市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

2012年1月23日市長記者会見より(その1)

 毎週月曜日には市長会見があり、本日(23日)もあったのだが、いろいろと問題が多い会見だったようだ。幾つも取り上げたい話題があるのだが、とりあえずは会見から1つ、そこから派生してもう1つだけ。

 議決取消訴訟"参照” )について記者から質問され、それに対して控訴をするかどうかについて態度を決めかねていると回答している。判決には納得がいっていないようだ。「知事裁定どおりの判決しか出ないけれど、市長選で選ばれた民意はどうなるんだ?」というような、例の民意論を持ち出していた。

 そもそも、減税にしろ、地域委員会にしろ、河村市長の政策を支持して66万票の民意が集まったと、自らの政策の裏書きのように語るがこれは完全に誤魔化しだ。
 あのトリプル選挙を思い出していただければ判るように、知事選挙と議会リコールの賛否の投票が同時に行われて「既存議会に対する批判」という「民意」が、あの票を積上げたというのが実体だろう。ここで河村市長が、自らの政策が支持された結果だと強弁するのは牽強付会に過ぎる。
 更に言うならば、当時の「既存議会に対する批判」というものに、どの程度の信憑性があっただろうか。その批判を受けて出来上がった「減税日本ゴヤ」の市議たちのこの一年ほどの「活躍」を見れば、「まだ、あの当時の市議たちのほうが仕事をしていた」というのが大多数の市民の意見なのではないだろうか。(21日の会合では、どうすればよいかという質問を幾つも受けた)
 そして、議会批判の根拠と言われた河村市長の発言は、その幾つもが事実誤認に基づく物だった。つまり、この裁判と同様、河村市長自身の地方自治に対する無理解が、あの騒ぎ ― 敢えて言わせていただこう ― あのバカ騒ぎを引き起こしたのに過ぎない
 
 この河村市長の誤認からまき起こった「バカ騒ぎ」とそれの尻馬に乗った報道。
 これは、後々の歴史の検証を受けるべきだ。(※1)

 まあ、それは置くにしても。

 河村市長は判決文を読んで、まだ判らないのでしょうか?
 「平成23年(行ウ)第32号 議決取消請求事件」PDF

 そもそも憲法及び地方自治法は、議事機関としての議会と執行機関としての長を、いずれも直接民意に基礎を置く住民の代表機関として対立させ、相互に抑制により均衡を保つことを通じて、地方公共団体の適正な運営を図ろうとしていると解されるのであって(憲法93条、地方自治法第6章、7章参照)このことからすれば、議会が執行機関の行う事務について監視する権限を有することは、当然のことであり、(略)議会がこうした監視権を有することに照らしても、本件事務が、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできない。

 このくらいの事は、中学校の公民の教科書に載っているのではないだろうか。

 市長を選んだのも民意であれば、議会の議員を選んだのも民意であり。(※2)
 市長は自らの提案について議会の承認を得るために、その主張を説明しなければならない。そしてその行為が同時に、市民に対しての説明にもなる筈だ。
 河村市長は減税においても、地域委員会においても、その効果と政策の正当性(「正しい経済学」と言える根拠など)について、ちゃんとした説明をしたと聞いたことがない。


 そして、例えば事業仕分けについてはどうすればいいか。どう取り扱ってよいか判らないと言うようなことを言っていた。・・・・しかし、この件については、去年の12月に民主党市議団に対して、市長自ら取下げを打診しているのですよね。この打診の中身は何だったのでしょうか?

 取下げを打診するのであれば、その争点となっていた事業仕分け条例の取り扱いについてもどうするか表明してあったのではないのか?

 逆に、取り下げたあとの取り扱いについては何も考えもせずに、ただただ取下げだけを打診したのかな?

 そんな子どもの使いのような交渉をしているのでは、河村たかしという代議士は交渉ごとができないと評判だったらしいが、その評判もむべなるかな。本当に無能ですね。


 さて、もう一点。
 
 市長の部屋に相変わらず「仁徳天皇の民の竈」の話が出ています。
名古屋市:市長の部屋トップページ(市長の部屋)

 この文章のままであると、あらぬ誤解をする人が出てきそうですが敢えて指摘せずに置きます。ところで、この話については、小沢一郎氏などが十八番(おはこ)としていたようですが、こういう人も語っています。

http://www.nodayoshi.gr.jp/kawara/backnum/2008/2008_0120.html

 別に野田総理が他の事例の様に「食言した」とも思いません。
 単に「小さな政府」論や税の負担配分の話でしょうし、この話がデフレ局面では経済学的に間違っていることは明白ですから。(積極財政論の徳川宗春とは真逆なんだけど、わかっているのでしょうか?)

 更に、名古屋市上下水道局 の話題も触れています。 こういった社会的インフラについては、建設債を発行しても「世代を超えた負担」として看做せるのであるし、そもそもそうやって「税を使うこと」を肯定するのならば、歳出削減してまで減税するという理論と整合性が取れていないのではないですか。

 と、いう事も判っていないのでしょうね。

 さて、明日はもうちょっと厄介な発言の問題点について書こうと思います。



※1:減税日本の市議、県議の中には「報酬が半減するなんて、実現するとは思っていなかった」と、いまになって事務所を閉じたりしている人もいる。このまま家業だけ続けて、議員活動は言い訳程度やればいいか。それでも4年で3200万円だ。という事なのだろうか。しかしあなた方の言動は半永久的に残る。公的な議事録や公報に。そして歴史の検証を受けるべきだ。
 あなたは、いったい何のために生まれてきて、この人生を何に使ったのか。後世の人々はどのように評価するのでしょうね。

※2:私は一人の議員は、その一人だけの存在とは思っていない。その後ろには付託した何千という市民、県民がいると思っている。なので、例えば違法行為をした議員についても、それを掴まえて「辞めてしまえ」とは言っていないはずだ。
 付託した市民、県民に「どうですか」と問うている。

 しかし、その付託を受けた市民や県民に平気で嘘を言う者は、この付託と信頼といった関係性を自ら否定しているのであり、そのような者には公職は務まらない。

 そういう意味でも、有権者に嘘を語る議員は職を辞すべしと言う次第である。