市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

区長公募についてなど/1月30日市長会見について

「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。 それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。」 − エドマンド・バーク

 1月30日に行われた市長会見について述べたいと思います。
名古屋市:平成24年1月30日 市長定例記者会見(市長の部屋)

ものづくりの都が見失いつつあるものは

 この市長会見でも色々と問題はあるのですが、ちょっと聞き捨てならないところを一つ。
 東京における「おもしれーナゴヤを売り込め」大作戦について聞かれた河村市長は「どんな商売でも頭を下げて買ってもらうのは民間なら当たり前」と言っているが、やっぱりこのヒトはまじめに商売をした事が無いんだろう。頭を下げるだの何だの程度でものが売れるわけでは無い。まずは良い商品を作ることが真っ先に来るのではないだろうか。特に、名古屋は製造業の方々が多いところ、ものづくりの都だから、私のこの意見に同意いただける方は多いと思う。
 愛想よく、口が上手いような者よりも、こつこつと良い物を作ろうとする職人に名古屋の職業人は惹かれることだろうと思う。名古屋の物づくりは「安全第一、品質第二、生産第三」のエルバート・ヘンリー・ゲーリー(USスチール)の言葉を指針にしている。ここに「お愛想」などの入り込む余地は無い。

 名古屋市長として、行政の長として「品質」とは何か。それは行政サービスがきめ細かに市民に行き渡っている事で、この予算確定の忙しい時期に幹部職員を引き連れて効果もさだかではない。敢えて言えば児戯にも等しい、ビラ撒きに時間を取られるのであれば、予算書の精査、ヒアリングに時間を取られたらどうなのだろうか?それともよほど暇か?
 
 しかし、河村市長はこのように言うそうだ「政治の世界では、強い者が正しいんです。商売と違って、品質の良さは問題じゃない」 (首長たちの革命 p.63)いい加減に名古屋の首長として如何であるか、再考したほうがよろしいのではないか。

区長公募について


 マスコミにも報じられたが河村市長は区長や副市長、あるいは様々な委員会の構成員について、公募を行うそうである。
 この公募制を発表したのがこの市長会見であるが、ここで触れられている「ある講演」というのは、1月21日に東京で行われた「日本政策学校」の事であろうと思われる。この件について激烈な文章とともに件の動画が送られてきた。
 その中から公募制について触れた部分について YouTUBE に掲載した。


 この部分については、特に大阪の方にも注目していただきたいのだが、質問者の言われる「関東ニュービジネス協議会」の「ベンチャー企業経営者が地方自治体の首長になろう研究会」というのは、"こちら" であろうと思われる。(※1)
 

 このやり取りを聞いていると、そもそも公募の意義であるとか、公募制度自体を積極的に推進しようという意思を感じない。やはりこの場で大阪の区長公募について「受けが良い」と見越して導入を決めたというように思えて仕方が無い。

 この長い話は、結局「公募制度」から論点がずれてあらぬところに話が着地する。
 話の中で出てきた「イタリア、トリノの議会」の話が、昨日も触れた "イタリアにおける国と地方の役割分担" で触れられている「プロヴァンチャ(provicia)」における評議会の事であろうと思われる。(勿論、日本にそのまま導入できるわけがない)

 こういった民間の人材登用については河村市長は大西副市長という人を導入している。しかし、この民間登用はとんでもない失敗に終わってしまったではないか。
 そもそもあの時にはまだ河村市長も任期があった。今はいつ辞めるとも知れない状況である事(※2)は名古屋市政に詳しい者であれば誰でも納得できる。このような状況で公募にヒョコヒョコ応募すると言う時点で、すでに資格がない(市政的状況判断ができない)と言えるだろう。
 大阪の橋下市長が募集した区長公募には応募者が殺到したというが、名古屋の公募についてはどのような事になるのだろうか。


 もう一つの動画は、同じ市長会見の別の部分である。ここで「公募についていつ頃考えられたか?」という記者の問いかけに「一年ほど前から考えていた」と回答しているが、上の「日本政策学校」における講演での受け答えに「一年ほど前から考えていた」などという様子は伺えない。更に言うと、この公募については具体的な詰めは一切無いまま、この市長会見に臨んだように見えるが、一年間練っているにしては酷くないだろうか。私には「思いつき」にしか思えない。

 また「最初から言ってましたけどね」と、2009年の市長選挙の際から言っていたように言うが嘘だ。「庶民革命」(2009年のマニフェスト)には、こういった公募制度については述べられていない。
 11月28日に市会本会議で「市長マニフェストの進捗状況について」質問された富口潤之輔議員はご存知の事と思うが、( "参照" )市長マニフェストにはこのような項目は無い。ただ、2-1-1に「市の福祉行政幹部への民間登用または政策参与を配置」という項目がある。「政策参与」というのは、河村市長以前からあるのだが、以前からある制度についてさえ、今どのような状況か。( "参照" )

 このような質問をした富口市議ならご存知ですよね?

寄附政策について

 もう一つの動画については、同様に「日本政策学校」の中から、典型的な部分を取り出した。

 「典型的」というのは河村氏の職業人としての問題を考える上で必要な事である。
 つまり、これ以上河村氏を名古屋市長として激務に就けていることが、名古屋市民として如何なものかと思う次第である。

 どういうことか。
 この動画は質問者が「市長は寄附を集めるのにどのような案をお持ちか」というような問いかけに対して答えたものである。如何だろうか、その答えは得られただろうか。そもそも寄附が集まらない原因であるとか、寄附を増やすために行った試作的政策等による研究といった、具体的な話が出ているだろうか。
 国においても 「新しい公共」推進会議 - 内閣府 で議論が行われているが、これらの研究は反映されているだろうか?

 そもそも河村氏の話は、論点である「寄附」を離れて、あちらへふらふら、こちらへふらふらするばかりである。それらの話でも、いわゆるその辺の居酒屋で飲んだくれて「酒の勢いで社会を斬っちゃっている」どこかのおじさんと大差ないだろう。

 このような状態で、200万都市のこの名古屋の市長という重職を押し付けるのは酷なのではないだろうか?
(※3)


※1:この件は非常に奇異に感じる。「関東ニュービジネス協議会」の参加者が、大阪の区長公募に応募するというのは、どういうことなんだろうか?勿論、出身が大阪で、現在仕事として関東に居を構えているだけというような人も居る事だろうが、一抹の疑問を抱かずには居られない。
 そもそも「ベンチャー企業経営者が地方自治体の首長になろう」というアプローチは、所謂「地方自治体に民間経営感覚を導入せよ」ということであろうと思われるが、そのアプローチ自体に危惧を感じる。

「政治家になるというのは、土俵際のうっちゃり、みたいなもの。どうしようもない人間でも選挙に勝てばいいのである。事実、ロクでもない人間がたくさん選挙で勝っていらっしゃるではないか」 (首長たちの革命 p.45)

「政治家は人生に苦しんでいる人にはおすすめである。だから、ワシはニート代表だという杉村タイゾー氏が出てきたときにはいいことだと思った(略)政治家というものが単に選挙というギャンブルに勝っただけ(略)人生一発逆転(略)」 (首長たちの革命 p.47)

「わし、よう言っとるがね、『苦しんだら政治に出てみろ』と。ラーメン屋のオヤジになろうなんて考えちゃいかんよ。あれ(ラーメン屋)は技術がいるからね。政治だったら、ろくでもねえ人間でも、間違って(選挙に)通ることがある」 (首長たちの革命 p.56)

 このように語る河村市長の講演に参加する人たちであれば、いよいよ不安を覚える。
 実際に、この講演においても上記のようなせりふは言っている。

 どうにも「その地方の人々の困難を解決する、解決するお手伝いをする行政」という視点が欠けていると思えてならない。

※2:つまり、「任期も無ければ、人気も無い」状況にある。

※3:右の写真はこの講演のレジメらしきものをキャプチャしたものであって、2時間の講演はだいたいこのレジメに準じて進められた。内容的にはこの「日本政策学校」の代表理事、金野索一氏と対談した日経ビジネスのこの記事( http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20111118/223966/?P=1&rt=nocnt )から大きくは出ていないように思われる。
 この記事や講演で言われている事についても、いろいろと異論はあるが、それは次の機会に。



追記:減税財源は総人件費を一割カットする事で賄いました。
というような発言があったが、
名古屋市の総人件費が一割カットされた事実は無い!

204億円の幻想 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0