永らくご愛顧いただきました「総理を目指す男」「気さくな64歳」河村たかしでございますが、本日をもって終了いたしました。・・・・というか、政治生命の終了でしょう。
そもそも河村たかしの政治生命の終了などというタイミングは幾つもあった。
考えてみれば、財政出動(公費発行)の結果としての減税政策はリカードの中立命題によって無効と看做される。歳入増の結果としての減税であれば理解ができる。しかし、歳出を削減してまでの減税政策というのは、経済政策としてあまりに稚拙だ。更に、こういった経済政策というのは景気動向によって加熱策と冷却策を交互に選択すべきで、その一方の「減税政策」を党名にまでしてしまうというのは経済政策を二本の腕を使わずにハンドリングするようなものだ。この段階で終了している。
更に、もう一つの地方政治の切り札だった「地域委員会」これについても、今から見ると制度の理解が出来ていなかったのだろう。執行機関を考慮しないまま無理に実施してしまって、その矛盾が市民の目にも明らかとなった。この段階でも政治家として、市長として終了している。
リコール後、自ら唱導して作り上げた名古屋市会内の第一会派「減税日本ナゴヤ」について、政令指定都市における与党第一党なわけで、その気になれば様々な政策を打って、選挙に掲げたとおり「日本一早く不況から脱出する都市」にもなれたのに、その市議たちに何も教えない、何も動かさない。結果、市議たちが覚えたのは「河村流言い訳と誤魔化しの術」だけという始末だ。ここでも終了していた。
しかし、今日のこの一撃は凄い。
衆院解散:「減税」かやの外 一晩で約束ほご
日本維新の会と太陽の党が16日、合流で合意したが、河村たかし名古屋市長率いる減税日本は外された。減税は15日に太陽との合流方針を発表したばかりで一晩で約束を「ほご」にされた格好。
http://mainichi.jp/select/news/20121117k0000m010086000c.html
(略)
「内容がようわからん。(合流から外れるなんて)そんなことないと思うけど一度確認してみますわ」。河村氏は16日夕、名古屋市内で記者団にうろたえた様子で答えた。維新と太陽の合流合意が報じられる前、河村氏は「国民のためにも第三極を結集して戦いたい」と衆院選の意気込みを語っていたが、情勢が一変した。
(略)
合流できなければ、減税は第三極で孤立して、存在感が薄れ、選挙戦でも不利になりかねない。維新と太陽は17日にも共通政策を発表する方針だが、減税が合流するには、「減税」の旗印を降ろすことも迫られかねず、河村氏は窮地に立たされた。
毎日新聞 2012年11月16日 22時01分(最終更新 11月16日 23時30分)
ここまでみっともない姿というのはなかなか見れるものではない。
15日の石原・河村会見を「河村の裸踊り」と評した人がいた。
政策も理念も、政治的ポジショニングもかなぐり捨てて「合流」に血道を上げる姿は、「国民のため」などという言い訳が如何に空しいかを示している。まるでプライドまで投げ捨てて、素っ裸になってまで石原の歓心を得ようとする姿は痛々しいほどだった。
(私は意見が異なるが)減税に期待し、脱原発を訴える為に名古屋市公会堂に集まった市民、その「民意」を河村たかしという人物はどう見ていたのだろうか。
あの石原・河村会見はこの「民意」を踏みにじったものではないのか?
まともな人間であれば、あの15日の会見では、河村たかしも石原慎太郎も「トチ狂った」としか思えない。それほど危うい姿だった。
ところが、一夜明けて、その「裸踊り」まで無駄になった。
市民の「民意」を踏みにじった河村の、その希望を石原が踏みにじったのだ。
自分だって踏みにじっているのだから河村たかしにとっては「自業自得」「自己責任」だ、哀れなのは、この河村に踏みにじられ、さらに石原に踏みにじられた名古屋市民だ。得てしてこうやって二重に踏みにじられている人々が、その自分たちの苦境を作った張本人(この場合は河村たかし)を支持し続けるという姿が見られる。今回もそういう人は出るだろうね。「石原さんは酷い、河村さんはかわいそう」
本当は、喝破できなかった河村さんの「自己責任」なんですけどね。
さて、この図は11月11日から来年の1月19日までのカレンダーです。
この衆議院解散、総選挙と、名古屋市会のスケジュールを重ね合わせたものです。
総選挙は12月4日告示、16日投票と決まりました。
名古屋市会11月定例会は21日に提案理由説明で幕を開け、議案精読の期間の後、27日から本会議「議案外質問」が展開されます。
11月16日から20日までの期間は「常識的な市長辞任」の予想期間です。
21日を過ぎると「予算だけ提出して辞めた」という批判を浴びそうです。
総選挙と市長選を同一日に開催しないと3〜5億の出費だそうです。
26日を越えると12月16日市長選挙という日程は組めなくなります。
また、12月23日(天皇誕生日)、30日という選挙の選択は現実的では無いでしょう。
凄い予想は、このまま意思表明をせずに、公示にあわせて立候補は表明する。
となると、市長辞職は12月4日になります。(自動失職)この場合、12月23日公示、年が明けて1月6日の投票となる可能性もあります。
年末年始の熱田神宮や大須で、街宣車が大きな声をがなり立てて走り回るのですかね。
十分、可能性としてはあります。
追記(11月17日):
実は私は16日の夕方から中村区の減税日本ナゴヤ所属、冨田市議の市政報告会に参加していた。
その場で冨田市議から地域委員会についてとんでもない説明が為されたので黙っていられなくなって一時会場を騒然とさせるまで追及したのだが、その様子はまた書きましょう。冨田市議も地域委員会の現状に無理解か、または知っていて住民に事実と異なる説明をしている事になる。
さて、この河村騒動の最中、河村市長の市長としての問題を提示する出来事が起きていた。これも、自分が提唱した地域委員会の展開の上でだ。
河村名古屋市長のドタキャン
(略)
こんな状況の中で、11月15日の第5回委員会に、河村市長からその審議状況を視察し、委員と意見交換したいとの申し入れがあった。そのため、会議は本来午後7時からであったが、30分繰り上げ6時30分開会ということで準備万端ととのえて市長の到着を待った。
(略)
ところがである。直前になって市長は来れないとの連絡が入ったというのである。
(略)
そして15日の午後には、石原氏と河村氏とは並んで記者会見をしていたのである。
それでも、総務局長や区長らは6時半には間に合うように会場に来るものと信じていたという。それが時間になっても来ないというドタキャンとなってしまったというのである。これはあきれた市長である。市の幹部にも事前に知らせず、住民との約束も反古にするというとんでもない無責任さである。河村氏は減税日本の党首の仕事を優先し、住民との約束を守るという名古屋市長としての仕事を放棄したことになる。何の事前連絡も無しにである。これはもう信用できる人物かどうかという人間性の問題である。
河村名古屋市長のドタキャン - 名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと
河村市長が何を優先していたか、何を優先しているか。判る事例ではないか。
河村氏は名古屋市民や、ましてや国民の事など考えてなどいない。
単に「総理になりたい」「税金で食って極楽」をしたいだけなのだ。
追記(11月19日):情報提供があり、市当局から鳴子地域委員会へ市長の欠席は伝えられていたようだ。その情報がどの程度伝わり、ここに書かれているようにドタキャンと認識されているかは判らない。