周囲の人々との関係性の中であるのであって、個人が自己責任ということであっても、共同体や周囲の社会が一定の抑圧をかけるという社会があると思います。

 この2つのスタンスの違いが子どもの問題に係ってくると、子どもを一個の独立した個人、主体として見る態度と、家族や親子関係を重視して見る態度というのがあると思います。

 米国などでは確かに「人権意識」から、親といえども子どもに対して一定以上の行為を行えば親権の剥奪もあるようです。逆に日本においては子どもに対するDVと「しつけ」の区分けができないという問題があるようです。

 逆に、現在問題となっている米国の銃規制などはこの「人権意識」の行き過ぎ、失敗例かもしれませんし、それがほとんどない日本の社会は成功しているともいえます。

 私は「人権意識」というものは高いとか低いとかといった問題ではなく、社会の中での配合比率の問題であって、日本の様に共同体主義個人主義のバランスの社会もあれば、米国の様な強い個人主義と弱い共同体主義の社会も有ってよいのだろうと思います。

 この両者の価値観はさておきましょう。「そんな事ではダメだ!日本の社会も米国並みの人権意識を持つべきだ」と言うのであれば、それは私とは価値観が異なるだけです。私は私と価値観が異なるからといって批判するような事は致しません。人はそれぞれに様々な価値観を持つべきです。逆に、価値観が一色に染まっているような社会は私にとっては恐ろしい社会です。

 そうではなく、岩城弁護士は「名古屋における地域委員会の失敗も日本国内における人権意識の低さに原因があるのではないか(大意)」と言われたのですが、この考え方に誤りがあると指摘したいのです。

 当然の事ですが、日本における人権意識の低さというのはこの2〜3年の間に急激に下落したものではないでしょうね。それこそ戦後から一貫してある問題と捉えられているのだと思います。ということは、この名古屋における地域委員会制度を設計する際には、すでに日本社会における人権意識の程度は現在と変わらなかった筈ですよね。

 では、その現在と変わらない(低い)人権意識の中で、なぜ、高い人権意識が必要な制度を展開したのでしょうか?

 そして、展開してみて失敗したからといって、今になって「人権意識の低さが問題だ」というのは如何なものでしょう。

 制度を設計する際には、その社会に適合した制度を作るという「義務」があります。

 最初から適合していない制度を設計しておいて、そして公費でそれを運営して、それでいて失敗したら「社会が悪い」では、頭が悪い高校生と程度が変わらないじゃありませんか。

 まあ、別に岩城弁護士一人に地域委員会の失敗の責任を押し付けるつもりはありません。

 しかし、地域委員会の失敗を、日本国内の「人権意識の低さ」が原因と見るのであれば、そのような低い人権意識しか無い社会に、高い人権意識を必須とする制度を持ち込んだ為政者の責任を追及すべきであろうと指摘します。つまり、その為政者は社会環境と制度設計のマッチングに失敗しているのです。

 目の前に具体的で改善可能な問題があるのにそれを追求せず、「社会が悪い」というような馬鹿げた思考停止を、岩城弁護士はしていたのだと指摘させていただきましょう。

(別に、岩城弁護士は「地域委員会」について名古屋市から依頼を受けたわけではないので専門でないのかもしれない。また「地域委員会が失敗である」という現状に対する認識は共通するものがあります。ただ、概要として上で述べられたような見解については、以上のような反論が可能であるということです)