市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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南京問題発言の検証(前編)

南京問題発言の検証

河村市長の南京事件を巡る発言書き起こし

河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」メ〜テレの取材テープより。書き起こし。

(開始5分後から)
(5:00)
 だから、反対に私なんかから言いたいのは、
(父親が南京の人々と交流した事)それが昭和20年ですね。
昭和20年、終戦の時ですから。

 いわゆる南京事件といわれるのは昭和12年なんです。
 だで私はまあそれ以来その南京事件というのは結構勉強していますけど。
 
 この八年の間でね、もしそんな事があったなら、
南京の人たちがですね、
なぜそれほどまでに日本の軍隊にやさくしくしていただけたか理解できない。
(6:00)

 だで、僕は真の中日友好の為にもね。
南京事件というのは無かったのではないかと。
通常の戦闘行為はあるけどね、あって残念だけれど。

ということで、その真実をやっぱり明らかにしないとこれ、
とげが刺さっとるようなもので、うまくいかないですよね。

ちゃんと訳してよ。

ですからいっぺん是非、討論会でも南京で開いて欲しい。
南京の人に感謝しとるからね。
(7:00)
まあ、そういうことで。
いうことを言っとるということですけど。


まあ、それと今日のタイミングだで言っとかないかんですけども。
外でしゃべっている人が居るけれども、

すぐ名古屋城というのがありますけれども、
名古屋城というのはこれはあのアメリカ軍が空爆した物でね、

あと、三ヶ月と言うことろで、
終戦までね。

名古屋の市内も
もう、市内中心部も半分近くが空襲でこれ全部焼けて、

僕のお袋のお袋も空襲で死んでいます。ばあちゃん。
いうところがあって、
(8:00)

名古屋城というのは名古屋のこの辺のシンボルなんですわ。これ。

そのすぐ横に、まあ、大使館、あの八千平米造ると・・・
(領事館と訂正が入る)
領事館か。言っとられるんだけど、


できれば、遠慮していただきたいと。

ということでございます。

あとは、まあ、仲良くやりましょうということですな。


やっぱり、言うこと言って、
そちら側も言うこと言って、ほんでやらないかんし、


ほんで、顔見とるとおんなじ
リーベンレン(日本人)と同じ顔じゃないですか。

チョンポーレン、リーベンレン、同じ顔だし

(9:00)
漢字を使っているのは日本だけですからね。これ。

まあ、あまり日本人としては言いたくないけれども、

中国は兄貴で、
日本が弟だって事は、

歴史的に間違いないでしょうね。


大きい心にならないかん。
大きい心にならないかんとおもいます。

まあ、以上ですがよろしくお願いします。

http://www.nagoyatv.com/movie/

 その後、2月27日の市長会見で釈明した。コメント。
"「いわゆる南京事件」を巡る一連の報道について(1)"
"「いわゆる南京事件」を巡る一連の報道について(2)"


www.city.nagoya.jp

web.archive.org

 この市長会見において。

「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないか」と私があえて「いわゆる」と南京事件をもうしあげたのは、(略)

 と釈明しているが、6:00からのセンテンスを聞く限りにおいては「いわゆる」はつけていない。また「通常の戦闘行為はあるけどね、あって残念だけれど」と言っているということは、逸脱行為一般を否定しているわけで、これは政府見解とも異なる。

 平成18年6月13日「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書/提出者  河村たかし
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書

 「同答弁書内閣総理大臣 小泉純一郎 」(いわゆる「政府見解」)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164335.htm
衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対する答弁書

千九百三十七年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。

 つまり、当日は政府見解よりも踏み込んで、「南京事件は無かった」と言ったために、今回のような大問題になっている。当然だ。

 そして、27日の釈明では「南京事件は無かった」といった「南京事件」の定義について、意見の相違があると言ったわけだが、この3月5日の市会本会議においては「政府見解と同じである」とトーンダウンしている。
「政府見解は認める」と市長が答弁: みなとの山口です

 この件で、河村市長を支持した人たちも拍子抜けでしょうね。

ブレる発言の問題

 南京問題であるとか、先の戦争の評価。更には靖国神社の存在やら国旗だの国歌だの。現代の日本の社会の中では様々なスタンスの人が居る問題だろうと思う。
 だからこそ、こういった差異は地方政治においてはあまり鮮明にすべきではないと思う。例えば、あなたが戦没者遺族であって、靖国神社に定期的に訪れるようにしており、国旗や国歌について思い入れがあるとしよう、ところが隣はたまたま戦時中、労働運動を進めて特高警察に家族が捕まり、そのまま亡くなってしまった遺族だったとしよう。お互いに分かり合おうとしても中々難しい問題でしょう?すでに、半世紀以上経っていますが。
 更に、今はそういった「思いいれ」にも具体的なきっかけはないかもしれない。

 私のスタンスだって非常に難しい、判ってもらえるとは思えない。

 けれども、軒を接して生活をしていかなければならないのが、地方自治、地方政治の場なのだから、こういった歴史認識イデオロギーを超えて、生活をしていくという必要がある。そこに必要なのは「差異を認める事」と「そもそも持ち出さない事」だろう。
(なんでも、議論すれば解決が付くという幼稚な問題ではない)

 なので、そもそも持ち出した河村市長の間違い。これが一点目。

 石原都知事と大村愛知県知事が会談をするとか、相変わらず連日、橋下大阪市長がメディアを賑わせていたので、そういったメディア効果を期待して踏み込んだ発言をした可能性も噂されている。

 けれども、こういったセンシティブな政治テーマは、先鋭化した発言をすれば、先鋭化した一部からは激しい同意を得られる。実際にこの問題以降、名古屋市役所に河村市長を激励する電話やメールが送られているという。しかし、その一方、大多数の中間層は少々引くはずだ。そして引く人々はわざわざ声は挙げない。先鋭化させるということは、支持層を偏らせるという効果がある。
 こういった人々は「南京事件は無かった」という踏み込んだ発言に対して応援をしているのであろうが、それらの人々が今になって「政府見解と同じである」というような発言を聞いたらどう思うだろうか?
 「河村、腰が引けたな」と思うだけではないか。
 つまり、先鋭化した層からも失望される事になる。

 河村市長は「最初から自分はそう言ってますよ」と言うかも知れないが、それはお得意の言い訳でしかなくて、失望を振りまくだけだ。

 こうやって、発言がブレればブレるだけ、その度に、まるで支持者を振り落とすかのように支持を失っていく。これが河村市長の二点目の間違い。
(続く)