市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかし次の一手

 減税日本ゴヤは8月10日に至るも河合市議への対応を決めかねているようだ。

 この河合市議に関わるゴタゴタと、ある奇策。
 ― この奇策を使うと、河村市政に対する疑問、矛盾であるはずの河合市議の問題を、一気に逆転して「河村支持」に結びつける事ができるというとんでもなく恐ろしい「奇策」― について述べます。

減税日本ゴヤのムチャクチャさ

 この河合市議への対応一つ取ってみても、減税日本河村たかし、または減税日本ゴヤのムチャクチャさが見てとれる。そもそも減税日本は7月31日に当て逃げ報道を受けて河合市議を除籍としている。それまで河村代表は「本人の意向を聞かなければならない」「欠席裁判はいかん」と言っていた。先の除名処分以降、今度は本人と会わないまま除籍の処分を決めている。(更に言うならば7月31日は尾張名古屋共和国の会合が夕刻有った。あの発表(河村事務所横)の時点ではアルコールが入っていた)

 更に、この除籍の理由が「減税日本 倫理規則」 第1条の1「刑事事犯」であるとしている。(参照) 
 これもムチャクチャで、このタイミングではまだ警察が書類送検の意向を示しただけで「推定無罪」の状態だった。それなのに「刑事事犯」と確定的に語ってしまっているのは、天下の公党としての自覚が無いのだろうか。法解釈が素人以下としか言いようがない。

 さらに、減税日本の除籍を受けて市議会会派である減税日本ゴヤまで会派を離脱させてしまっている。これも対応としてムチャクチャだ。後に触れる問題も含めて、様々な事柄を処理してから会派離脱させるべきだっただろう。

 現に減税日本ゴヤと「無所属クラブ所属の河合市議」とは現在では接点が無い。法的にどのような関係にも立っていないので、減税日本ゴヤとして河合市議に対する強制力が一切無い。いったいこれでどうやって交渉をするのか。


 8月3日に減税日本ゴヤは河合市議に対して次のような文章を送ったそうである。

 自ら辞職するべきであると考えるが、下記日時(6日午前10時)までに、貴殿の考えを回答いただきたく申し入れる。
 なお、自ら辞職される旨の回答なき場合は、議員辞職勧告決議案提出の手続きに入る。

 しかし河合市議からは回答は無かったそうだ。そりゃそうだろう、「関係ない」のだからこのような「申し入れ」は知ったことではないのだろう。

 この文章は会派の名前で出されている。つまり減税日本ゴヤの会派としての意向を表している文章でしょう。その文章が「 議員辞職勧告決議案提出の手続きに入る」と断言しているのですから6日の段階で提出の手続に入るべきです。

 ところが提出の手続に入らない。

 これでは交渉事として成立していません。
 それだけではなく政党として成立していません。
 何故なら「言った事をやらない」のですから。信用を置けないではないですか。
 これは完全に政治的には「死」を意味します。外交でこれをやったらその国はおしまいです(一々の「約束」に過大な担保を要求されます)。

 「政治家が一旦口にした事は何が何でも守る」という気概が無ければ、政治家は務まりません。これはアナクロな意見ではなく政治のイロハでしょう。それすら守らない、守れない。
 それとも、こういった文章の文面は「後で幾らでも言い逃れ、訂正ができるから、あまり考えずに書けば良い」とでも考えているのでしょうか?


 先のエントリーで私は

政治とは言葉に始まります。
 言葉を軽んじて政治は一歩たりとも動きません。
 言葉とは「約束」です。
 「約束」とは、相手を尊重する心です。

 という言葉をひいておきました。
 その場その場で適当に言う事が変わる人は、その為に周囲の人々がどれほど振り回されるのか理解していない人です。周囲の人々を尊重しようという心の無いひとです。


 その他にも色々とムチャクチャをしているようです。
 そもそも最初の視察についての釈明で、河合氏のコメントとして会派が勝手に書いた文章を提出しようとしていましたが。その前に返金の判断は会派が勝手にしたことだそうです。その為に河合市議の弁明書に「会派としては私的旅行であるため視察費用を返還し深謝した」という表現になっているようです。河合市議としては返金に応じるつもりは無かった、視察自体は行われて、そこに不適切な同行者が居たという主張をするつもりだったようです。

 これはある意味(正当ではないが)真っ当な解釈で、さっさと返金を済ませて無かった事にでもしようとした会派の判断が間違いでしょう。

 現在、減税日本ゴヤは河合市議に対して議員辞職勧告を決定できなかった。(くどいようだが、なら、あの文章の断言はなんだったのか)
 その論陣を張っているのは中村孝道市議、林市議、山田市議、松山市議だそうだ。(ここは不確か、またそれぞれに強度の違いはあるのだろう)
 そして議員辞職勧告を提出しない理由が「議員は自らの進退問題は自分で決めるべき」という主張をされているようです。

 しかしこれって、リコール運動で全議員の議席を奪った人々が言う言葉なんでしょうかね?

 なんだか、彼等にはこういった「既存議員を入れてはいけない」と完全否定した言葉を忘れているのではと思う節がある。単なる新政党の新人議員ではなくて、既存議員のあり方を完全否定して、リコールまでして議席を奪ったという現実を無視して「新人議員ですから」と失敗をごまかすのは無責任にすぎる。

 既存政党の議員に「地方議会の議員はこういう風にやるものだ」と言い切ってリコールしたのではないのだろうか?

 この辺りが、河村代表の嘘で、減税日本ゴヤの市議が背負った重い十字架になっているのだろうにそれに無自覚すぎる。(この現実に気が付いたら、河村代表の元から離脱しないと「板ばさみになる」のは明白でしょう)

 その他にも、この6日の団総会に関しては、午前10時開始の会議に、当日の朝召集を受けたという証言もあります。
 そして出席者は12名で、結果。何名かの「議員辞職勧告反対」議員の意見を入れて決定をしなかったという事だそうですが。
 繰り返しますが、その反対議員は先の河合氏当ての文章については同意していなかったの?同意していて「気が変わった」の?
 非常に無責任でしょう。


 他会派は河合市議への議員辞職勧告を含めた対応について、元所属会派であり第一会派でもある減税日本ゴヤが意向を表明すべきであるとしている。

 しかし、議会運営委員会理事会の席上、余語幹事長は「私たちは至りませんので先輩である他会派の方々にお決めいただきたい」と発言したらしい。実はつい先日、本年度の委員会人事が決定する時にひともめした。( 参照1 参照2 )

 この時に委員長を外された某党の理事は、この余語幹事長の発言にいたくご立腹だったようです。「なぜ『至らない』と自覚できる人たちが、委員長の席を奪って委員会を台無しにするのか!」
 適当にその場その場で言い繕って、誤魔化していくと、実は他人の心を踏みつけている事に気が付かない。本当に、余語幹事長のご家族はお嬢さんをこの泥沼から出さないと取り返しの付かない事になりかねませんよ。

減税日本のお忘れになっている事柄

 さて、先ほど減税日本は河合市議に対してとんでもない忘れ物をしていると言いました。

 実は河合市議はリコール署名収集の際の3区(昭和・緑・天白)の地区責任者だった。ですので今問題になっている「受任者名簿」については持っている筈でしょうし、ひょっとするとリコール署名簿のコピーも丸ごと持っている可能性があります。

 (リコール運動の関係者から聞いたところ、河合市議はこの両者とも持っていないのではないかと回答が有りましたが、しかし「不在の証明」は減税日本がしなければなりません)

 また、河村流個人情報保護法の理論から言うと、ここで河合市議がリコール署名簿や受任者名簿を利用しても違法性が無いということになるのでしょう。

 少なくとも減税日本は、法的な強制力を持って河合市議の手許に有ったリコール署名簿や受任者名簿に関して、回収、破棄の確認ができなければなりません。
 そうでないと、例えば受任者名簿収集時のハガキに記載した、

 ご登録された個人情報は上記団体以外の第三者に開示提供せず、名古屋市政改革活動の目的に限定して、厳重かつ細心の注意をもって管理いたします。

 という「約束」は守れないでしょう。
 さて、どのような対応を取られましたかね?

河村たかし、次なる奇策

 さて、国政では野田・谷垣会談が行われて、いよいよ解散が秒読みに入ってきているようです。早ければ今国会中解散、10月選挙。遅くとも年内には総選挙になりそうな気配です。

 そういう気配を受けて大村知事が「中京維新の会」を旗揚げするとアナウンスしました。
 これを受けて「大村さんというのは河村市長への裏切り行為は必ず河村氏の外遊中に発表するね。前回、愛知県が減税政策を断念すると発表した時も河村市長がトリノへ行っていた時だったし、今回もメキシコ外遊中を狙ったかのようにこの発表だからね」という指摘があった。


 河村市長に対する風向きは今、明らかに変わっている。
 政治的に意識のある人々の間では既に「バレて」しまっているが。
 一般の人々も河合市議の体たらくやそれへの対応を見て、そろそろ疑問を抱き始めた。

 今までは「河村さんの足を引っ張る減税市議/県議」という意見だったが、やはりその任命責任、教育の責任を市民も感じてきているのだろう。

 そして今、減税日本ゴヤは河合市議に対して毅然とした態度を取る事ができずに居る。

 実は、ここで思い出されるのが昨年の6月に起きた「則竹元団長の辞職騒動」である。

 あの際も、そもそも費用弁償のお金は則竹氏自身のお金なのだから、それを引き出して使ってしまうのは、みっとも良い物ではないが違法ではなかった。なんなら、再度お金を積み立てて行けば良い事であって、そういう意味では釈明の余地はあった。

 ところが河村代表は早々に則竹辞職の方向に舵を切る。
 一説には、あの則竹元団長の辞職のタイミングは、次点で同じ減税日本から出た済藤市議が繰上げを受ける時期、更に則竹元団長に「最後の賞与」が支給される時期。を勘案して決められたと言われている。

 そして、その背景には菅総理に対する倒閣=総選挙の動きを見越していたのではないかと言われている。土壇場で総選挙は消えたが、あの時に解散・総選挙が行われていれば、確実に河村市長は市長職を辞して国政に転進しただろうと見られている。


 さて、ここで河合市議問題だ。

 この問題を受けて河村市長がもし「河合さんは辞めてくれない、辞めるべきだ。ワシは責任を感じて市長職を辞める!」と主張したら。

 そして、マスコミがこの論調で提灯をつけたら。

 市民の間の「論調」は「同情」に移行するかもしれない。

 論理的には「同情」には値しない「自己責任」の範囲内でしょうけど、「世間の論調」というのはこういった理論では動かない。情動に引き摺られる。(そして、また間違う)

 この奇策。稀代のヘ゜〒ン師河村たかし一世一代の「芸」の見せ所でしょうね。

 完全に逆風になりかけた名古屋市内の「世間」という風を、自分の責任は横に退けておいて腹を切る事で、一気に情の世界に訴えかけて支持に代えてしまうかもしれない。

 勿論、このペテンにはマスコミの協力は不可欠だ。
 あの、リコール運動のように、事実を覆い隠して情動に訴えかけるアジテーションを繰り返せば「世間」は動いてしまうかもしれない。