市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかし市長は名古屋市政を談合政治に戻した。


 何が「議会改革」だ、河村たかし市長は名古屋市政を談合政治に戻した。

 本日言いたい事はこの一言です。では、おやすみなさい。

 ・・・と、言うわけにもいかないでしょうから、その理由をお話します。

何の為の「議会改革」か

 その前に、基本的な事柄から確認しておきましょう。

 私はよく行政をレストランにたとえます。
 レストランに食事に来るお客さんが行政サービスを受ける市民とするならば、そのお客さんである市民に直接関るウェイターやウェイトレスという存在が市の職員と捉える事ができるかもしれません。
 議会というのは、こういった意味では市民と直接は関りません。議会とは厨房の中で料理を作るシェフではないかと思えるのです。

 この様にたとえてみると、議会改革というのは厨房の中を清潔に保ったり、効率よく作業できるようにするという事ではないかと思えます。確かに議会もレストランの厨房も清潔であって欲しいものです。その昔は汚職であるとか談合がはびこっていたので、議会を清潔に保つという議会改革が必要であったのだろうと思います。

 しかし、レストランの厨房は清潔であるべきでしょうが、それも限度を超えて要求されるようなものではないでしょう。レストランの機能は、まずは食事の提供であるように、議会の機能も行政の監視であるはずで、そういった本来の機能もそっちのけで「議会改革」だけを旗印にしている議員は、いつまでたっても厨房掃除ばかりして料理を作らない料理人の様に見えます。本末転倒です。

 「議会改革」は必要でしょうが、それは充分「清潔」で「効率的」であれば良いのだろうと思います。

 さて、つい先ごろ掲載された「減税日本東京本部事務所設立のご案内」という一文があります。 ( 参照 ) (ちなみに、こちらのページは突然、内容が替わりました。最後の東京本部事務局次長というポストが清水絵夢(旧姓二瓶)から松浦武志に代わっています)

 この設立のご案内でも名古屋市議会こそはその魁として注目され、前人未到の議会改革の道を歩んでいると言っても過言ではなく」と、あたかも減税日本が議会改革を牽引しているように騙っています。

 ふざけるな!と言いたい。
 河村たかし市長こそは、本日議会改革を大幅に後退させました。

 ここで、一つ皆さんにお伺いしたい。

 レストランが2つあって、一つのレストランは、料理人が「給料を半額にして料理の価格を(0.3%程度)下げます」と言っているとします。
 それともうひとつは「厨房をお客様から丸見えにして清潔に保ちます」というレストランがあるとします。皆さんはどちらに入りたいですか?

 最近は某大手ファミリーレストランも厨房が見えるようになっているんですよね。

 議会改革にとっては議員報酬など二の次、三の次です。というよりも、一時騒がれた「議員特権」というものも、様々な制度設計の結果であって、一概に全て否定すべきかは疑問です。(河村氏はなぜ自分や佐藤夕子代議士が受取っている(いた)「議員特権」に口を噤むのでしょうか)

 それよりは議会を市民に見易くして、判りやすくする。
 これこそが本当の「議会改革」ではないでしょうか。

 市民の眼から見易い、判り易い。それが本来あるべき議会改革とするならば、本日行われた名古屋市会総務環境委員会の審議は市民から見て何が起こったのか判らない、甚だ不健全で旧態依然とした「地方議会」の姿であると断じる以外にない。

6月15日名古屋市会総務環境委員会

 この12日、名古屋市会総務環境委員会が開かれましたが、審議に入る前に動議がかけられ、実質審議が行われないまま散会となりました。その理由はこのブログでもお伝えしたように、「地域委員会募集のチラシ」を減税日本ゴヤが作成し、配布しようとした事と。そのチラシ配布の方法等を定めた減税日本ゴヤ内部の文書が、湯川市議を統括責任者として作成されていたからです。
 減税日本ゴヤの作成した「地域委員会募集のチラシ」については、問題が無いとは思えませんが、それはこの際50歩譲って置きましょう。それでも、そういった活動の統括を湯川市議がするとなると話は違ってきます。
 なぜならば、その地域委員会制度自体を審議する総務環境委員会の委員長が、誰あろうこの湯川市議なのですから。
 政策の是非を審議する委員会の委員長が、予めその政策に対して是か非かの態度をあからさまに取るなどという事があるでしょうか。
 委員長というのは、個人の心情や政治的理念をさておいても、とりあえず審議のために公正中立に議論の行司を行わなければならないはずです。このチラシの問題を問われた湯川市議は「委員長としてではなく、市議として文章を書いた(大意)」というような発言をしたとされています。つまり、湯川市議は「委員長」よりも「市議」を優先したという事で、それは「議会」よりも「私党」の立場を優先するという事です。

 こんな議会軽視はありませんし、聞いた事もない。

 直ぐにでも総務環境委員会で「地域委員会制度」については審議されることが見えているにもかかわらず、その総務環境委員会の委員長が「委員長よりも市議の立場を優先して行動する」ことを公言していて公正な審議が期待できるわけが無いじゃないですか。(報道に触れた市民は、事の是非は置いても、湯川市議が委員長の座にある事には違和感を持つでしょう)

 50歩、100歩譲って減税日本ゴヤが「地域委員会制度」推進のためにチラシを配ろうと、街宣をしようと自由なのかもしれません。そういった推進活動の統括責任者を党内で決めるのも自由でしょう。しかし、その際に「総務環境委員長の職にある湯川市議」だけは除外するという公私のケジメは無いのでしょうか?
 なぜ、わざわざ湯川市議が統括責任なのか。

 なんでも、この文章自身、減税日本ゴヤの中で議論はされていないらしい。
 (誰か一人でも、こういった「公」と「私」のケジメについて教えてやる人間はいないのか?)

 さて、そんなお子様ランチ以下の減税日本ゴヤの党内事情はこの際置いておきます。

 つまり、事ここまで来ると。「地域委員会」の問題や「チラシ」といった問題では有りません。一つの施策とその施策を審議する委員会の委員長という存在に対する認識の問題となります。委員長となって、すぐの6月1日にこのように自覚の無い文章を作れてしまうようで、今後、委員長が務まるわけが無い。12日に委員会が流会となり、委員長不信任案が出されようとしていたことは、政治の常道とでもいった当たり前の事柄なのです。

 さて、ところがところが。本日15日になって委員長不信任案を提出するとしていた自民党が一気に軟化します。

 一説には民主党の長老議員と河村市長が話し合って、その民主党の長老議員から公明、自民に「とりなし」があって、自民党は委員長不信任案を提出しない事に決めたようです。

 さて、その理由は?

 なんですかこれは?

 結局、民主党の長老議員と自民党の長老議員と、市長が話し合って事態の収拾をはかる。その内容も理由も、理論も何も市民には見えません。
 これを「密室談合」と言わずして何を「密室談合」と言うのですか?

 名古屋市会は市民から不信任を突きつけられました。「議会は何をしているか判らない」とリコールを突きつけられ。その衝撃が名古屋の市議会を、市民に開かれた開明的で改革の進んだ議会に変えてきたのではないですか。

 事の是非や党派の話は関係ない。純粋に議会軽視の公私混同を行った常任委員会の委員長に対して、委員会を一日流会にしました。その後、その流会の理由、委員長に対する公平性の担保が(市民にとって)見えないまま、自民党が市長や長老議員の間の話し合いによって事態の収拾を図ろうとするのであれば、事の説明責任は自民党にある筈です。

 なぜ、自民党は謝罪を受入れて湯川市議が「地域委員会制度」に対して公平公正な立場で総務環境委員会委員長として審議を進めることができると確信でき、不信任案などを提出しなかったのか。自民党が提出して、他党が否決するのであればまだ理解できる。
 しかし、その不信任案まで提出しないのだとするならば、その経緯の説明責任は自由民主党名古屋市会議員団にあります。

 そして、そのように「密室談合」によって、市民にあずかり知らぬところで政治を進めようとする河村市長が「議会改革」を進める(?)

 チャンチャラおかしくって臍が茶を沸かします。