市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

南京問題発言の検証(後編)

 非常に話題がヘビーなので、ここらで息抜きの話題を入れます。
 当ブログでは大人気コンテンツ(名前を出すとアクセスが増えるという)さいとう実咲市議の話題です。

さいとう実咲市議の新事務所

 どうも、さいとう実咲市議がちゃんと連絡所というか個人事務所を開設したようです。それも、交通至便名古屋市役所の直ぐ近くである丸の内3丁目5-2です。

 名古屋市役所におなじみの方なら、「大津橋交差点のCoCo一番」の並びと言えば直ぐお分かりになるでしょう。そこにKATOHビルというのがあって、6Fに事務所を開設されたようです。

 ここの6Fは以前、ビルのオーナーのご親族が住んでいらっしゃったと思うのですけど、そして、実は私はこのビルに一時期通っていたのですが。なんとも世間と言うのは狭いものですね。

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追記:ご自分のブログ、プロフィールには記載は無い様です。参照
市議団のプロフィールには記載がある。参照

もう一つ回り道「大阪維新の会」の「愛国心」!

 新自由主義者功利主義者の振り回す「愛国心」ほど信用のおけないものは無い。なんとなれば、功利主義者は短絡的な利益(早い話が「目先の利益」)を追求するのが常で、「愛国心」なんてのは非常に息の長い公共心が無ければ保持し得ないはずだからだ。

 こんなニュースが入ってきた。

大阪維新の会:「八策」船中模索 資産課税強化←「富裕層逃げる」

 (略)資産課税の強化は、個人資産に課税することで貯蓄などを消費に回すよう促して経済を活性化させる発想だった。
 しかし、「富裕層が海外に流出し、日本に中低所得者層しか残らなくなる」などと内部で反対論が続出。幹事長の松井一郎大阪府知事橋下氏に「俺は持っている資産を海外に移す」と異議を唱え、5日午前も「(導入は)非常に厳しいと思う」と語り、資産課税強化を修正する可能性も示唆した。(略)

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120305mog00m010024000c.html

 二つの事に驚く。
 国旗だ、国歌だと騒いだくせに、資産課税がかかるとさっさと自分の資産は国外に移すんだ(そういえば竹中なんとか蔵って人も税逃れに海外を使っていたな)。そして、そんな事を広言して憚らないんだ。
 そして、そもそも海外に資産を移すほどのお金持ちなのね。結構な事です。

果たして河村市長と言うのはいなかる存在であるか。

 昨日の「前編」において、当日の取材テープから発言を起し、それが27日の市長会見や以降の発言と整合するものか見てみた。

 橋下市長の会話手法に「前提条件を入れる」というのがあるらしい。橋下氏の著書「図説・心理戦で絶対に負けない交渉術(日本文芸社)」には「前提条件を無理やりつくるという他に、オーケーした意味内容を狭めるという方法もある」と明言している。
 これって結局、言っている事の実が無く、詭弁で言い逃れると言っているわけで、こんな人物が実政治の上で一定のステータスを持っていることが信じられない。または、その発言を真に受けている人々が少なからず居ることに驚くばかりですが。

 そういった文脈から見ると、この河村市長も五十歩百歩でかわらない。口ばかり達者で(そんなに達者でもないが)実態的には何も動いていない。

 その当日の会話にもあった「中国領事館移転問題」(テープでは8:00過ぎから)の対応を見てみましょう。
 
 そもそも南京市からの訪問団に対してこんな問題を持ち出すこと自体が、市長だの公人だのを通り越して、社会人として非常識だろうと思うが、この「口だけ首長」はまたやっています。
 1月31日にTBSに報道され、その際「(外務省に)聞いてみます」と答えていますが、その実何もしていない。何かしたなら、それを市民に報告しないと完結とは言わない。こんな事は社会人1年生が注意される事だ。

"平成24年1月に発覚した「外務省口上書問題」に対する名古屋市の動き(PDF)"
 こちらに、いわゆる「外務省口上書問題」について、名古屋市当局がどのような動きをしたか、情報公開請求によって提出してもらった資料がある。
 名古屋市の当局者は外務省や財務省に対応を取っている、更に国会の動きや報道の動きも追っているが、河村市長の指示や、河村市長のもっているチャンネルからの情報は何も入っていない。

 「中国領事館移転問題」ですら、この有様なんだから、今回の南京発言の問題でも自分で何か解決ができるわけがない。

"2008年マニフェスト「庶民革命」”

 これは、 河村たかしが2008年の民主党代表選に向けて発表したマニフェスト「庶民革命」のようだが、こちらの40ページに次のような記述がある。

○直接ものを言う外交を展開
 犬の遠吠えのように、これまでの外交は「注意しました、指摘しました」で終わっており、単なるポーズに過ぎない。「南京大虐殺記念館」や「盧溝橋記念館」などにも行き、言うべきことは言う。主張しなければ外交は成り立たない。

 と、勇ましい事を仰っています。
 ところで、平成22年8月の名古屋市長の動きを見てみましょう。
http://www.city.nagoya.jp/mayor/page/0000016507.html

 「5日 午後2時 中部国際空港発 中華人民共和国へ」とあります。
実は、平成22年に上海万博が開かれ、日本館で8月6日より「名古屋ウィーク」が開催されました。その開幕イベントに河村氏は名古屋市長として参加したのです。しかし、7日にはすぐに名古屋に戻ってきてしまっています。
 中国における動きがここに書かれていないのにも納得がいきませんが、こんなに直ぐに帰ってきているというのも違和感がないわけではありません。

 12日には「名古屋ウィーク」が終了し、その閉幕イベントには副市長と市議団が上海万博を訪れたようです。その際にこの一団は、上海から南京を回って表敬訪問しているわけで、なぜここで河村市長が南京を訪れずに帰ってきているのか?
 (一説にはリコールで忙しかった。という話もあるようですが、そんな優先順位で良いんですか?)

 勇ましい事を言う割には、というか、勇ましい事を言うから実際には何もできない。悲しいぐらいに小心で臆病な姿が見える。

 このブログでは散々、リコール署名簿の流用、流出問題で、調査、対応がなされていないと騒いでいるわけですが、こういうように各施策に対する河村市長の対応、言動を見ていくと非常に良くわかります、そして実に単純な事です。
 つまり、河村市長は実体的な作業や組織運営ができない、つまり、なんというのですか、何かが無いというのですか?・・・実に信じがたいことですが、・・・そう言う事のようです。

 そして、何かが無いだけではなく、ひょっとすると何かが足りない可能性もある。

日中関係の前提

 "名古屋市国際交流のあらまし(PDF)"
 この資料の27ページに名古屋市と南京市が結んだ友好都市提携の協定文がある。

 この文章によると、根拠を「日中平和友好条約」に求めている。

 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

 そして、「日中平和友好条約」は「日中共同声明」をその基礎においている。

 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明

 この 「日中共同声明」の一と五を抜粋してみる。

一 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。

五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

 この精神を踏みにじれるとしたら何かが足りない。

そして勉強も足りない

 もう一度平成18年の質問主意書を見て欲しい。(全部読む必要は無い)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書

 河村氏はここで自らの立論の根拠に「亜細亜大学東中野修道教授」を持ち出している。どうなんだろうか?この問題(南京事件検証)で、今でも東中野修道氏を論拠にする人は居るのだろうか?
夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決(目次) - 15年戦争資料 @wiki - アットウィキ
新路口事件 - 南京大虐殺 論点と検証

 南京事件の被害者(直接の被害者)の「夏淑琴(シア・シュウチン )」という方が居る。東中野教授はこの方が「偽者である」と主張されて、結果立証できずに裁判で敗訴している。その他にもこの方の立論は危ういものがあるらしく、一部では「トンでも本」扱いされているようだ。*1

 この問題を契機に、またぞろ様々な言説に出会ったが「南京事件はそもそも三次資料、四次資料ばかりで一次資料がない」という意見にも出会った。*2
 この夏さん以外にも、「逸脱行為(ハーグ陸戦条約、または帝国陸軍軍規等からの逸脱)」による直接の被害者も、直接の加害者も、その証言をする人は居る、そして居た。確かに歴史の中に消え去りかけてはいるけれども、それでもそれらの証言がなかったというのは歴史に対する大いなる軽視であり、過去を知ることができる人間という存在に対する冒涜だ。
 過去を認識できないものは獣でしかない。

  夏淑琴(シア・シュウチン )さんの物語を書き記しておく。

 日本軍が南京に迫ろうとしている頃、夏淑琴さんの一家は南京城内の新路口5番にある哈さんの家に身を寄せていた。哈さんは夫婦と子ども2人の4人家族、夏さん一家は母方の祖父母、父母、それに淑琴さんを含む5人の娘(淑琴さんは三女)の計9人。両家合わせて13人の人々が一軒の家に住んでいた。

 1937年12月13日午前10時頃、南京城を突破した日本軍はこの家にやってきてドアを激しく叩いた。応対に出た哈夫婦と淑琴さんの父親は撃たれて殺された。
 淑琴さんの母親は五女(0歳)と客間に作られた防空壕に避難していたところ、そこから引きずり出され、五女は銃剣で突き殺され、母親は強姦され殺害された。
 奥の部屋には祖父、祖母と4人の娘が避難していたが、日本軍はこの部屋に侵入し、姉妹を守ろうとした祖母を、そしてその祖母を守ろうとした祖父を撃ち殺した。
 その後、悲鳴を上げた三女(淑琴さん)を銃剣で突いて負傷させた。
 長女と次女はそれぞれ強姦した後に殺害された。長女は16歳、次女は14歳であった。哈家の二人の子供は、一人は銃剣で刺し殺され、一人は刀で頭部を切り裂かれて殺された。
 一連の暴虐の去った後、負傷した 淑琴さんと四女は、母親の死体のある部屋に隠れていた。2週間ほどたった後に近所の老女に発見保護された。

 淑琴さんの背中には銃剣で突かれた跡が残っているという。

 以上が「新路口事件」といわれ、様々な形で伝えられている「逸脱行為」である。

 もう一度、河村氏の発言を見てみよう。(とても「市長」とは呼べない)

南京事件というのは無かったのではないかと。
通常の戦闘行為はあるけどね、あって残念だけれど」



外務省: 日中歴史共同研究(概要)

"自国語論文(報告書) 日本語論文"

 日本語論文の通頁 268 の(3)上海派兵ぐらいから押さえる必要がある。
 そもそも南京入城自体が正しい行いだったのか?

 また、情報を投稿いただいた。
 名古屋市が編纂した「新修名古屋市史 第六巻」

"新修名古屋市史 第六巻"

 に、名古屋とこの問題の関わりが記述されている。

 故事<崔杼弑君>春秋時代の斉の大臣である崔杼が君主を殺した。崔杼弑君と史書に書いた太史は殺され、弟を任命。その弟も崔杼弑君と書き、殺されます。末弟が再び崔杼弑君と書き、崔杼に<起こった事は起こったと書くのが歴史です>と伝え、とうとう諦めた(春秋左氏伝)


*1:この文章を書いた後、河村氏擁護という文脈で田中正明氏の著書を根拠の一つに上げている人が居た。恥ずかしいから直ぐに引っ込めなさい。あの著書は田中氏の松井大将や知人への心情を表すのには十分な本ではあるが、歴史の史実を伝えると言う意味ではなんの意義も無いものであることは板倉、秦らの仕事で評価が定まってしまっている。田中氏の名前を出すこと自体が、この問題への理解の浅さを表している。

*2:結局、そういう人は一次資料や二次資料に当たろうとする意思が足りないだけである。こういう姿はこの名古屋において、市議たちの活動を見ようともせずに「市議の活動が見えない」と言っていた者たちにも通じる単なる知的怠惰を感じる。