市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

責任ある為政者の不作為は

 本日の毎日新聞夕刊に思い切ったコラムが載った。

憂楽帳:南京事件広田弘毅 毎日新聞 2012年04月25日 中部夕刊

 東京裁判で処刑された唯一の文官・広田弘毅元首相が起訴されたのは、46年4月29日だ。判決は、南京事件への広田の対応を指弾した。「残虐行為をやめさせるために、直ちに措置を講ずることを閣議で主張せず」「かれの不作為は、犯罪的な過失に達する」(極東国際軍事裁判速記録第10巻)

 48の罪で起訴された広田が有罪と認定された訴因は、三つだ。南京事件への「犯罪的な不作為」が命取りになったと言ってよい(服部龍二広田弘毅『悲劇の宰相』の実像」中公新書)。

 「南京事件というのはなかったのではないか」と言う名古屋市河村たかし市長は、広田をどう見るか。不作為を問われ、絞首刑となった政治家を。

 政府は判決を受諾しており、事件の存否は決着している。広田は従容と判決を受け入れ、刑場に立ったという。

 以前、河村市長に「マスコミはすぐ冷めるからいかんわ」とおしかりを受けたことがある。忠告を胸に、私は市長の南京発言にこだわりたいと思う。
 撤回し、謝罪する、その日まで。【月足寛樹】

http://mainichi.jp/opinion/news/20120425ddh041070004000c.html

 「不作為」・・・積極的に働きかける行動を「作為」というのに対して、積極的に行動しない、または放置することを「不作為」という。
 この「不作為」が法的に責任を問われる事になるかどうかは、対象者に作為義務が存在しなければならない。

 つまり、幼児がふらふらと車道に歩き出すのをたまたま通りかかった通行人が見ていて、この幼児が車にはねられたとしても、本来無関係な通行人が、幼児の行動を止めるとか、車の運転手に危険を知らせるとかといった積極的な行動をとらなかったといって、法的な責任までは追及されない。
 しかし、これが幼児の親や親族といった保護責任者であれば、法的な責任を追求される可能性はある。(実際には運転手の責任との按分に関連するだろう)

 公職者というのは誰も成ってくれとは頼んではいない。本来の意味での「ボランティア(volunteer=自発的行動)」である。
 そして公職者には公権力が付与される。(地方議会においても与えられているし、市長、それも政令指定都市の市長となると中々の権限が与えられている)

 その公権力は、様々な事柄を「自分の事として」解決してくれるとの願いをこめて託したものである。無責任で無関係な通りすがりではなく、明確に責任をもった主体者なのである。

 以前、トルーマン大統領の例を引いた。
 米国大統領トルーマンは大統領執務室の机の上に "The buck stops here." 「ここで止まる/最終責任は私が取る」と書かれたプレートを置いた。

 最高権力者の、その権力の源泉は、何よりもまず、全ての責任を引き受けようという気概だろう。

 さて、河村市長は「中日関係の喉もとに刺さったトゲを抜きたい」と南京発言をしたが、そのトゲはどうなったのだろうか?
 私が見るに、より一層深く突き刺さって、抜ける気配が無い。
 河村市長が何か抜こうと行動しているようにも見えない。

 河村市長の犯罪的な不作為の事例はこれだけに留まらない。数え上げたらきりがない。
 ご自身の看板公約、いわゆる三大公約にしてみても、減税は公約が10%であったのに、実現したのは5%であって公約実現とは言いがたい。これを10%にしようという施策やプランを打ち出したという話は聞かない。(それどころか「公約どおり減税の恒久化を実現しました」と話している。率は半分で、庶民の為に金持ちはゼロだった筈が。相当に話が違うのではないか?

 確か昨年、宅配おせち料理がスカスカだった話があったが、似ていないだろうか?)

 地域委員会についても完全に興味を失っている。更に議員報酬についても何も手を打っていない。

 私はこれらの政策について反対の立場なので、この状況は願ったりな訳ですが、けれども本当にそれでいいのだろうか?私の個人的な戦略的目標は達成されつつあるが、それ以上に重要であろう「市長という公職の権威」は日々この無責任な人間によって毀損されている。

 そもそも当事者性が無いのだ。昨年の台風15号被害の後、浸水した地域に現地視察に訪れた際も現地住民に「今日は、名古屋市の偉い様を連れてきた」と挨拶したそうだ。一番の偉い様は市長である自分自身であり、対策の執行責任者も市長である自分であることを理解していなかったらしい。

 これも以前指摘したが、「福井県美浜原発などで原発事故があった場合の、放射性物質の拡散想定を表すハザードマップの作製」問題において、無責任な発言を繰り返していたが、これも思い付きを口先だけで語り、責任をもって追及をしていない「犯罪的な不作為」の事例だ。

 実は市長や市議というのは、そんなにバカにしたものではない。それなりの人々に対して、それなりの笑顔や安心を贈る事ができる仕事なんだろうと思う。(家計が苦しくてエアコンがつけられないご老人や幼児を抱えた家庭の為に、上で言っている「地域避暑」でも実施したら、どれほどの節電効果と市民の利便が得られる事か。そして地域の交流が生まれるかもしれない。)
 河村市長や、減税日本の市議、県議が、こういった当たり前の事もできないまま疲弊していくだけだとしたら、自業自得とは言え浅はかとしか思えない。

 (そして、その事は市政の歴史に延々と刻みつけられていくのですから)