市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

縮小均衡論の罪

前回少しふれた「キミのお金はどこに消えるのか」という書籍に刺激されて、均衡財政論、縮小均衡論、はたまた、その亜種としての名古屋市における「河村流減税政策」の誤りについて述べてみたい。

キミのお金はどこに消えるのか

キミのお金はどこに消えるのか

名古屋市の河村市長の主張する「減税政策」というのは、一般的な国の減税政策とは異なる。国における減税政策は通貨発行権を背景にした通貨政策となるが、名古屋市には通貨発行権は無い。そもそも地方自治体において減税をするための債券発行は認められていないので、地方自治体において減税政策を行うという事は通貨政策としては発行抑制になる。つまり市長の説明や、一部の人々*1が根拠もなく言いふらしている事とは異なり、河村流減税政策は通貨流通量を減らす。更に河村市長は減税政策の原資を歳出削減で賄うと言っている。地方自治体が歳出削減を行うという事は、その地域の産業にとっては減収となる事は明白で、これも地域の経済を冷却する効果を持つ。バブル期のように通貨流通が過剰となり、インフレが進行した際には有効な政策かもしれない。(名古屋市における減税シミュレータが結果として減税政策を行えば経済効果がマイナスに出るとした結論は経済学的に見れば当然のことで、そうした支出削減を行うよりも「財政出動」を企図して歳出を拡大した方が地域の経済に対する刺激になる)

ここで、「インフレとデフレ」についておさらいをしておこう。
減税日本所属の市議の中には、東大大学院に通っていてもこうした知識に疎い者も居たわけ*2で、中学生公民レベルの知識といえども、公知の事実とタカをくくると足をすくわれる。

インフレとデフレ / 中学社会 公民 by ピタゴラス3世 |マナペディア|

「インフレ」とは「インフレーション = inflation 」を指す、直訳するなら「膨張」。市場という風船に、通貨という空気を入れるようなもので、空気が(通貨が)入れば入るほど風船は(市場は)膨らむ。

「デフレ」とは「デフレーション = deflation 」の謂いで、直訳するなら「収縮」。市場という風船から通貨という空気が抜けていくことで、市場は(風船は)しぼんでしまう。

この20年ほど。(橋本内閣の「総量規制」を起点に見るとすでに27年!)日本の経済は「デフレ」を起こしていた。
通貨、流動性、平たく言うと「お金」が足りなくて、皆が右往左往をしていたのだ。

このデフレを解消するのは至極簡単だ。「お金」が足りないのだから「お金」を増やせばいい。
どうやってって?

日銀がお札を刷ればいいんだよ!

極端な話、空からお札をぶん撒いてもいい(400兆円までならハイパーインフレは起こらないと断言してやる、理由は後に述べる)ケインズさんにならうなら、日本のどこかにピラミッドを建ててもいいし、単に土を掘って穴をあけるだけの公共工事と、次の年にはその穴を埋めるだけの公共工事をしても良い。(古代エジプトの例にならうなら、無駄な公共工事にも有為性がある)
なんなら、京都大学藤井聡教授の言うように、「国土強靭化」として、公共インフラの改修を進めても良かった(イタリアでも橋の橋脚が老朽化して落ちるという問題が起きた。日本においても笹子トンネルの崩落事故という事例があった)
年金支給額を引き上げても良いし、生活保護費だってもっと高めたっていい。
医療費や介護負担が高まっていくというのであれば、もっと医療費を上げても良いし、介護保険支給額を引き上げても良い。

医療費や介護保険料というのは「何かを生み出す投資」などではない。人間が生きていく上で必要な「消費」である。それが「非効率」であり「非生産的」なのは当たり前のことだ!そもそも人間が生きていくのに、常に客観的な目的/効果なんぞ求められるものだろうか。圧倒的多数の生は無為の生でいい。生まれたから生きていく。何も生み出さなくても人間の生には意味がある。それが判らないとするなら、それこそが不幸なことだ。マスコミでちょっとチヤホヤされたからといって調子に乗って、会社から放逐され、それでも自分の人生を省みることなく、人工透析患者の医療費が高いから死ねなどというバカや。狭い見識から子どもを産めない、生まない性的関係を「非生産的」などと断じる輩は、そんな言説自体が社会の害悪であると認識すべきだ。 相模原障害者殺傷事件の植松聖被告やら精神疾患罹患者や少数民族ユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツとも地続きの発想と知るべきだ。もう一度言うが、ヒトの生にはそれ自体で意味があり、換え難いものだ。生に「生産性」やら「効率」を求める者は、己の心自体が<外部>に支配され、「生産性」やら「効率」という外的な物差しでしか己自身を評価できなくなっているのではと省みるべきだ、これは人間が人間である主体性を失っている姿であり、酷く悲しい姿だ。

東京医科大学で女性受験者が不当な点数引き下げを受けたという問題。私立医科大学においての受験生は将来の研修医、附属病院の所属医であって、受験というのはその「入社試験」の意味合いも兼ねており、総合病院にとって若い男性の医師は無理な労働にも対応できる労働力として期待され、その為に女性受験者よりも男性受験者が優遇されていたという話。

そもそも医療が医師の「無理な労働」に支えられているという状態が、制度が異常なのではないのだろうか?
そこには、開業医と巨大病院における研修医という「格差」があるのではないのか。

もっと医者を供給過剰なほど供給し、就労条件を改善し、開業医との制度バランスを計れば良いのではないだろうか。
(開業医の持つ政治的パワーがそれを阻止しているとするなら、国民は大切なものを奪われていることになる)

話が脱線しているが、脱線ついでにもう一つ。


科学技術・学術政策研究所が「科学技術指標2017」を公表した。

科学技術指標2017・html版 | 科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)

2013〜15年の3年間に日本が出した論文数は、10年前の米国に次ぐ世界2位から4位に下がり、中国、ドイツに抜かれた。
論文の重要性を現す被引用回数を勘案する「Top10%補正論文数」「Top1%補正論文数」では日本はいずれも10年前の4位から9位に大きく順位を下げた。

研究開発費の伸びはそれなりに追従しているように見えるが、米国の堅調な伸びや中国の積極的な伸び方に比べて覇気が無い。
特に、日本の大学において、雇用の不安定が危惧される。

日本が国際競争のなかで生き残っていくには、現在ある蓄積を生かして、より付加価値の高い製品を生み出していくしかないのではないのか?その為には高度な技術や知見が必要なのであって、その為により積極的な研究開発への投資が必要なのは自明の理だろうと思う。

そうした産業の萌芽があるだけに、残念でならない。
ここにも何が必要か。簡単だ。金だ、金!
そして、ケチくさく短期間、単年度で結果を求めるのではなく、長期にわたって経緯を見守る度量だろう。

追記:
「成果を見せる研究に『選択と集中』を行い研究費を与える」という主張は「当たるくじだけを『選択と集中』して買う」というバカと同等だ。

では話を戻す。
次の一文を読んでみてもらいたい。

「所得の不平等が経済の衰退を引き起こすことによって、貧しい者は消費に余裕が無く、豊かな者は所得の一部のみを消費に当てるだけの状態になり、市場は供給過剰に陥る。その結果、商品需要の不足が発生するため豊かな者は貯蓄に励み生産に再投資しない。この貯蓄の増加が経済的均衡を崩す結果を生み、生産縮小のサイクルが始まる」

社会の中に不平等が生まれる。トマ・ピケティは経済発展の速度よりも、常に資本が資本を生みだす速度の方が早い事を示した。

21世紀の資本

21世紀の資本

自由経済の下では必ず所得の不平等が起き、経済的格差が発生し拡大する。経済発展が鈍い社会においては、この経済格差はより深刻になる。こうして経済格差が生まれると、貧しい者は十分な消費ができない。豊かな者は余剰所得をその比率のまま消費するか?使いはしない。貧困な者であろうと、豊かな者であろうと、寝て起きるのは1畳もあれば十分であり、金持ちだからと一日30食を食べるわけではない。こうなると需要は落ち込む。現在の若者が車を買わず、腕時計を買わず、家を買わないと言われるが、そこには正当な経済合理性がある。需要が落ち込むという事は供給が過剰となるという事である。モノが売れなくなる。モノが売れないとなれば企業は設備に投資しない、下手をすれば設備を破棄して製造ラインを縮小する。製造ラインの縮小は労働者の解雇を呼ぶ。労働者の解雇が進めばまた消費は冷え込んでいく。こうしてデフレスパイラルに落ち込んだ社会では、豊かな者は消費を控え、貯蓄に励む。今日より、明日の方がお金の価値が高まる。それがデフレなのだから。豊かな者の消費はより一層減退し、彼等は将来不安に備えて貯蓄に励む。企業も同様だ。市場の需要が低下していく中で、設備を縮小し、社員を減らし、「生産性」と「利益」を得ようとする。支出を減らそうとする。そこに追い打ちをかけているのが、法人税の「減税」だ。企業は税率が高ければ課税対象利益を圧縮しようとする、課税対象利益を圧縮するためには、人件費を上げて労働分配率を高めるか、設備投資をする。しかし、法人税率が低ければ課税対象利益を抑制するインセンティブが働かない。そのまま利益を計上し課税を受け、内部留保を積み上げる。企業の内部留保が積み上がる社会が「豊かな社会」と思っているのであれば、その人は経済学落第だ。「豊かさはお金の形で貯め込めると思っている病(やまい)」(by 「キミのお金はどこに消えるのか」)に罹っていると断じても良い。しかし今の社会は一国の首相から、経済団体のトップ、そして呆れた事に労働組合のトップまで、この「病」にかかかっているように見える。そして企業はともすればより一層人件費を削る。現在の日本において法人税減税は消費を喚起しない、消費を、設備投資を喚起するには法人税率の引き上げをするべきなのだ。*3

追記:
以前も述べたが、企業に内部留保(ストック)が積み上がるのは不健全な姿だ。なぜなら、企業とは本来、ヒト、モノ、カネを利用して収益を上げるための装置なのであって、そのカネを有効に使えていない(投資先がない/見つけられない)姿は企業として失格であり、緩やかな死でしかない。(更にここで、ヒトやモノまで削減しようとするのは、企業自身の自己否定の姿でしかない)

所得の不平等→消費の減退→貯蓄の進行→生産の縮小→経済的不均衡

先の一文は「マルサスの過少消費説」と呼ばれるものであって、19世紀の理論だ。

しかし、見事に現在の日本に当てはまる。

現在の日本において、何が足りないのか。それはズバリ消費であり、消費者としての国民の持つ可処分所得だ。
なぜ、国民の可処分所得が低いのか、雇用が不安定だからであり、年金の給付が不十分だからだ。生活保護などの社会保障が十分でないからだ。

それならばどうすればいいか。「お金」が足りないのだから「お金」を増やせばいい。
つまり、日銀がお札を刷ればいいんだよ!

現在、日銀は金融緩和をしてお札を刷っている。しかし、先にも書いたように法人税率を「減税」している影響で、そのお金は企業の内部留保にため込まれている。刷ったお金を内部留保という「ストック」に入れて、喜ぶのは金融資本だけだ。必要なのは「フロー」のお金だ。消費に回せるお金だ。ある国の首相が、「法人税率を下げて、内部留保を積み上げて設備投資してもらう」という発言をしていた。私は腰が砕けた。上にも書いたように、法人税率を下げれば、設備投資のインセンティブは減退する。また、企業は一旦内部留保に積み上げた金は、易々と設備投資には回せない。なぜなら、設備投資に金を回すのであれば、内部留保にする前、課税対象利益を計上する前に、設備投資するべきで、一旦内部留保に積み上げ(法人税を支払って目減りさせ)た金を、例えば次の年、設備投資に取り崩したら、無計画で無能な経営者と言われる。

2016年で、日本国内における企業内部留保の金(ストック)は400兆円以上あると言う。400兆円の金を市中に入れ込んでも歪んだ税制のおかげで企業の内部留保(ストック)に吸い上げられてしまってハイパーインフレは起こっていない。なら、もっと適正な税制をひいて、市中に金をバラ撒いてもハイパーインフレは起きない。400兆円まではバラ撒ける。今必要なのは消費でありフローのお金だ。
(私はこの歪んだ税制の問題と、法人における内部留保の拡大、お金のストック化という歪みは、リーマンショック後の金融危機と無縁ではないと考えている。あの時棄損した国内金融業界の為に、この国は内需を拡大する社会設計から、ストックを積み直しやすい制度に社会の形を切り替えた。消費をする事が悪い事であると宣伝され。それは資源保護やら環境保護まで持ち出して宣伝された。国家財政を家計のように捉えさせ、国家財政に於いて均衡をとる事が良いことと喧伝し、赤字国債の発行を悪であると断じた。「子どもにツケをまわさない」との美名の下、インフラの世代間負担まで否定された。法人税率の引き下げが良い政策であるかのように喧伝された。そのおかげで国内の金融業界は息を吹き返したわけだが、その傾向は是正されていない。こうした歪んだ制度の下、今、その成果は国際金融に絡め取られようとしている。米国の国際金融(その後ろには中東やロシアも含めた産油国が居る)や中国の新興金融集団(共産党の幹部が国際金融にコミットするというのは、ちょっとディストピア観が止まらない)が、この国のこの歪んだ制度を下支えしているように思えてならない)

この図はあるヒトが2015年の日本における人口ピラミッドに、手書きで書き足したものだ(赤い部分)。2015年現在で60歳代の「団塊世代」40歳代の「団塊世代ジュニア」という人口の「山」が見える。そして本来であれば、20歳までの「団塊世代ジュニアジュニア」という「第3の人口の山」が生まれ、日本の人口ピラミッドはこうした形になる筈だった。しかし、「団塊世代ジュニアジュニア」の世代においては山は発生せず、「団塊世代ジュニア」から人口は減少の一途をたどっている。

この生まれなかった「団塊世代ジュニアジュニア」の人口の山を「失われた第3の人口の山」と呼ぶ人もいるようだ。

私はこの図を見ると、恐怖すら覚える。
日本の社会はこの30年、絶対に間違えていた。

毎年、8月になると、先の大戦を振り返り、「日本は間違っていた」と反省の言葉を口にする人がいるが、それどころではない。私たちが間違えていたのであり、今に至るも間違えているんだ!

この生まれなかった「団塊世代ジュニアジュニア」
その親は1993年からの就職氷河期に、満足な雇用につけなかった人々であり現在40歳代の人々となるだろう。現在、40歳代になって、不定期雇用のまま、ワンルームマンションや実家に住み、結婚もできずにいる。

最近NHKがAIを使った予言として「ひとり暮らしの40代が日本を滅ぼす」と提言して話題となった。
40歳代の国民は怒りの声を上げるべきだ。あなた方は好き好んで「ひとり暮らし」をしているのではないだろう。

確かに、ヒトそれぞれの選択はあって、「ひとり暮らし」を好んで選択している人もいるかもしれない。
けれども、社会や経済が「ひとり暮らし」に追い込んでいるという傾向は否定できない。

雇用の不安定さ、小泉・竹中改革の生んだ、そして連合が容認した、この不安定な雇用が、若者から生活の安定を奪い、結婚の機会を奪い、子どもを生み、育てるという機会を奪っているのだ。その竹中平蔵が、雇用を不安定化させることで利益を上げる派遣業の経営者に座り、莫大な収入を得ているというのはモラルハザードを通り越して、犯罪であろうと考える。現在、法的に竹中平蔵を告発することはできないのかもしれないが、歴史的に、経済学的に、彼は断罪されてしかるべきだろう。有史以来、日本社会をここまで棄損した者はそうそういない。

数十万、百数十万人の子ども、またはその家庭の誕生を阻害したのだ。

この生まれなかった「失われた第3の人口の山」に示される、数十万人、百万人を超える子どもたちの背景には、失われた数十万という家庭があり、そこで育まれる生活や喜びがあった筈だ。ヒトが育ち、独り立ちをして職を得、社会を支える。その中で伴侶と出会い、家庭を築き、子どもを生み、育てる。そして子どもたちの成長を見守り、子どもたちの成長から学び、やがて子どもたちの独り立ちを見守る。必ずではないし、絶対でもないが、こうした当たり前の生活の姿は、ヒトの幸福そのものだろう。そうした幸福を、根こそぎ奪ったモノが、この30年ほどの日本の経済政策だ。「ひとり暮らしの40代が日本を滅ぼす」のではない、日本を滅ぼす経済政策が、雇用政策が、ひとり暮らしの40代を生んだのだ。
財政均衡論者が「子どもたちにツケをまわさない」ときれいごとを言っている間に、その子ども自体が居なくなってしまったのだ!(子どもが居ないのだから、ツケの回しようが無いので、そういう意味では主張の通りになったな!おめでとう!)

過てる財政論 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

雇用を不安定化させ、消費を冷え込ませた均衡財政論者、縮小均衡論者には、満腔の怒りを込めて言わせていただきたい。

臍でも噛んで死んでしまえ。

消費は増やすべきだ。(もしもそれが資源や環境に対してバランスを欠くようであれば、規制をかければいい、規制自体もコストを生み、消費を生む。また、市場原理を介在させるのはこうした資源の収奪に対してだろう)

せこく、根拠のない財政均衡論を離れるべきだ。

人口とGDPも関連など無い、人口が減ろうとも、GDPの拡大は計れるのであって、GDPの拡大が無ければ格差は確実に拡大し、そのアンバランスは社会を減退に落ち込ませる。

消費を喚起するためには雇用を安定化させるべきだ。厳しい雇用条件で潰れる会社は潰せばいい。その会社が雇用者を収奪して提供していた需要は、正当な雇用を行っている企業が肩代わりして供給することになるだろう。これが市場原理だ。市場原理は個人の労働者にではなく、企業に対してこそ当てはめられるべきだ。

経済を減退させる、一切の縮小論を否定すべきだ。賃金を引き下げても「生産性」は上がらない(「生産性」の数式に、賃金は関係無い!逆に、労働生産性が高まると、賃金も上昇する傾向がある。これは当たり前だ、賃金が高ければそれによって生み出される製品/サービスも高い付加価値を持ったものにする必要が生まれる。高付加価値労働とは生産性の高い労働に外ならない。優れた経営者とはこの生産性と賃金の拡大を実現する者を言う。なんとなれば労働力というものは限られた社会リソースなのであって、それを低い生産性に押しとどめておくことは社会全体の不利益となるからだ。経営者であって真っ先に就労者の人件費を抑制しようとする者は経営者失格である)

年金、各種社会保障生活保護も拡大させるべきだ。それは消費の原資であり、誰かの売上に外ならない。そうした「お金」を絞ろうとする者は、経済活動自体を収縮させようとするに過ぎない。

地方自治体は、職員の給与を引き上げるべきだ。地方自治体の職員給与はその地域の賃金体系の算出根拠となる。自治体の職員給与を引き上げる事は、その地域の消費原資を引き上げるだけでなく、地域の賃金水準を引き上げ、地域経済の活性を生みだす。

地方自治体の職員給与を引き下げようとする者は、その地域の経済活動を減退させようとする者である。
本人が「経済活性の為に、職員給与を引き下げる」などと言っているのであれば、そんな者は入院でもさせた方がいい。堀川にでもぶん投げておけ。

この30年ほど、日本国内における財政均衡論、縮小均衡論者が、この国の経済を縮小させ、人々を委縮させ、数万、数十万という家庭を破壊し、生まれてくる筈だった数十万人という子どもたちの生をも奪ったのだ。その罪を自覚するべきだ。そして、誤りは正されなければならない。



2025年、「アンダークラス」1000万人超の絶望(日経ビジネス アソシエ Selection)

かつての日本は長く「一億総中流社会」などと言われてきたが、今やその影もなくなってしまった。格差拡大が進み“階級”が固定化してきている。そして、巨大な下層階級「アンダークラス」が新たに出現してきた。アンダークラスの平均年収はわずか186万円で、男性の未婚率は66.4%。その数はおよそ930万人だが、2025年には1000万人を突破するとみられている。

同じものを見、同じように考えているように見えるが、読むと違和感を感じずにいられない。

当事者性が無いんだよ!
この記事を読むと、自身を違う場所に置いて書いている。

なので「社会保障費の増大、犯罪の増加…社会全体の不安拡大へ」なんてリードになるんだろう。これは社会的正義の毀損であるとは考えられないのだろうか?

アンダークラスが増大すると、犯罪が増加する」のではない!
「犯罪的な社会政策によって、追い詰められた無産階級がアンダークラスとなって不満を爆発させる可能性が増大する」のだ。

アンダークラス」なんて言葉自体がおためごかしだ。

「無産階級」なんだよ。
今は正規雇用されていたり、有資格者であったりしても、それが収入の将来的な保証にならない。今の社会でそうした保障が得られている者は、「有産階級」でしかない。そしてその大多数は自分の力でその地位を獲得したのではない。

これこそ、民主主義や平等の理念を破壊する社会設計ではないか。

犯罪であり、詐欺だ。

では「無産階級」に何ができるのか?
「無産階級」にできる事は昔から決まっている。「団結」しかない。
「無産階級」の力はその「数」しかないからだ。

連合よ、いい加減目を覚ませ。
貴様らの組合員の為に、非正規雇用者があるのではない。
非組合員へ手を差し伸べなかったツケは、「団結」を否定したツケは、
貴様らに返ってくるだろう。

「無産階級」でありながら、「自分はアンダークラスじゃないから」と
タカをくくっている者が、最も醜悪だ。

この「アンダークラス」という言葉は、「無産階級」を分断し
「団結」を阻む呪いの言葉に聞こえる。



追記(2018/8/31):
安倍政治に反対が多いのに内閣支持率が高いのはなぜか


追記(2019/4/27):
ビジネス特集 お金がないなら刷ればいい!? | NHKニュース

*1:中日新聞は勇ましくも経済効果が「1128億円」と一面にデカデカと載せた

*2:この人物は「減税政策」と「歳出削減」を「財政出動」と表現した

*3:法人税率の引き上げが企業の海外流出を促進するという議論があるが、これも嘘だ。そもそも国家間で法人税の安売り/プライスレースをするというのであれば、タックス・ヘブンの国に勝てるわけがない