市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

頑なに狂信することを殉教とは言わない

政治家たる要件

 私は長年、政治家というのは(口先三寸かもしれないけれども、とりあえずは)交渉事のプロだと思っていた。政治が社会的リソースの争奪であり、文化的な戦争であるならば、政治家こそがそこで闘う戦士であり、その武器が交渉力だと思っていた。

 しかし、どうもそういった交渉力など一切無くても政治家は務まるらしい。

南京、名古屋と交流停止 市長発言で 2012年2月22日 02時03分

【北京=渡部圭】華僑向け通信社、中国新聞社によると、名古屋市河村たかし市長が「南京の(大量虐殺)事件はなかった」と発言したことを受け、名古屋市と友好関係にある南京市は21日、両市の交流を当面の間、停止すると発表した。
 中国のインターネット上では、批判の声は河村市長だけでなく、市長と名古屋で面会した南京市の幹部に対しても「反論するべきだ」と向けられている。南京市の決定はこうした市民の声に配慮したものとみられる。

 南京大虐殺記念館の朱成山館長は同日、同館のホームページと自分のブログに河村市長あての手紙を掲載。「虐殺の歴史的事実を否定することに強烈に抗議する。個人の主観や臆測で判断したり、勝手にゆがめたり、抹殺するべきではない」と苦言を呈した。

 河村市長は20日、市役所を訪れた中国共産党の南京市委員会幹部らに、戦時中の旧日本軍の行為に関し「通常の戦闘行為はあったが、南京での事件はなかったのではないか」と述べた。その上で「真実を明らかにするためにも、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。

 名古屋市と南京市は1978年に姉妹都市提携を結んだ。

 ■河村たかし名古屋市長の話…発言は、真の日中友好のために、互いに広く心を開いて話し合っていこうという思いからだ。状況はよく分からないが、真意が(中国側に)伝わっていないのではないか。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012022290020351.html

 ・・・「真意が(中国側に)伝わっていないのではないか?」
 知るか馬鹿!

 記事にある南京大虐殺記念館
 抗議書簡

 今まで何か一つでも河村市長は自分で散らかした話を片付けた事があったか?
 すぐには思い当たらない。

重層的な歴史の価値 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
このブログ記事では触れませんでしたが、名古屋と新潟の中国領事館問題に関しては、今年動きがあった。所謂「口上書問題」といわれるものだ。

 既にリンク先が途切れているが、キャッシュの内のひとつを拾い出すと、この問題はTBSのスクープから始まった。

大使館移転めぐり日本が中国と密約か TBS

 中国政府が北京の日本大使館の移転を「設計図と違う」として、認めていなかった問題は、今月ようやく使用許可が降りて解決しました。しかし、その協議の過程で、外務省が中国側の示した、ある「交換条件」をのんでいたことがJNNの取材で明らかになりました。
 床面積オーバーを指摘された新しい日本大使館。完成から半年以上たった今も放置されたままとなっています。

 床面積が日本側の申告をオーバーしているとして、新しい大使館の使用を認めてこなかった中国政府。しかし、今月になって一転、「使用を許可する」と伝えてきました。なぜ、中国は急に態度を変えたのでしょうか。

 外務省関係者によりますと、日本に対して、ある交換条件を出していたというのです。その条件とは、東京の中国大使館、名古屋と新潟の総領事館の移転がそれぞれ円滑に進むよう努力するという内容の口上書を日本側が提出するというものです。つまり、これらの施設の移転を日本政府が事実上認めるという約束です。

 実は、名古屋と新潟の総領事館の移転をめぐっては、地元で反対運動が起きています。名古屋城のすぐそばにある8000平方メートルの国有地。総領事館の移転先として中国に売却する計画がありましたが、右翼団体の街宣活動などを懸念した近隣住民の反対で、売却は保留となっています。

 今回、日本政府が中国との間に交わした約束について地元の住民は・・・
 「(日本政府の約束は)とんでもないことですよ。東京まで行って政府、外務省に抗議したいです」(総領事館移転に反対する市民)

 名古屋市の河村市長も、とまどいを隠せません。
 「とんでもないでしょ。そんなこと(外務省のミス)のつけを名古屋の人が背負わなければならないのはとんでもない。本当かねそれ、ありうるかね?(Q.市長は今まで反対してましたが?)(政府に)聞いてみます」(河村名古屋市長)

 新潟では小学校の跡地が総領事館の移転先に決まっていましたが、住民の強い反対もあって新潟市は売却を断念。現在は別の候補地を探している状況です。

 今回、交わされた口上書は外交上の公式度は比較的低いとされています。しかし、中国側に約束をしたことに違いはなく、日本政府の対応は議論を呼びそうです。

 その後、2月2日に外務省は自民党の外交部会で書類の存在を認めた。

外務省、北京大使館の移転許可をめぐり中国側に「口上書」提出 2012.2.2 00:11

 外務省は1日の自民党外交部会で、北京に新築した日本大使館の移転許可を得る直前に、日本国内での中国の総領事館の移転などに協力するとした「口(こう)上(じょう)書(しょ)」を中国に提出したことを明らかにした。「国内法令の範囲内で協力する」という内容だが、外務省が他国の在外公館建設で口上書を出すのは極めて異例だ。

 外務省幹部は「やましい約束ではないので、中国側がそれで気が済むのなら、と口上書を出した」と説明したが、出席者から「明らかなバーター(取引)だ」などと批判が相次いだ。

 外務省の説明によれば、北京の新大使館は平成18年に着工、昨年7月に竣(しゅん)工(こう)した。しかし当初計画になかった「吹き抜け」などを設けたことを理由に使用許可が下りなかった。その後の折衝で中国は、地元で反対がおきている名古屋市新潟市総領事館建設計画に便宜を図るよう要請してきた。外務省が1月19日付で口上書を出すと、中国は同21日に移転を許可した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120202/plc12020200120002-n1.htm

 さて、TBSの報じた当初、河村市長は「(政府に)聞いてみます」と広言している。
 しかし、名古屋市には河村市長が聞いたという記録は無いそうだ。
 河村市長に指示を受けて、しかるべき部署がしかるべき部署(外務省)に聞いたという事実も無い。(2月2日の外務省の公表を受けて、名古屋の都市計画課が確認したという話はあるがこれはまだ確認が取れていない)

 そして、最も大切なことは、この問題について河村市長から名古屋市民に説明も、経過報告も一切無い。(参照:最近の記者会見

 2月19日、北区役所研修室で行われた「名城住宅跡地利用を考える地元集会」においても一言も触れられなかった。触れられないまま中座して帰ってしまった。

 一事が万事、この調子です。

 河村市長は「ネグレクトリスト」つまり、河村氏が口に出した施策が進まない理由は、自分の指示を名古屋市の職員が「無視」をするので、進まない。自分は「ネグレクト(無視)」を受けている。と言っていますが。「ネグレクト」しているのは河村市長本人です。

 河村市長が市民に対する説明責任や報告の義務を「無視」しているのです。

 真面目に仕事をしてくれ。

 「名城住宅跡地利用を考える地元集会」においても、中国政府が国有地の払い下げを諦めて、民間の土地を取得してさっさと領事館を開設してしまったら名古屋市民に抗するすべはないと言われている。新潟においても既にそのような状況に立ち至っているそうだ。
 財務省の国有地払い下げについては、名古屋市民の合意をと財務省は歯止めをかけているが、民有地の利用、取得については制限のしようがない。

 そして、多くの市民が危惧しているのは2500坪といわれるあまりの広大さであって、この規模については交渉によって「適正」な規模に落ち着かせる事ができるのではないかとも思われる。(というよりも、丸々領事館の建設を反対する人々も居るが、それが法的に無理なら適正規模での交渉をするしかないと思うんですけどね。それともいっそ国交断絶ぐらいします?)

 そうであるならば、先ずはチャンネルの開設が最優先事項だろうに。

 様々な場面で、これほど交渉事ができない「政治家」は居ないだろうね。

奉教人の死

 ある資料を読んでいたら「河村たかしの愛読書は芥川龍之介の『奉教人の死』である」と書いてあった。学生時代に出会って、内容をそらんじる事もできるそうだ。

 今の世の中は便利で芥川の作品はネットで読むことができる。
 芥川龍之介 奉教人の死

 その資料には「殉教ですよ。歴史ってそういうもの。改革もそう。自分が殉教者とか、そこまで格好いいことは言えないが、それぐらいの気持ちはありますよ。誰かがやらねば」

 「煩悩心(ぼんなうしん)の空に一波をあげて、未(いまだ)出ぬ月の光を、水沫(みなわ)の中に捕へてこそ、生きて甲斐ある命とも申さうず」という一節が取り上げられているが。

 私は、歴史とはこの言葉で言うならば「暗夜の海にも譬たとへようず煩悩心の空」の連続であると思う。それこそが人の世の生活であり、実情だ。だからこそ「月の光を、水沫の中に捕へ」られた瞬間が「なべて人の世の尊さは、何ものにも換へ難い、刹那の感動に極るもの」であるのではないのか?

 別段取り立てて波風を立てる必要も無いところにいたずらに「一波をあげて」も、見当違いの空模様では月の光は捕らえられない。

 そもそも、この物語を読んでいると。私には「ろおれんぞ」を嘲り、「刀杖瓦石の難」に遭わせたのが河村やリコール運動を扇動した者たちではなかったかと思えてならない。

 「ろおれんぞ」を苦難の道に追いやったのは、事実に向き合わないまま、不確かな思い込みで人を排除した態度ではなかったか。そしてそれこそが、河村自身が扇動したリコール運動ではなかっただろうか。

 頑なに狂信することを殉教とは言わない。
 ましてや、私利私欲や、自分自身の狭い思い込みで道を誤るものを殉教者とは言わない。