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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税日本ナゴヤ市議に送る、市議養成講座(2)

 減税日本ゴヤ市議に送る、市議養成講座(2)
 
前回の概要:
 ・政治家の仕事はその大部分が交渉事である。
 ・ひとと交渉をするからには自身の発言に説得力が要る。
 ・政治家は自身の発言でひとを納得させ、行動を起させなければならない。
 ・肩書きは説得力を持つ。
 ・肩書きの説得力だけに頼っていると、自身の説得力を失う。
 ・減税日本ゴヤの市議が議会内で説得力を持たない理由は次の3つ
   1)事実に則していない
   2)目的がずれている
   3)発言を翻す


前回の問:法的にみて、市会議員の職責はどのようなものであるか、根拠法を示し答えよ。

答え:市会議員(地方自治体の議員)の職責は直接法では定義されていない。
 地方自治体の議会の職責は定義されている。地方自治体の議員は、この議会を集団で構成するのであるから、集団としてこの職責を負っていると解する事ができる。(この集団の運営をはかるのが「議会運営」であり、そこから離脱すれば議員が職責を果たせない。議員の職責の放棄、「会派の死」というのは、こういった機序からいう)

 地方議会の職責を定義した根拠法は「地方自治法」該当条項は第96条

 そこで述べられている職責は次の16件を議決する事。

(条例、予算について)
一、条例を設け又は改廃すること。
二、予算を定めること。
三、決算を認定すること。

地方自治体の財産について)
四、地方税の賦課徴収又は分担金、使用料、加入金若しくは手数料の徴収に関すること。
五、その種類及び金額について政令で定める基準に従い条例で定める契約を締結すること。
六、財産を交換し、譲渡し、若しくは貸し付けること。
七、不動産を信託すること。
八、条例で定める財産の取得又は処分をすること。
九、負担付きの寄附又は贈与を受けること。
十、権利を放棄すること。
十一、公の施設につき長期かつ独占的な利用をさせること。

(法人としての地方自治体の責任について)
十二、普通地方公共団体が当事者である審査請求その他の不服申立て、訴えの提起、和解、あつせん、調停及び仲裁に関すること。
十三、法律上その義務に属する損害賠償の額を定めること。
十四、普通地方公共団体の区域内の公共的団体等の活動の総合調整に関すること。
十五、その他法律又はこれに基づく政令により議会の権限に属する事項

同2項より
前項のほか、条例で議会の議決すべきと定められたこと。

 先日終了したばかりの9月議会はこの内の「三、決算を認定すること」に対応した議会であったといえる。

 こういった条文が読めないというのは、前回も言ったように料理人がレシピを読めない、素材の名前を知らないようなもので、読めない、理解できないなら議員としての職責は果たせません。

 ある人は「職に困ってもラーメン屋になってはいけません、あれは技術が要りますからね、議員なら間違ってでも選挙にさえ通ればなれます。人生一発逆転するならラーメン屋より議員です」とか言っていますが、本気にしてはいけません。議員でも ―ラーメン屋ほどではないにしても― こういった文章の読解程度の「技術」は要ります。

 ここでこういった文章を読むための技術を伝授しましょう。

 こういった条文は込み入った書き方がされています。こういった書き方をする事で、わざと難しくして弁護士や書士の仕事を守っているのかと勘ぐりたくなるほどです。


 例えば、この96条の2項も原文はこうあります。

前項に定めるものを除くほか、普通地方公共団体は、条例で普通地方公共団体に関する事件(法定受託事務に係るものにあつては、国の安全に関することその他の事由により議会の議決すべきものとすることが適当でないものとして政令で定めるものを除く。)につき議会の議決すべきものを定めることができる。

 こういった文章に当たったときに、「前から順番」に読んでいると頭に入ってきません。こういった場合は大胆に括弧の中をこう理解すべきです。

前項に定めるものを除くほか、普通地方公共団体は、条例で普通地方公共団体に関する事件につき議会の議決すべきものを定めることができる。

 ただし、これらの事件のなかで、(法定受託事務に係るものにあつては、国の安全に関することその他の事由により議会の議決すべきものとすることが適当でないものとして政令で定めるものを除く。)

 前段と後段をもう一歩整理してみましょう。

前項に定めるものを除くほか、Aは、条例で Aに関する事件につき 議会の議決すべきものを定めることができる。(A=普通地方公共団体

 ただし、これらの事件のなかで、(議会の議決すべきものとすることが適当でないものとして政令で定めるものを除く。)

 「法定受託事務に係るものにあつては、」
 「国の安全に関することその他の事由により」適当でないと政令で定めるものがある。

 一段目の文章が本旨で、二段目の文章はその但書きです。条例よりも政令が優先されるのは当然ですから(「条例」と「政令」の定義、またその順位についても調べてみてください)その前提に立つと、二段目の文章は言わずもがなの事となります。更に三段目の文章も、その二段目の除外規定の具体的な例示なのですから論旨からは抜くことができそうです。

追記(10月12日):指摘いただいた。三段目は、政令で定める範囲が「法定受託事務に係るもの」であるという制限を表す。
 つまり、逆に読むと、議会で議決する事と法定受託事務に係るもの以外を条例で定めたようとした場合、それを政令によって制限する事はできない。

 また、一段目の文章について、Aで置き換えたように、今、「 普通地方公共団体」の事について語っているのは大前提なのですからこれもはしょれそうです。以上を考慮するとこうなります。

前項に定めるものを除くほか、条例で議会の議決すべきものを定めることができる。

 文章の修辞を整理するとこうなります。

前項のほか、条例で議会の議決すべきと定められたこと。

 ここでの学習のポイント:
 1.条文を読む場合は、文章の順番に惑わされない。主旨を先ず理解する。
 2.但し書きは条文の主旨を理解してから読む。
 3.名詞については必ず用語の定義があるので判らなかったら調べる。
  (名詞について曖昧なまま放置しない)


 以上に気を付けて地方自治法をすべて読んでみてください。(299条まで)
 また、次の問いに答えてみてください。
 問: 市長の職責はどのようなものであるか、根拠法を示し答えよ。


 このイメージはこの9月定例会で議会運営委員会が減税日本ゴヤの園田議員に出した「厳重注意」です。
 私はこの園田議員については2度ほど見聞きしています。

 選挙期間中にある場所で緑色のジャンパーを着てハガキを配っていました。運動員の方だと思ったんですね。その場所では選挙運動をするべきではないので移動してください、移動したほうが良いですよと伝えると「シッシ」と言わんばかりに手を払ってみせたのです。その態度に私も切れかけて、その頃勉強してそろそろ疑問に感じていた「地域委員会制度の問題」や「減税政策の問題」について聞いてみました。ところが何も答えられないのですね。「君、運動員として恥ずかしくないのか!」と諦めましたが、後から候補本人と聞いて大笑いです。

 また、後日聞いた話。選挙期間中の日曜日に、ある小学校で防災訓練が開かれ、各党の候補、運動員はその小学校の周辺でアピールをしていたようです。勿論、各党の運動員は小学校の敷地には入りません。ところが防災訓練が始まりかけた時に、「減税日本の園田です」と街宣の大音響とともに自転車に乗った園田候補が校庭に飛び込んで来たそうです。この人だかりを聞きつけて慌てて駆けつけたようですが、勿論校庭にまで踏み込むのは明らかに違反です。町内の役員に止められて校庭から排除されたそうです。

 その後、今や時の人となった河合議員と名港議会の報酬を勝手に受け取って返さなかったり、様々な騒動を起しているようです。

 私は比較的早い段階から、河合議員と園田議員は「本命対抗」と呼んでおりました。

 その園田議員 <でも> この一文を読んで、議員として自覚を持って勉強してくれるのであれば、それはそれで名古屋市民にとってプラスになるでしょう。(あまり、想像できませんが)そうではなく、このまま「目立たないように、立って座って800万、ほんに税金で食うというのは極楽極楽」というのであれば、それもまた彼の人生です。

 ただ、それが名古屋市民の利害と衝突する事は当然ですが。

 この厳重注意の事例について、彼の議案反対の理由も取材しましたが理解できるものは有りませんでした。ましてやそれを更に覆すというのはまったく理解できません。いたずらに議会を混乱させて、議会運営の経費を浪費させているだけです。

 こういった園田議員の行動を抑制できない減税日本ゴヤの問題でもあります。

 そもそも、総務環境委員会における湯川委員長解任に伴う、松山副委員長就任の話などは、減税日本ゴヤの会派が丸ごと、この園田議員と同様の混乱を起こし、市民の税金を無駄に使ったに等しいわけです。

 この講座の最後に、減税日本ゴヤに対して3つの具体的な提言をいたします。
 (別に難しい話では有りません、非常に「前向き」な話ばかりです)

 その中の一つに「会派規則を再考する」という課題があります。

 正直言って、減税日本の中の規則はメチャクチャです。規則がメチャクチャなので、その言動もチグハグなのです。

 市議会会派だけでもちゃんとする為に、自分たちの会派ルールぐらい自分たちで再構築すべきです。

 この「会派規則を再考する」という問題は、後にまた詳しく述べますが、名古屋市会には「名古屋市会会議規則」というものがあります。

 http://www.reiki.city.nagoya.jp/reiki_int/reiki_honbun/ai50200221.html

修正追記(平成26年2月16日):
名古屋市会会議規則


 会議規則の条文の中には、このまま会派規則に援用できるものも含まれて居ます。

 つまり、「減税日本ゴヤ会議規則」を「名古屋市会会議規則」を参考に作ることができるわけです。「名古屋市会会議規則」は全体で69条までです。議論の練習でも有りますので、この69条について一条ずつ順番に「減税日本ゴヤ会議規則」に援用できるか、改変して援用するか、それとも除外するか、全体で議論すべきだろうと思います。

 つまり、こうすれば参加者全員が一度「名古屋市会会議規則」についてじっくりと考える事が出来ます。そしてその中から「減税日本ゴヤ会議規則」を作ることができればそれも有意義です。

 このアイデアは一石三鳥ぐらいの効果があると思うのですけどね。

 どうです。本当に「前向き」でしょ。


 「地方自治法」と「名古屋市会会議規則」は運転免許における道路交通法のようなものです。「知らなかった」ではすみません。(誰にも説明責任はありません。議員自身が自己責任で知っている事が前提です)

 この両者に目を通した事もないまま議員の席に座ると言う事は、道路交通法をしらないまま車を運転するようなものだと理解してください。

 これが市議の「根拠、立脚点」の基礎の基礎です。ここを起点として、皆さんの仕事は行われます。皆さんが方向性を失いかけたり、迷いが生じた時には、実はここに立ち戻るのが一番確実な方法なのです。



南京事件:犠牲者「40万人」と米高校副読本 市議ロスへ

 1937年に中国で起きた南京事件を巡り、米ロサンゼルス市の高校が使う副読本に犠牲者数について、日中両国の有識者の主張より多い「40万人」の記述があるとして、名古屋市議2人が14日、ロサンゼルス市に向かい、教育関係者と協議することが分かった。両市は姉妹都市で、河村たかし名古屋市長も「事件について意見交換したい」との趣旨のメッセージを市議に託す。沖縄・尖閣諸島の国有化で日中関係が緊迫化する中、協議の行方は論議を呼ぶ可能性もある。

 市議によると、河村市長がロサンゼルス在住の日系女性から数年前、南京事件の質問を受けたのをきっかけに副読本の存在がわかった。副読本には「(南京では)日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に落とされるなどして、40万人の中国人が命を落とした」などの記述があった。河村市長は「副読本とはいえ、姉妹都市の教科書に根拠のない記載があるのは見過ごせず、議論が必要」との考えを示している。

 日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」では、南京事件の犠牲者について中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張し、2010年の報告書では両論を併記している。

 ◇「無根拠と主張」
 訪米する市議は「日中関係は緊迫しているが、言うべきことは言わないといけない。『40万人』に根拠がないことや、事件について両国の主張が違うことを伝える」と話す。

 河村市長は2月、同じく姉妹都市である南京市の共産党市委員会常務委員らが名古屋市を訪れた際、「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言。これを受けて南京市は名古屋市との交流を停止している。【三木幸治】

(毎日新聞 2012年10月14日 02時30分(最終更新 10月14日 02時34分))

http://mainichi.jp/select/news/20121014k0000m040108000c.html

 漠然とした話。ロスには日本人ソサエティーと、中国人ソサエティー更に韓国人ソサエティーがそれぞれあり、微妙な緊張感を持っている。(これらをまとめたアジア人ソサエティーと言ったくくりはあまり聞かない/中国人ソサエティーには更に、華僑ソサエティーであるとか、出身の省による違い(言葉も違う)があるようだが、良く判らない)
 このロスの(というより北米全般の)「40万人」説というのは、アイリス・チャン(Iris Chang)の "The Rape of Nanking" がネタ元でしょう。

 日本では見えない背景に米国の原爆投下に対する自己正当化のためという背景もあるようです。(つまり、米国の中には「原爆を非戦闘員に対して使用したのは無差別虐殺だったのではないか」という議論が有ります。これに対する一つの反論として、「日本もコレコレこのように虐殺を行っていた」という主張をするため(または、精神的安寧をはかるため)にこの話が受入れられたという背景があるようです)

 今のような、日本と中国の間に緊張が発生している時に、ロスの地にあたら緊張を持ち込むような話はいかがなものなのでしょうか?