市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「なぜ日本の金利が低いのか」に真面目に答えてみる(前編)

 まず、(他人の)告知を。

佐藤ゆうこ国政ミーティングのお知らせ

第25回(西区)
日時 : 平成24年11月10日(土)午前10時〜
場所 : 西生涯学習センター 第1集会室

 名古屋市西区浄心1-1-45 052-532-1551
*地下鉄鶴舞線浄心」駅下車→6番出口 徒歩約1分

第26回(北区)
日時 : 平成24年11月10日(土)午後2時〜
場所 : 北生涯学習センター 美術室 052-981-3636

*地下鉄「黒川」駅下車→4番出口 黒川交差点北へ50メートル(東側)

佐藤ゆうこより国会の現状を報告します。是非お越し下さい。

お知らせ | 佐藤ゆうこ

 はい!
 
 河村市長は度々
「日本の国債は借金じゃない、だから金利も安いんです。借金だ、日本が危ないという人は、じゃあなんで金利がこんなに安いんですか。説明してください」と言われます。
 というわけで、このブログで説明してみます。
 余りに長くなったので3日に分けて掲載します。

(前編)
国債は借金ではない
「なぜ日本の金利が低いのか」に真面目に答えてみる
「河村流減税」を否定する4つの傍証
理屈と膏薬はどこにでもくっつく
流動性の罠

(中編)
IS−LM
貨幣が求められる割合
貨幣バブル
河村流減税の矛盾

(後編)
経済を収縮させる河村流減税
自らの墓穴を掘る主張
「市民税をお返しして」
国際的に「正しい経済理論」と思われるものの発言

国債は借金ではない

 河村市長は常々「日本の国債は借金ではない」と言われます。破綻が懸念されるギリシャなどとは違い、確かに日本の国債は買い取っている先が国内の金融機関*1や個人*2であり、こういったものは「内国債」と呼ばれ、ギリシャ国債とは確かに異なる。*3

 しかし、地方自治体の公債、つまり名古屋の市債はそういった訳にはいかない。

 日本の国債を日本国内の金融機関や日本人が買っていれば、税制や金融政策によって国債の償還に様々な方法が取れる。(極端な場合、国債保有に100%の税をかけてしまえば一瞬で日本の国内にある国債は消えます。但し、経済は大混乱でしょうが。しかし、似たような事は実際に起きていますしね)

 しかし、地方自治体にはこういった権限はない。内国債には「返す」という以外に様々な方法で打ち消すことができるが、地方自治体の公債は淡々と「返す」という方法以外、これを打ち消す方法はない。つまり、地方自治体の公債は個人や企業が行う借金と全く同様である。というのが、社会の常識で「正しい経済理論」だ。

「なぜ日本の金利が低いのか」に真面目に答えてみる

 河村市長は言う「日本の国債は借金じゃない、だから金利も安いんです。借金だ、日本が危ないという人は、じゃあなんで金利がこんなに安いんですか。説明してください」

 というわけで、このブログで説明してみます。

 この河村市長の発言を追求していくと、彼が経済学をしっかりと理解していない事が疑われます。河村市長は自ら提唱する「減税政策」が浸透しない事を嘆き、その理由が、国や他の政治家が経済学的に間違っているとおっしゃいますが、やはり、常識的に考えて、ここで間違っているのは国や他の政治家ではなく、河村氏の考え方自体であることがハッキリします。河村氏の言われる「減税を薦める正しい経済理論」など存在しないことが明白となってきました。全く根拠のない話です。

 そして、いろいろと調査をした結果、国際的に「正しい経済理論」と思われるものが、こういった金利が低い際に「減税はなんの効果もない」と明言している事を示します。

 その前に4つの事柄について触れたいと思います。

「河村流減税」を否定する4つの傍証

 まず、1つめ。

 このブログでは何度も取上げていますが、河村市長が信頼できる経済学者と太鼓判を押されているリチャード・クー氏(減税日本の国政ページでも一緒の写真を使っているぐらいです)の発言。







 1−1)2008年7月発刊の「日本経済を襲う二つの波―サブプライム危機とグローバリゼーションの行方」という著書の中で。

私は前述のようにバブル崩壊以降ずっと、『減税より公共事業』を提唱してきた。

と述べています。(参照

 1−2)2009年1月25日の日本記者クラブにおける講演で米国におけるサマーズの減税を引いて。

日本も随分いろいろ減税を試したのですが、結局、本当に効いたのは政府支出だった。

と語っている。(参照

 次に、減税日本が国政進出について連携を模索しているとされる日本維新の会の動向ですが、次のような報道があります。

維新公約に消費税11% 相続税社会保障財源に

 日本維新の会が次期衆院選で掲げる公約に、消費税の地方税化とともに税率11%への引き上げを明記する方針を固めたことが一日、分かった。
(略)
 日本維新幹事長の松井一郎大阪府知事は一日、記者団に「10%までの増税はすでに国会で決まっている。『あと1%必要です』と正直に申し上げる」と言明。今後、正式な党内手続きを進める。

東京新聞 2012年11月2日 朝刊)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012110202000104.html

 河村市長は「薩長土肥のように、小異を捨てて大同に付く」というような事を言われているようですが、維新の会が「増税大魔王」になっちゃったんですけど、それでも連携するのですか?

 3番目ですが。名古屋市会の中でもこういった議論はされています。最も象徴的なのは平成22年3月18日の財政福祉委員会でしょう。ここで当時の財政局長柴田氏が減税を薦める経済学者、経済理論はないと明確に答弁している。

 そして4番目は、昨夜(11月2日)の議会報告会だ。その席上、私は上に述べたリチャード・クーさんの発言なども引いて、「河村市長の進めようとしている減税政策を裏付けるような経済理論は、誰の提唱しているどんな理論なのか」と聞いた。
 それに対して減税日本ゴヤの山田さんが「経済政策というものは時の政権が選択するもの」という事を言っていた。彼女の言っている事柄は、せいぜい*4「正しい経済政策」で、私の論点としている「正しい経済理論」とは違う。

 この「政策」と「理論」の相違は、喩えるなら「理論」が道で「政策」がルートととらえれば判り易い。「理論」には幾つかの選択肢がある。右に行くもの左に行くもの、近道、回り道。様々にある。「政策」であるルートは、この中のどれかを時の政権が選べば良い。確かにその通り。しかし、道路から外れてルートが選べないように、「理論」から外れた「政策」は選べない。道から外れて、他人の家に上がりこんだり、いろは坂のようなつづら折の山道を、真っ直ぐ崖から飛び降りるようなルートを走って安全に通行できるわけがない。彼女はこれを混同している。
 「河村流減税」という政策は、「理論的根拠」つまり「道」もないところを強引に走っているようなものといえる。

 議会報告会が終了してから、2人の人が寄ってきた。一人は「減税政策は正しいの、減税を行って民の竈を暖めるの」と言ってきた。

 だから、それは理論的に誤っているのです。河村流減税では結果として「民の竈は温まり」ません。それはこれ以降立証します。

 もう一人の人もだいたい同様だ。「この減税政策はマクロ経済学では説明できない」との事だった。名古屋市の経済がマクロ経済学で説明できないという意味そのものが私には理解できません。

 このお二人とも、こちらが提示した「事実」には見向きもしないまま、河村氏の振りまいた「事実とは異なる幻想的な世界観」に囚われている事になる。*5このお二人以外に、名古屋には大勢の幻想に囚われた方が居るだろう。なんとも罪な事だ。

理屈と膏薬はどこにでもくっつく

 そもそも私は最初から河村流減税に反対していたわけではなかった。このブログの過去ログを見ていただければ判るように、減税政策については、「そういった考え方もあるのかな?」ぐらいに構えていた。
 そもそも「経済理論」というものにはありとあらゆるバリエーションがある。
 「必要が有る無しにかかわらず、公共投資をしろ。なんならピラミッドでも造れ!」だとか「ヘリコプターでお札をばら撒け」というような話を大真面目に成立させるのが「経済理論」で、文字通り「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」という話だ。

 河村流減税政策の理論的根拠となる「経済理論」ぐらい、どこかにあるのだろうと思っていた。*6

 ここで「河村流減税政策」とはどういったものか確認しておきたい。
 ・一律減税を行う(市民税の10%なので、課税対象の0.6%減税になる)
 ・減税財源は歳出削減で賄う。
 ・(民間に金が回って民の竈が温まる)

 つまり、歳出を削減して、その分を減税に回す。そうすると、経済が活性化する。という「経済理論」なるものを提唱してる経済学者か、そういった論文でも見つけ出せれば理論的根拠になる。が、そんなものは存在しない!


 では、ここからは一端「減税政策」から離れて、「日本の金利は何故低いのか」という説明に戻ってみましょう。

流動性の罠

 端的に言って、現在日本は「流動性の罠」に陥っていると判断せざるを得ない。

 この「流動性の罠」自体はケインズが予測したものです。

流動性選好が事実上絶対的となる可能性がある。
…しかしこの極限的な場合は将来実際に重要になるかもしれないが、私は現在までのところその例を知らない。(J・M・ケインズ 「雇用・利子及び貨幣の一般理論」)

 つまり、理論的には考えられるものの、その存在は否定されていました。*7しかし、19世紀のイギリス、1930年代のアメリカなどの事例が、後の分析で「流動性の罠」であった可能性が指摘され、現代では肯定的に捉えられているようです。

ラリー・サマーズは、たった今、DSGEはホワイトハウスの危機への政策対応において何の役割も果たさなかった、と述べた。流動性の罠を取り込んだIS-LMだけが使用されたという。

@MarkThoma: Larry Summers just said DSGE models played no role at all in WH policy response to crisis. It was all IS-LM augmented by liquidity trap.
2011-04-09 10:16:57 via TweetDeck

サマーズ「DSGEモデルはまるで経済政策の役に立たなかった」 - himaginary’s diary

 ここで「IS−LM」と言われているのは「IS−LMモデル」の事で、これについては河村さんも「貯蓄・投資バランス」と言われていますが、「貯蓄・投資バランス」だけであれば、「ISモデル、IS曲線」だけの話で、この金利の低い原因、「流動性の罠」を議論しようとすれば、LM、つまり貨幣市場も考慮に入れる必要が有ります。*8


 ちなみに、10月30日に日銀が金融緩和政策を打ち出しました。つまり、貨幣量の増加を行ったわけで、「IS−LMモデル」で言うと、「LM曲線を右にずらした」わけです。しかし、国民所得は好転せず、金利も下がりません。この状態が「流動性の罠」です。

 というか、「流動性の罠」に引っかかっていると解釈する以外に、どんな説明ができるのか私にはわかりません。「流動性の罠」が成立した際には金融緩和、通貨流通量を増やしても経済は好転しません。だぶついた通貨が行き場を失い、局地的なバブルを形成したり、金融機関の中で滞留し経営を圧迫するだけです。こういった状態を「紐では押せない」というそうです。

 通貨流通量を操作する中央銀行の政策は「紐」のように「引く」事はできる。加熱してインフレに傾こうとする経済を紐で引っ張るように抑制する事はできる。けれども、収縮して停滞したデフレ経済においては「紐で押すように」立て直すことはできない。実体経済と、中央銀行の間で、この「紐」が滞留するように、銀行に通貨が滞留する。つまり、銀行に貸し出し資金が滞留するのです。

 これを河村さんが言うように、銀行の為に国や地方が国債や公債で借り上げる事は、金融機関にとっては助かる事なのかもしれません。(ポートフォリオは毀損しますが)しかし、上で述べたように、「結果に対する弥縫策」でしかなく、本質的な解決にはなっていません。それどころか、この行為がより一層「流動性の罠」を悪化、固着化させるようです。















追記(11月5日):

維新「1区すべて擁立」 衆院小選挙区で幹事長

 日本維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は5日、次期衆院選で47都道府県の中心部を含む小選挙区1区に原則として独自候補を擁立する方針を明らかにした。大阪府庁で記者団に「1区は各地域の象徴的な選挙区となるので立てていきたい」と述べた。(日本経済新聞 2012/11/5 12:39)

維新「1区すべて擁立」 衆院小選挙区で幹事長 :日本経済新聞

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熊田さんは大阪一区なんですよね。
というか、「セカンドライフ」?
なんでこう「ハズレ券」ばっかり引くんでしょうね、この人。

*1:実際の保有比率はほぼ8割

*2:保有比率は5%強、外国人投資家が8%ほどらしいので、日本人個人よりは外国人投資家のほうが比率は高い。しかし、間接的に日本人が保有していると解されるケースもあるのでこの表現のままとした。

*3:ギリシャ国債は主にEU諸国の銀行が買い取っている

*4:好意的に解釈しても

*5:減税日本ゴヤの山田さんも同様だ

*6:なので比較的真面目に聞いているのだ「誰の仰っている、どんな理論なのか?」リチャード・クーさんが私の知らないところで言っていたり、減税の塾に参加した古賀茂明さんやら上念司さんが提唱していないんですか?

*7:「供給は需要を創出する」という「セイの法則」が信じられていたからです。

*8:河村さん自身、この「IS−LMモデル」「貯蓄・投資バランス」の名前は出すものの、中身について言及した事を聞いた事がありません。ひょっとして中身についてはあまりご存じないのではないでしょうか?