見えます、見えます。
哀れな呉服商の大旦那様が、
座る椅子を無くしている姿が見えます。
椅子は黄色い服を着た人が持って行ってしまいました。
大旦那様はその椅子に今後出会うことはないでしょう。
大旦那様はその椅子に二度と座ることはできません。
帰りにワゴンタイプのエスティマは
迎えに来てくれるのでしょうか?
3月16日
すでに一般の報道でも触れられているように、名古屋市会における元減税日本ナゴヤ(昭和区選出)の中村孝太郎議長(参照)の議長辞職拒否問題は、「支援者」と言われる人々の影響力が大きく反映している。
特に指摘しておきますが、議長ポストについて「一年で辞任せよ」と公式に迫った人は居ない。減税日本ナゴヤ市議団の中では慣例に従って、または先の則竹問題等も勘案して、議長職を交代すべしという動きがあったようだが、これは減税日本ナゴヤ市議団の中での問題である。
「アンケート」とか言って田山幹事長が箱を持って、一人一人の賛否を書いた紙を回収したそうだが、やっていることが児童会である。辞めてもらうなら幹事長、団長がキッチリと中村議長と話し合うべきであるし、河村市長が以前言っていたように「悪しき慣例を打ち破って、議長は4年続けるべし」と思うのなら、これもしっかりと他会派に説明すればいい。
団内部で賛否を募って多数決、数の論理で決めようとするのは幼稚すぎる。
そして、そもそも去年の6月の段階で、中村議長は公に、自らの進退を「団長に預ける」と語ったのではないの?
こういった言葉を軽視する態度が、今日の状況を引き起こしている原因の一つだ。
さて、この中村議長を支援する人々の実態は「ナゴヤ庶民連」の一部である。
この「ナゴヤ庶民連」は、「中村議長を支える市民の会」というものをつくり、明日、3月16日の午後に記者会見を開くらしい。左のイメージがその際に提示される「声明」だそうだ。
頭蓋骨の内側が痒くなるような文章だが、所々ツッコミを入れてみよう。
議会改革の最難関といえる「任期1年・議長職のたらい回し」の悪弊
中村議長自身も議長職存続の意義を「議会改革の為」と言っていた。
そもそも、政治家で議会改革や教育改革*1を訴える奴は碌な者がいない。政治家、議員にとって「議会改革」とは自分たちの仕事場の事であって、結局目に付く事をアレコレ弄り回そうと言うに過ぎない。教育は誰でも間違いなく通ってきた学生の頃の問題をあげつらえば良いだけで、結局この二つの政治テーマというのは、議員であれば特に何もしなくても語れる事なのだ。
財政を語ろうとすれば公共経済学の一つでも齧らなければならないだろうし、建設、土木、交通、福祉。これらの政治テーマを語ろうとすればそれぞれに勉強が必要となる。
確かに、教育を職としている人であれば、専門的な教育の見識を政治に展開すると言う事はあるだろう、しかし何も勉強をする気がない議員が、読みかじり、聞きかじりの、そして下らないルサンチマンの発露を、居酒屋政談の如く語る機会が如何に多い事か。
また、議会改革というのは政治においてそんなに優先される事柄だろうか?
私は行政と言うのはサービス業だと思う。その姿はレストランに喩えられるだろう。
行政サービスがレストランで供される食事であるなら、レストランの客が市民や住民となる。ウェイターやウェイトレスが窓口の職員であったり、公共交通機関の職員かもしれない。
さしずめ料理人が議員ということにすると、議会改革とは厨房の掃除に当たるだろうか。
厨房が不潔であれば事故も起きるし、出される食事にも問題があるかもしれない。確かに、厨房は清潔で、見通しが良い事が求められる。
しかし、だからといって厨房掃除ばかりしている料理人というのはどうだろうか?
料理も作らずに、厨房を染み一つ無いように掃除し続ける料理人・・・・ちょっとサイコチックで恐ろしくはないだろうか?
厨房は充分清潔であり、充分見通しがよければ、先ずは良いのである。それよりも重要なのは、そこから出される行政サービスという料理だ。
「議会改革」ばかりいう議員は財政も公共インフラも、福祉も何も勉強しようとせず、自分たちの仕事場の制度を弄るだけの不勉強な政治家であるという所以である。
自ら破ることにより「庶民革命の体現をめざす」
「庶民革命」って何でしょうね?
こういった大仰な言葉を使って、さも凄い事を言っているような顔をして、実は言っている本人も、良くは判っていなかったりします。自分に酔っているんでしょうね ―お大事に。
議会リコールをきっかけに(略)半数以上の議員が一新されたにもかかわらず、いっこうに進まない市政改革
それどころか、リコールされた議会と、今の議会。どちらが良いのでしょうね?
そもそもその、進めようとしている「市政改革」というのは何なんですか?
新人議員すら談合政治に抵抗しない議会改革への意欲のなさに落胆し、憤慨
これを見ると判りますね。
つまり、彼等はリコール署名を主導して、議会の入れ替えを行った。河村市長の言うように、既存議会をリコールし、そして河村市長の選んだ議員候補者を名古屋市政に送り込めば、彼等の言う「市政改革」や「議会改革」が実現されると思っていた。
ところが、彼等の希望する「市政改革」や「議会改革」は実現されない。
減税日本市議団の皆さん、(略)あれから1年、慣例まみれの議会ルールの常識に染まり、なあなあ議会、もたれあい議会に調教された「名ばかり議員」となり果てていませんか?
彼等から見ると、減税日本ナゴヤ市議団*2の皆さんも、慣例や議会ルールに縛られて、「なあなあ議会」「もたれあい議会」に「調教された」様に見えるのですね。
しかし「調教された」とはまた凄い言葉ですね。
けれども、実は慣例や議会ルールは徐々に改善されています。
議会や委員会におけるインターネット中継もその一つでしょうし、委員会における委員間討議も実現化されています。
そもそも、そういった議会改革の柱であった「議会報告会」を条例を無視してまで開かなかったのは河村市長でしょうし、「なあなあ議会」「もたれあい議会」という言葉は、この写真が最もふさわしくありませんか?
http://mainichi.jp/photo/graph/20120229/12.html
今回、議長辞職を工作していた減税日本ナゴヤの田山幹事長に、ナゴヤ庶民連の一員であり、減税日本ナゴヤの党顧問、更にリコール署名簿収集における請求代表者であった船橋旭氏が「お前みたいなものは、リコールしてやる」 と迫ったそうであるが、田山幹事長様が自分の意思で議長下ろしをするわけがないじゃないですか。全ては携帯電話のお告げの通りに動いていただけですよ。可愛そうに。
「既得権益の死守」に汲々とする現状を打破し、問題点が明らかな行財政改革を遂行し、市民の意見に耳を傾け、議会改革に取り組むときではありませんか?
議長を迎えて総務環境委員会が開かれて、その席で「議会改革にまい進したい」と主張する中村議長に様々な質問が投げかけられた。("参照")この質疑は2時間に及び、内容は非常に不毛な場面が多かったが、その中でも中村議長自らが過去に「議長車の使用」を控えると言っていたのに使っているという言行不一致を指摘されていた。また「議長室が大きすぎるのではないか」という中村議長自身の指摘に、では、大きすぎると思われた議長室を改善するために、何をしたのか?と問われて答えに窮していた。
つまり、死守までしていたかどうかは判らないが「既得権益」をしっかり得ていたのが、当の中村議長ご本人であれば、この一文の主張そのものの論理的整合性が怪しくなる。*3
というか、説得力無し。
更に、「問題点が明らかな行財政改革」とは何だろうか?
議会改革でどうの、なんて言ってくれるなよ。今の様に議員報酬を半減しても、それで浮くのはせいぜい6億円/年なんだから。これでは待機児童対策をまかなう事すらできないのだから。
「 市民の意見に耳を傾け」て議会改革なんぞやるより、やるべき事は幾らでもある。防災対策に、栄の中心部でおきた道路陥没が他でも起きないか。市営住宅の耐震化もあれば、これらの公的住宅に住む独居老人の孤立と言う問題もあるだろう。(百ぐらい書き出そうか?)
その典型例が議長ポストの1年交代です。議長職を名誉職とみなし、年功序列で持ちまわる、こんな慣例が真の地方分権、地方自治の理想の姿なのですか?
そりゃあ、知らない。ただ聞こう「真の地方分権、地方自治の理想の姿」って何だね?
この問題を期に、ある方と話しをした。その人は「確かに議長職が持ち回りになっている、名誉職となっているのは問題かもしれない。他の都市などでは市長も名誉職の様になっている。市長や議長は職員や議員の上に座っているだけ、議会や委員会もセレモニーになっているかもしれない。しかし、だからといって市長や議長の権能を強化したり、それらをいたずらに行使されても、実態的に動いている行政にとっては、単に混乱を引き起こすだけという可能性は否定できない」
そもそも地方自治法に定められた議長の職務とは「議場の秩序を保持し、議事を整理し、議会の事務を統理し、議会を代表する(地方自治法 第百四条)」とされている。こういった秩序を混乱させ「野次も議場の華」と嘯くのは他ならない河村市長である。
また、14日に行われた総務環境委員会における中村議長の質疑応答を見ていれば、およそ「議事を整理」できるとは思えない。さらに、則竹問題の対応に見られたように「議会の事務を統理」しているとも思えない。
そして、この中に、つまりは、議長の職責の中にそもそも「議会改革」など入っていない。
私はこの「中村議長を支える市民の会」の母体である「ナゴヤ庶民連」を「電波系」と認定した。電波系認定「ナゴヤ庶民連」 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
その記事の締めくくりで私は次のように書いている。
追記:「ナゴヤ庶民連」の主導的メンバー(?)数名について、様々な情報をいただいた。地元町内会、自治会等において、非常に「特殊な主張」をされて他の町内会、自治会員を面食らわせ、意見が受け入れられないと「特殊な行動」に出られたりという方も居られるようだ。
ここでも見られるように、ご自分の(事実に基づかない)主張に執着されて、その主張の根拠に対して事実を提示して反論をしても聞き入れることが無い。そんな態度であれば町内会、自治会等で意見が遠ざけられても致し方がないと思われる。敢えて言うならば「単なる、ご町内の困ったさん」ということだ。この「ご町内のこまったさん」があちこちから集まって、河村市長にくっついた。
河村市長の後援者、支援団体としては力は無い。(困ったチャンなんだから、人を動員する力は無い)
しかし、煙に捲く口は達者で、なんだか知らないうちにオピニオンリーダーの位置に居座った。
けれども、オピニオンリーダーが彼等であるから、ただでさえ論理的基盤が揺らいでいた河村市政が、決定的に崩れたのもむべなるかな。
追記投稿直後に指摘された一点を除いて*4 今に至るも訂正の必要を感じない。
何処にでもいるような「ご町内の困ったさん」が河村市長後援者としてヘンに力を得て舞い上がり、今に至って政令指定都市名古屋の市会議長職を弄んでいるに過ぎない。
「庶民革命」だの「議会改革」だのと、きいた風な口を叩くな。
そもそも本当に政治や行政を知っているのであれば、なぜ予算審議終了まで待てなかった。それから動いても、幾らでも機会はあっただろうに。それとも予算審議を自分たちの主張の為に人質に取るつもりだったのか?
それも弁えられないような者が政治を語るな!おこがましい。
中村議長は単なる犠牲者に過ぎない、こういった社会的知識や、もっと簡単に言って「他人を思いやる心」のない人間にも、参政権を与え、公民権を与え続けるのがこの日本の社会なんだろうが、本当にこれはその極北の図である事を記しておきたい。
う〜ん、興奮しすぎ、自分。
最後にインターネット上で今回の件を見た人が呟いた一言を引用して終わろう。
(走れコータローの替え歌フルバージョン)
♪これから始まる本会議〜
全会一致の不信任〜
今日で議長を辞めたなら〜
後援会から怒られる〜シドロ〜モドロ〜コータロ〜
「お水をください委員長」〜シドロ〜モドロ〜コータロ〜
「失念しましたスミマセン」