市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ナゴヤ市会議員養成講座 ―夏の集中キャンプ(2)

 一昨日のエントリーで ( 平成24年請願第12号請願審査 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 ) 「なぜ、減税日本ゴヤがこれほど議論が弱いのか。湯川委員長は何を間違えたからこういった危うい目に遭ったか」と述べた。この問題について掘り下げてみたいと思います。そして「もう一つの請願『議会報告会についての請願』について」取上げてみます。

 減税日本ゴヤの議論が強かろうが弱かろうが市民にとっては関係有りませんが、今の様に「議論を迷走させるだけ」では市政のロスですので、この泥沼から這い出るぐらいのヒントは投げてみたいと思います。(拾うかどうするかは彼等の判断です)

 事例研究という意味も含めて、同じ7月31日に総務環境委員会でなされた、もう一つの請願審査の模様も見てみましょう。

請願第13号 議会報告会の実施に係る予算措置を求める件

 テーマは「議会報告会の開催予算を要求する」という市民の請願に対してどう判断するかです。これに先立つ7月4日に議会は「全会派一致」で市長に対して議会報告会の予算を要求しており、その要望書には議会運営委員副委員長である減税日本ゴヤの余語幹事長や田山副議長の名前も含まれて居ます。

 つまり、委員間討議でも話題に出たように、すでに減税日本ゴヤを含めたオール議会として、全会派一致して議会報告会の予算要望はしているのであって、その議会の要望と同様のものが市民から請願と言う形で提示されたのがこの請願です。ですから、オール議会としてこの請願について採択し、再度市長に対して議会報告会の予算要望をするという流れは誰が見ても疑問の無いものであろうと考えられます。

 そこに減税日本ゴヤの松山委員が「保留にすべし」という意見を表明した事から委員間討議が始まります。

 結局、請願としては全会一致で採択となり、松山委員は席を立って採決不参加となりました。

 議論として松山委員の敗北は明白です。議論の結果、何も変える事ができなかったのですから。

 松山委員の問題を整理してみると、問題が3つの「レイア」に分かれることが見てとれます。第1のレイアは「議会報告会のモデル実施の検証=ルール作りが優先であり、それまでは予算要求を保留すべし」という主張のままの理解ですが、これはつまり「議会報告会を開催すべきではない」という第2のレイア、本音の部分と表裏一体でしょう。

 それとは別に「一般論としての委員会における個人意見と会派意見の扱い」という第3のレイアが関わってきます。松山委員の立論をこの3層で捉えると問題がよく見えてきます。

 議会報告会の予算要求問題に関しては、議会改革推進会議や議会運営委員会の席で議論され、すでに全会派一致での予算要求というアクションが起こってしまっている訳ですから「会派意見」は揺るがせようがありません。
 そこに「個人意見」を提示しようとする事は可能であろうと思います。

 松山委員の過ちは「個人意見」としての領域からはみ出ないように立論を展開しないと、「会派意見」との間で齟齬が発生すると言う事に無自覚な議論を進めたことに起因します。

 次に、そもそもこの請願に対する態度や、いままでの議会報告会に対する態度から、減税日本ゴヤとして本心では議会報告会を開催したくないと思っているだろう事は明白です。(第2レイアの主張は「推測」ですが、ほぼ明白です)

 そしてその理由も「自分たちがノコノコ市民の前に出て行ったら、減税日本ゴヤ<だけ>批判の的にされて攻撃される」つまり「開かれた会派」といった主張は反故にして、なるべく市民の目につかないように隠れていたいというような本音が見えます。





 その傍証もあります。彼らは「議会報告会を開催するのであれば、政務調査費で行うべき」というような主張をしていました。これは河村市長の誤った認識をそのまま受け売りしているだけで、政務調査費で議会報告会を開催したら公職選挙法に抵触する可能性が有ります。 (  議会報告会開催 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 )

 それでも「市民の税金を支出せず、政務調査費で議会報告会を開催すべき」というのであれば、その代案を提示すべきではないでしょうか? どのように政務調査費で議会報告会を開催するのか、その支出根拠、会計の方法等。第一会派として代案も提示しないまま、現行制度を批判するだけでは建設的では有りません。すでにこの問題は一年以上議論されています。その間、議会報告会の開催について建設的な意見を聞いたためしが無い。単に開催を邪魔しようとしているだけにしか思えません。

 とすると、ここで松山委員の議論の目的(戦略目標)も「議会報告会開催阻止」なんでしょうけど、結果として開催を求める予算要望を含んだ請願が全会一致で採択されました。

 どうすべきだったのでしょうか。

 松山委員はチラッと、会派としては予算要望に賛成である事を認めています。
 その上で個人意見として「モデル実施の検証」を主張しているのですから、この範囲で主張を展開すれば良かったのでしょう。

 ケジメと、最終的な戦略目標の見定め。これができて居なかった事が「敗北」を決定づけました。(もう一歩踏み込んだ「戦略目標」獲得の方策も思いついた。つまり、私が松山委員だったならば。立論のルートを3つ思いついた、けど言わない)

もらった薬は飲むべきか否か

 もう一つの事例としては、前回引いた同日に行われたもう一つの請願「受任者名簿の選挙利用」についての伊神委員の動議以降の湯川委員長の仕切りとなります。

 この湯川委員長のグタグタさの原因は、伊神委員の動議の意味を把握していない。渡辺ヨシロー委員や久野委員の追加要望に関しても、その「言葉の意味を理解していない」という事に尽きるのではないかと思われます。
 結果、事務局から回された紙を、やはり内容も理解しないまま読み上げるだけ、その読み上げすら読み間違えるということになります。

 先のエントリーで論語を引いておきました。

  「康子饋藥、拜而受之、曰、丘未達、不敢嘗。」

 本日は、私の母親の教えを二つ披瀝します。私の父親は読書家で、私同様の理屈バカでしたが、母親はそういう意味では無学な人でした。しかし、この母親が時々に語った言葉というのは今でも私の心に引っかかっています。

 その中で「良く判りもしない薬を、知ったかぶりして飲むものではない」という言葉がありました。聞きかじりの生半可な知識を知ったかぶりして振り回している時に言われた言葉で、長じて論語を読み郷党第十の十二でこれにぶつかって驚きました。

 どういう意味かと言うと。「康子(魯国の重鎮)が孔子に病気の見舞いとして薬を送った。孔子は丁重に受け取りつつも『私はこの薬について何もしりませんので、今は口にすることを控えたいと思います』と飲まなかった」という。

 減税政策、地域委員会、議会制度改革(議員報酬)、そして議会報告会の政務調査費での開催など、河村市長が投げてよこした「薬」はすべて正体不明のものばかりではなかっただろうか。そしてちょっと調査してみれば「ニセ薬」である事はすぐに底が割れる。

 先のリコール運動も、その後の市議選挙も、結局名古屋市民は河村市長の「薬」を良く判りもせずに飲んでしまったわけだ。

 「良く判らない薬は飲まない」という孔子の常識ある振る舞いに見習えば、このような間違いは起こらなかった。

 そして今も、松山市議や湯川市議は「判る事は判ると言い、判らない事は知ったかぶりせずに、判らないと言う勇気」さえあれば、こういった苦境には陥らずに済む。

健全な議論の為に

 もうひとつの私の母の教えは次のような問いかけから始まる。
 「友達の顔を見ると、鼻の横に鼻くそが付いていたとする。これを教えてあげるか、それとも黙っているか」

 私の母親の教えは「『ひとの振り見て我が振り直せ』まず、自分の顔にも同じような汚れが付いていないか確認しなさい、その後に教えてあげなさい」というものでした。

 その場を取り繕ったり、場の雰囲気、空気を壊さない為に、こういった事を口にしないという事は多い。減税日本ゴヤの会派内議論を見聞きすると、「物言えば唇寒し」という雰囲気になっていて、既に「誰が顔に何を付けていようが、誰も何も言わない」という状態だろう。
 私から見ると、河合市議も、大村副代表も、広沢幹事長も、そして河村代表も、鼻の横に鼻くそどころか、乗馬でもやって顔から馬糞に落馬した様に、顔中馬糞だらけといった風情ですが、それでも取り澄まして乗馬をやっているかのように見える。

 会派内における相互批判、健全な議論が行われていないので、その(生煮えの)会派内議論を踏まえた、松山委員の議論が脆弱なのは当然だ。
 (そして、こういった議論で敗北しても「他会派が数の力で意見を圧殺した」とか言いかねない。けれど見れば一目瞭然のように、松山議員が筋違いのわがままを言っているのに対して、他の会派が諭しているように見える)

 では、健全な議論を成立させる為には何が必要か。いくつか大切なポイントはあるが、3つ指摘しよう。というよりも、3つの事柄をこのブログでは既に指摘しているが、それを振り返ってみよう。

 相互批判、健全な議論を成立させる条件。

 その1)事実に立脚する事。

 これは、どのエントリーで指摘したという事ではない。常に繰り返し述べている。「事実に立脚」しなければ議論など意味が無い。「減税政策を支持する正しい経済理論」などというものが有るのであれば提示願いたい。このような事実に立脚しない馬糞を、いつまでも顔に付けているものではない。

 その2)言葉を大切にする。

 例えば今回の河合市議の問題でも「除名」と「除籍」はそれぞれ定義があって意味が違う。面倒なようですが、こういった歴史的な経緯の上に政治や行政は立脚しているので、こういった言葉、用語を大切にしないと行政や政治は動いていきません。

 こちらのエントリーで指摘しました。

 政治とは言葉に始まります。
 言葉を軽んじて政治は一歩たりとも動きません。
 言葉とは「約束」です。
 「約束」とは、相手を尊重する心です。

済藤市議と鹿島市議にそれぞれ考えていただきたいテーマを1つずつ。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 その3)メルクマールを持つ

 メルクマール、つまり「判断基準」です。
 どうも、河合市議をはじめ減税日本周辺者の方々の「メルクマール(判断基準)」は「私利私欲」に思えてしまうのですが。
 (こういった個々の「私利私欲」の追求が全体としての幸福を形成できるように制度設計するのが、そもそも資本主義社会の政治家なんでしょうけど)

 これは「価値観」に繋がりますし、集団においては「政治理念」にも繋がります。
 減税日本、河村代表は、こういった「判断基準」「価値観」「政治理念」が歪んでいるので、議論が成り立たないのです。
 それは、こちらのエントリーで指摘しました。
 メルクマールの重要性 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

天網恢恢疎にして漏らさず

 「天網恢恢疎にして漏らさず」と言いますね。悪いことをしても、何時までも逃れられるわけは無いという言葉です。

 そもそも、嘘を言い、誤魔化しを続けていられます?

 その「嘘」に「事実」が覆いかぶさり、必ず当事者は「板ばさみにあう」とも予言しました。 今、決然と反河村宣言! - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 多分、今一番この問題で苦慮しているのは、減税日本ゴヤの市議たちでしょう。彼らは「板ばさみ」になっています。何と何が彼等を板ばさみにしているか。それは「嘘」と「真実」です。(まだ、板ばさみにもなっていない、「真実」を見失ったような市議にはかける言葉も持ちません)誠意ある市議であれば、この板ばさみ、袋小路に気が付く筈です。

 そのエントリーで書いた「宣言(もどき)」を引用して終わります。

 我々は呼びかける。名古屋市民よ、目覚めよ。曇りなきまなこでこの現実を眺めよ。そもそも「開かれた市会」を謳って選挙を通ってきた減税日本ゴヤの市議の何人が「開かれて」いるか。

 我々は呼びかける。減税日本ゴヤ市議の中の一部良識ある人々よ、貴殿たちが守るべきは同僚議員ではない、名古屋市民であり、名古屋市会である。自ら不良分子を選別し、放逐せよ。そして市民の元に戻れ。

 我々は呼びかける。疑惑を持つ者よ、去れ。真実は常にあり、いつまでも誤魔化し続けられるものではない。

 我々は呼びかける。河村市長を盲目的に支持した者よ、深い反省の下にこうべをたれよ。君たちのあさはかな行為が彼らと市民の苦悩を生んだ事を知れ。

 我々は呼びかける。河村市長よ。貴殿は名古屋市の市長なのか、本当にその職責の為にあるのか。その言葉にいささかの嘘も無いのか。無いのならば謙虚に反省し、国政復帰しない旨を明言し、総理は今後目指さないとの宣言と共に、市長としての職責に真摯に向き合え。



追記:大阪維新の会でも塾生の名簿が流出したそうだ。

大阪維新の会:塾生の名簿、一部が流出か 毎日新聞 2012年08月04日 17時18分

 橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会が、次期衆院選に向けて候補者を発掘・養成するため開催している「維新政治塾」の一部塾生の名簿が週刊誌に流出した疑いが強いことが分かった。維新が4日午前、全体会議を緊急に招集し、所属議員に報告した。同日午後、大阪市内で開かれる維新塾で塾生に謝罪する方針。

 関係者によると、流出したのは塾生の名前や住所などを記した名簿。7月下旬に、流出しているとの情報が維新本部に寄せられて発覚。維新が流出したとされる名簿の一部を週刊誌側から入手し、確認したところ、内部で作成している名簿と酷似していたという。

http://mainichi.jp/select/news/20120805k0000m040001000c.html

 対応を比較すると面白いね。