行って参りました。
「自由な議論で『南京』の真実を究明しよう!公開討論会」(主催:南京事件を自由に議論する議員有志の会)とやら。
本当に「自由」であったかどうかは後に譲るとして、左のイメージは本日のレジメです。参加者は藤岡信勝氏と、桜井元市議。藤沢市議、山本市議と所謂河村発言が為された日に同席された3名となっています。
討論会アウトライン
最初に藤沢市議より経過説明があり、河村市長の挨拶。応援メッセージ(電報紹介)の後、山本市議を司会として、藤岡氏、桜井氏、藤沢氏が順繰りに発言して、質疑応答(1件だけ)その後また河村市長の挨拶で締めくくられました。
討論会の間、河村市長は客席最前列で討論の模様を聞いていたようです。
以上がざっと見たアウトラインですが、この討論会をこういった表明表面だけ見ても本当のところは理解できないと思います。この討論会は実は2重、3重の意味を持っています。
ヒントを申し上げますと。
この会の開催の労を取った方が藤沢市議で、名古屋と南京市の姉妹友好都市は1978年の12月21日に提携されています。つまり、2013年12月には友好都市提携35周年を迎える行事が予想される事です。
もう一つ、桜井元市議の発言は非常に示唆に富む興味深いものが多かったのですが、その中で「穴に入った」という発言がありました。
私は「枯れ木に登っている」と思いますが。
このままどこまで枯れ木を上るのか楽しみです。
討論会批判1
と、ややこしい話はおいておいて。
ダイレクトに今日の討論会について批判させていただきます。
そもそも「自由な討論」と言っていて、当ブログ既報の通り、3月31日の市民集会には欠席、質問にも回答を寄せていません。
また、会場で質問は一件だけ受け付けられ、司会の山本市議が締めに入ったので私は「発言を求めます」と挙手しましたが許されませんでした。
その時、発言しようとした事柄については後ほど述べます。
左のイメージは藤沢市議が最初に語られた「経緯(経過説明)」ですが。
実はここに抜けている事実があります。
2009年9月15日の名古屋市本会議において、河村市長は「私は、もう一回きちっと日中友好のために検証し直す必要があるというふうに思っております」と発言しています。その後「まずは、亜細亜大学の東中野修道教授を名古屋に招き、南京問題に関する研究を深めた上で、友好の障壁になっているとげを抜く」とも発言しています。
しかし、これらの検証や議論は今に至るも実現していません。(ネグレクトです)
次の資料は会場で配られたものではありません。
討論会開催前に藤岡氏から記者会見があり、そこで提示された声明文です。
つまり、討論会を欠席した共産党、山口市議に対して一方的な主張をしているにすぎません。この藤岡氏の発言についても後に批判させていただきましょう。
次のイメージは中日新聞が掲載を拒否したとする意見広告で、この広告を中日新聞が「社論に合わない」として掲載拒否した理由は良くわかりません。そして、それに対して掲載しようとした「南京の真実国民運動」が「仮処分申請」をしたというのも良くわかりません。(この没論理は後から指摘します)
会場で藤岡氏は既に広告掲載のカンパが500万円ほど集まっている。と言っていましたが、さて、どうなるのでしょうか?
藤岡氏の主張の評価
この討論会では、藤岡氏が「有識者」として発言していたのでしょうが、正直申しまして藤岡氏の見解は南京問題でも穴がありすぎです。
ほとんど、この10年ほど続いている議論であり「まだそんな馬鹿な事を言っているのか?」というレベルです。
所謂、藤岡氏やら東中野氏は「南京まぼろし派」と呼ばれる人々で、論理的検証に雑駁な人々はそういった知的探求を放棄して発言を聞いてしまうようですが、真面目に検証や研究しようという立場からは「単なるお遊び」にしか見えません。
そもそも「まぼろし派」の過ちは「不在の証明をしようとしている」事に尽きます。
議論をしようと言いますが、「不在の証明をしよう」または「不在の証明ができた」と思っているような人々に対して論理的な議論が成り立つとは思えません。(と、言うと、なぜ「不在の証明をしようとしているだけでそこまで決め付けるのか」というような反論が来そうなのですが、その反論こそ問題を表しています。それくらいはご自分で調べてください)
上で言ったように、意見広告の掲載拒否に対して「仮処分申請」をする/できるという没論理も、こういった雑駁さだからできるのでしょうかね?「仮処分申請」というのは現状を維持しておく事で、掲載拒否された側が「仮処分申請」しても掲載されないままなので意味がありませんよね。
私のスタンス
あまり人の事をくさしているばかりでは申し訳ないので自分のスタンスを表明しておきます。
私はこの10年ほどの議論の中で、政府見解や「偕行社」の見解を支持する。以前、このブログで掲載したが再度掲載しておく。
中国国民に深く詫びる
重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。
日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。
旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。
(「証言による南京戦史」(最終回)<その総括的考察>「偕行」1985年3月号)
私は、「まことに相すまぬ、むごいことであった」という言葉に日本人を感じる事ができる。深い共感を覚える。しかし、藤岡氏や東中野氏の発言に共感を感じられた試しが無い。
藤岡信勝研究
http://www.history.gr.jp/~nanking/
http://www.history.gr.jp/~nanking/fake_fujioka_01.html
南京問題についての3つの立場
南京問題について大まかに3つの立場がある。
http://www.history.gr.jp/~nanking/generation03.html
リンク先のブログでは「まぼろし派」「中間派」「大虐殺派」と言っているが、政府見解や「偕行社」、つまり私も「中間派」に属する。
藤岡氏はこの「まぼろし派」の立場に立つ。
さて、河村市長はどう言っているのか。
平成24年2月27日の市長定例記者会見において釈明をする際には、「30万人」を否定したのであって、政府見解に立つとしていた。名古屋市:平成24年2月27日 市長定例記者会見(市長の部屋)
「いわゆる南京事件」を否定したのであって、30万人という被害者数について議論したと申し入れたのであるとしている。*1
さて、では当日の発言を見直してみよう。私はこのエントリーでメ〜テレの取材動画から当日の発言を聞きお越ししている。その中で河村市長は次のように明確に発言している。
南京事件というのは無かったのではないかと。
通常の戦闘行為はあるけどね、あって残念だけれど。
そもそも「南京事件」というのは1937年に旧日本軍が南京に入城して以降の出来事を言うのであって、「通常戦闘行為」は入城以前に終わっている。(通常戦闘が収束したので「入城」したんだから)
政府見解というのも確認しておきましょうか。これは平成十八年六月十三日提出(質問第三三五号)「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」に対する政府回答です。この質問趣意書の提出者は 河村たかし衆議院議員(当時)です。
(略)1937年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。
(略)これまで公になっている文献等から総合的に判断すれば、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。
河村市長の当日の発言の様に「通常戦闘行為しかない」とするのであれば、政府見解の「非戦闘員の殺害又は略奪行為等」を否定する事になる。
河村市長の当日発言や、藤岡氏は「まぼろし派」に立つのであって、こちらやこちらの主張も「中間派」や「政府見解」ではない。
この問題が不明瞭なのは、河村市長自身が、ある時には政府見解に立ち、ある時には「まぼろし派」の議論に乗るという二枚舌を使っている事である。*2
マスコミが「では、市長は被害者数はどれくらいだと思われるのですか?」と聞くと「それを議論したいと言っている」と自分のスタンスを語らない。
一度、誰かが「政府見解に言う、通常戦闘行為以外の『非戦闘員の殺害又は略奪行為等』を河村市長は認めるのか、認めないのか」と聞くべきなのかもしれない。
そしてそれを認めるのであれば「それは通常戦闘行為からの逸脱であって、当日の発言とは異なりますよね」と詰めるべきではないだろうか。(なんでも、本日の討論会開始前に記者会見が開かれて、ここを追求した記者が居たらしいが)
藤岡氏の声明の評価
と、以上の事を踏まえて藤岡氏の「声明」を再度見てみる。ちなみに同声明で語られている山口市議の5月15日付け文書はこちらになる。
私は別に日本共産党も、共産党の山口市議も擁護するつもりはない。*3
ただ、上に述べたようにある時には政府見解に立ち、ある時には「まぼろし派」に立つ河村市長の問題認識では議論はできないと思った事は理解できる。なので、藤岡氏の言うような「『市長発言を撤回』しなければ議論に参加しない」ということは「詭弁」ではなく、河村市長が「まぼろし派」の論拠に立つのであれば、政府見解をちゃんと否定するべきであるし、そうではなく、河村市長が政府見解に立つのであれば、その前に問題の市長発言を撤回しなければ議論ができない。
というのが、論理的整合性というものでしょう。
私が用意した質問項目
さて、最後に私が用意した質問項目(自由な討論の筈が、山本市議に遮られた質問)を表明しましょう。
論点は3つ。
1) (既に述べましたが)2009年9月15日の名古屋市本会議における河村市長の回答のように、検証、議論をするとしたにも関わらず今に至るも実現されていないという発言と行動の乖離。
2)(既に述べましたが)南京問題に対する立場を3つに分けて考えた場合、2月27日の釈明会見では「政府見解(中間派)」に立つとしているが、当日の発言はそれを逸脱して「まぼろし派」に立っていること。
そして、最後の(3)が、「外務省口上書問題」です。
これも既にこのブログでは幾度か指摘していますが、名古屋市の中国総領事館移転問題にも絡んで、中国政府と日本の外務省の間で「口上書」なるものが取り交わされ、なんらかの「約束」がされたのではないかと疑われる問題で、TBS(名古屋の系列局はCBC)が1月31日にスクープし、そのニュース素材の中で河村市長は「(外務省に)聞いてみます」と答えています。
ところが、実態的に何もしていません。(名古屋市当局に情報開示請求確認済み)
2月6日、13日、またはそれ以降の市長会見においても一言も言及していませんし、2月19日に北区役所で行われた「名城住宅跡地*4利用を考える地元集会」においても一言の言及もありませんでした。
市長として市民に説明する責任がある筈です。*5
これもネグレクトです。
高邁な政治議論も、外交議論も、まずは地方行政の執行責任者・市長としての仕事を果たしてから実行していただきたい。そして、現実に市内にこういった問題があるにも関わらず、自分の政治信条を優先して中国との交渉に障害を作っているのだとしたら、それは市長としてあまりに無責任でしょう。
政治は結果責任です。ここで結果を出せなければ無能市長、無能政治家であるということです。
最後に、本日の会合で唯一おもしろかった発言を。
ある方が次のように仰いました。
「3年前は新聞をバックに勢いがあった、
今になって市民は河村市長の真意を判ってきた」
追記:20日の中日新聞は見事なまでに黙殺していますね。一行、一文字も報じていません。
「南京まぼろし派」の方々にお伺いしますが、中日新聞に一文字も報じられていませんでしたが、この会合は存在したのでしょうか、存在しなかったのでしょうか?