「河村市長1年」に見る問題の露呈
中日新聞が知事&市長&議会解散のトリプル選挙から1年を期して、知事と市長の評価をしている。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20120205/CK2012020502000090.html
5項目に分けて5段階評価をしているようだが、気持ちが悪いほどの好意的な書き方といっていいだろう。(もっと、はっきり言うと単なるオベンチャラでしかないぞ、こんなもの)
最初の「マニフェスト」にしてから。そもそも河村市長の「マニフェスト」というのは、本人も認めている通り2009年の所謂「庶民革命」である筈で、あのマニフェストのいったい何パーセントが実行されているか。それを考えたらとてもじゃないが「4」なんて成績にはならないだろう。
というか、既に今日の文章のオチはここにある。
河村市長は言った事を守っていない。それだけで公職者として失格で、このような個別の成績評価自体空しいが、その構造をこの記事は「自ら」暴いている。そういう意味ではオベンチャラを書いたつもりで、河村市長の問題点を鋭く突いて居るとも言える。
さすがは我が名古屋の誇るブロック紙であるところの中日新聞は、こうやって取材対象を怒らせないように、市民に真実を伝えようとしているのだろうか。
河村市長は何がしたいのか
河村市長は何がしたいのか
次の項目がそれを表している。
◆情報発信力 露出度、市長に軍配
<河村市長 5>
本紙の記事検索に河村市長の名前を入力すると、過去1年で1250件がヒット。松原武久前市長の最後の1年は358件で3倍を超える。
減税などの独自政策を打ち出し、名古屋弁で中央からの独立を熱く訴える姿はメディアの注目を集めてきた。
先月下旬には東京・有楽町で自らマイクを握り名古屋のPRも。「タレント市長」「軽薄すぎる」とのそしりもあるが、名古屋の広報マンとしての力量は折り紙付きだ。
つまり、軽率であろうと効果が有ろうと無かろうと、メディアに取り上げられる事が最優先なんだ。メディアに取り上げてもらえるのであれば、有楽町の駅前で頭にチョンマゲ付けてチラシを配る事も厭わない。つまり「目立てばいいのだ」!まるで9歳児だ。
それが名古屋のイメージにとって良いも悪いも関係ない。
なぜ河村市長の政策は実現化しないのか
◆スピード感 素早く反応/実行迷わず
<河村市長 4>
真骨頂は、東日本大震災で大きな被害が出た岩手県陸前高田市への「丸ごと支援」。
半面、法的条件などを熟慮せずに政策を打ち出し、かえって進捗(しんちょく)が遅れるケースも。議会との対立が足かせとなることも多かった。
目立つためには目立つ事を言う。本当は早く言うべきだ。しかし、ここにもあるように東日本大震災においては「スピード感」は落第だろう。当日について、本人が防波堤に登って危険に晒されたとか、選挙を優先して対応が遅れたのではないかといわれている。
その後の支援にしても、決定が早いとは言えない。「丸ごと支援」については却って拙速だったのではないか。先方からの指示に沿って、協調的に協力を申し出るという方法もあったのではないかという批判もある。
それは後段の「法的条件などを熟慮せずに政策を打ち出し」という事にも繋がる。記事では「議会との対立が足かせ」と議会側の問題であるように書いているが、議会とて根拠もなく政策を止める事はできない。いたずらに審議を遅らせたという事はない。
すべて執行権者としての河村市長の制度設計、法的処理、周囲との調整不足による問題だろう。
◆議会との交渉力 楽観…誤算/対立根深く
<河村市長 2>
結局、先の「議決取消訴訟」が示したように、議会との「対立」と呼ばれているものは、河村市長自身の地方自治に対する誤解、法解釈の間違いが根源にある。
河村市長は市会において「反問権」を求めているが、ここにも問題が表れている。
そもそも予算であるとか様々な施策について、執行権者としての市長は充分な説明資料を提示する必要がある。それらを示して、市民の代表としての議会に理解を求める必要があるのだ。それが日本における法が定めた地方自治の在り方である。
議会がより一層の説明を求めるために質問をするのが議会の場であって、相互の議論を行う場ではない。逆に質問をする事で何を得たいのだろうか?
説明ではなく質問をする事によって、説明自体を放棄するという事だろうか?
それは交渉力ではない。市民は市長と議会に、議論を求めるよりも、優先して施策の実現を求めている筈だ。実際に市長は、本会議、委員会等で不規則発言のように逆質問を投げかけているが、それは論点を整理したり説明の根拠を明示化するといった施策実現のための質問とは言えない。既に幾度か繰り返されて、反論もされている無効な自説を繰り返しているだけにすぎない。
◆庁内の掌握 連携課題も/職員動かず
<河村市長 2>
名古屋市中区の久屋大通公園に透明の管を設置して虎を走らせる構想や、多くの小学校の校庭を利用した保育所開設などは、職員が実現に向けて動かないことからネグレクト(無視の意)の「Nリスト」と呼ばれ、その数は30に上るという。
業を煮やした市長が事前の擦り合わせなしに方針を表明する手法には、職員から反発の声も出ている。
結局、議会との折衝もできなければ、市当局内での折衝もできないという事になる。
しかし、会社でいえば代表取締役やCEO、スポーツで言えば監督。つまり、リーダーが、自分の組織を動かせないというのは致命的だろう。
上では議会との「擦り合せ」の問題点が指摘されているが、ここでは部下であるべき市職員との「擦り合せ」が為されない事が描かれている。
結局、自説に固執し、現実を直視せず、関係法令や各関係先の事情なども考慮せず、思いつきや好き嫌い、またはマスコミの反応ばかりを追いかけて口に出すから「ネグレクト」になってしまうのだろう。
つまり、既に現在の名古屋市役所は、市民の選んだ市長のコントロールが行き渡っていないという事になる。市民の求める名古屋市の理念や理想を描くの市長であって、それを選ぶのが市長選であっただろうと思う。(そして、その理想や理念の現実性を、審査監視するのがもう一つの民意である議会の働きだろう)
ところが、この民意を実現化する機構に滞りがあるのである。
これはもっと問題としてクローズアップするべきではないのか?
市職員が為にする意図を持って、河村市長の指示を無視し続けるのだとすれば、それはサボタージュであって大変な問題だ。このような事実があるのなら、報道機関としてこのような扱いでいいのだろうか?え?どうなんだ?
◆マニフェスト 淡泊さも/3大公約は前進
<河村市長 4>
「増税大魔王と戦う」と声を大にし、新年度からの実施へ一歩も退かなかったのが市民税恒久減税だ。
「次期衆院選へ向け、手土産が欲しかったから」(自民市議)との評価はさておき、減税率を当初の10%から半減するという市長にとっては“屈辱”のはずの譲歩までしてみせた。
議員報酬の半減や、試行段階の地域委員会も含め3大公約は前進。一方、知事との連携が不可欠な中京都構想は積極性に乏しい。
話を整理しよう。
河村市長は現実を見ない。現場も見なければ関係先との調整もしない。こういった現実に配慮もしなければ、関係法令すら無視したり、勝手な解釈で捻じ曲げる。
そのような河村市長の言動から、議会だけでなく市当局も離れていき、河村市長の発言や思いつきは実現化しなくなっている。
そして、最初に戻る。
党名にまで掲げた「減税」は10%から5%に修正された。それでも「譲歩」であり、実現化であって評価できるのだろうか?(そのような反省なき強弁こそが、ヒトが離れていく原因ではないだろうか?)
そしてここでの問題は、河村市長が9月議会において、散々「減税財源は確保されている」と発言していたにも関らず、その言葉が事実と異なっていた。(もっとはっきり言わせていただくが、「嘘だった」)ということではないか。
これが問題だろう。説明に嘘があった。
すでに、これで市長の適格性は失っている。
「議員報酬の半減や、試行段階の地域委員会も含め3大公約は前進」と書いてあるが、議員報酬について、そもそもそれが正しかったのか?この報酬半額が正しかったのか政策的に間違っていたのか、中日新聞さんよ、他ならない減税日本ナゴヤの市議に、一度「無記名アンケート」でも取って頂けませんかね。この報酬半減政策こそ、上に繰り返し書いた「現実を直視しない政策」の最たるものだ、そしてその是非は、今現在、現実にその歳費で活動させられている減税日本ナゴヤの市議たちが知っている。
そして地域委員会。これについては稿を改めて書くが、今現在、この制度について何が問題でどのようにすべきか、河村市長は説明できるだろうか。
彼にとって、今となっては地域委員会よりも、石原都知事や橋下大阪市長の言動の方が気になっているのではないか、そう思えてしまう。
河村市長は言った事を守っていない。
その発言は、現実から遊離した単なる思い付きか、マスコミ受けするその場限りの空想に過ぎないからだ。そんな物をまともに相手などしていたら、それこそ貴重な時間と人件費のロスだ。(久屋大通りに虎を走らせるための関係法令と、各種コスト計算を調査するのか?)
市当局が聞き、議会が辛抱強く説明を求めても、本人が事実に即した説明をしない限り、現実的な施策としては実現化しない。もはやこのような姿は、それだけで公職者として失格ではないか。このように個別に分析する必要も無い。