河村市長の南京発言についてのご報告と、この問題の今日的意味について若干私見を述べたいと思います。
名古屋市と中国・南京市は昭和53年に友好姉妹都市の提携を結び、以来35年の長きにわたって様々な交流を重ねてまいりました。
ところが平成24年2月20日、名古屋市を訪れた「中国共産党南京市委員会」の表敬訪問団との会談に際して、河村たかし名古屋市長が「南京事件はなかったのではないか」と発言し、両市の関係は事実上の断絶状態に陥っております。
この経緯については平成24年2月27日の名古屋市長会見(定時、公式に行われているもの)が、河村市長からの「弁明書」という形で事情説明しておりますのでそちらを参照してください。
名古屋市:平成24年2月27日 市長定例記者会見(市長の部屋)
この弁明書についても様々な論点はありますが、まず河村市長が「いわゆる南京事件」と捉えているといった釈明について検証してみたいと思います。
河村市長は「私の『いわゆる南京事件はなかったのではないか』という発言が、メディア、報道により『南京大虐殺はなかったとする持論を展開』とのテロップになり、私の発言の趣旨が南京ではあたかも何もなかったと誤解され」とメディアの伝え方が悪いというような主張を行いました。
このメディア批判を受けて、当日現場に居合わせた「メ〜テレ(名古屋テレビ)」が現場の模様を、インターネット上でノーカットで公表いたしました。私は3月5日にこの動画を書き起こして自身のブログに掲載いたしました。
その書き起こしがこちらです。
南京問題発言の検証(前編) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
このように明白に「だで、僕は真の中日友好の為にもね。南京事件というのは無かったのではないかと。通常の戦闘行為はあるけどね、あって残念だけれど。」と言っています。
その前に「いわゆる南京事件といわれるのは昭和12年なんです。だで私はまあそれ以来その南京事件というのは結構勉強していますけど。」という形で「いわゆる」という言葉は使われていますが、それが何ら事件を限定する文脈では使われていません。
敢えて言うと河村市長は「通常の戦闘行為はあるけどね」と言っていますが、問題とされる「南京事件」は日本軍の南京入城前後の逸脱行為を言うのであり、その頃には国民党軍は敗走してしまい「通常戦闘行為」自体が成立していなかったというのはこの問題を少しでも勉強したことがある者の間では常識であります。
河村市長は非常に偏った情報によってこの「いわゆる南京事件」を理解していると言えるのですが、その理由を次の資料で知ることができます。
こちらにお示ししたのが河村たかし氏が衆議院議員時代、政府に対して行った質問主意書となります。(平成十八年六月十三日提出質問第三三五号)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm
追記(2015年1月31日):
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移動先 いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書
アーカイブ
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書 @webarchive
同回答アーカイブ
衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対する答弁書 @webarchive
実はこの中で河村衆議院議員は東中野修道氏の著書をベースに質問を構成しております。しかしこの著書自体すでに井上久士氏(駿河台大学教授)の論文「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」によって国民党国際宣伝処が資金を出して製作したものではなく、既に書かれたものを買い取って翻訳・印刷したものだということが発掘されその主張の根底が否定されております。
それ以外にも東中野修道氏については資料の曲解が酷く、また名誉棄損も起こしていることなどからこの問題を取り扱う人々の間でも資料の取り扱いには注意を向けるのが常識で、このような引用自体南京問題に対する理解の浅薄さをうかがわせるものとなっています。
また、後に河村市長は「政府見解は認める」と答弁するなど、発言もくるくる変わるため、まともに議論をする意思もないと考える方が正当でしょう。
しかし困った事にこういった地道な研究は顧みられることが少なく、センセーショナルな発言は持て囃されるのでしょう。
名古屋市においても5月19日に「南京事件を自由に議論する議員有志の会」が名古屋市北文化小劇場において会合を持ちました。
その様子はやはり5月19日の私のブログに掲載しております。
自由な議論で南京を語る会? - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
この会合自体については今更批判するにも及びません。
そのブログにも掲載いたしましたが、私はおおよそ「偕行社」の見解を支持いたします。
この偕行社は明治10年に創建された「九段偕行社」が発祥とされ、大日本帝国陸軍の将校、将校生徒、軍属高官などからなる親睦団体であるとされております。
英霊に敬意を。日本に誇りを。 偕行社は、わが国の誇りと伝統を未来に託すための公益財団法人です。
その「偕行社」が「南京大虐殺」が真実なのかという疑問から、元南京戦従軍者から聞き取り調査を行い機関誌に報告を発表していった。その集大が「南京戦史」であります。
この史料(歴史資料)は、昭和57(1982)年夏に起きたマスコミによる教科書誤報事件によって一躍注目される事となった“南京大虐殺”が事実なのか?それとも一体何が真実なのか?という点に注目し旧陸軍士官出身者による親睦団体“偕行社(かいこうしゃ)”によって、元南京戦従軍者から聞き取り調査を行い機関紙に掲載されたものです。
証言による南京戦史(1)〜(11)
そして昭和60年、連載していた「証言による南京戦史」の最終回を向かえ、その「総括的考察」として「偕行」編集部、執筆責任者の加登川幸太郎さんが書かれた文章が、いわゆる「お詫び」と呼ばれている文章であります。
中国国民に深く詫びる
重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。
日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。
旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。
(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察> = 「偕行」1985年3月号 P17〜P18)
南京事件の犠牲者数
彼等、「偕行社」の方々は「『シロ』ではないのだと覚悟しつつも(略)この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない」と仰っている。
そして「 旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」と素直にお詫びの言葉を述べられている。
私はここにこそ日本人の美徳を感じることができるし、歴史の重い事実を背負いつつ、それでも前を向こうとする力強さを感じる。
ある種感動すら覚える文章だった。
故に(比較的単純な)私は、南京事件について「偕行社」の見解を支持するのである。
最後につい最近、3月2日にニューヨーク・タイムズに掲載されたオピニオンをご紹介する。
Opinion | Mr. Abe's Dangerous Revisionism - The New York Times
ありがたい事に神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏が翻訳を掲載されている。
NewYork Times 3月2日の記事から - 内田樹の研究室
”It seems a peculiarity of Japan that those who advocate a greater military posture tend to overlap with historical revisionists.”
「軍事力の強化を求める人々がしばしば歴史修正主義と重複するのが日本の特徴である」(内田訳)
歴史修正主義は日本や周辺当事国だけでなく、米国においても危惧すべき国際問題としてとらえられ始めている。
中国において進まぬ民主化や経済格差の拡大、これら内政問題から民衆の目をそらすために中国国内で徒に日本、それも戦前の日本を批判する声が上がっている事は承知している。
韓国においてもパク・クネ大統領が国内政治の課題を逸らすかのように日韓問題をあげつらう態度も非生産的だとは思う。
しかし、日本国内においても、政治や経済の不満を、日中関係、日韓関係に事寄せて「ガス抜き」をしている事には代わりがない。
隣国同士の国民が、お互いの国内事情を誤魔化すために揶揄をしている間はまだいいだろう。(ヨーロッパにおいて国境を接する隣国同志にはお互いを揶揄する大人のジョークというものがあるようだ)しかし、その事によって関係を断絶するなどという事は幼稚な態度であると言うしかない。
「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」
「荒れ野の40年」と名付けられたドイツ、ヴァイツゼッカー大統領の演説の一節であります。ドイツも日本同様、歴史に重い十字架を背負っています。ヴァイツゼッカー大統領はその事実に目を向け心に刻むと述べられました。
この演説に次の一節があります。
「人間は何をしかねないのか――これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません」
アウシュビッツ、南京事件、東京や名古屋への空襲。
中国における文化大革命、カンボジアのポルポト、インドネシアにおける9・30事件*1、ルワンダ虐殺。
これらを実行した人々はけして特別な人々ではないでしょう。
「人間は何をしかねないのか」ヴァイツゼッカー大統領の警句が心に響きます。
歴史に真摯に学び、そのそれぞれの心にある排除と非寛容こそが、こうした事件の小さな発端であると理解し、すべての人々がより良く暮らせる道を探る事こそが、現在、生きている者に課せられた課題であろうと考えます。
ご清聴ありがとうございました。
*1:当ブログで最近ご紹介している映画「アクト・オブ・キリング」の舞台がこれである