市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

本当に政治が必要なのは誰か?

今日は漠然とした話を。

 愛知6区に減税日本から出馬し、あえなく落選した川村昌代さん。ジャーナリストの傍ら、ボッサ・ノヴァのボーカリストとして舞台を踏まれているようです。
liveschedule_2018_11
スケジュールの2月11日分ですね。


 中京都構想が話し合われた9日の「中京独立戦略本部初会合」(市役所5階会議室)減税日本ゴヤの市議は大村、園田の両氏が傍聴していたようです。田山幹事長様が終了間際に入室。興味深かったのは三宅県議で、会議中ずっと熱心にノートを取っていたとの事。記者でさえ中身のあまりの無さにぼ〜っとする場面もあったのに、何を熱心にノートを取っていたのだろう?逆に、どこにそんな興味を惹くような話があったのか聞いてみたい。是非、ブログででも教えていただきたいものです。


 橋下大阪市長が、先の市長選挙職員組合の動き(対立候補の応援)に遺恨を持っているらしい事。今度はこの職員組合を「敵」認定したらしいことは知られていましたが、大阪市の全職員に向けて、組合との関係をアンケート調査するらしいですね。
 その指示書、総務人事の通番が入っている文書で橋下氏の署名つき、さらに「正確な回答がなされない場合には処分の対象となりえます」とまで書かれている。
 こちら
 ただし、アクセスすると、PDFファイルのダウンロードが始まります。

 また、必ずしも正式な物であるという保障もありません(今現在、フェイクの可能性もあるという事に注意してください/というか、にわかには信じられないような文章)

追記:民主法律協会がアンケート調査の即時中止と違法性を訴えました。
思想・良心の自由、労働基本権を侵害するアンケート調査の即時中止を! | 更新情報 | 活動紹介 | 民主法律協会 | 大阪

追記(2月14日):大阪労働者弁護団の声明
http://homepage2.nifty.com/lala-osaka/ketugi120213.htm

追記(2月16日):日弁連の会長声明
日本弁護士連合会:大阪市のアンケート調査の中止を求める会長声明

追記(2月17日):職員アンケート開封凍結

職員アンケート開封凍結 大阪市労連の申し立てで

 大阪市橋下徹市長が職員に回答を義務付けた政治活動や労働組合活動に関するアンケートについて、市長からアンケートの扱いを一任されている市特別顧問の野村修也中央大法科大学院教授は17日、回答データの開封や集計作業をいったん凍結することを明らかにした。

 野村氏は凍結の理由について、市労働組合連合会が大阪府労働委員会に対して行った救済申し立ての審査の推移を見守ることなどを上げた。市役所で記者会見した。

http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012021701001973.html


 橋下氏の政治手法について、ツイッターに流した論考を整理してみます。

 橋下氏の人気の秘密はその施策のスピード感にあると言われている。本当は実情を把握しない蛮勇でしかないのでしょうが、彼自身、一期、4年間で実績を残すためにあがき続けた。
 逆に、維新の会がバックアップ、ブレーンに付くと若干動きが鈍くなり、足踏みし始めたように見えるのは、様々な調整が必要となったからではないかと考えられる。

 そして他の政治家同様、政治やら経済に詳しいわけではないので教育というテーマに手を入れた。*1教育を語る政治家は実は勉強が嫌いな政治家という経験則は、実は名古屋市や愛知県でも実証できて面白い。

 橋下氏の美点である改革のスピードと、上記の様に消去法的に選ばれた教育というテーマは、実はここでミスチョイスマッチとなる。教育の時間軸*2と橋下改革の時間軸のズレが齟齬を引き起こした。この齟齬はあたかも橋下氏自身が批判するゆとり教育の時と同じ齟齬であって、彼がゆとり教育批判をするのは自己批判のように響く

 ゆとり教育導入には裏テーマがあった。それは教師への担い手不足を解消するための週休二日制の導入だ。今の様に官民格差が逆転するとは思われていなかったから、あのような慌てた制度導入が図られたんだろう。ゆとり教育問題は結局歪を残してしまったが、同じような問題は橋下改革でも発生する。*3

 もっと言うと、どのような教育改革でも歪は発生するし、現状で良いかといわれれば良くは無い。では、どうすればいいか(お、代案がある)緩やかで柔軟なロードマップを示して、その先の理念については国民レベルで議論できるように、論点を整理して提示すべきだろう。評価システム論は枝葉末節。



 ここでちょっと話の方向性が変わる。

 「消費者は自分が本当に欲しいものをよく知らない」と生前、スティーブ・ジョブスが言ったとされています。*4

 で、政治においても同じで、有権者はどのような制度が良いかを実は知らない可能性もある。と、これはちょっと前に引用した犬山市議の久世さんの発言です。

 確かに、小泉構造改革で、それまでの財政投融資(離れですき焼きを食べているといわれた資金)を正常化させるという議論はもっともの様に思えたけれど、だからといって郵政を丸々解体したのは乱暴だったかもしれない(とは言っても、あの当時、私は絶賛していましたが)
 早い改革で歪が起きるのと、改革をしなかったことで制度疲労が露になるのとではどちらが問題が深刻なのだろうかという気持ちになる。また、その時に改革を提案するものは、メリット、デメリットをしっかりと提示して、有権者に説明する責任があるのは当然の事だろう。

 正直言って、橋下教育改革も、大阪都構想も、中京都構想も、こういった説明責任は何も果たされていない。そもそも大阪都構想中京都構想って、中身も無く選挙戦で訴えたのですよね?
 先に、iPad を市場投入したジョブスの例を出したので、そのデンで言えば。

 製品の名前、例えば「ダイナブック」と言ってみただけで、それに対してアラン・ケイの「ダイナブック」なのか!とか、T芝の「ダイナブック」なのか!と勝手に消費者(有権者)が期待を寄せただけって気がしますね。
 実際に、T芝が「ダイナブック」を出した時には、「アラン・ケイの構想したダイナブックを矮小化するものだ!」と反発が起きたことを思い出す/と、思い出話が多かったり、長かったりするのは歳を取った証拠でしょうね。

 こういった中身の無いようなものにも期待を寄せる逆として「政府は何もやっていない」名古屋であれば「議会は何もやっていない」という不信感もあったのでしょうね。

 しかし、どう見たってこれは酷い誤解で。政府だって動いているわけで、名古屋の議会にしても機能しています。国民や市民の側が見ていないってだけなんですよね。(見ていなければならないような危なっかしい市政運営であるという事も問題ですが)

 まとめると。

 市民、国民、そしてマスコミも、何か見栄えや聞こえが良いような政策やアイディアを提案した人が居たら、それにウカウカと乗るのではなく、しっかりと検証するというような慎重な姿勢が必要ではないのかな?
 車を買うときに、アレコレ確認するでしょうにね。政治においては歴史的に、平気でブレーキがない車も売られていたのですから。*5

 「何もやっていない」という台詞には気をつける必要がある。
 
 そういえば、前回のこのブログでは「河村市長は区役所に足を踏み入れていない」と言いました、今のところの公式な回答では、あの情報で正しい筈です。そして、私はそこから「河村市長は区役所の現場を見ていないし、区役所の業務についても実態を把握していないのではないか」と推測しましたが、確かに、論理が飛躍しているかも知れませんね。けれども、その上であの文章を読むと、実態把握がなされていないと言う推測はより強固なものになるのですけどね。
 こういった情報を取り扱うリテラシーというものは重要ですね。

 最後に、もっとも漠然とした話を。


 ちょっと前に「日本の政治状況がネジレている」という論考を書いた。

 本来、資本家・有産階級に支持された自由民主党が、一面では官僚主義といわれるかもしれないが「大きな政府」を指向し、結果として社民的社会制度を目指し。
 労働者に支配されている筈の民主党が、成功しているとは思えないけれども、政治主導をテーマに行政を縮小し「小さな政府」を指向して、結果として新自由主義的な社会を目指している。これ、完全に転倒していますよね。

 経済の局面を見れば、今は、誰でも同意いただけると思うけれどもデフレ局面で、ここでは通貨供給を増やさなければならないのだから、いったんは「大きな政府」を目指すのが正解の筈だけれど。政権はあいも変わらず「行政改革」で。上でもチラッと触れたような「官民格差」「公務員の厚遇を引き下げろ!」という声。

 実際に、ここで公務員給与を引き下げても、得をする人は居ないわけです。逆に公務員給与の引下げによって、内需は減少してすぐに民間の給与水準にも、もう一段の下げ圧力が発生するだけなんですよね。つまり、デフレが深刻化するだけ。

 ここでは「公務員の厚遇を引き下げろ!」ではなく、ダイレクトに「民間の給与水準を上げろ!」「労働分配率を引き上げろ!」と要求すべきなんですよ。

 本来は、こういった事を訴えるのが「労働組合」なんでしょうが、ここが完全に機能不全に落ち込んでいますね。昨日、ある方と会話しまして、この労働組合の機能不全が、民主党の「小さな政府論」を後押ししている。つまり失政を後押ししている。と言っていました。
 実際に、現在「力のある組合」なんて、自分たちはセーフティーな場所にいるわけで、更に「組合専従」ともなると、幾重にも身分が保証されてしまって、危機感が全然ないということなんですね。その方は、ある程度近いのですが、内輪ながら呆れてしまうと言われていました。そういった組合も組織率は年々低下しているのに、活動を見直さない、つまり長期低落傾向にある。しかし、内部的(人事的)に官僚よりも硬直化しているので、誰も思い切った見直しも、評価もできない。淡々と前例踏襲をするだけ。若い専従は漠然と疑問を感じてはいるのだろうけど、こういった硬直化した組織の中では声は挙げられない。今の上位を占める人たちは、自分たちはセーフティーだから、長期低落傾向を気にしない。

 と、ほとんど諦めモードで語ってみえました。

 彼らに、例えば非正規雇用の話や、未就労、未就学の若者の話をしてもピンと来ない。というよりも、そもそも大企業に正規雇用された人たちが「お客さん」なので、その枠からはじき出された人々に対してどうこうしようという発想さえないのではないか。

 ・・・愛知県には、民社の歴史と言うものがありました。
 その愛知民社を作ったのが春日一幸でした。
 
 彼が注目したのは、戦後の混乱の中で、大企業の労働組合に吸収されず、政治から排除されてしまった、中小の商店主、工業主、及びその労働者でした。

 春日が感じたのは、資本家、有産階級には自由民主党が付いており、既得権は揺るがない。傍らには大企業の労働者が居り、彼らは社会主義共産主義をつまりは赤化革命まで訴えている。

 その間に立って、中小の商店主、工場主、及び組織化されないそういった零細の労働者については、実は彼らこそが最も政治を必要としている筈なのに、政治から排除されている。これはおかしいのではないか。という非常にシンプルな思いがあったようです。

 まったく、今こそ鶴舞公園に、非正規労働者、未就労、未就学の若者。更に、現在の社会保障制度では、貧困を解消されない労働者、特に女性労働者を集めて、当時の春日の演説を再現してみたいと思ってしまいます。

 政治とは闘争です。文化的な社会リソースの奪い合いです。

 本当に、力のある新自由主義者は政治に関る必要はありません。政治の様に複雑で係数の多い世界に関らなくても、本当に力のある新自由主義者であるのなら、どんどん起業でもイノベーションでも起して、産業の分野でがんばればいいのです。そこでは市場原理主義の争奪戦で、好きなだけ闘っても誰も文句は言いません。

 政治の分野が必要なのは社会的に力の無いものです。このような力が無い者が、集団で集まって配分を訴えるのが政治の原初的な姿です。

 そして、この日本の、今、と言う社会状況で、政治的に排除され、社会的に冷遇されている人々は幾らでも居るのではないですか。なぜ、それらの人々に手を差し伸べる政党や組合が現れないのでしょうか?

 つまり、それらの政党や組合に危機感がないからでしょう。
 (と、徹底して悲観的に今日の文は終わったりします)


*1:もちろん、もともと学校の先生であるとか教育者の方が教育制度を語るのは判りますが、ここにフォーカスをする政治家は一般的に勉強をしない人と看做せる。これ以上勉強しない人は議会改革を語る。つまり、自分で経験した学生時代や、現に今居る議会についてしか社会の理解ができていないという証拠。

*2:この説明は長くなる

*3:今でこそ官民格差が言われて、公務員の待遇を下げろと騒がれていますが、90年代など公務員、それも教職に付くのはよほどの変わり者か何かと言われた。特に土曜日出勤が条件のネックになっていた。今では考えられないような民高−官低状態だった。なので、今、50歳前後の人が民間の労働条件をアレコレ挙げて、公務員の待遇が厚遇過ぎると攻撃する姿は、事情を知るものとして恥ずかしい。また、そんな人たちの公務員攻撃に耳を貸す必要は無い。デフレを深刻化させる原因でもあるし。

*4:なんだか、最近、ジョブスが「聖人」扱いされていますが、ひょっとすると、この言葉もアラン・ケイが言ったような感じもするんですよね。ただ、ソースを示せませんので、今は「スティーブ・ジョブスの言葉」で良いです。

*5:ナチスなんぞ、ブレーキ不全ですね、大日本帝国も結局、ブレーキが甘かった。「昭和維新」というのは、エンジンにニトログリセリンでも注ぎ込む機構が付いていて、それが強度不足で爆発したって図でしょうか。