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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

預金超過額が多くなる社会を肯定できるのか

 (この文章は、"2012-04-19 それは原因ではなく結果である"の後編として構成されています)

 さて、では預金が増える理由についてお話していきましょう。
 だいたい、3つほどの理由が考えられます。

デフレ

 今の日本はデフレ状態にあります。デフレ状態の社会では物の値段がどんどん下がります。物の値段が下がるということは物がどんどん安くなるということで、喜ぶ人も居ますがそれは大いなる勘違いです。物の値段がどんどん安くなれば、それを提供している人たちの給料も安くなるので「購買力」(物が買える力)自体は変わりません。

 ただ、物がどんどん安くなる社会では「今日買うよりも、明日、来月、来年買った方が得!」という事になます。

 実際に、自動車や電気製品など、新製品になればなるほど価格が安くなるか、同じ価格でも何かの機能がおまけについて、割安になります。

 こうやって、日々、物の値段が下がっていくということは、裏を返せば、日々、お金の価値が上がっていくとも考えられます。

 物を持っていても日々価値が下がり、お金を持っていれば日々価値が上がるのですから、人々は物を持つこと(物の購入)を止めて、お金を持つように、つまりは貯金をするようになります。

セーフティーネット

 河村市長は「新自由主義者」です。新自由主義者は自由競争を奨励します。そして成功した人々を賞賛します。自由競争を勝ち抜いて、売上げを上げたり、企業を大きくしたりする人を賞賛します。社会はこういった優れた、競争に勝ち抜く人に引っ張られて進んでいくと考えるのが新自由主義です。

 しかし、自由競争にはこのような「勝者」もいれば「敗者」もいます。
 競争に勝ち残る人が居るということは、その裏には、その数倍の競争に負ける人々がいるのです。

 しかし、新自由主義においては、敗者の為に保障を準備するということは、勝者が獲得する利益が減ると言うことになります。次の議論でも取り扱いますが、小泉・竹中改革と呼ばれる新自由主義的政策は、この社会的勝者の利益を篤くして、敗者に対する保証を少なくするという政策でした。

 実際に、小泉・竹中改革の頃から世間でよく言われるようになった言葉が「自己責任」という言葉です。自由競争なのだから、参加するのもしないのも「自由」(参加しない自由など、実は無いのですが)自由な競争なのだから、そこで敗北したのなら自己責任、自分の責任だから、野垂れ死ぬなり「自由」にすればよい。

 ということです。

 社会がこういった競争の敗者を「自己責任」などと切り捨てないで守ったり、競争を途中で降りざるを得なくなった人々を掬い上げようとするなら、そういった仕組みを「セーフティーネット」と言います。

 ちょうど、サーカスの空中ブランコの下には、演技が失敗した時にも安全なように網が張られていますね。あれと同じで、社会で厳しい競争にさらされている時に、失敗をして落ちてしまっても「野垂れ死に」までしなくて良いようになっているのであれば、セーフティーネットが働いていると考えられます。

 しかし、小泉・竹中改革以降、この社会では、失敗の時にも「自己責任」が問われ、社会は助けなくても良いうという考え方なのですから、このセーフティーネットが小さく、弱くなってしまっています。そのために、人々はこれを期待できません。
 そうすると、どうすべきか。自分でお金を貯めて、いざという時の備えをしなくてはならないのです。

 つまり、新自由主義的な「自己責任」の社会では、人々は、自分のいざと言う時のための蓄えをしておかなければならなくなります。その為に預金が増える傾向があります。

企業に対する税の問題

 セーフティーネットの項目でも話しましたが、今、社会は新自由主義的な政策をとっています。こういった社会では成功した人、お金を稼いだ人に対しては、その利益を自己責任で使ってよいという考え方になっています。

 これと異なるのが公共主義的な考え、または社会民主主義的な考え方です。(「大きな政府論」と呼ばれる考えです)

 昔は、日本もこういった考えをしていました。そのために大きく稼いだ企業には、重い税金を課して、稼げなかった人、稼ぐことができなくなった人に、その儲けを分配すようにしていました。

 しかし、「自己責任」の考え方、新自由主義の考え方が支配的に成って「稼げなくなった人は、自己責任で稼げなくなったのだから、一所懸命稼いで、成功した人から儲けを取って分配するのは正しくない」という考え方になってきました。

 その為に企業の儲けにかかる税金が少なくなったのです。

 企業の儲けにかける税金が少なくなると、預金は増えることになります。これを詳しく見ていきましょう。


 この図はお店や会社が、売上げをどう分配していくかを見た図です。
 お店で洋服を買ったり、食事をしたり、電話料金を払ったり、いろいろなサービスを提供された時に私たちは代金を支払います。私たちが支払った代金は、提供したお店や会社から見ると「売り上げ高」となります。この「売り上げ高」には「売り上げ原価」が含まれます。洋服であれば、その仕入れ値になるでしょう。お店で食事をしたならば、材料となる食材の代金になります。

 「売り上げ高」から「売り上げ原価」を引いた残りが「売り上げ純利益」となります。

 しかし、この「売り上げ純利益」がお店や会社の自由になるお金ではありません。お店や会社を運営するためには、色々な経費がかかります、また社員や店員に給料を払う必要もあります。こういったお店や会社を成り立たせるためのお金を「人件費・設備投資費」として引く必要があります。(この中には、他にも販売費、一般管理費、販売経費、設備投資引当金減価償却、人件費、福利厚生費等々のお金が入ります)

 この部分は、お店や会社で働く人たちのためのお金ともいえます。
 なので「ちょっと良い色」で着色しておきました。

 さて、「売り上げ純利益」からこの働く人たちのお金を引いた残りが「営業利益」と言われます。しかし、まだ会社が勝手にしていいお金ではありません。この営業利益には税金がかかります。赤い部分ですね「法人税」。重要なので目立つように赤で着色しておきました。法人税のほかにも、住民税や事業税がかかります。
 さて、こうやって残った「純利益」がやっと会社が勝手に使っても良いお金となります。

 会社やお店を経営している社長や店長が手にできるお金はやっとここになります。*1

 その会社やお店が「株式」であれば、株という形で所有者が居て、そういった会社やお店の所有者に払う、株の配当金もこの「純利益」から支払うことになります。また「内部留保」という会社の「貯金」もこの純利益から確保されます。


 次の図は、この「売り上げ純利益」からの分配を見た図ですが。

 赤い部分の「法人税」が重いと、「営業利益」をたくさん取っても、法人税をたくさん払う事になります。ですので、法人税を払うぐらいなら、「営業利益」の部分を少なくして、「人件費」を多くとって働いた人にたくさん払うか*2、「設備投資」でもして次の仕事を大きくしていった方が有利になります。

 以前の日本の社会はこういったバランスでした。
 純利益に含まれる株主やオーナーの配当を増やすためには、法人税をたくさん払わなければなりません。もしも、お店や会社の商品がたくさん売れたりして大きく利益が出るような事があったら、会社の中で働いている社員に一時金でも払って成果を賞賛するか、設備投資をして、その利益を生んだ部門を積極的に拡大させるかしたものでした。

 ところが、小泉・竹中改革では、企業の利益を企業の自由にさせるようにしました。
 つまり、法人税の比率を下げたのです。



 次の図が、法人税率を下げた際に、どうなったかという図です。

 法人税率が下がりました。税金の比率が下がるのは良いことの様に思えますね。

 ところが、法人税の比率が下がるということは、「営業利益」を以前よりもたくさん取っても法人税の金額はあまり変わらないという事になります。そして、「営業利益」をたくさん取るという事は、企業やお店のオーナーや株主は以前よりも多い「純利益」から、以前よりも多い「配当」を得ることができます。そして「内部留保」という「貯金」もたくさんできます。

 その代わり、「営業利益」をたくさん取るためには「人件費」を少なくする必要があります。「設備投資」も積極的には行えません。

 つまり、法人税率を下げるということは、お店や会社が得る事のできた「売り上げ純利益」の分配が、働いていた人々の「人件費」や「設備投資」に回らずに、お店や会社の持ち主である経営者や株主の取り分を増やすという結果になるのです。

 そして、ここに「内部留保」といわれる会社の「貯金」も含まれる事になります。

 企業やお店が積極的に「設備投資」をして、新しいお店や仕事を作らない。そして「人件費」を抑制して利益(営業利益)を追求するようになった背景には、この法人税率の低下があったのです。

智恵も美徳も欠いた自由とはそも何ものか。それはおよそあり得るすべての害悪の中でも最大のものである。(ケーベル博士随筆集 久米勉訳)


 オリジナルの半分程度に切りました。
 後半部分についてはもう少し練りたいと思います。

 ただ、ここまでで法人税率が低くなると、貯蓄が増えるという理屈はお判りいただけると思います。

 そして、河村市長の言うように「預金が銀行に余っているから市債を発行して銀行を助ける」ような経済政策が正しいのか、そもそも銀行に預金が過大にたまらない様にすべきか。
 河村市長の論点は、それ自体が間違っている事がご理解いただけるのではないでしょうか。


*1:社長や店長といっても、他の従業員と同様に働いているのであれば、「人件費」として税引き前の利益から給料を得ることができます。

*2:労働分配率を上げる」と言います。